二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

私的記録

2017-09-04 07:40:48 | 徒然に想う

二点、書き残す。 

一点目:昨日見た「椿山 焼き畑に生きる」について。

これ、牧野植物園で行われている企画展「『キビ』と高知の暮らし」の一環として上映された。映像の貴重さはもちろんそうなんだが、それ以外の点を少し。それは上映が終わった後起きた。企画された方が〆の話しをされ始めたころ、一人の高齢の女性が立たれた。マイクを握るのも緊張か感激か分からないがおぼつかない様子で、ありがとうございますとスピーチ。映画の題字を書かれた方だった。今から40年前制作された当時の関係者のお一人。映像以前に実際の現場を目の当たりにされてる。そういう方が来られる。

上映が始まるや否や、小母さんが後ろに座っている小学校低学年の男の子たちに「ほら、お爺ちゃんよ」とささやかれた。男の子たちにとって、どう映ったろう、40歳も若いジイジの働く姿は。ここでも、当事者がおられ、直接孫たちに話しをされている。

80名定員のところ、120まで入るよう椅子が増やされた。新聞に出た効果もあろう。が、それが椿山やその近隣の出の方たちを呼び込んだよう。聞こえてくる話の内容に昔話やどこどこに住んどったなど。今やその片鱗もないとも聞こえたが、自分の生まれ育ったところに出かけたい方たちがいる。いるということは集まれば話しを聞けるということ。同じようなことを思い出す。昨年町の博物館で行われた「小日浦」の写真展。あの時も、子供時代を思いだしながら昔話の花が咲いていた。

40年前のこと、当時の人々の日常だから残す残さないを含めそれ自体に価値があるかないか、正直分からない。ただ、「今なら」当事者たちから話を聞くことが出来る。映像だけでなく記憶に残せる。そうするために人が集うこともできる。うまくすれば交流すら始まるのではないだろうか。何かの火種になるような気がしてしょうがない。この企画展の面白さの一つ、ここにあり。

 

二点目:これは自分のしでかした失敗。

この二年を棒に振ったとまでは言いたくないが、一番最初にすべきことを怠ったために起きた。それは先週の始め畑としているところを三か所掘ったことに始まる。使い始めた当初、作土層が薄いからダイコンのような根物は難しいぞと言われた。「薄い」のか、と思うも、それから落ち葉を入れたり肥料を振ったりしてきた。天候のこともある、作土層の地質のこともある。今年はそれなりに結果を見たい、見たかった。おかしい。うまくいかない。納得できない。

穴を掘って、土の様子を見て、やっと気付けた。さんざん「しあわせみかん山」で場の当事者性のことを学びながら、場を見ずして自分の思いだけで作業してきたことの愚かさを。その場が許容していることを利用しようともせず我を通してきた。うまくいくわけもないし、すべてが徒労に終わりかねないとこだった。

さて、これからどうするか。あの場とウィン・ウィンの関係を築いていくためには。仁ノ滝は永年作物(柑橘類など)にいい場所。もしかしたら、これも場を理解せず先入観でもってのことかもしれぬ。が、地主さんは樹を植えてもいいと仰ってくれた。

なんにせよ、地面を掘ってみなかったことのツケは大きい。

 

今日の一枚:昨日の上映会の後、園内をうろうろ、16時頃。


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