水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(28)

2011-02-28 10:07:16 | 論語
攻乎異端、斯害也已矣(為政第二の16)

異端を攻(オサ)むるは、斯(コ)れ害(ガイ)已(ノミ)なり

異端:聖人(智徳円満神明に近い人)に対極する人もしくは考え
已:要注意の漢字。己(コ)でも巳(ミ)でもない。音読みはイ、訓読みは、スデニ、ノミ、ヤムなど


聖人になろうとすることではなく、その対極を極めようとすることは、その人にとって(社会にとって、か?)害ばかりでなにもいいことはない。

今朝の新聞で、入試問題漏洩に関する大事件が報じられた。凡人では思いもしないことを、よくもやってくれるものだ。異端を追求した典型例であろう。

 月並みな言い方だと、先端技術の追求と人間としての生き方とを間違いなく整合させねばならない、ということだ。

解説員として(73)

2011-02-27 17:14:55 | 解説員日記
 今日の午後は、解説当番であった。天気予報は曇り、であったが、好天に恵まれた、散歩日和であった。ただし、杉花粉症に悩まされる人間にとっては、うっとうしい。

 午前の見学者は少なかったそうだが、午後は、総計、30人ぐらいになったであろうか。適度にばらついての、来観であったので、おおきなミスもなく、対応できた、と思う。幸か不幸か、相方がお休み(連絡もない、ポカ休らしい)のため、3時間ほぼフル稼働となった。さすがに、唾が涸れそうになった。

 今日、書きとめておきたいことは次、

 ・3~4歳の子供も結構楽しむ。まず、自分で、自動販売機から無料の切符を出す行為がいいらしい。数人見ていたが、どの子も実に満足げ、であった。たぶん、一人前になった気分になれたのだろう。

 ・男性はおしなべて、「機械遺産」という言葉にしびれる。
市は、対象となるいくつかの自治体やどこかの旅行会社に声を掛け、「日本機械遺産をめぐる旅」なんてプロモートしてみてはいかがでしょうか。行くところが無く、家でくすぶっている、じいさん連中に人気がでるかも。

 ・小学生の質問に、意表を付かれる、事が多い。
今日は、炭をいれる方式のアイロンについて、なかなか理解していただけなく四苦八苦。たぶん、炭を知らない、のだと思う。
また、「どうして、水で水車を回さなければならなかったのか?」(電気で回せるでしょうに~~)との質問に対する説明が的確ではなかった。
長すぎた。説明の途中で、明らかに、飽きられたことがわかり、反省!

古文書講座(3)年貢割付状(2)

2011-02-26 11:53:03 | 三鷹・歴史/地史
 今回は畑。

 大沢村の年貢割付状によると、年貢が掛けられた畑の総面積は、66.1ヘクタール(上畑・2.7、中畑・9.5、下畑・36.7、下下畑・13.4、屋敷・3.7)であって、その年貢は、永31貫303文であった。

 「永」がつく貫文は年貢のみに使用する架空の単位で、永1貫は1両なのだそうだ。当時、銅銭は鐚銭(ビタセン)と呼ばれ、永1貫=永1000文=鐚4000文であった。永と鐚との関係は変動制で、幕末頃には鐚銭の下落が激しく、1両=鐚8~10千貫文にもなっていたらしい。

 とにかく、上から、永31貫303文=31.303両。又、年貢では、1両=米1俵で換算されていたらしい。 
現在の米価格を15000円/俵とした、前回の仮定を踏襲すると、上の年貢、永31貫303文は約117万円と計算される。
今日の言葉でいえば、およそ66ヘクタールの畑に対し、年総額約120万円の税金が掛けられていたということだ。

 では、この畑でどのような作物が作られていたのだろうか。子供時代の風景を思い出すと、三鷹の畑は、麦と陸稲の二毛作、ほかにはサツマイモ、キャベツぐらいだ。
第二回の講座で配布された、元禄5年9月連雀新田寺社書上村鑑帳によると、作物として、稗、粟、大麦、小麦、苅大豆、蕎麦、菜、大根、いもが挙げられている。

 大沢村の畑でも、連雀新田と同様、換金の対象にならない、自給のための作物が栽培されていたはずだ。ということを前提にすると、当時の大沢村にとって年貢の重みはかなりきつかった、と想像させる。

