脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Amat victoria curam.

2017-08-01 | Weblog

ウェルキンゲトリクスと言う歴史上の人物がいる。彼はカエサルと戦ってかれをくるしめた人物、ガリア戦争に備えてそれまで統率の執れていなかったガリア諸部族をまとめ上げて対ローマ統一部隊を組織し、ローマ軍に勝利した英雄である。しかし最終的にはローマ軍に包囲され、突破作戦を決行するも失敗し、部下達の保全を条件に投降。その後、ローマへと送られ、6年間投獄された後、処刑された。カエサルは基本的に敵に回った人間でも処刑することがなかったが、若くして統一組織のないガリアの諸部族をまとめあげてしばしばローマ軍を打ち破った彼に対してだけはそうはしなかったのだが、それだけ彼が優れていたということが言えると思う。私は時々子供と歴史上の人物の話をする。どの人物がどういう偉業をおさめたということはもちろんのことだが、しかし時には違う視点から子供にメッセージをおくるのだが、このウェルキンゲトリクスから学べることは、何か事を成し遂げようとするにはある程度の覚悟が必要だということである。人間目立てばねたみをかったり、ウェルキンゲトリクスのようにライバルに敵視され警戒されることもあるだろう。ねたみや警戒されればまわりからたたかれるし、たたきのめされることもあることはもちろんのことだ。けれども常日頃からそのことも想定しつつ事柄に備えていくことも大事なことで、ウェルキンゲトリクスが部下たちの命を助け、引き際が立派であったのも常日頃からそのことを想定し、覚悟を決めていたからではないかと思っている。

出る杭は打たれると言うがそれは当たり前のことだと思う。人よりも何か目立った行動をするというのはある程度の覚悟が必要であるし、その覚悟がなければまわりは認めることはない。私自身いろいろと大胆なことをやってきたが、そのすべてにおいて腹をくくっていた。たいていの人間は私のすることに驚いてやめとけと言う。しかし何をするにも後ろ盾なんて求めなかったし、つるむこともない、すべては自分の責任だし、留学したのも俺ならできると思ったからだ。よく試合で俺は絶対勝ちますとか言う奴。お前もし負けたらどうするんだ。ボクシングをやめてこの地からきえるのか。でもしかし勢いでそういうことを言う人間に限って同じことをくりかえす。私が威嚇するような恰好をするような人間をきらうのは、そう言う人間には自分の言葉に責任をとらない人間が多いからで、このことはやはり学校の勉強と関係している。はっきり言って教育と言う責任を負うことがないような人間がまともに責任など終えるはずもない。こういう人たちがでかい口をたたくことはただのパフォーマンスと思っているが、幼稚園の寸劇でもあるまいし、非常に聞き苦しい。

覚悟を決めたら冷静になれる。私は常に最悪のことも考えて行動しているが、その最悪のことが覚悟できたら意外にもすべてのことにたいして冷静になれるものだ。偉そうに言わせてもらうが、私は人の意見を聞くが、最終的には自分の判断を信じている。自分の判断が間違っていないというのは、その自分の行動や考え方に責任をとれるからだ。最悪の状況を想定し、それを受け入れることで判断力が高められかつ大胆に行動できるからだと思っているが、そう思えるのはすべてのことに対して自分で自分の責任をおっていると考えているからだ。ラテン語のことわざにAmat victoria curam.と言う言葉がある。これは勝利は努力するものを好むと訳されているが、直訳すれば準備するものを愛すということである。人間ある程度最悪の事態を考えて覚悟を決めたら、準備は決しておろそかにはならないだろう。

 

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