東大駒場寮は、サークルごとに部屋割りされていた。わたしが所属したのは、ワンダーフォーゲル部。山が好きな連中だ。
実に、ほぼ半世紀ぶりに同じ学年の同じワンゲル所属の寮生が集まった。駒場のキャンパスを歩いても、当時の建物は少ない。新しい建物が空間を占拠し密集した様子は、あの大学の余裕を奪っている。
寮はもう10年ほどまえに取り壊された。昔を懐かしみ、いまのそれぞれの生き方を語り、泊まり込みで深夜まで語りあかした。
みんな真剣に生きてきた。「ワンゲルにいたから、」その後の生き方があった。体制にまきこまれず、たえず、「これでいいのか」と自問しながら生きてきたそれぞれの人生は、やはり感動をもって聞かずにはおられない。ある意味では、逆風のなかで自分の居場所を決めていきてきたのだ。いまも、それぞれ存在感をもって生きている。
逆風のなかでも、かれらは、実力でさまざまな活躍の場をかちとってきた。あつまった9名のほとんどは、研究者であり弁護士や裁判官だ。大企業にはいったり官庁にはいって、出世階段を一目散に上りつめたものは一人もいない。
自分の生き方を貫きながら、国立大学の学長や、高裁の長官、日弁連副会長、ノーベル賞直前の業績をだした科学者、労働弁護士、大企業のなかでもさまざまな第一線の研究者になったものなど、さまざまだ。官庁にはいった者もいなかったわけではない。しかし、かれは、「これでいいのか」と考え、辞表をだして弁護士や裁判官になった。
新入生だったころ、青春の解放感のなかでかれらと山に登ったころを思い出しました。あの仲間たちが、いま再会したのだ。
写真の駒場の正門でたむろする学生たちをみながら、かれらの半世紀後を想像してみますが、見当もつかない。そういえば、当時は、女子学生は900名中3名というほどの割合だった。
1年生のとき、この正門にピケがはられ、学生大会決議による「大学管理法反対」のストが行われたことも思い出す。正門前の騒然たる雰囲気のなかで駒場の数千名の学生が決起し、全国の反対運動の先頭にたち、この法案は葬られた。このストの責任を問われて、江田五月参議院議長は退学、中島義雄元大蔵省主計局次長は無期限停学となった。
実に、ほぼ半世紀ぶりに同じ学年の同じワンゲル所属の寮生が集まった。駒場のキャンパスを歩いても、当時の建物は少ない。新しい建物が空間を占拠し密集した様子は、あの大学の余裕を奪っている。
寮はもう10年ほどまえに取り壊された。昔を懐かしみ、いまのそれぞれの生き方を語り、泊まり込みで深夜まで語りあかした。
みんな真剣に生きてきた。「ワンゲルにいたから、」その後の生き方があった。体制にまきこまれず、たえず、「これでいいのか」と自問しながら生きてきたそれぞれの人生は、やはり感動をもって聞かずにはおられない。ある意味では、逆風のなかで自分の居場所を決めていきてきたのだ。いまも、それぞれ存在感をもって生きている。
逆風のなかでも、かれらは、実力でさまざまな活躍の場をかちとってきた。あつまった9名のほとんどは、研究者であり弁護士や裁判官だ。大企業にはいったり官庁にはいって、出世階段を一目散に上りつめたものは一人もいない。
自分の生き方を貫きながら、国立大学の学長や、高裁の長官、日弁連副会長、ノーベル賞直前の業績をだした科学者、労働弁護士、大企業のなかでもさまざまな第一線の研究者になったものなど、さまざまだ。官庁にはいった者もいなかったわけではない。しかし、かれは、「これでいいのか」と考え、辞表をだして弁護士や裁判官になった。
新入生だったころ、青春の解放感のなかでかれらと山に登ったころを思い出しました。あの仲間たちが、いま再会したのだ。
写真の駒場の正門でたむろする学生たちをみながら、かれらの半世紀後を想像してみますが、見当もつかない。そういえば、当時は、女子学生は900名中3名というほどの割合だった。
1年生のとき、この正門にピケがはられ、学生大会決議による「大学管理法反対」のストが行われたことも思い出す。正門前の騒然たる雰囲気のなかで駒場の数千名の学生が決起し、全国の反対運動の先頭にたち、この法案は葬られた。このストの責任を問われて、江田五月参議院議長は退学、中島義雄元大蔵省主計局次長は無期限停学となった。