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毛呂乃~わが半生~(1)

2015-10-05 10:00:00 | 毛呂乃~わが半生~

第1話 大きなちんぽのおとこのこ

 栴檀は双葉より芳しというが、私は生まれたときから巨根であった。一般に赤ん坊というものは、胴体に比して頭が大きなものであるが、私のまらは頭よりもだいぶ大きかった。母上は難産でかなり苦しんだようである。

 私を取り上げた看護婦などは、亀頭を頭とを勘違いしたのか、医者に向かって「先生、この赤ちゃん、目も鼻もついていません。口しかありません」と叫んだそうである。なるほど、頭よりも大きなまらなど見たこともなかったのであれば無理もない。しかし、見せられた医者の方も「どれどれ、なるほど。これは珍しい赤ん坊だ。逆にちんぽのほうに顔がついている」と答えたそうであるから、ひどい病院もあったものである。

 退院後も母上はご苦労なさったらしい。私は他の子に比べて精通も早く、乳呑み子のうちから射精していたそうである。射精好きの私のことであるから、ひまさえあれば射精している。上の口で乳を与えたそばから、下の口からもミルクを吐き出してしまっては、当然のことながら体重が増えない。母乳だけでは栄養不足、粉ミルクを与えても足りない。最後には父上のちんぽをくわえさせていたらしい。父上のザーメンは幼少期の私の大好物であり、うまそうにちんぽを吸う私を見るたびに、母上は「母親としての自信がなくなる」とぼやいていたとのことである。

 それでも母上は一生懸命私を育ててくださった。這えば立て、立てば歩めの親心というが、親というものはありがたいものである。ある日、懸命にはいはいの練習に励んでいた私は、重大なことに気がついた。はいはいをしているとまらの先端が床に擦れて気持ちがいいのである。まだ人語は話せなかったが、私がはいはいをすれば、母上が喜んでくれるのはわかる。その上、まらが気持ちいい。私はその日からはいはいに夢中になった。私が這ったあとには、なめくじの跡のようにカウパーの跡ができた。僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる。私は誇らしい気持ちでいっぱいだった。

 しかし、まらが成長するにつれ、まらの先端が擦れるのが気持ちいいを通りこして痛いと感じられるようになってしまった。まらを床からすこし離そう、こするかこすらないかの微妙な距離がいちばん気持ちがいい。まらと床との適度な距離を探すうち、私は知らず知らずのうちに立って歩けるようになっていたのである。私がまらを引きずりながらよちよち歩いているのを見た母上は「この子はもう歩けるようになった」と非常に喜ばれたそうである。

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