今までの人生で救急車に乗り込む経験をした事は有りませんでした。 所が昨日の日曜日の午後、いつもの様に公民館で囲碁の対局の真っ最中、対局中だったメンバーの一人が突然体のバランスを崩して倒れこみ、病院に救急搬送する騒ぎが起こりました。 そして僕とFJさんの2人が救急車に付き添いで同乗して病院に行くこととなったのです。
それは午後3時過ぎた頃でした。 対局を終わり、Eさんが椅子から立ち上がろうとした拍子に身体のバランスが崩れだし、椅子から床に倒れこむ動きを始めたらしい。 「らしい」と言うのは、僕はその時には、彼の背後の位置で対局中だったから、見ていませんでしたから。
Eさんと並びの席で対局中だった人がそれに気付いて咄嗟に倒れこむ身体を支えてあげたため、Eさんは床に頭を打ち付ける様な事も無く済んだようです。 しかし倒れ始めた大の大人の身体を受け止めたものの、そのまま支え続けるのは無理な話で床に座らせる姿勢を取らせようとした。 しかし本人は座る姿勢を保持する事ができない様子、 ここらへんから、僕も傍らに寄り添い、床にEさんを横たわらせる作業を手伝い始めました。
本人の意識はありました。 起き上がろうと、身動きするのだけれど、周辺の僕達に「静かに横たわって居たほうが良い」と制止されたからか、 身体に力が入らないためなのか? 立ち上がる事はしませんでした。 思えば既にその時には半身不随状態になっていたのかもです。
誰かが救急車の出動要請の電話を掛けてくれました。 本人は自分の頭をげんこつで叩き始めたりします、 聞くといつもの話し方より聞き取りづらかったものの「頭が痛い」と答えました。 それも止めさせました。 床に寝かせた直後から僕は手首の脈に触れていました。 最初の内は弱く脈打っていた感じだったのが、 暫くすると結構な強さを感じる脈に変化し、 7分後くらいに救急車が到着した頃には、また脈打つ強さが弱くなったと感じました。
到着した救急隊員の方達はてきぱきと情報収集や処置を始めました。
周辺の人間から、横たわった状態に至るまでの経緯の事情聴取。
本人に関する情報(住所、年齢、家族などの個人情報)収集。
手指の先に血中酸素濃度と脈拍を計測する計器を取り付けました。
胸を開き、電極の取り付けたのは、 心臓の測定のためだったのでしょうか?。
酸素吸入マスクを装着しました。
ペンシル・ランプを使って瞳孔や光を追えるか?
そんな眼球動作反応の確認を始めました。
そして病院への緊急搬送が決定されました。
身内の方への連絡先が不明なので、その場に居た囲碁仲間2人に救急車への同乗を要請されました。
ストレッチャーに乗せる時、脚を持ち上げるのを手伝うよう頼まれました。 音頭をとる救急隊員の方の掛け声に合わせて、脚を持ち上げてストレッチャーに乗せました。
公民館前に停車中の後部座席に乗り込みました。
運転席の隊員は本部と無線連絡をとる任務に就いています。
ストレッチャーの傍らに座った隊員は「これから病院に向かいますからね」、「安心して、落ち着いて下さい」などと声を掛けてEさんを励ましながら意識の有無の確認しつつ、車内の酸素ラインに酸素マスクを接続したり、指先や胸からの情報が採れるように作業を進めていました。 更には左腕の見られる運動障害や瞳孔の様子などを次々に確認しながら、前部の無線連絡担当隊員に伝えていました。
車に乗ってから5分ほど経過したでしょうか? 搬送先の病院が決まり、動きだしました。
病院への移動中、救急隊委員はFさんに話しかけ続けていました。 そんな時に、Eさんは自らズボンの右ポケットに手を入れて財布を取り出す動作を始めました。 隊員が手伝ってあげて、「中身を確認させてもらって良いですか?」と聞き、 財布の中に健康保険証があるのを発見しました。 Eさんは、それを出したかったらしいです。 しかしここでまた問題が、 囲碁クラブに自己申告してあった住所と健康保険証に書かれた住所が食い違っていると言うのです。 そんな事言われたって付き添った僕達にはどっちが正しいなんて判りませんよ。
