きのうは曇り空の中、菜園での雑草との戦い(草取り)をしたせいなの足腰が痛い・・!
いかに日頃から運動をしていないのがまたまた露呈してしまったようです。
そこまで頑張ったのは、きょうはカミサンが現役時代に大変お世話になった上司の方に
45年ぶりくらいに会うことになったからです。 私はその付き添いで・・です
その方とは会うこともなく年1~2回の年賀状や暑中見舞いなどを交換するだけでした。
今年の年賀状の中に“私も80歳を超えたんだよ!久しぶりに会ってみたいな~”と
それでは久しぶりに会ってみようと連絡をとってみたら、快くいらっしゃい!とのこと。
大変喜ばれ来るときは“お父ちゃんも連れてこい!”とのことで、私も出かけることに。
ただ、いまでもご多忙らしくきょう会えることになったのでカミサン朝からそわそわ・・
さァ~て手ぶら?とはいかないので、カミサンはOKが出た後毎日得意の和裁で習った
半纏をご夫妻用に縫い上げたものを持参・・いかにも季節外れのものだが止むを得ず。
他に今朝菜園で採てた「アスパラ・スナップえんどう・サニーレタス持参」を持参
(素人つくりなので下手でお口に合うかどうかは不明だが、これしかなかった)
埼玉西部の駅前で待ち合わせ! お互いに歳はとったが何となくわかり“おおお~”と
会ったら、積もる話もたくさんあるのでどうだ飯でも食べながら話しをしよう!と
誘われたが、私は日頃から食事制限を受けている身なのでと遠慮をしたのですが・・
遠慮すんな!いいじゃないかとちょっと高級な中華料理店へ連れて行かれた。
食事が運ばれる前から、話がはずみ、食べるどころではなかったほどでした。
席に置かれていたメニューカードの最後の方に、「八宝飯」という文字が目に入った。
日ごろあまり外食をしない私メを含め、日本人がこの三文字を見れば、おそらく誰しもが
「八宝菜」を連想するのではないでしょうか・・? でも~俺だけか!?
私メもはじめてだったので、「八宝飯」とはご飯の上に八宝菜をかけたものだろう・・?
つまり日本でいう「中華どんぶり」のようなものが、宴のシメにでてくるもの??
しかし宴の最後に出てきた「八宝飯」は、中華どんぶりとは似ても似つかぬ、デザートの
一種でした! もち米を使っているので「飯」というんだそうですが、それは私メが
かつて口にした中でももっとも甘い食べ物でした。 (普段から甘いものを食べないせい?)
八宝飯を作るには、もち米に蓮の実やナツメ、干しアンズなどのドライフルーツ、それに
梅の砂糖づけなどを混ぜこみ、さらに別に用意しておいたアズキの餡を中に包み込んで
強火で蒸す。 これだけでもすでに十分甘いが、蒸しあがってから、さらに氷砂糖を
溶かして作った蜜を上からたっぷりかける。 まさにこれでもか、といわんばかりの甘
さであることが、作り方からもお分かりいただけるのではないでしょうか?
「甘」という字は、大きく開いた口の中に《一》(あるいは《ヽ》)が入っている形です。
この字について、中国最古の字書『説文解字』は「美なり」、すなわち「おいしい」と
意味を説明し、成り立ちについて、口の中にある《一》は宇宙を支配する摂理である
「道」をかたどったものであるという・・?
口の中に「道」を味得できることが究極の美味であるとは、まるで食を悟りきった者の
発言のようだが、実際においしいものを食べる時に、口にいちいち哲学などを宿して
いては面倒くさくてしょうがない・・。
これは現代人にとって面倒なあるだけでなく、古代人にとってもきっと面倒であった?
のではないでしょうか・・ネ。
「甘」の中にある《一》は、実はなにかの食品が口に入っていることを表す記号・・に
すぎないのでは? この文字が作られた時代の人々は、口にものが入っているだけで
「おいしい」と感じたのであろう・・?
現代のような飽食の時代では、こういった感じ方はなかなか理解できない考え方!
