選択とは捨てることなどという本の宣伝をどこかで見ました。捨てることがビジネスの戦略の根本なのだと。話のとっかかりにとりあげましたが、この本を読んだことはありません。
ところで、わたしは、ストレスの程度をチェックするテストをすると、ほとんどストレスがないという異常値(?)がでます。ストレスは、ほとんどみんなに押し付けているのだろうといわれそうですが。
自分では、自分をどちらにころがってもそこで安定している球体のような存在なのではないかと考えています。
こうでなければならないという考えがほとんどありません。たいていのことは、どうでもいいと思っています。根本のところだけしっかり確保されていればよい。
球体であり、どの場所でも、そこで安定するというのは、価値基準の持ち方に関係があるかもしれません。一般的に、何かを選択するときには、どの価値基準を採用するかということによります。たいていは、いろんな価値基準が錯綜して、ああでもないこうでもないということになりかねないのです。
その価値基準が錯綜するときに、より本質的な価値基準を優先する能力があるかどうか、その選択をしたあとに、他の価値基準をすっぱり捨て去る能力があるかどうかが問われるように思います。
選択をしたはずなのに、まだ、別の価値基準を温存し、選択の結果捨てるべきものに未練を残してしまう。
球体が安定するのは、現在ある場所の価値基準ですべて一貫させることができるからでしょう。他の選択に未練をのこさない。両立できないことをあるべきと考え、ストレスをうまない。
ようするに、たいていのことはどうでもいいのです。そして、選択したら、その選択をした価値基準ですべて一貫させ、その他を捨てることでしょう。