搬送先は多摩医療センターに併設された救急救命センターでした。 僕も3年ほど前の正月明けに右腕を骨折した際にお世話になったところです。
病院に到着するとERの医療チームが待ち構えていました。 救急車の隊員から手渡された資料を見て、同乗して行った僕達2人が「友人」と言う立場である事を確認し、 「連絡の取れる身内を知らないか」と再度聞かれました。 僕たちは「彼は一人暮らしだと聞いていて、身内が居るのか判らない」と答えました。
待合室で待機しているように指示されました。
患者のEさんは救急車のストレッチャーのまま病院の建物に入りましたが、 待合室のベンチの前を通りすぎてMRI検査室に向かう時には病院のストレッチャーに乗せ換えられていました。 MRIから次は隣のレントゲン室に入って行き、最後は救命センターの病棟へと姿を消して行きました。 気がかりは廊下を移動するストレッチャー上の彼が完全に眠っているように目を閉じていることでした。 後でその原因を知りましたが、MRI検査などで身動きするので、鎮静剤を投与して眠らせたようです。
そして、 椅子に座って、待つこと暫し・・・
「Eさんの付き添いの方」と声を掛けられて導かれた面談ルーム、若いけれど、医師と思しき人からモニタ上のMRI画像を見せられ、「脳内出血している」、「右脳・運動野部分に内出血があり、そのために左側の腕などで麻痺が生じている」と検査結果と容態を告げらました。 たしかにMRIの断層画像では脳の内部に眼球のサイズよりやや小振りな白い区域が見て取れました。 救急車の中で隊員が左腕の反応異常を伝えていたのと一致してます。
ついで今後の処置についての説明、具体的には「カテーテルを使用した脳内の血管造影の検査を行いたい」その検査で生じ得る危険性について(例えばカテーテルを挿入する時に血管内壁の一部が欠片となって剥がれ、それが脳内の血管を詰まらせる危険等)の説明を受けた後に、 そんな危険性の存在する検査や処置に対する承諾書へのサインを求められたのです。 書類の署名欄にサインし、本人との関係欄に ”友人”とだけ記載しました。 住所、電話番号、そんなものの記入は要求されませんでした。
そして、既に5時は廻っていたけれど、血管造影検査が済むまで、更に待機の継続を要請されました。
心の中では「何時まで待つ事になるのか? 困ったな・・・」そう思いつつ、待合室の椅子で一緒に行ったFJさんとお互いの子供時代の想い出話し等をしながら待ち続けました。
そして6時を過ぎて病院の事務職員風の女性が現れました、傍らには普通のスタイルの女性が一緒に立ち、Eさんが履いていた靴や着衣等を入れたビニール袋も抱えています。
事務職員風さんからは「Eさんの身内の方が来て下さいました、お話をなさって、付き添ってくださったお友達の方々はお帰りになられて結構です」 そう言われた時には一瞬キョトンとなりました。 だって身内が居るのかいないのか、僕達にはさっぱり判らなかったのですからね。 話しを聞くと病院側では「身内の方の連絡先が判らない」そんな患者への対応として、 ルーチンワーク的に「警察に連絡して身内を探して貰う」そんな行動を取ったそうです。 それを聞いて「へえー、なるほどね?!」とおもいましたよ。 そして 「病院と警察、蛇の道はヘビだね、やるじゃないか!!」、「とにかくこれで家で夕飯が食える」 と想いつつ、 FJさんの奥さんが届けてくれた車に乗せて貰って家路にと向かい、 18:30自宅に帰着。
公民館で囲碁を楽しんで居た仲間としては 「無事に病院まで届けられて良かった」 そんな思いもします。 けれど一方では、「僕より3つほど若いFさんが今後の生活を半身不随になって続けることになるかもしれない」 そう考えると、 床に寝かせて安静を保ったりせずに、 「もっと酷い脳内出血になって救急車が来た時にはあの世に向かう途中、そんな風になってた方が、 本人にも家族にも望ましい状態だったかもね・・・」なんて、いつものタナカ君的偏見思考が頭をかすめないでもありませんでした。
