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毛呂乃~わが半生~(2)

2015-10-11 15:29:33 | 毛呂乃~わが半生~

第2話 みみず千匹

 身体的な発達に比べて、言語面の発達はやや遅れぎみであった。これは単に、ちんぽの成長に栄養を優先的に使って、他の部分の成長は後回しになっただけのことなのだが、母上は「この子は知恵遅れではなかろうか」と心配なさったらしい。定期検診でも医者には「しばらく様子を見ましょう」としか言われず、不安は募るばかり。私が三歳の折、はじめて言葉を発したときには、安心して脱力したのか、その場に座り込んでしまったとのことだ。
 そのときに私が発した言葉は「まんまん」。母上はなぜかこれを「おなかが空いている」という意味に理解したらしい。食べたくもないのに果物などを与えられ、私がそれを食べるのをじっと見つめるので、非常に難儀したのを覚えている。
 どうやら私の言葉は伝わりにくいらしい。最近でも、まらずもうの結果報告を一本糞親方や玉椿理事に話すと、陳腐で卑小な勃起ぶりに伝わってしまう。まらずもうブログを読むたびに、「こんなみみっちい勃起はしていない。なぜ私の偉大な勃起を正確に伝えないのか」と腹立たしい思いをする。三つ子の魂百までというが、私の言葉が誤解されやすいのは幼児のころからのようだ。

 喋り出すのは遅かったものの、本を読めるようになったのは早かった。きっかけは父上の書斎で遊んでいたときのことである。本棚の裏にたくさんの写真集が隠してあるのに気がついた。裸の女性が様々なポーズをとっている写真である。若いとも美しいとも言いがたいような厚化粧の女性ばかりだったが、当時の私はそれを貪るように読んだ。
 今思い返してみると、父上はなかなかの裏本の目利きだったようだ。書斎にこっそり隠してあるものだけであるから、コレクションの冊数はたいしたことはないが、なかなか粒ぞろいの本が置いてあった。当時の私のお気に入りは『どじょう地獄』『みみず千匹』といった、女性と小動物とが戯れるモチーフのもの。私もこれに影響を受けて、みみずや毛虫やダンゴムシを集めたものである。集めた虫は、肛門で味見をするのが常であったが、毛虫はちくちくした刺激が癖になるかんじ。ダンゴムシは硬いばかりで面白味に欠ける。王道はやはりみみずであろう。柔らかい感触といい、腸内でうねうねうごく感覚といい、みみずは今でもときどき楽しんでいる。
 それまでやや成長が遅れぎみで、一日中畳にまらを擦り付けて遊んでいるような内向的な子どもが、急に外で元気に遊ぶようになって、母上は「うちの子が健康的になってくれた」と喜んだそうである。私自身も自分の身体が日々たくましくなるのを実感する毎日であった。

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