不眠の原因 ・ 続き

2015-02-17 10:06:01 | タナカ君的日常
 午前中で雪の結晶撮影装置のDIY作業はほぼ目処が付き、 動作確認も済ませたから、 散らかり放題になっていた居間やコタツのテーブル上の工具や部品を少しづつ僕の部屋に移動して片付け始めた。 電動ドリル、 ジグソー、半田ゴテ、ヤスリ、ビスやナットの入った部品箱、直角定規、総動員体制で散らばった居間は簡単には片付きません。 その内に「食事の用意出来ましたけど、すぐに食べますか?」と聞かれて始まった昼食。

 食事を摂り始めてしばらくして、妻の口から出た言葉が

   「私の話、聞いてくれる?」

だったのだ。 そして妻の語る不眠の原因・・・

 「昨夜はね、いろんな事を考え始めたら、眠れなくなっちゃったのよ。」

「この所、居間は貴方が散らかし放題だったでしょ」、

「 掃除も出来やしない 」、

「それが嫌で嫌で たまらなくなっていたのよ!」、

「片付かない家にいると、イライラするだけだから、
 ”私もスキーにでも出かけちゃおうか”と考え始めたり」、

「どうしていつも、貴方は家の中をきれいにしてくれないのか?」

「そんな事を考え始めたら一晩中眠れなくなってしまって」

 それが不眠の原因だとしたら、「不眠の原因は貴方」 なのは間違いありませんね。

でも、「そんな事が人生の悩みで良かったね」の言葉が出そうなのを押しとどめて、 昼食を無事に終えました。


 そして夜までには居間の片付けも済ませ、 「東京地方にも雪が降る」そんな気象情報に対応出来る様に、


 撮影機材を写真の様な持ち運び用のケースに納めて、車のキーや耳覆いの付いた帽子なども用意して就寝したのでした。

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「不眠の原因は貴方」

2015-02-16 20:24:22 | タナカ君的日常
 朝おきて早々に妻の口から 「眠れないで一晩中起きていた」 そんな言葉が飛び出した。 朝食のテーブルで「不眠の原因はなんだ?」 と聞いてみた。 妻は「貴方のせいだ」と言う。 引き続いてもっと具体的な理由が妻の口から飛び出して来るものと想ったが・・・ 口に入れた朝食をモグモグさせたまま双方だんまり状態に陥って朝食の時は過ぎた。 食事が済んでも妻は何も言わず、 たたまずに敷いたままになっていた布団に潜り込んで、睡眠不足解消モードに突入してしまった。

 僕も午前中は居間のコタツ周辺一杯に広げっぱなしにしてある工具を使って「勝手にしやがれ、 糞ったれめ」モードで雪の結晶撮影装置のまとめ作業を続けていた。

 そして昼飯時、 「私の話、聞いてくれる?」 そんな風に妻が切り出して来た。



続く・・・
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皿ビスと戯れたバレンタインデー

2015-02-15 07:48:45 | タナカ君的日常
 週末はバレンタインデーとかで、TV各局はお菓子業界から宣伝費ももらわずに、 いや案外資金提供を受けているか・・・? チョコレート売り場や手作りチョコなどの様子を番組に登場させていた。

 我が家では妻からの義理チョコも登場しないまま、 そんな馬鹿騒ぎの圏外におかれた一日が過ぎていくのだが、 僕はDIY用品売場のあるお店に行って皿ビスなどを買い込んで、 日がな一日(いや、午後は囲碁に出かけるから”半日”)工作にのめり込んでいたのです。


 そして出来上がったのがこれ、 凹面反射板を備えた接写装置の一部です。 ちなみにこの凹面部分、 ビールのアルミ缶の底部を切り出した物です。
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粉雪

2015-02-14 13:01:59 | 雪の結晶撮影
 雪の結晶を撮影しようとおもっても、 六華の結晶がなかなか落ちてきてくれない事をこのブログの中で、僕は何度もぼやいている。 そう、雪が降っているからと言って、綺麗な形した雪の結晶が落ちてきているとは言えないのだ。

