ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)

日本コンピュータクラブ連盟・日本霊能者連盟・日本占い師連盟各理事長・メイドリラク萌とカードカルト経営者 山本隆雄の日記帳

本日のディナーはすすきのの元祖さっぽろラーメン横丁の特一富屋でバターコーンラーメン(1000円)を。

2022-03-14 22:35:26 | 食べ歩き

本日は、HISツアーについていた元祖さっぽろラーメン横丁で使える一人1000円分のクーポン利用で夜ご飯を。

中島公園から歩いてすすきのまで。

ラーメン横丁のラーメン店は、半数以上が閉まっていました。

午後7時すぎ。

2軒並んで明かりがついていました。

どちらかの店にはいろと。

土地らの店に入るのか、佐藤君に決めてもらいました。

佐藤君は、直感で右側の店がおいしそうと。

特一富屋へ。

丁度1000円のバターコーンラーメンをオーダー。

バターコーンラーメンは大阪では見かけないので、おいしく感じました。

午後7時40分ごろ店を出ましたが、隣のラーメン熊吉は閉店していました。

今まで、利用していたラーメン横丁も見に行きました。

午後8時までの営業で、もぐらなどは、午後7時45分の時点で本日の営業終了となっていました。

そして、セイコーマートに立ち寄って、恒例のソフトクリームなどを買いました。

こわごわと滑らないように歩きました。

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本日は北海道へ。飛行機に乗るときマスクナシ搭乗を要請しました却下。

2022-03-14 22:04:37 | 山本隆雄関連

本日、南海電車の切符を買いに金券屋に。そのあとで。

今宮戎駅から各停で新今宮へ。

新今宮から関空急行で関西国際空港まで。

向かいの席に足を投げてリラックス。

関空では昼食を。

土鍋カレーうどん680円を。

ごはんが無料でつけられるということで、つけてもらいました。

そして、午後3時発の飛行機で。

耳におできができたのでマスクなしを申請しましたが、却下されました。

絶対にマスクをしないといけないとか。

新千歳からは、JRで札幌まで。

札幌から地下鉄で中島公園まで。

ホテルへ。

デラックスツインです。

今回のツアー。

2人で行きました。

高層階のデラックスツイン2泊。朝食付き。

元祖ラーメン横丁で、一人1000円分の食事券付き。

往復の飛行機代と諸経費を含めて、一人18800円。めちゃ安。

 

 

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昨日のgooブログアクセスランキングで当ブログは309万4409ブログ中55位→71位にダウン。昨日の訪問者数2173。昨日の閲覧数8113。

2022-03-14 21:59:41 | 当ブログ関連
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当ブログ記事の昨日のアクセス数人気ランキング50。うねの先生の霊視ウクライナに国連軍の旗をつけた戦車が走っている・ロシア軍のキエフ総攻撃で10万人以上が亡くなりそうが人気。

2022-03-14 21:54:27 | 当ブログ関連
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新企画えむびーまんお得情報②南海電車のガード下にあるEKIKANにあるCoDeli(コデル)でイオンカードの申し込みをすると1000円分の商品券をくれます。

2022-03-14 21:09:49 | サンプルただでもらえる企画

南海電車のEKIKANにあるダイエー系のミニスーパーCoDeli。

前で、イオンクレジットカードの新規受付をしています。

申し込みをすると、その場で、ダイエー商品券がもらえます。

たとえ、クレジットでの審査が落ちても、もれなく1000円分の商品券がもらえるのでお得です。

 

 

 

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新企画えむびーまんお得情報①ラグビー大好き人間さんへ。NTTドコモのレッドハリケーンズ大阪3/19をただで見に行けます。

2022-03-14 12:25:46 | サンプルただでもらえる企画

駒川の自宅マンションに、レッドハリケーンズ大阪の無料ご招待のチラシが入っていました。

レッドハリケーンズ大阪と言えば、御堂筋線に1編成丸ごと広告を出していたところです。

当ブログ記事2022年1月4日記事 オメコⓂ御堂筋線。1編成10両まるまるNTTドコモのレッドハリケーンズ大阪の広告でした。床にくつマーク。一瞬忘れ物かと思いました。


