脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ボクサーに2回どつかれそうになった

2013-11-16 | Weblog
日本のアスリートはおとなしい、おとなしいというのは、自分にとって利害関係のない人間には勇ましいが、しかし自分の親玉と連盟とか組織の人間にはエラそうに言うことができないというおとなしさ、つまり自己主張できないお山の大将が多いということだ。
こういう世界があるから未だにいじめや体罰、やくざのような上下関係が存在する。
いじめや体罰などは言語道断だが、しかしやくざのようなヒエラルキーも然り、こういう関係を意識すると常に人の顔色を見る、自己主張できない人間が育つだろう。
この手のタイプの人間のずるいところは、自分よりも相手が上か下か、さらに言うと利害関係をよく見ているところだ、それが社会の知恵なんてバカなことを言えば、それ以上何も言えないが、しかしこいつらは自分の親玉や連盟の人間にはエラそうには言えないが、しかし自分たちとは関係ない人間や目下の者には非常に横柄で勇ましい態度をとってくる、こういう態度を見ていると非常に腹ただしいが、体育会と言うシステムは、そういう人間をつくってきたことは確かなことだ。

しかしアメリカのスポーツのシステムは自由である。
日本のように親玉のように、気をつかわなくてはならない人間がいたり、やくざのような上下関係もなくフラットな人間関係が存在するので、言いたいことが自由に言えると言うことだが、しかしそれゆえに自分の行動を親玉に決めてもらうのではなく、はっきりと自己主張しなければいけない、すなわちハイハイハイとただ言うことを聞いているだけでは通用しない世界でもある。

私はかつてHIであるチャンピオンをおこらせてしまったことがある。何を言ったのかははっきり覚えてはいないが、しかし私のある一言が原因でそいつが血相をかえて詰め寄ってきたのだ、あの時は本当におどろいた、絶対殴られたらどえらいことになると腹をくくっていたが(白状するがとっさにビンか何か硬いものをひろってかくし持っていた)、しかしまわりが異常な事態に気づきとめに入ったものの、その時私のトレーナーがなぐられる寸前で、人がたくさんいたからよかったが、とめる人間がいなかったらどえらいことになっていたであろう。

これはあるジムに行った時の話だ、スパーリングの後、ヒスパニック系?の顔のでかいプロボクサーが私のスパーを見ていたのか、私のところに来て、先輩風をふかせて「お前はよけるのがへただからせめてガードしろ」とエラそうに言ってきた。
お前のはボクシングじゃない見たいな言い方が、非常に頭に来たので「君はガードしていても顔がでかいからうたれる」と言ったら、そいつも血相を変えて「WHAT?」と、あの時は本気でなぐられそうになった。
たぶん外国に行った人間は、私の行動に対して勇気があるなと思うだろうが、しかしこういう主張は当たり前だ、むしろこういうことができなければ、むこうではちゃんとやってはいけない、ハイ、ハイ、ハイ、ことあるたびにありがとうございました、失礼します、親玉はしつけだと思っているが、しかし昔のキャバレーのボーイでもあるまいし、こういう言葉を多く使うというのは非常に下品、何かにつけて上がとか、上の人などと上と言う言葉を使い、親玉を立てさせようとする、こういうシステムだから牢名主みたいな下品きわまりないような奴らが親玉になる。
そういう親玉が威厳たっぷりに強くなりたかったら俺の言うとおりにしろと言わんばかりに、エラそうに練習で走れなどと命令するが、しかし強くならなかったら責任をとってくれるのか?、ただ走れと言われて走るのは犬ではないのか?たまにはいやだと言えるのが人間であって、しんどかったり気分がのらなかったら、いや走らないというのも選択もある、しかしそういうことを誰も言わないし、考えることさえもしない。ただ命令に従うだけでは、日光の軍団と同じである。

体育会と言う社会では上下関係による力関係があって、飼うか飼われるかという関係がはっきりしているので、自己主張できる人間が育たない、体育会の連中は往々にして親玉とか連盟の人間には何も言えない、逆らえないから、すねて反抗したということが武勇伝になるのだからなさけない話だ、こういう何も言うことができない人間が多いから、親玉たちがやりたい放題、体罰なんて言うのも然りである。
本当にファイターだのスポーツマンだのと言うのだったら、親玉の間違いを正す必要がある、私たちのようにおとなしい人間にエラそうな態度はとれても、しかし親玉にはできないから情けない話だ、暴言をはくやつには暴言をはくな、意地悪をするな、女にだらしないような奴にははっきりと文部科学省的には指導者失格だと言ってやったらいい。
意外とそういう奴らには弟子と称する仲間や信奉者がいると思うのだが、アマチュアスポーツである限りは子供に対してうしろめたいことがあったり、してはいけないことがある、しかしその一線を越えているバカがいることも確かである。そういう奴らの仲間になるということは自分の価値をおとしめるということ、親玉がまともかどうか、情やしがらみに流されないでよく理解すること、そういうことに頭をつかわなくてはならない。

最近の体育会は素直なバカと言うのが目立つ、あいさつはするし、返事はいいのでうけはいいが、しかしあまり深く考えることがないので、これが非常に残酷で無神経なことをする。素直なバカの特徴は自分の好きなことか気に入ったこと、命令されたりなければ自発的にできない、おこられなくては気を付けない、非常に考え方が浅く、学習が足りないとみているが、正直こいつらはハイハイハイと返事はいいが、しかし真剣に聞いていたらそういう歯切れでハイなどとは言えない、むしろ無言である、机に座って人の話を聞けない奴がスポーツのしかもクラブと言う小さな世界で通用したぐらいで、礼儀正しいなんて言う評価をするのが間違っていると思う。

次回は「お前らのは芸だ」で書きたい。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Sacriface  | トップ | 受動態の使い方 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事