 昨晩は草津スキー場に出かけている友人に電話してみた。 「どうですか、草津は雪降ってるでしょうけど、 綺麗な結晶のが降ってます?」とね。 答えは「ノー」、 「粉雪だよ」、「結晶して無い」 そんな返事でした。


 ちなみに粉雪と言ってもTop写真の様に、地上の物に当たるとパラリと細かな粉砂糖の様に散らばる物もあれば、


 中に小さな六華の結晶が紛れ込んでいる物もあるのです。 しかし、こんな状態の中から六華の結晶した1片だけを分離して取り出すなんて出来ない相談です。 分離しようといじっている内に六華の枝がバラけて形が崩れてしまいますからね。
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土手菜っ葉到来

2015-02-13 22:50:57 | タナカ君的日常
 「土手菜っ葉(ドテナッパ)を採ってきたから食べて!」と囲碁仲間からビニール袋に詰まったそれを頂いた。 このところ毎年頂いている物で埼玉県の荒川流域のとっておきの場所の土手まで出かけているんだそうだ。 このブログ内で”土手菜っ葉”で検索してみたら、一昨年は1月の中旬に頂いたことになってました。

 わらびやタラの芽などの山菜は同じ場所なら年によって生育時期に差はあっても最大半月程度のものだとおもうけれど、 この土手菜っ葉の場合は1ヶ月時期が違っても採取出来ちゃうものなんですかね。

 味噌汁にしても、 肉と一緒に炒めものにしても美味しく食べられる。 来年は僕も採りに行って見ようかな。
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「例のもの」のご報告

2015-02-12 19:42:57 | 雪の結晶撮影
 「例の件どうなっている?」、「例のもの準備出来た?」こんな風に使われる「例のxx」は現役サラリーマンなら経験済みでしょう。 

 つい先日、昔の同僚から、「例のもの上手く行ってますか?」とメールが届いた。

***** 届いたメール *****
タナカ さん

了解です。あてにはしていませんでした(笑)
ちなみに例の物は、上手く使えて居ますか?

Y

----- Original Message -----
>From: <tanaka***@yahoo.co.jp>
>To: <Y_sun@yahoo.co.jp>
>Date: 2015/2/10, Tue 11:30
>Subject: Re: ★第24回公演『幸せの値段』
>
>Y さん
>
> お世話になる時だけお世話になっていて、
>チケットの一枚も買えないなんて不義理でしょうが
>申し込みしませんので、ご了承ください。
>
>タナカ
>
*****

 その例の物は雪の結晶撮影装置に使用する「レンズ保持用金具」なのだが、 加工図面を渡して、板金加工で製作してもらった物なのだ。 せっかく作ってもらったのに、「使ってない」なんて言ったら怒られてしまう。

「上手く使えてますか?」のメールには、「使ってますよ!!」の返信をしたいから、昨日はその金具を使った工作を一日中やっていたのです。

 完成した状態がTop写真です。 マクロレンズの前方に組み込む追加の50mmレンズが、がっちり固定出来る様になりました。

 以前は追加のレンズは木のブロックにケーブル類を束線するのに使用するプラスチック製の”タイラップで暫定的に締め付けて固定していたのです。 それに較べたら、 兎に角カッチリと固定出来て大満足です。

 その固定はカッチリ固定できているだけでは駄目で、 カメラ本体のマクロレンズの光軸と追加レンズの光軸も必要な精度で合っていないとシャープな絵が撮れません。

 その確認をするために微細なドットパターンで印刷された試料を使って画面全体に渡ってシャープな画像が得られるかも確認しておきました。


 ちなみに試料として HERTZ社の会員証「Hertz GoldPlus Rewards」を使いました。 そのカードの中には 微細なドットパターンが並んでいましたから、 性能検査用の試料として適当と判断したのです。


 なんだか電子顕微鏡の性能検査の際に撮影された金の原子配列の格子パターンでも眺めている気分になってきますね。



 ドット間隔は”6ドット強 / 1mm ”程度のものでしたから、 オングストロームオーダーの金の格子と桁違いの差がありますが、 雪の結晶相手のカメラですから、 これでOKとしておきます。 
 
