脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ジムは昇華させる場所ではない、抑制する場である。

2021-04-04 | Weblog
知的レベルがひくい人間が集まるスポーツ集団は見るからに半グレの集団だ、特に格闘技はそういう人間を集めやすいので注意して管理することは大事なことである。ボクシングは暴力を扱うスポーツである、私が暴力はダメだと言うことを繰り返し繰り返しブログや日記などで伝えているのは、まわりがそのことを認識しないと平和にジムを運営できないと考えているからである。
学生の時聞いた話であるが、ある少数民族の12歳になった時にうける儀式のようなものがある、それはお互い同じ年の子供同士で数秒間なぐり合いをさせると言う儀式である。この儀式は数秒経ったらすぐに止められて握手をして仲直りのようなことをさせられるのだが、ねらいはその数秒間の間で相手にむかっていく勇気とかっときても自分をおさえることができる抑制を養うためらしい。一見それは原始的で野蛮であるが、しかしこれは秩序を守るためにはある意味大事なことである。
うちのクラブでは暴力に対しては徹底排除している。マスボクシングで一発もらうとカーッと来て敵意むき出しでなぐりかかっていったり、実力差があるのにかかってこい的な実戦練習、さらに生意気な人間はリングにあげてたたきのめしてわからせるというような行為はすべて暴力、決して容認しないのがうちの方針である。この暴力に対する考え方があまいとその群れは不平等になる。
いくらあいさつや礼儀だと言っても、暴力に対する抑制をもたないとジムでは必ず力関係のようなものが生れて不公平が生じる、私の意見ではこのような暴力をどうとらえるかと言うのは教育の問題だ、わかりやすく言うと学校でもレベルがひくければひくい程、秩序がめちゃくちゃになっていく、逆にレベルが上がれば秩序が守られるのはそういう学校では校則や親の教育で抑制することを教えられるからだ。管理者の教育レベルがひくいとまわりに同じようなレベルの人間が集まって、その群れはサル山のようになって、目立つものや力のある人間が中心になり、その他の人たちは肩身の狭い思いをする、一応自分たちは礼儀正しく秩序がありますよとあいさつを徹底させても、しかしそういう場でのあいさつなんていうのはただのパフォーマンスである。
私はジムを運営するにあたって、その来てくれている会員の家族のことまで考えて運営しなくてはいけないと思っている。ここに来てくれている人たちの中には家族の協力があるからこそ時間をつくってボクシングを続けられる人も少なくはないし、未成年の親であれば格闘技のジムに通わせる不安もあるだろう。ケガをしないさせない、試合に出たり、目立つ人間が中心になって、それ以外は遠慮する言った不平等が生じることなく、家族の人がここに来てトレーニングの様子を見ても安心してまかせられるような雰囲気としっかりした哲学を持って運営し、ジムが平和で平等であるために徹底して暴力を容認しない、それがうちのクラブの方針である。
はっきり言うがボクシングクラブは昇華させる場所ではない、抑制することを養う場である、立場の弱い人のことを顧みれない、ただ強くなりたいと言うだけの人間はここではボクシングはできない。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする