香春岳周辺の銅鉱山はどんな様子か?
これもいろいろ調べた資料あります。
香春岳周辺の銅鉱山、地図で見ると三の岳周辺の北部域に鉱山跡が多い様です。
現時点では10箇所強の鉱山遺跡が発見されていますが、各遺跡とも採掘時期は近年の明治期以降が主流です。
鉱山周辺では古い時代の遺構は発見されてないものの、元々ないのか、埋没しているのか、消滅したのか、どーなんでしょう?
ただ長光遺跡の様に平安時代付近にまで遡る銅精錬?の遺跡もあるため、当然その頃に掘られた鉱山ある筈です。
やはり、長登鉱山同様、今後の考古学調査が待たれます。
鉱山資料はこんな様子で纏められています。
また、香春岳周辺の銅鉱山を調査した資料もあります。
この銅山、現在は特に遺構等は残されておらず、1980年(昭和55年)頃に都市計画の工事等により、撤去された記録があります。
資料によれば、陽成天皇の時代(880年頃、元慶時代の資料)に掘られた銅鉱山の可能性がある様ですが、詳細な時代考証はされていない感。
以上の結果からは、香春地区周辺の銅が長門へと運ばれた可能性は低い様子ですが、地元郷土史家は
奈良の大仏や皇朝十二銭の原料は、この香春の銅が使用され、時として周防国に運ばれていると考えており、
前記資料中に各種の論考があり、ロマン感じます。
なお銅精錬遺跡とは異なりますが、香春岳周辺に磁鉄鉱を原料とした鉄生産遺跡があります。
国道バイパス建設に伴い実施した発掘調査で出土した製鉄遺跡とのことで、
製鉄炉操業時の鉄滓が10t以上出土する遺跡で、出土土器から950~1250年(10世紀後半~13世紀中頃:平安~鎌倉時代)
に操業したと考えられる製鉄遺跡で、宮原金山遺跡と命名されています。
金属精錬の技術者がこの域にいたと考えられるため、より時代を遡っての金属製錬系の技術集団があっても
おかしくはないのですが・・・・、なかなかその種の資料は見つからない様です。
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