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仮りの一人生活

2015-02-10 21:20:48 | タナカ君的日常
 保育園に行っている孫が風を引いたらしく発熱。 発熱していると保育園が預かってくれないから、  その面倒を見るのを頼まれた妻は昨晩から息子の家に泊まり込みで出かけた。

 そんな訳で、きょうの僕は”一人生活状態”になっている。
一人生活と言っても、暑い夏の時期には東京を逃げ出して、 3ヶ月近くも一人で 「安曇野生活」 を続けたりする僕だから、 慣れてはいますけどね。


 <その一日はこんな風に流れて行きました>

 未明の4時頃に目覚めてオシッコに起きた、 配達されていた朝刊に目を通して、再び後に寝床に入ったら、 なんだかグッスリ寝入ってしまって、再度目覚めたら10時になっていた。

 玄関先には「明日のゴミ出しに間に合う様に出して置いて!」そんなゴミ袋が2つ置いてあったのを慌てて集積所に持って行ったり、朝食にチーズトーストを作ってノンビリ食べたら11時になっていた。

 昨日「ゆうメール」で届いていたオリンパス・OM-Dのカタログなどの販促資料を隅から隅まで眺めていたら、 それだけで昼の12時。 遅い朝食だったにも係わらず、 「昼飯を喰わなくちゃ」そんな気分になって、吉野家に行って「牛すき鍋」をお腹にいれた。

 昼食後には、公民館に行って夕方5時過ぎまで、囲碁の対局をして過ごした。

 対局をすませた5時過ぎには「家に帰っても妻は留守だし、どこかで夕食食べなくちゃ」そんなことで夕食も外食ですませた。

 まあこんな風に外に出歩けて、 適当に食事を食べ歩けるから仮のお一人様生活も成り立っているのだけれど、 病気になって外に自由に出歩けなくなったら、 こんな生活も成り立たなくなるんでしょうね。

 それにしても、 「俺みたいのが、こうやって生きて行くことにどれほどの意味があるのか?」 そんな答えの出ない事を考え始めていたら、 電話が鳴って「 2人(息子夫婦)とも仕事から帰って来て、明日は休日だから、今から帰ります 」 そう妻が連絡をくれた。 「そんな今から帰りますと言っても、 11時近くになってしまうだろうから、明日かえれば・・・」と返事しつつも、 ホッとしつつある気持ちが無いでもない。

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ある時期には旋盤工

2015-02-09 12:39:23 | サラリーマン人生
 丸い金属棒を回転させて、それに「バイト」と呼ぶ刃物を押し当てると金属棒を必要なサイズの円形を組み合わせた形の製品を作り出せる。 そんな工作機械を旋盤(せんばん)と呼ぶのだが、 昭和30年台の後半の一時期には自動旋盤のアタッチメント的な仕事を与えられ、それに従事した事がある。

 なんで「アタッチメント」なんて機械の付属物を連想させるネーミングをしたかと言えば・・・

 僕が加工図面を見て、 旋盤の刃物を操作するハンドルを回して、必要な寸法に旋削加工する訳じゃなく、 刃物はカム機構を使って自動的に駆動され、 勝手に部品加工が出来てしまう、 そんな工作機械の「自動旋盤」だったから、 僕の役目と言えば、

1. 自動旋盤への被加工素材の補給。

   加工が進で素材の長さが不足してきたら、
   旋盤を停止させて素材を供給するのです。

2. 加工部品の仕上がり寸法の監視

  部品の寸法精度は許容範囲に収める必要があります。
  旋削加工に使用する刃物は、徐々に摩耗してきます。
  すると加工品の仕上がり寸法が変化して来ます。
  それで、 時折寸法の確認を行う必要があったのです。

  その時に多用した計測器は限界ゲージと呼ばれる物で
  穴径の確認、 外形の確認などの目的に応じた
  形状の物がありました。

 そして、 問題が生じた時には機械加工の専門技術者に報告して対処してもらう、 そんな役目でしたから、 「アタッチメント」と自分を卑下するしかなかったのです。

 ところで、電気系の学校を出た僕がどうして機械加工作業に割り当てられたか? その頃に「EPR2T」そんな機種名のペンレコーダーがバカ売れしていて、生産人員が不足していたからでしょうかね。


