《内容》
キリスト教が仮借ない非寛容性をもってヨーロッパを席巻していったとき、大陸古来の民間信仰はいかなる変容をしいられたか。今から1世紀以上も前、歴史の暗部ともよぶべきこのテーマに早くも着目したハイネは、これら2篇のエッセーでギリシアの神々と古代ゲルマンの民族神たちの「その後」を限りない共感をこめて描いている。
《この一文》
“トイフェルは論理家である。彼は世俗的栄光や官能的喜びや肉体の代表者であるばかりでなく、物質のあらゆる権利の返還を要求しているのだから人間理性の代表者でもあるわけだ。かくてトイフェルはキリストに対立するものである。すなわちキリストは精神と禁欲的非官能性、天国での救済を代表するばかりでなく、信仰をも代表しているからである。トイフェルは信じない。彼はむしろ自己独自の思考を信頼しようとする。彼は理性をはたらかせるのである! ところで自己独自の思考は、もちろんなにかおそろしいものをもっている。ゆえにローマ・カトリック・使徒教会が独自の思考を悪魔(トイフェル)的だとして有罪と認め、理性の代表者たるトイフェルを虚偽の父であると宣言したのももっともなことではある。”
“問題は、ナザレ人の陰気な、やせ細った、反感覚的、超精神的なユダヤ教が世界を支配すべきか、それともヘレニズムの快活と美を愛する心と薫るがごとき生命の歓びが世界を支配すべきであるかということなのだ。”
―――「精霊物語」より
「精霊物語」「流刑の神々」という題から、ものを知らぬ私はずっとこれが、沈鬱かつ悲しく、それでいて美しく端正な、もの思わしげな青白い美青年的イメージを持つ文章だと想像しておりましたが、読んでみて、まあ多少はイメージ通りな感じはあるにはあったのですが、何と言うかむしろ裏切られたと感じるほど猛烈に面白かったです。私はハイネのことをろくに知らぬまま勝手なイメージを作り上げていたわけですが、こんなに面白い人だったとは思いもしませんでした。面白すぎる。
ここに書かれていたのがどういうことだったのかを簡単にまとめれば、本の表書きにもあるように「キリスト教が仮借ない非寛容性をもってヨーロッパを席巻していったとき、大陸古来の民間信仰はいかなる変容をしいられたか」ということだと思います。そもそも私はこのあたりのことが知りたかったためにこの本を読もうと思ったのではありますが、実際に読んでみると、ハイネによって取り上げられているドイツおよびヨーロッパ各地の伝説・伝承などの内容が面白すぎて、本題よりもむしろそちらにばかり気を取られてしまいました。どの物語も、またそこに登場するキリスト教に逐われた神々や精霊たち、いずれもやたら魅力的で想像力を刺激します。彼等は次第に悪魔的存在として扱われるようになるらしいのですが、私は悪魔的なものが好きなので、それぞれの逸話はとても興味深く読めました。同時に、私がなぜ悪魔的なものを好むのかということについても、いくらかヒントを得たように思います。
「精霊物語」で取り上げられている〈ローマ近くのある邸宅の庭で友人たちと球を打って遊ぶ騎士の伝説〉からは、メリメの「イールのヴィーナス」を思い出しました。あれはこの伝説をもとに書かれてたのでしょうか。騎士が遊ぶ間、邪魔になるので指輪を女神像の指に嵌めたら抜けなくなり、ここで騎士と女神像の婚姻が成立してしまったために、騎士は人間の女との結婚生活を妨害されるという物語です。ちなみにメリメによるお話は、それはそれは凄惨で、忘れがたい物語です。
〈ヴェヌスとタンホイザーの物語〉からは、ゴーチエの「死霊の恋」を思い出します。愛すべき吸血鬼クラリモンドがヴェヌスで、タンホイザーになり損ねたのがロミュオーということだったのでしょうか、もしかして。
「流刑の神々」で取り上げられた物語の中では、ハイネの友人という漁師のニールス・アンデルセンが語って聞かせる「ユピテルのその後」のお話が面白かったですね。とても。これはすごく面白かった。
というわけで、追い払われた神々と精霊たちの物語を密かに受け継いでいたヨーロッパの精神的土壌の豊かさを、ちらりと垣間見たような気がしました。たくさんの物語を語ってくれるハイネの意外に熱い語り口には、なにか夢中になってしまうところがあったのでした。部分的に何度も読み返しそうな予感がする1冊。
ハイネとは、あのハイネだと思いますf^^;(私はよく知らないですけど;)
おっしゃるように、繊細なイメージがあったのに、読んでみたら思わぬ熱血っぷりでびっくりしました。意外性があって良かったです(^^)
反骨精神っていいですよね~。私も憧れます。自分には足りな過ぎて……!