(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述する.
三鷹市内には、庚申塔が29基残っている(三鷹市郷土学習資料・三鷹の庚申塔 より)。道教を起源とする民間信仰で、庚申日(かのえさる、年6回)に、信者が集まって決められた行事をするもの、らしい。今も続いている宗教なのか、知らない。
市内の庚申塔の古いものは、中原4丁目、北野4丁目、牟礼6丁目などに残っているもので、1600年代後半(江戸時代初期)に立てられたようだ。一方、一番新しい庚申塔は井口1丁目にあるもので、1809年に立てられた。
このように、庚申塔が立った年代を地区ごとに比較すると、信仰へ心が向く時期は、入植後生活がある程度安定して、しかるのち、のように感じる。
新車(しんぐるま)の大沢では、長久寺と竜源寺に、1700年代前半に立てられたものが、それぞれ、二基づつ存在するようだ。また。下流八幡橋近くの古八幡(1617年に、別の場所に移転。その跡地だそうだから、創建はかなり古い)の庚申塔はこのあたりで最も古く、1694年に立てられたようだ。
健康もしくは長生き、を希(こいねが)う祈り、が、この信仰の根幹のようだ。生活安定化の促進とともに平均寿命が延び、その結果、この種の信仰は廃れたのだろうか。
三鷹市内には、庚申塔が29基残っている(三鷹市郷土学習資料・三鷹の庚申塔 より)。道教を起源とする民間信仰で、庚申日(かのえさる、年6回)に、信者が集まって決められた行事をするもの、らしい。今も続いている宗教なのか、知らない。
市内の庚申塔の古いものは、中原4丁目、北野4丁目、牟礼6丁目などに残っているもので、1600年代後半(江戸時代初期)に立てられたようだ。一方、一番新しい庚申塔は井口1丁目にあるもので、1809年に立てられた。
このように、庚申塔が立った年代を地区ごとに比較すると、信仰へ心が向く時期は、入植後生活がある程度安定して、しかるのち、のように感じる。
新車(しんぐるま)の大沢では、長久寺と竜源寺に、1700年代前半に立てられたものが、それぞれ、二基づつ存在するようだ。また。下流八幡橋近くの古八幡(1617年に、別の場所に移転。その跡地だそうだから、創建はかなり古い)の庚申塔はこのあたりで最も古く、1694年に立てられたようだ。
健康もしくは長生き、を希(こいねが)う祈り、が、この信仰の根幹のようだ。生活安定化の促進とともに平均寿命が延び、その結果、この種の信仰は廃れたのだろうか。