といえるのではないでしょうか! 改めて考えて見たいと思います。
それにしても時は流れても、人生のよき先輩からいろいろな話を聞かせてもらい
アドバイスをいただき食事まで・・気に掛けていただいて本当にありがたかったです。
いかに日頃から運動をしていないのがまたまた露呈してしまったようです。
そこまで頑張ったのは、きょうはカミサンが現役時代に大変お世話になった上司の方に
45年ぶりくらいに会うことになったからです。 私はその付き添いで・・です
その方とは会うこともなく年1~2回の年賀状や暑中見舞いなどを交換するだけでした。
今年の年賀状の中に“私も80歳を超えたんだよ!久しぶりに会ってみたいな~”と
それでは久しぶりに会ってみようと連絡をとってみたら、快くいらっしゃい!とのこと。
大変喜ばれ来るときは“お父ちゃんも連れてこい!”とのことで、私も出かけることに。
ただ、いまでもご多忙らしくきょう会えることになったのでカミサン朝からそわそわ・・
さァ~て手ぶら?とはいかないので、カミサンはOKが出た後毎日得意の和裁で習った
半纏をご夫妻用に縫い上げたものを持参・・いかにも季節外れのものだが止むを得ず。
他に今朝菜園で採てた「アスパラ・スナップえんどう・サニーレタス持参」を持参
(素人つくりなので下手でお口に合うかどうかは不明だが、これしかなかった)
埼玉西部の駅前で待ち合わせ! お互いに歳はとったが何となくわかり“おおお~”と
会ったら、積もる話もたくさんあるのでどうだ飯でも食べながら話しをしよう!と
誘われたが、私は日頃から食事制限を受けている身なのでと遠慮をしたのですが・・
遠慮すんな!いいじゃないかとちょっと高級な中華料理店へ連れて行かれた。
食事が運ばれる前から、話がはずみ、食べるどころではなかったほどでした。
席に置かれていたメニューカードの最後の方に、「八宝飯」という文字が目に入った。
日ごろあまり外食をしない私メを含め、日本人がこの三文字を見れば、おそらく誰しもが
「八宝菜」を連想するのではないでしょうか・・? でも~俺だけか!?
私メもはじめてだったので、「八宝飯」とはご飯の上に八宝菜をかけたものだろう・・?
つまり日本でいう「中華どんぶり」のようなものが、宴のシメにでてくるもの??
しかし宴の最後に出てきた「八宝飯」は、中華どんぶりとは似ても似つかぬ、デザートの
一種でした! もち米を使っているので「飯」というんだそうですが、それは私メが
かつて口にした中でももっとも甘い食べ物でした。 (普段から甘いものを食べないせい?)
八宝飯を作るには、もち米に蓮の実やナツメ、干しアンズなどのドライフルーツ、それに
梅の砂糖づけなどを混ぜこみ、さらに別に用意しておいたアズキの餡を中に包み込んで
強火で蒸す。 これだけでもすでに十分甘いが、蒸しあがってから、さらに氷砂糖を
溶かして作った蜜を上からたっぷりかける。 まさにこれでもか、といわんばかりの甘
さであることが、作り方からもお分かりいただけるのではないでしょうか?
「甘」という字は、大きく開いた口の中に《一》(あるいは《ヽ》)が入っている形です。
この字について、中国最古の字書『説文解字』は「美なり」、すなわち「おいしい」と
意味を説明し、成り立ちについて、口の中にある《一》は宇宙を支配する摂理である
「道」をかたどったものであるという・・?
口の中に「道」を味得できることが究極の美味であるとは、まるで食を悟りきった者の
発言のようだが、実際においしいものを食べる時に、口にいちいち哲学などを宿して
いては面倒くさくてしょうがない・・。
これは現代人にとって面倒なあるだけでなく、古代人にとってもきっと面倒であった?
のではないでしょうか・・ネ。
「甘」の中にある《一》は、実はなにかの食品が口に入っていることを表す記号・・に
すぎないのでは? この文字が作られた時代の人々は、口にものが入っているだけで
「おいしい」と感じたのであろう・・?
現代のような飽食の時代では、こういった感じ方はなかなか理解できない考え方!
といえるのではないでしょうか! 改めて考えて見たいと思います。
それにしても時は流れても、人生のよき先輩からいろいろな話を聞かせてもらい
アドバイスをいただき食事まで・・気に掛けていただいて本当にありがたかったです。