今回は、1000名を無料ご招待ということです。

長居スタジアムは東住吉区にあります。
隣接するのは住吉区や阿倍野区。どうして、離れている住之江区が無料ご招待なのかよくわかりません。

区民無料チケットサイトに行き、申し込むと誰でもただで入れます。

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ウクライナは直ちにロシアに降参すべし。命ほど大切なものはない。国家の存続より個人の命の方が大切と言う大阪人の考え方。ウクライナ人も大阪人を見らなうべき。

2022-03-14 06:53:10 | 時事ネタ

コメント欄に、私のことを和歌山(田舎)と島根(田舎)のあいの子と書かれていましたが、山本家は、父が4歳の時に岩出から堺市宿院に引っ越したので、父は、堺人という自負をしていました。堺の家が、堺大空襲で焼けて、東住吉区東田辺に終戦3日前に移り住みました。

橋下徹がウクライナ人は、ウクライナから逃げだすべきと言って、ウクライナ人ジャーナリストと言い合いしているのをテレビで見かけましたが、
大阪人から見れば、国家より個人の命の方が大切です。
太平洋戦争に山本家で唯一出兵したおじさんは、フィリピンでジャングルの中を逃げ回り、蛇を食べて生き延びたと言います。そして、捕虜になったと言います。
帰還後、南海電車の運転手になり、92歳くらいまで、生きていました。
子供の時、友人らとしゃべていても、出兵した人から聞く話は、みんな、逃げて逃げて逃げまくって捕虜になったという話ばかりでした。
また、大阪では、出兵して、お骨になって帰ってきたという話も聞いたことがありません。みんな、生きて帰還しています。
大阪から出兵した人は、最も死亡率が低かったと言われています。

ウクライナの人も、ロシアの支配下になってもええやん。自分の命の方が大切です。

次のブログを見つけました。
東京人から見た大阪人の八連隊について書かれたものです。

https://ameblo.jp/yorkshare/entry-11893920094.html

江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。

 
 

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(211)日本一弱かった陸軍師団
 
 「伊藤正徳の『帝国陸軍の最後』、『山岡荘八』の『太平洋戦史』などを読むと、日本軍は、忠勇義烈、鬼神のごとく勇ましい精鋭部隊として描かれているが、果たして両氏の説くような強兵ばかりだったのだろうか? 
 もちろん軍隊の強弱は、指揮官の優劣に大きく左右され、また複雑な条件が絡むから、簡単にはいえないが、旧陸軍で、【日本一弱い】と、自他ともに折り紙つきの師団が存在した。その名を「大阪第四師団」という。
 
 日露戦争で連戦連敗、“またも負けたか八連隊”の勇名(?)は、日本中に喧伝され、それから昭和12年の日中戦争までに起きた戦乱にも、一度も出動せず、わずかに昭和8年大阪市内の繁華街で起きた、信号無視による交通事故がトラブルに発展して、時の寺内師団長が「皇軍の威信にかかわる」と見当違いの大見得を切って世の嘲笑を買った事件が大阪師団唯一の武勇伝である。
 
 昭和14年7月、満州ノモンハンでの日ソ激突が重大危機に、逆上した関東軍が、北満国境駐屯地の仙台大阪両師団に応急動員をかけて出動させたとき、仙台二師団は勇躍出発し、駐屯地のハイラルから徒歩四日間で現地到着、先遣隊の新発田(しばた)十六連隊などは、直ちに戦闘に加入、勇戦奮闘したのに、「大阪四師団」は出動を命じられるや、急病人激増、何とかして残留部隊に残ろうと将兵が右往左往、怒った連隊長が医務室に出向き、自ら軍医の診断に立ち会うしまつだった。
 やっと出動部隊を編成したものの、駐屯地ハイラルから現地までの行軍では、他の二師団は四日間で強行進軍したのに、大阪師団は一週間、しかも落伍兵続出、やっと到着したら日ソ停戦協定成立。とたんに元気が出た浪速っ子の面々、「口々に戦闘に間に合わなかったことを残念」がり、落伍した将兵は急にシャンとなって続々原隊復帰。帰りの軍用列車ではいちばん威勢が良かったという、おとぼけ師団だった。
 