論語(27)

2011-02-25 09:55:06 | 論語
学而不思則罔、思而不学則殆(為政第二の15)

学びてのち思わざれば無し、思いてのち学ばざれば危し

(人間としての行き方について)、人様の話を聞いたり、本を読んだりしたあと、考えることをしなければなんにもならない。逆に、一人モンモンと考えるだけで、学ぶということをしないと、状況は悪くなるばかりだ。


 碁や将棋に定石がある。ひとつの定石を自信をもって使うために、とてつもなく長い時間がかかる。その形に到達するまでの、千変万化の手順をモノにしておかねばならないからだ。学び考え、考え学びの継続以外に、マスターできる道はない。だから、奥が深い、といえる。
人生も同じ、学び考え、考え学び、だ。

 だいぶ前、囲碁名人による、ある著名政治家の指導碁の棋譜(碁の新聞に載っていた)を碁盤上に並べたことがある。さすが、名人の指導碁、と感じるものだった。
ところが、である。その政治家は、まるで互角の勝負をしたような感想を述べた、のだ。
今日の語でいえば、まさに、罔殆(モウタイ)の人、と形容すべき、お里が知れる、陳腐な感想だった。

論語(26)

2011-02-23 04:52:42 | 論語
君子(為政第二の12~14)

君子について、三つ続くので、まとめて書く。

①不器(12) 器(ウツワモノ)あらず
②先行其言、而後従之(13) まず其の言を行い、而して後之に従う
③周而不比、小人比而不周(14) 周(アマネク)して比せず、小人比して周ず

リーダーたる人間に備わるべきものはなにか?

① 「器」の意味は三つあって、本義は皿、転じて道具、さらに転じて才知。
とりあえず、優れた才知を持っていればリーダーになれるというわけではない、と解釈しておくが、よくわからない。ペンディングトレイに入れておきたい。

② 思っていることを先ず実行する。その後、そのことについて説明する。

③ リーダーたる人間は人様に対し分け隔てなく接するがおべっかはつかわない。普通の人は人様とのつきあいかたに差をつける。


 日々、某国の政治に関わる方々のお顔をテレビで拝見しているが、つくづく、論語を座右に置き、毎朝開いてほしい、と思う。
孔子も、リーダーたるべき人がいない状況を憂い、上のように言ったのだろう。数千年経ても人間変わらない、ということなのでしょう。

それにしても、経団連会長までもが、「月給泥棒」と言わざるをえないほど、政治家達の劣化がひどい、ということだ。

古文書講座(2)年貢割付状(1)訂正

2011-02-21 11:04:55 | 三鷹・歴史/地史
 昨日の記事(下の****~~****ではさまれた部分)は間違い。訂正する。

石盛(コクモリ:検地によって耕地・屋敷の反あたりの標準収穫量を定めること)についての考察が欠落していた。

さて、大沢村での実際の石盛をまだ把握していないので、100%確信を持っているわけではない。が、試行錯誤を加えた結果、次のような石盛を仮定し、下のように訂正する。

石盛の仮定
上田/12斗、中田/10斗、下田/8斗、下下田/6斗、上畑/6斗、中畑/4斗、下畑/2斗、下下畑/1斗。


訂正

米作付け面積 14町5反5畝8歩(1439.5アール)
予定農産物収穫量  323石3斗3升2合(48445kg)
予定米収穫量  134石8斗3升(20224kg)
米としての年貢     52石7斗7升5合(7916kg)

上の数字から、次の3点がわかった。

① 単位面積当たりの収量:現在、日本全体での、それは、だいたい500kg/10アールと言われている。このことから、江戸時代、大沢での米の反収は、現在の3割程度であった、と理解できる(140kg/10アール)。

② 大沢村では、収穫される米の約40%(52.774/134.83)が年貢に取られていた。

③ 現在、普通の玄米、60kgあたりの価格は15000円程度だ。これを基準にすると、大沢村での当時の農産物収穫量を、現在の貨幣価値になおすと、約1200万円となる。そのうちの約200万円(17%)を米の年貢として上納せねばならなかった。さらに、現金で納めねばならぬ年貢が37.288貫文もあった(これについては稿を改めて書く)。
今、米作農家の納税額はどれくらいなのだろうか?


