先ずはこの方、地元の郷土史家が論文?資料として纏めたのかと思い、名から検索!
結果は人文系の大学教育学部の研究者で、それなりの研究履歴もあり、そこそこの研究者。
となれば、信頼性ある資料として考えられるため、しっかり読み解く必要ありそうです。
確かにこの方、他の文献としてー金属伝説で日本を読むー(2018年 東信堂)を出版しています。
この資料で、これらの地区に関し、どう書いているか、調べてみます。
論文の流れからは、地元(下関)の伝説からこの地の銅山の歴史を検証し、長門鋳銭司を考察している。
この論説もなかなかのものですが、ここでは本題から外れるため割愛しますが、今後の課題には・・・。
この地の銅採掘、製錬を行った渡来人部族の存在を推察し、その部族が祭ったと考えられる神々からその部族の実態を検討しています。
香春岳の銅は、和同開珎の原料として利用されたとしており、この根拠に『北九州市立考古博物館常設展示図録』(1985)を挙げています。
そこには和同開珎の原料に香春岳の銅の供 給が書かれており、その根拠等、一考に値するのか?
香春の地名は朝鮮由来、銅の関与があるとし、香春岳の周辺にある神社には新羅系渡来人由来の神々が祭られていると考えている。
先ず豊前国最古の神社といわれる古宮八幡宮を取り上げよう。社伝によれば古宮八幡宮は709年(和銅2年)に創建された。
この神社、もともと香春岳の三の岳山麓の阿曽隈の地に祭られ、1599年に牛斬山の東側の現在地に移転したものである。
祭神は豊比曄命であり、のち859年(貞観元年)に神功皇后と応神天皇の二神を勧請して八幡宮となった。
次は香春岳の一の岳山麓に位置する香春神社である。社伝によればこの神社は250~350年頃(崇神朝)の創建とされる。
祭神は第一座に辛国息長大姫大目命、第二座に忍骨命、第三座に豊比売の三神である。
主神である辛国息長大姫大目命について、谷川健一氏は辛国は韓国すなわち新羅国であり、息長は「ブイゴの風がよく通る」の意味で、
大姫は巫女的性格を示し、大目は「ダイマナコ」で「一ツ目の鍛冶神」につうじるものと解釈している。
すなわち「新羅からやって来て、ふいごを使って銅を鋳造する一つ目の神に仕える巫女」と捉えている。
第二神忍骨命について、谷川氏は「忍」は「大」、「骨」は「穂」で、『記』『紀』にいうところの天忍穂耳命であり、
それは天大耳命につうじ、南方渡来系種族の奉斎した神ではないかとしている。
第三神豊比売は、この地の地母神とみるのが妥当といえるだろう。ただし豊国につうじる豊比売の名称の由来については
未解決の問題といわなければならない。
香春岳の三の岳の東方には都怒我阿羅斯等を祭神とする現人神社がある。この神社について金達寿氏は香春岳をとりまく古宮八幡宮、
香春神社、現人神社のうち、この現人神社が最も古い神社であると考えているが、他の研究者は必ずしもそうではないと、
研究者により、いろいろな説がある様です。
香春岳をめぐってはもう一つ、ニノ岳の山麓に最澄の建立とされる天台宗の神宮院がある。最澄は唐に渡るに際し、
航海の安全を願って宇佐八幡宮と賀春(香春)神社に参詣し,無事帰朝したのち神宮院を建立したとされる。
最澄や空海と香春の地がどのような関係にあったかは定かではないが,彼らの学んだ密教は採鉱と深いかかわりをもつ山岳宗教であり、
そのような観点から神宮院の存在は理解しなければならないと思われる。つまり古代採鉱地帯が最澄・空海を引き寄せたということである。
香春岳をめぐっては以上のような寺社が存在する。その寺社と祭神についての検討結果をまとめれば、まず新羅系渡来人が採鉱目的にこの香春の地に渡来し、
地母神として古宮八幡宮の主神としての豊比嘩命を祭り、それがのちに辛国息長大姫大目命と重ね合わされて香春神社に祭られた。
祭神等から採鉱関係や朝鮮系の関与が考えられ、かなり古い時代から銅等の鉱石採掘がなされていたとも想定される。
以上の点からは、香春の銅鉱石が長門鋳銭司に運ばれ使用された可能性は高い!と考えてもさほどおかしくはない?と思うのはオラッチャ1人?