脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Mr 自己主張

2018-06-04 | Weblog

こんなことを書くのもなんだが、私はIQ が平均よりも高いようだ、ようだというのは児相で調べたときにわかったそうだから言うのだが、そんな私が指導していてわかるのは、自分を基準に考えて、吸収させる人間と教える人間の二つのタイプがあるということである。吸収させる人間とはおそらく私よりもIQの高いのではないかと言う子である。この手のタイプは教えようなんて言うスタンスでは限界がある。教えてやると言うよりも、むしろこの本を読んでみろとか、まず興味を持たせることからはじめる。そうすることで次第に相手はどんどん私から与えられた知識を吸収して成長していく、いわゆる先天的に自分よりも知的能力が高い人間には教えるというスタンスよりも興味をもたせて、自分から何かを吸収させる。いわゆる自分がその子の養分となって成長させるほうが賢明であると思っている。

何とか軍団の監督の考え方が違うだろと思うのは、すべての人間を自分の配下におきたがって、教えてやるというスタンスで見ているところだ。おしめをかえてもらったわけでもないのに親でも言わないことを偉そうに言う。いつまでたってもひよっこあつかいする。下級生が監督のお世話をすべてするようなところもあって、私はそれを奴隷制度とよんでいるが、おそらく子供によっては、そういう支配の中では人から何かを学ぶということには適してはいない。上下関係が厳しくて支配関係で成り立っている組織においてはあほなことを押し付けられるだけで、そういう環境では自分が成長できる場としては考えにくいだろう。日本にスポーツバカが多いのは組織自体がくだらないからだ。監督がお父さんでコーチはおじさんそして上級生はあにきとかいうそういう稚拙な集団は、どう考えても人間を成長させる場としては十分ではない、窮屈さを感じる。

私の主観かもしれないが、汗をまきちらしてへとへとになって道端でもどこでも平気で寝転がったり、怒号をひびかせたりしてトレーニングするのは体育会に多い。そして話す内容なんかも違うので、うちのような女性が多くて文科系タイプが多いクラブでは、女性や中年、運動できない人、激しいことが苦手な人たちの立場に立って、多少の思いやりや気づかいを持たないと一緒にやっていくことは難しい。前にエチケットという言葉を出したがエチケットとは思いやりとか気づかいであって、特にそれはマイノリティや弱者にむけられるもので、仲間意思とは違う。仲間は大事にできても公共の場で求められるエチケットがかけると迷惑になる。すごい勢いで汗をまきちらして、暑くなったら裸でトレーニングする.そう言ったことはそういう世界では当たり前なのだろうが、うちのクラブでは非常にわるいマナーである。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする