脱あしたのジョー

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その「が」の使い方おかしくないですか

2018-10-08 | Weblog

フランス語を1日10分勉強している。フランス語は発音そして文法にたくさんの規則があってひじょうにややこしく、数の数え方なんかはどうしてそういう数え方をするんだと理解できないのだが、英語のhaveにあたるavoirの使い方が広範囲、形容詞が名詞の後に来るなど、おそらくマスター出来たら、フランス人だけではなく、ヨーロッパ系の人間が書く英語の論文のくせをみぬいて理解するのに役に立つのではないかと思う。話は語学の話になるが、日本の50音は音をつくりだすには完璧な言語であると言っても過言ではない。だいぶ前に隊長とハングルはすべての音をつくることができると韓国人が言っていたと言う話から、それだったら日本語のほうが偉大だと適当に難しそうな横文字を並べて、やや正確に詰まった音をまぜながら日本語であらわして「すごい全部いけるやん」とふざけていたが、日本語はそもそもアルファベットのように一定の文字と文字がと重なると躍音して変化したり、音が消えたりしない母音と子音のコンビネーションでなりたっている。だから日本語の音は言葉をつくりやすく、おおまかにいって多少無理はあってもすべての音を言葉にできると思っている。

ただひとつ助詞の使い方で不思議に思うことがある。助詞は韓国語にもあるのだが、その助詞の使い方が日本語と少し違うのだ。例えば좋아해요チョアハダ(好きです)と言う言葉がある。日本語では何々が好きですと言う時、助詞は「が」を使うが、韓国語では何々が好きですと言う時、助詞に「を」使うのだが、ここがなぜ日本人は何々好きだと言う時「を」ではなく「が」を使うのかわからないのだ。でもそういっても逆に多くの日本人は「を」を使うことを不思議がる。えっなんで「を」なの?でもここでの大きな違いはその助詞の「が」のとらえかただ。一般的には何々がというと動詞の主語となる。だから犬が好きだと言うのは犬が主語だから、日本語のように暗黙のルールで私が犬が好きだということにはならないし、もし主語が私なら私が犬がと言う二つも並列してしかも目的語のない主語を並べることはおかしいことであろう。犬が好きと言うのは犬が目的語だ。だから犬が好きだと言う時(私が)犬を好きだとなるのが韓国語で、なぜ日本語では犬が好きになるのか不思議だ。

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