昨日の、間違い記事
***************
米作付け面積 14町5反5畝8歩(1439.5アール)
予定収穫量  323石3石3升2合(48445kg)
年貢     52石7斗7升5合(7916kg)

上の数字から、次の2点がわかった。

① 単位面積当たりの収量:現在、日本全体での、それは、だいたい500kg/10アールと言われている。このことから、上の時代、大沢では、現在の7割程度の米収量があった、と理解できる(337kg/10アール)。立派なものだ。

② 現在、普通の玄米、60kgあたりの価格は15000円程度だろう。これを基準にすると、大沢村での当時の米収穫量を、現在の貨幣価値になおすと、約1200万円となる。そのうちの約200万円(17%)を年貢として上納せねばならなかった。
今、米作農家の納税額はどれくらいなのだろうか?
***************

古文書講座(2)年貢割付状(1)

2011-02-20 10:35:43 | 三鷹・歴史/地史
 天明七年十一月五日大沢村年貢割付状

初回の講座で、講師が、これを丁寧に読み砕いてくださった。

大変面白く、ああでもない、こうでもない、とやっているのだが、なかなかまとまらない。ナントカの考え休むに似たり、だ。きりがないので、整理できたところから、書くことにした。

今日は米に限定する。

この割付状によると、1783年から1787年(天明七年)までの五年間の年貢は一定額に決められていた。

米作付け面積 14町5反5畝8歩(1439.5アール)
予定収穫量  323石3石3升2合(48445kg)
年貢     52石7斗7升5合(7916kg)

上の数字から、次の2点がわかった。

① 単位面積当たりの収量:現在、日本全体での、それは、だいたい500kg/10アールと言われている。このことから、上の時代、大沢では、現在の7割程度の米収量があった、と理解できる(337kg/10アール)。立派なものだ。

② 現在、普通の玄米、60kgあたりの価格は15000円程度だろう。これを基準にすると、大沢村での当時の米収穫量を、現在の貨幣価値になおすと、約1200万円となる。そのうちの約200万円(17%)を年貢として上納せねばならなかった。
今、米作農家の納税額はどれくらいなのだろうか?


ああでもない、こうでもないとウジウジしている種のひとつが、田の等級だ。大沢の場合、上田(ジョウデン)は2町にすぎず、中田(チュウデン)4町、下田(ゲデン)6町である。これらの収量の差がわからない。太閤検地では、その差はあまり大きくは無い。上田、下下田(ゲゲデン)の反収は、それぞれ、15斗、11斗であったらしい。
どの程度、代官など管理者の裁量にまかされていたのだろうか?この辺がどうもよくわからないのだ。




論語(25)

2011-02-19 12:23:40 | 論語
温故而知新、可以為師矣(為政第二の11)

古きをあたためて新しきを知る、以て師となるべし


有名な語だ。

先例や古典、あるいは歴史を学ぶことによって、これから何をなすべきか方向性をつかむことができる、と理解していた。
大字典もそんな解釈を示している。

しかし、あいだの「而」、後ろの、可以為師矣、をあわせて読むと、孔子はもっと簡単なことを言ったのではないか、と思える。

人様から、師(先生)と呼ばれるようにしたいなら、まず、先例や古典、あるいは歴史をしっかり習熟しなさい。そうすれば、新しくおこっていることを理解することができるのです。

これが、今の解釈だ。「新」が未来の現象を示す語とはいえないのではないだろうか、というのが発想の原点。


一連の文章を、自分勝手に切り取って、自分勝手に解釈する。
その解釈が一人歩きして、世の中に害毒を振りまくこともあるわけで、肝に銘じねばならない。

それにしても、論語は面白い。脳を柔らかくしてくれる。きっかけをつくってくれた友に感謝だ。

 


論語(24)

2011-02-18 09:02:11 | 論語
人焉廋哉(為政第二の10)

人焉(イズク)んぞ廋(カク)さんや

人は、(それぞれの本性を)どうして隠すことができようか?(決してそんなことは出来ない)


この四字を二回続けていることから、孔子の考えが強くこもった語だと思う。

前段は、視其所以、観其所由、察其所安(其の思うところを視、其の由るところを観、其の落ち着くところを察すれば)だ。


つまり、本性をどのように隠そうとしても、誰かが、その人の考えを分析し、生まれ育ちを洗い出し、常日頃の状態を明らかにすれば、その人の本性を完璧に把握できる、ということ。


