さらに続いています、こんな文章。
邪馬台国?の環境を、そこそこ詳細に。
「男子は大小無く、皆、黥面文身す。古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。
夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み、
文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。後、稍(しだい)に以って飾と為る。諸国の文身は各(それぞれ)に異なり、
或いは左し、或いは右し、或いは大に、或いは小に。尊卑差有り。その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
その風俗は淫ならず。男子は、皆、露紒し、木綿を以って頭を招(しば)る。その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うこと無し。
婦人は被髪屈紒す。衣を作ること単被の如し。その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。
禾稲、紵麻を種(う)え、蚕桑す。緝績して細紵、縑、緜を出す。その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲無し。兵は矛、盾、木弓を用いる。
木弓は下を短く、上を長くす。竹箭は或いは鉄鏃、或いは骨鏃。有無する所は儋耳、朱崖と同じ。」
どこに位置するか? いろいろ考えられますが、少なくとも山の中の国ではない様です。
ただ、邪馬台国の環境か、それを含む倭(日本)全体(と云っても西日本?)の概要の環境表示か、どーなんでしょう?
倭人の習俗を書いた記録と見られ、入れ墨をしているため、この習俗からは南方民族を持っている事が窺える。
それ以下の文章も、その習俗に関与する文で、この入れ墨も当時すでに単なる飾りになってはいるが、
各人、その階級等によっていろいろ違いがあった様である。
さらに倭の位置にも言及している。
男女の衣服について描写し、その衣料の原材料を述べているが、そこで栽培されている農作物、稲や紵麻、桑を育て養蚕、それから糸を紡ぎ
織物を作る。この織物がかなり細かいモノで、文面から中国にとってもかなり高度な織物だった印象があった様である。
特に「縑」は中国では単なる絹ではなく、2本の糸をよりあわせて織った「細緻で水も漏れない」織物とされている。
中・四国地方以東で、弥生時代遺跡から絹が出土した例はなく、祭器とみられる銅鐸・銅矛であっても絹には包まれていない。
この時代、近畿地方には、まだ養蚕の技術は伝わっていないと見られる。
それに対し、副葬品を持たない庶民とみられる甕棺からも絹に包まれた人骨が出土している。(福岡県甘木市栗山遺跡)
「その地には牛、馬、・・・」邪馬台国の自然環境の表示?
「・・・有無する所は儋耳、朱崖・・・」、海南島にこんな地名?がある様で、その辺りと似ている環境って所か?
中国東海岸、東シナ海挟んで九州。環境似ていても全然おかしくない!!
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