それは午後3時過ぎた頃でした。 対局を終わり、Eさんが椅子から立ち上がろうとした拍子に身体のバランスが崩れだし、椅子から床に倒れこむ動きを始めたらしい。 「らしい」と言うのは、僕はその時には、彼の背後の位置で対局中だったから、見ていませんでしたから。
Eさんと並びの席で対局中だった人がそれに気付いて咄嗟に倒れこむ身体を支えてあげたため、Eさんは床に頭を打ち付ける様な事も無く済んだようです。 しかし倒れ始めた大の大人の身体を受け止めたものの、そのまま支え続けるのは無理な話で床に座らせる姿勢を取らせようとした。 しかし本人は座る姿勢を保持する事ができない様子、 ここらへんから、僕も傍らに寄り添い、床にEさんを横たわらせる作業を手伝い始めました。
本人の意識はありました。 起き上がろうと、身動きするのだけれど、周辺の僕達に「静かに横たわって居たほうが良い」と制止されたからか、 身体に力が入らないためなのか? 立ち上がる事はしませんでした。 思えば既にその時には半身不随状態になっていたのかもです。
誰かが救急車の出動要請の電話を掛けてくれました。 本人は自分の頭をげんこつで叩き始めたりします、 聞くといつもの話し方より聞き取りづらかったものの「頭が痛い」と答えました。 それも止めさせました。 床に寝かせた直後から僕は手首の脈に触れていました。 最初の内は弱く脈打っていた感じだったのが、 暫くすると結構な強さを感じる脈に変化し、 7分後くらいに救急車が到着した頃には、また脈打つ強さが弱くなったと感じました。
到着した救急隊員の方達はてきぱきと情報収集や処置を始めました。
周辺の人間から、横たわった状態に至るまでの経緯の事情聴取。
本人に関する情報(住所、年齢、家族などの個人情報)収集。
手指の先に血中酸素濃度と脈拍を計測する計器を取り付けました。
胸を開き、電極の取り付けたのは、 心臓の測定のためだったのでしょうか?。
酸素吸入マスクを装着しました。
ペンシル・ランプを使って瞳孔や光を追えるか?
そんな眼球動作反応の確認を始めました。
そして病院への緊急搬送が決定されました。
身内の方への連絡先が不明なので、その場に居た囲碁仲間2人に救急車への同乗を要請されました。
ストレッチャーに乗せる時、脚を持ち上げるのを手伝うよう頼まれました。 音頭をとる救急隊員の方の掛け声に合わせて、脚を持ち上げてストレッチャーに乗せました。
公民館前に停車中の後部座席に乗り込みました。
運転席の隊員は本部と無線連絡をとる任務に就いています。
ストレッチャーの傍らに座った隊員は「これから病院に向かいますからね」、「安心して、落ち着いて下さい」などと声を掛けてEさんを励ましながら意識の有無の確認しつつ、車内の酸素ラインに酸素マスクを接続したり、指先や胸からの情報が採れるように作業を進めていました。 更には左腕の見られる運動障害や瞳孔の様子などを次々に確認しながら、前部の無線連絡担当隊員に伝えていました。
車に乗ってから5分ほど経過したでしょうか? 搬送先の病院が決まり、動きだしました。
病院への移動中、救急隊委員はFさんに話しかけ続けていました。 そんな時に、Eさんは自らズボンの右ポケットに手を入れて財布を取り出す動作を始めました。 隊員が手伝ってあげて、「中身を確認させてもらって良いですか?」と聞き、 財布の中に健康保険証があるのを発見しました。 Eさんは、それを出したかったらしいです。 しかしここでまた問題が、 囲碁クラブに自己申告してあった住所と健康保険証に書かれた住所が食い違っていると言うのです。 そんな事言われたって付き添った僕達にはどっちが正しいなんて判りませんよ。
搬送先は多摩医療センターに併設された救急救命センターでした。 僕も3年ほど前の正月明けに右腕を骨折した際にお世話になったところです。
