部下は、上司に対して、指示をうけるのではなく、判断を求める。
判断は、価値基準によって、まったくちがう結果になる。判断力とは、ただしい基準で判断できるかどうかといえるだろう。
判断をまよう場合、たいていは、いくつかの基準によってちがう判断結果がでるので、どれを選択するのか迷うからだ。
数日前に、こんな話をうかがった。その方がこどものときのことだ。満州で突然、不足していた日常品が街にあふれるのをみて、お母さんがソ連軍の侵攻がちかいことに気が付き、直ちに4人のこどもを連れて日本へ向かう。
帰国船がでる港のひとつ手前の駅で、車内放送があった。港の駅では、すべての宿が満室で泊まれないので、この駅で降りてくださいという。あなたは、どうしますか?アナウンスにしたがって、この駅でおりますか?
その人のお母さんは、4人のこどもをかかえて、ためらわずに港の駅までいった。その結果、ソ連が占領する直前の最後の引き上げ船にのることができたのだそうだ。
宿がないならこの駅で降りようと大半の人たちが、その駅でおりてしまった。そして帰国のチャンスをうしなった。
判断基準は、宿に泊まれることなのか、帰国することなのか。帰国するという目的が鮮明で、すべてをその目的にそって判断するならば、野宿などなんでもないはずだ。
目的が明確でない人は、今夜の宿か帰国優先かでまよう。今晩の宿をとっても、たぶん大丈夫帰国できると考えて、大切な判断基準を失う。
帰国が目的であれば、一目散、すべてそれを実現するためにあいまいな判断はしない。それが判断力です。
会社やひとびとは、いつも判断をせまられている。判断の結果で、まったくちがう未来がまちうけている。大切なのは、明確な判断基準をもつこと。根底的な、根本的な、本質に基づいた判断基準をもつこと。
目的にそった、目的を実現するための妥協なき判断基準をもつこと。