 話は飛ぶ。
政党に人選を委ねる比例代表制は、よくない。
マスコミにさらされる個々の選挙区に比べ、被選挙人に対する選挙人の目が届きにくいからだ。
不明朗な金の仕込みがやりやすい構造のような気がする。

論語(23)

2011-02-16 09:10:16 | 論語
退而省其私、亦足以発(為政第二の9)

退(ノ)きて其の私を省(ミ)れば、亦持って発するに足れり

(上司・先輩・年長者)の前ではない場面での私行を観察すれば、その人がしっかりした自分の意見を持ち、それを発表する力を持っているかどうか、わかる。


 孔子が弟子の回について評価した言葉。
孔子の前では愚者のようだが、彼の、孔子から離れた場での言動をみると、愚者ではないことがわかる、と言っているのだ。


 これは大変難しい。ほとんどの人は、権力を持った人の前では従順だ。そんな場で異を唱えようなら、すぐに飛ばされる。このような状態を長く続くと、権力者のまわりはイエスマンばかり、結局「裸の王様」になるのがおち。

一方で、上のような、孔子の見解もある。
要は、人を見る目を養いなさい、ということか。

論語(22)

2011-02-14 10:22:23 | 論語
問孝(為政第二の5~8)

四つほど続く、親孝行についての問答をひとまとめにすることにした。ピンと、納得できないもので。
想像するに、孔子がこれほど、ヤイノヤイノ言わねばならぬほど、当時は親を大切にする習慣がなく、動物に近い親子関係だったのではあるまいか。
しかし、年月が経過して儒教が硬直化するとともに、「孝」のしばりがきつくなる。ついには、政治権力を持続させるためだけに、三年服喪とか哭泣とかの、おかしな宗教行事が慣例化されてしうようになった。半島北部ではまだこの弊害に蝕まれている。

まあとにかく、

① 無違(5) 違(タガ)うこと無し
② 父母唯其疾之憂(6) 父母にはただその疾(ヤマイ)を之(コレ)憂う
③ 不敬何以別(7) 敬せずば何を以て別(ワカ)たん
④ 色難(8) 色難(カタ)し

前後を読んでも、よく分からんのです。

①は、親に逆らうな、と言っているのか、生前であろうが死後であろうが親には礼をつくしなさい、と言っているのか、②は、親自身の心配事が彼らの病気のみになるようケアしなさい、なのか、子は親の健康に配慮すべき、といっているのか、④は、親の顔色に注意しなさい、といっているのか、親に対したときの自分の顔に注意しなさい、と言っているのか。

 唯一③のみは、理解でき、納得です。子供を大切に育てるのは、人間だろうが他の動物だろうが同じだ。違うのは親離れ・子離れで、人間は極めてウエットだが、動物はドライ。
このウエットさを孔子は「敬」で表現した、と解釈した。

古文書講座(1)

2011-02-13 15:37:45 | 三鷹・歴史/地史
 先週の日曜日、そして今日、の午前中、市生涯学習課主催の古文書講座があって、聴講した。

講師は以前同じような講座(確か、近藤勇五郎、宮川信吉、吉野泰三の手紙が題材だった、と記憶している)で話を聞いたことのある、国学院大根岸先生で、期待に違わず、受ける刺激が大きい講義であった。聴講者は50~80人ぐらいであり、盛況といえるだろう。