病院に到着するとERの医療チームが待ち構えていました。 救急車の隊員から手渡された資料を見て、同乗して行った僕達2人が「友人」と言う立場である事を確認し、 「連絡の取れる身内を知らないか」と再度聞かれました。 僕たちは「彼は一人暮らしだと聞いていて、身内が居るのか判らない」と答えました。
待合室で待機しているように指示されました。
患者のEさんは救急車のストレッチャーのまま病院の建物に入りましたが、 待合室のベンチの前を通りすぎてMRI検査室に向かう時には病院のストレッチャーに乗せ換えられていました。 MRIから次は隣のレントゲン室に入って行き、最後は救命センターの病棟へと姿を消して行きました。 気がかりは廊下を移動するストレッチャー上の彼が完全に眠っているように目を閉じていることでした。 後でその原因を知りましたが、MRI検査などで身動きするので、鎮静剤を投与して眠らせたようです。
そして、 椅子に座って、待つこと暫し・・・
「Eさんの付き添いの方」と声を掛けられて導かれた面談ルーム、若いけれど、医師と思しき人からモニタ上のMRI画像を見せられ、「脳内出血している」、「右脳・運動野部分に内出血があり、そのために左側の腕などで麻痺が生じている」と検査結果と容態を告げらました。 たしかにMRIの断層画像では脳の内部に眼球のサイズよりやや小振りな白い区域が見て取れました。 救急車の中で隊員が左腕の反応異常を伝えていたのと一致してます。
ついで今後の処置についての説明、具体的には「カテーテルを使用した脳内の血管造影の検査を行いたい」その検査で生じ得る危険性について(例えばカテーテルを挿入する時に血管内壁の一部が欠片となって剥がれ、それが脳内の血管を詰まらせる危険等)の説明を受けた後に、 そんな危険性の存在する検査や処置に対する承諾書へのサインを求められたのです。 書類の署名欄にサインし、本人との関係欄に ”友人”とだけ記載しました。 住所、電話番号、そんなものの記入は要求されませんでした。
そして、既に5時は廻っていたけれど、血管造影検査が済むまで、更に待機の継続を要請されました。
心の中では「何時まで待つ事になるのか? 困ったな・・・」そう思いつつ、待合室の椅子で一緒に行ったFJさんとお互いの子供時代の想い出話し等をしながら待ち続けました。
そして6時を過ぎて病院の事務職員風の女性が現れました、傍らには普通のスタイルの女性が一緒に立ち、Eさんが履いていた靴や着衣等を入れたビニール袋も抱えています。
事務職員風さんからは「Eさんの身内の方が来て下さいました、お話をなさって、付き添ってくださったお友達の方々はお帰りになられて結構です」 そう言われた時には一瞬キョトンとなりました。 だって身内が居るのかいないのか、僕達にはさっぱり判らなかったのですからね。 話しを聞くと病院側では「身内の方の連絡先が判らない」そんな患者への対応として、 ルーチンワーク的に「警察に連絡して身内を探して貰う」そんな行動を取ったそうです。 それを聞いて「へえー、なるほどね?!」とおもいましたよ。 そして 「病院と警察、蛇の道はヘビだね、やるじゃないか!!」、「とにかくこれで家で夕飯が食える」 と想いつつ、 FJさんの奥さんが届けてくれた車に乗せて貰って家路にと向かい、 18:30自宅に帰着。
公民館で囲碁を楽しんで居た仲間としては 「無事に病院まで届けられて良かった」 そんな思いもします。 けれど一方では、「僕より3つほど若いFさんが今後の生活を半身不随になって続けることになるかもしれない」 そう考えると、 床に寝かせて安静を保ったりせずに、 「もっと酷い脳内出血になって救急車が来た時にはあの世に向かう途中、そんな風になってた方が、 本人にも家族にも望ましい状態だったかもね・・・」なんて、いつものタナカ君的偏見思考が頭をかすめないでもありませんでした。