次はこれ!
2. 考古学史料からの同鉱山での銅採掘の可能性
長登鉱山自体からは各種考古学史料見つかっていますが、長登周辺ではどんな採鉱関係の遺跡があるのか?
銅精錬に関係する周辺遺跡は、国秀、中村、於福金山、平原第Ⅱ遺跡等があり、600~700年代の長登銅山以前~同時代の遺跡になる様です。
いろいろな金属関連の遺跡があるため、長登一帯は銅の一大生産地と考えても良かったのでしょう!
では、香春周辺にはその種の遺跡等があるのか?
あればより長門鋳銭司への銅の供給の可能性も高まるのだが、どんなもんだろう?
まずは本体の香春岳周辺の各種遺跡調べてみましょう!
ここに前回書いた購入書籍が役に立ちます!!
これらの資料にもいろいろ書かれていますが、香春町のHPにしっかり古代の遺跡に関する資料が纏められています。
それによれば、うーん残念ながらこっちが思う様な遺跡はない様です。
簡単に時代毎の遺跡を示してみましょう。
・旧石器時代 約1.3万~2.2万年前
五徳畑ヶ田~湯無田遺跡 出土品は当然石器類で、目ぼしいものはありません。
・縄文時代 約2400~1.3万年前
五徳畑ヶ田~湯無田遺跡 縄文中期~晩期の土器片、打製石斧、土偶等が出土、銅関係の出土はありません。
二の岳遺跡 黒曜石石鏃が発見されている。
・弥生時代 約1800~2400年前
遺跡の数が一気に増加しており、人の流入が予想されます。
五徳畑ヶ田、ミノ・大熊、宮原、岩原、上高野、一本松遺跡等で、集落跡や墓地が見つかる。
甕、高杯等の土器、磨製石斧、石戈、石族が出土。
宮原遺跡では内行花文鏡等4枚の青銅鏡が出土した石棺墓群墓が出土。
浦松古坊遺跡では石棺墓や土壙墓合わせて20基が出土。
上記の時代同様、どの遺跡からも銅絡みの遺構や滓等の出土はない感じ。
・古代 飛鳥~平安時代前半(約1200~1800年前)
長光、宮原金山遺跡で、銅や鉄の製錬跡等の遺構が確認されている。
これらはいわゆる和同開珎の鋳造時期より遅く、長門鋳銭司との関連は低く、あっても周防鋳銭司絡みか?
とはいえ、より新しい時代での銅や鉄精錬の遺構はあるため、長光遺跡周辺はまだまだ古い銅関連の製錬遺跡存在の
可能性あるかも知れません。
地図で見ると、こんな様子です。
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