脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

It's bugging me!

2021-01-13 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

「言っていることが結果的にでたらめかうそ」
悪い人でもないのだろうが、言っていることが結果的にでたらめかうそになる人間、言うことも正論を言っているようだが、しかしまわりが納得していない。こういう人間はたいした知識もなく、あいてを丸め込むような言い方をしてくるのだが、誠実な人は寡黙である。たいした教養もないのにわかったようにべらべらとまくしたてる人間は信じて結果的にはいいことはないので、相手にしない方が懸命だ。

「知っていると言うことでマウントをとる人間」
知っていると言うことが賢いことだと思い、それでマウントをとろうとする人間、本当にうざい。こういう人間のソースは往々にして漫画かテレビ、その程度の内容でも知っていると言うことをちけひらかして、俺は賢いんだと勘違い。でもそういう知っていると言うことをちけひらかすだけでは話につながりがないし、おもしろくもない。本当に賢い人は思考できるから話がおもしろく、興味がもてるのであって、ただ知っていると言うことを言うだけなら子供でもできる。大事なのは思考する能力、知識をたくさん蓄えて、思考して話をするからこそためになる面白いはなしができる。ただ知っていると言うことをいうのとはまったく違う。思考すると言うことは大事なことだ、それが正しいかどうか、適切か不適切かと言うのは思考するからこそわかることであって、それは人間の質を問う上でも大事なことだ。

「みんながみんなそうじゃないと言う人間」
人間は社会的動物である。ゆえに基準と言うものを持って生きている。ド派手な格好で改造車にのって武勇伝でマウントをとろうとする人間にろくな人間はいないと言ったらみんながみんなそうじゃないのではなくて、大事なのは正しさの基準を持っているかどうかということだ。そのコミュニティによって違いはあるのだろうが、集団生活をする限り必ずそこには基準があって、ルールがある。うちのクラブに来たらわかるが、そういう類の人間はほぼいない。それはここに集まるみなさんが正しさの基準を持っているからだ。
どういう人が集まっているかと言うこと=そのクラブの質である。私はうさんくさい集団はグレーゾーンが多いと理解しているが、特にボクシングと言うスポーツは暴力をあつかっているのだから、何が暴力でやってはいけないことかということをはっきりさせる必要があると思っているが、そこをしっかりとさせなくては一般の人たちや女性がトレーニングしにくくなる。
うちではマスボクシングで一発あたって敵意むき出しでなぐりかかっていくのは暴力である。いいところをみせようと自分よりも実力がない人間をスパーリングと称していたぶるような行為はいじめ、そして格闘技でよくある生意気な人間をスパーリングでボコボコにするのは暴力、犯罪である。さらに裸でトレーニングするのはわいせつ行為だ、裸でトレーニングしても私は気にしないと言う女性もいるが、しかし我々はむしろ男性が裸でトレーニングすることに威圧感を感じる人の立場に立つ、私はまずこのコミュニティを平和で健全に保つためにはまず暴力的なことを徹底して排除する、そしてそのためにはしっかりとした哲学を持たなくてはならないと思っている。しっかりとした哲学をもてばきちんとした人たちが集まってくる。そして結果的に秩序が保たれてまわりの人間も安心してトレーニングできる。張り子の虎のような威厳やアホなルールでそのコミュニティを運営するのは愚かなこと、そういう群れにはそれなりの人間しか集まってこない、大人が集まってくるコミュニティを形成するにはしっかりとした考え方を持って、これはおかしいだめだというしっかりとした正しさの基準を持つことが必要だと思っている。




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