 その後、中支に派遣され、武漢に司令部を置く精鋭十一軍の指揮下に入ったが、ここでもオトボケぶりを発揮して、前線に出すと相手の中国軍が“大阪の兵隊日本一弱いあるよ”とばかり必勝の信念で逆襲、突撃してきて「逃げ出すのは大阪連隊」と相場が決まり、ついに甲装備の野戦編成でありながら、最前線は3D,13Dの強豪師団に万事お任せして、4Dはもっぱら後方の警備を担当してお茶を濁した。(注:Dなどの記号意味は不明ですが、【師団の略】と推定。)
 

 さて、昭和16年太平洋戦争が開始されるや、使い場がなく、結局大本営直轄の南方軍予備という名目で、上海付近でブラブラしながら待機、17年4月フィリピン戦線で上陸以来苦戦する16D、65BSを助けるため、5D,18D,21Dの精鋭師団の選抜歩兵連隊と共に増加派兵が下命されると、
 「今度こそ一巻の終わり」と、青菜に塩の部隊は力なくしょぼくれて、上海からフィリピン戦線に向かったが、このときのバターン第二次攻撃には、日本軍は強力なる砲兵団、航空部隊を準備、本格的な立体攻撃を実施したため、大阪師団は軍主力の一翼となり、ビクビクしながら進むうち、米比軍が勝手に白旗をかかげて降伏してくれ、またも停戦成立。
 

 初めての勝ち戦に有頂天になったオトボケ師団の将校は、まるで自分たちだけでバターンを占領したような大ホラを吹きまくり、郷里の大阪では号外が出る騒ぎになった。
 大本営でもこの第四師団の戦力と使い方にはよほど困ったと見え、その後あれほど南方各地で陸軍が苦戦しても、この師団はついに激戦地に使用されず、もっぱら後方基地で待機。終戦は、タイ国バンコック付近で休養中に迎え、復員が開始されるや全員が血色の良いはちきれそうな元気さで帰国、出迎えた、やせ衰えた内地の人々を驚かしたという。
 

 思えば「あまりにも弱い」との定評が幸いし、おそらく南方出動師団のなかで、いちばん戦死者を出さず、たくましく生き抜いた大阪人のド根性は見事であり、もっとも人間的には正直な、平和愛好者だったというべきかも知れない」
 伊藤正徳氏の『帝国陸軍の最後』「進攻編」に、マレー半島進撃時には、この師団も勇猛果敢だったとの記述もあるが、一方で、大阪人について、もう一つ別な見方がある。元戦車隊小隊長福田中尉(司馬遼太郎)は、次のように説明している。
 

 大阪はもともと商人の町だから、幕府の威光も恐れず大名の権力にも関知しない、独特の生き方の伝統をもっていた。こうした環境に育ってきた若者を、いきなり軍隊に徴収し、国家のため、天皇のために戦い、かつ死ねという。
 その理屈が実感としてどうしてものみ込めない。これがかりに東北の若者なら、つねに領主の圧政に屈してきた伝統に育ってきたから、「天皇は領主よりもずっと偉いのだ」、といえば簡単に通じる。しかし大阪人には、いくらいってもわかりかね、「えらい迷惑なこっちゃ」、といった意識がどこかに染み着き、つねにその不合理につまづかざるを得ない。従って、むろん戦争に弱いのは当たり前だ・・・・・・というわけである。
 
 これは卓見かもしれない。天皇のためという意味が、しまいまで分からなかった兵隊は、大阪以外にもたくさんいたのである。ただかれらは大阪兵のような率直な意思表示はせず、天皇を狭義に解釈し、「恋人や女房や子どものために国を守る」・・・・・・といった諦観(ていかん)と覚悟を自らに強いた、ともいえる。(中略)
 

 日本の軍隊がもしすべて大阪兵団のようだったら、日中戦争または多くの事変や戦争は起こらなかったろうし、最後に大敗することもなかったかもしれない。しかし、その代わり、もっと早い時期に、どこかの国に、より惨めな状態で隷属(れいぞく)せざるを得なくなったかもしれない。判断の難しいところである。
 

 最近の中華人民共和国の行為に対し、経済人がその場しのぎの発言を繰り返しているが、伊藤桂一氏の文末の結論は、戦争を知り抜いたベテラン日本兵の意見として大いに参考になるかと思い紹介させていただいた。
 

 何人も他人事と思わぬほうがいい。いくら利益をあげても、国土を失えば意味がない。隷属してもどうなってもと考えるなら、見本となる国がそこにあるような気がする。

 

参考本:『兵隊たちの陸軍史』伊藤桂一

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