二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

桜の根もと

2013-04-06 11:23:18 | 徒然に想う

カワセミの川べりの桜は何種類かあるらしい。ソメイヨシノが一番多いが、三春の枝垂れ桜があったり、ピンクが強いもの(二種類あって、ピンクの度合いが薄いのと濃いのがある)、八重などなど。どれもが数本。ところが、どういうわけか一本だけというのが、遊水池から土手に上がるあたりにある。とても白が強く、葉も同時位に広がる印象。そのせいか他にはない芯の強さを感じる桜だ。

今朝のこと。その桜の根元を見たら、段ボールが立てかけられていて、何やら書かれてある。

思わず「可愛らしいなぁ」と微笑んでしまう。“老”とあるから、可愛らしいなんて失礼な言い草であるが、それ以外にことばが出てこなかった。どうも数日前からあったようで、庵主がみていたら、初老の小母さんがやって来られ、「あら、札どこに行っちゃたかしら」と。「可愛らしいですよね」「可愛らしいわよね。写真撮ろうと思って持ってきたの…」とカメラを握りしめている。 

どんな御夫婦がどんな思いでこの桜を見て、この句を残されたんだろう。お会いしたことがあるだろうか。挨拶したかな? どうして「この」なんだろうう。若い時に二人で植えたんだろうか。あるいは悲しい思い出が…。いろいろ勝手なこと思いながら、≪さくら愛で 手に手をとって いつまでも≫ なんて言葉遊びをしながら神社に向かう。いやいやどうにもこうにも、この誰もが「可愛らしい」と感じる素直な言葉には勝てない。

春の嵐になるという。今年の花はその嵐が過ぎれば終わってしまうだろう、また来年だ。仕方がない。だが、今年の見納めは、この御夫婦が置かれていった一句のおかげで、また新しい方とお話をする機会を得ることができた。これから、なにかいい出会いをもたらしてくれそう気がする。えっ、と振り返ると、なにか悪戯をしてキャッキャとじゃれあいながら楽しそうに歩かれてゆくお二人の若いころのうしろ姿が見えたような気がした。

 

 

今日の一枚:今朝5時50分ころ、その桜のワンショット。川では、縁の枯れ枝にカワセミが二羽、沢山のウグイが盛んに水しぶきをあげていた。

 

 


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1 コメント

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さくら (さくらさく)
2013-04-06 20:01:58
この時期になると、さくらのように…
生きたい。といつもおもう
なんだかんだとしていても、
また桜は咲く
また、生まれ変わり、一日が始まる
一日ー生。
ありがとう
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