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石油ファンヒーター

2015-02-08 22:17:03 | 安曇野生活
 年末に安曇野の借家に行った時は部屋の暖房には卓上で炊事に使う目的のカセットコンロに着火して暖房器具の代用を試みたのだが、 まるで火力が弱くて、用をなさない事がわかったのです。 そこで先月下旬の大寒の時期に安曇野の借家に行った時には、 石油ファンヒーターを使ってみました。 カセットタイプのタンクに燃料を入れてコンロ本体に装着して、 AC100Vを供給すればスイッチ操作一つで、着火や消火が出来るのだから、 卓上コンロ同様に使用は至って簡単でした。

 家財の一つとして借りた家に残されていたそのコンロはコロナ社製ものでした。 まあ石油ファンヒーターと言えば他のメーカーの物だって、同じ様なも仕様なのだと思うけれど、操作パネルには設定温度と室温の表示がついていました。

 何も暖房しない場合の室内は、放置したペットボトルの水が翌朝に氷結するほどですから、室内温度は0℃を下回っていて、 点火直後のコントローラの室温表示も「0℃」になっていた。

 ちなみに、ファンヒーターを使用した部屋は玄関を入ってすぐの6畳間、


 周囲を仕切るガラス戸や便所に通じるドア等は全て閉じておきました。 そして連続運転すること2時間。 室温表示が何度に上昇したと思いますか?  なんとたったの9℃でした。 ガラス障子の密閉度が悪くって、 周辺から相当な量の空気が流入したり天井から抜けたりするんでしょうね。 そして台所に面した側のガラス障子を一枚解放して置いた場合には、 2時間経過しても室温表示は 0℃のままになっていましたよ。 

 こんなだから家の中でも山用品の羽毛服等を着込んだままで過ごしていましたけど、 とにかく冬期間は友達に「安曇野の家に遊びにおいで」とは誘えません。
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たった一度の献血

2015-02-07 11:46:47 | タナカ君的日常
 今朝のテレビでは献血をテーマにした番組を放送していた。 それを見て、 僕のたった一度の献血経験を書いてみる気になった。

[ 輸血を受けた時 : 26歳の頃 ]

 群馬県の武尊スキー場で転倒して大腿骨骨折の怪我をしてしまった。 親戚の知り合いが実家に近い藤岡市で外科医を開業している人がいて、 そこまでタクシーに乗せられて入院した。 その時は骨髄の中にL型の長い金属棒を挿入して固定する手術を受けたのだが、 その手術にあたり人生で初めての献血を受けた。 

 その時には親戚のオジサンが献血カードを数枚集めて持って来てくれて、 それなりの血液で輸血をしてもらえたらしい。


[ 血液を提供した時 : 28歳の頃 ]

 母親が癌を患い、手術を受けて退院して自宅で暮らしていた時期のこと。 手術を受けて1年経過した頃に再発し、 自宅で血便を垂れ流す状態で亡くなった。 家の近所の医者が往診してくれていたのだが、 「新鮮な血液を輸血してあげた方が良い」そんな話があって、 「もう臨終が近い」と電話を貰って実家に帰っていた僕も血液を提供する事になった。 

 しかし、 真っ黒い悪臭を放つ血便を出す母親を見ていた僕は、「輸血しても無駄なんだろうな・・・」そう思いつつも血を抜かれたものだった。

 まあ後になって考えてみれば、 母にモルヒネみたいな痛み止めの注射をしてくれていたその医者が、 「家族にも出来るだけの事をした」 そんな気持ちを持たせるための「輸血と言う儀式」であったのだろう想う様になった。

 それ以降、 僕の人生一度も献血をしていない。


 僕が勤務していた職場には子育て真っ盛りの女性社員のAさんがいて、 二十歳頃から毎年連続して献血していることを誇りにしている女性だった。 そんな事も懐かしく想い出す。
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