今回は、「数字から読み解く耕地と産業」、「漢字から読み解く連雀の成立」というもので、いくつかの古文書資料が配布された。

何回かに分けて、この配布された資料について書いてみたい、と思っているところだ。非常に面白い。

今日は、講義で触れられた、さまざまな内容の中で、印象に残ったことがらを、備忘のため、ランダムに列記しておく。

・ 草書のほうが楷書より古い。楷書の崩し字が草書なのではない。行書は楷書の崩し字。
・ 天明6年(1787年)関東一円大水害を被ったが、大沢も、1石程度の収穫しかなく、年貢を免除されるほど、被害を受けた。
・ 水車(たぶん、大車)の税金は220文。水車の運転で生活習慣が大きく変わった。うどん類の食用。
・ テレビでよく、小判のきりもち、といっているが、銀銭を紙で包んでいたのである(それも大阪で)。
・ 江戸時代の1村は500石の収穫が基本。
・ 江戸時代、朱の印は将軍のみ使用。他は黒印。
・ 手紙の差出人、受取人の字の大きさが身分上下を表している。上に書いてあるほど、字が大きいほど身分は上。
・ 一般に上畑の収穫量は10石と認定されるものだが、開発間もない連雀のそれは4石であった。
・ 一般に、上町、下町とあるとき、下が本村。ただし上連雀は連雀からの分派ではなく、世田谷(?)の  井口権兵衛による開発地。
・ 軍学書などで、本陣を本陳と書いてあることがある。味方を本陳、敵方を本陣とする。
エンギかつぎ、車をヒクのは語呂がよくない、のだそうだ。
・ 八幡神社は一般に寺が支配した。鎌倉八幡の宮司は22坊の住職の輪番。
・ ~~領とよくいうが、戦国期の特定者にとる支配域と考えたほうがよさそう。

こんなところか。

論語(21)

2011-02-11 07:45:49 | 論語
六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩(為政第二の4)

六十にして耳順(シタ)がう。 七十にして心の欲する所に従って矩(ノリ)を踰(コ)えず。

六十になると人様のおっしゃることに逆らわなくなり、七十になると自分の思いのままに振舞うけれど、決まりごとから踏み出るようなことはしない。


有名な語だ。十五~~志乎学、三十~~立、四十~~不惑、五十~~知天命、に続いて上の語が来る。

七十になろうかという年齢なのに、まだ家人に逆らって波をたて、家庭内の決まりごとさえ、自分勝手をやってはぶち壊す。

孔子様の足元にも及ばぬことは、もちろん十分わきまえているつもりだが、あらためて己を見ると、いやはや、なんとも度し難い人間であります。
認めます。心を入れ替えます。もう遅い、か?


外は、どうやら雪模様。天気予報によると、この週末は大荒れらしい。コタツに入ってチンマリしてるべえ。





解説員として(72)

2011-02-10 19:01:05 | 解説員日記
 今日の午後、解説当番となった。本来は明日だったのだが、今日の予定者の都合で回った。

しかも、大沢台小三年生見学の対応も、ということで、11時から張り付いた。


 小学生は、40名をちょっと越えるほどであったか。しつけのいきとどいた静かな見学振りであった。

 10人程を受け持ち、通しで説明したのだが、大変やりやすかった。
近くであるにもかかわらず、4名が「初めて」、とのことだった。灯台もと暗し、だ。
「日本一なのだから、自慢してください」とお願いした。
いくつかキーワードを刷り込んだつもり。いつか思い出してくれることを願う。

午後の見学者はゼロ。残念!

 陽だまりに座ってウトウトしていたら、目の前にきれいな小鳥が現れ、カッツ、カッツと話しかけてくる。あまりの愛くるしさに見とれてしまった。
調べたら、ジョウビタキ。ジョウは尉、ヒタキの漢字は大字典にはあったが、パソコン上ではみつけられず。
胸があざやかな濃いめのオレンジ色、翼に白い大きな斑点がある。大陸で繁殖し、日本で越冬する冬鳥だそうだ。冬の季語として使ってよさそうだ。

 陽だまりに 旅立ち待つか ジョウビタキ

論語(20)

2011-02-08 20:28:54 | 論語
 道之以徳、齊之以礼、有恥且格(為政第二の3)

 之を導くに徳を以ってし、之を齊(トトノ)うるに礼を以ってすれば、恥ありて且つ格(タダ)し

 リーダーたる者が徳と礼を尽くせば、(それに従う集団の個々は自分の行いの悪さを)恥ずかしがり、正しい行いをする。


連想する言葉は「衣食足りて礼節を知る」で、思いたって、大字典を引いたら、「衣食足知栄辱(エイジョク)」とあった。ギャフン!
礼節は「倉廩実則知礼節」(ソウリンミチテレイセツヲシル)、だそうだ。倉廩は米蔵。
出典は管子らしい。


それにしても、衣食足りて、飽食の、今のこの国の人々を、世界は礼節や栄辱を知った人々と見てくれているでしょうか。
わが身を振り返り、身の縮む思いです。