水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

庚申塔

2007-07-30 11:11:24 | 三鷹・歴史/地史
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述する.

 三鷹市内には、庚申塔が29基残っている(三鷹市郷土学習資料・三鷹の庚申塔 より)。道教を起源とする民間信仰で、庚申日(かのえさる、年6回)に、信者が集まって決められた行事をするもの、らしい。今も続いている宗教なのか、知らない。

 市内の庚申塔の古いものは、中原4丁目、北野4丁目、牟礼6丁目などに残っているもので、1600年代後半(江戸時代初期)に立てられたようだ。一方、一番新しい庚申塔は井口1丁目にあるもので、1809年に立てられた。
このように、庚申塔が立った年代を地区ごとに比較すると、信仰へ心が向く時期は、入植後生活がある程度安定して、しかるのち、のように感じる。

 新車(しんぐるま)の大沢では、長久寺と竜源寺に、1700年代前半に立てられたものが、それぞれ、二基づつ存在するようだ。また。下流八幡橋近くの古八幡(1617年に、別の場所に移転。その跡地だそうだから、創建はかなり古い)の庚申塔はこのあたりで最も古く、1694年に立てられたようだ。

 健康もしくは長生き、を希(こいねが)う祈り、が、この信仰の根幹のようだ。生活安定化の促進とともに平均寿命が延び、その結果、この種の信仰は廃れたのだろうか。

 

水道の水

2007-07-27 11:38:50 | 三鷹・市政
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述する.

 三鷹市教育データベースに、市の水道水の約3/5は市内の深井戸からくみ上げられ、2/5は多摩川・利根川・荒川から取り入れられている、と記載されている資料があった(4年生社会科学習資料、わたしたちのくらしと水 より)。

 たしかに、昔は水道水源を地下水に頼っていたのだが、まだそれを継続させているとは知らなかった。

 市統計によると、平成17年度の全配水量は約2100万m3であった。そのうち、市内深井戸(39箇所、深度200m)からのくみ上げ量が約1000万m3、都からの補給量が1100万m3だ、そうだ。つまり、三鷹市の水道水源の地下水依存率は48%にものぼる。

 同じ年度の東京都の全取水量は164200万m3で、そのうち河川水水源が152200万m3、その他の水源が12000万m3であった。この、その他を地下水とみると、東京都全体では、水道水源の地下水依存率は約7%にすぎないことになる。

 このように、我々三鷹市民は、良質な深井戸地下水を多量につかわせていただいている。一人当たりにすると年間約50m3だ。1000万m3を三鷹市面積(1650ha)で割ると、約60mmとなる。年間降水量と比較すれば、その5%ぐらいに相当する量だ。
 ちょっと多すぎないか。贅沢すぎるような気がする。既得権といってしまえばそれまでだが、地下水の過剰くみ上げは地盤沈下の原因でもあるのだ。
環境に優しい市政を追求してほしいので、三鷹市水道は、平時、全面的に東京都に依存し、地下水への依存は大地震時などの緊急事態時に限定する、方式に転換するべきではないだろうか。素人考えか。

 

解説員として(15)

2007-07-26 09:20:44 | 水車解説関連
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述する.

 昨日は解説当番であった。
 
 見学者は、5~6組、総数十数人というところであったろうか。夏休みになったからか、小学校低学年の子供さんを伴った散歩、といった雰囲気が目立った。
 帰りがけに、「今度友達とくるから」と声を掛けてくださるような方もあり、うれしかった。
建物の中は風が通らず、少々暑いが、縁側にいると、静かだし、涼しいし。ここは天国だ。

 ご家族を伴ったひと組の見学者は、一時期の囲碁界で頂点を極めた方、だった。
つい、「囲碁の○○先生では?」と声を掛けてしまい、気さくに「そうですよ」と答えていただいたのだが、よくなかったか。こちらは大感激だったのだが。
最近、囲碁にはまっているのだが、これで、その度合いがますます深まりそうだ。
 家人に、「サインをすぐもらえるよう、色紙を持っていたら」とイヤミをいわれてしまった。

 管理を担当するAさんが、7月いっぱいでおやめになるそうだ。得がたい人材を失い、ショックを受ける解説員も多いことだろう。こういう優秀な若い方の身分保障ができるような仕組みが市にはないのでしょうか。
 個人的には忘れもしません、1月6日のデビュー日に種々教えていただいたのでした。そして、驚いたことに、すでにその時点で、このブログの存在をご存知だったのでした。常に、水車に関する最新情報の収集を怠らない、からできたことだと思います。そして、さらに驚くことに、「野川ルール」(ついこのあいだの記事で書いた)のコピーが、もう解説員用に整えられていたのでした。
つたないブログを読み、かつ参考にしていただき、どうもありがとうございました。
今後も新車(しんぐるま)との接触を断つことはないそうですので、多少は安心ですが、新しい職場でのご活躍を念じています。

アイノミチ

2007-07-25 10:45:56 | 三鷹・歴史/地史
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 「アイノミチ」とは「間の道」のことで、人見街道の裏道にあたる(三鷹市郷土学習資料・仙川の流れと新川の昔さがし、より)、そうだ。

 上の資料では、第一小付近に一部残っている部分を紹介している。写真で見るかぎり、とても狭い道のようだ。
明治10年測量の地形図(今までなんべんも引用している)には、残念ながら、上の資料で示された「アイノミチ」は表示されていない。

 だが、面白いことに気づいた。現在、図書館本館の南から大沢の消防署まで西に伸びる道(人見街道に平行な細い道)がある。この道が、上の地図にも示されている。
人見街道との位置関係からみて、この道も昔は「アイノミチ」と呼ばれていたにちがいない、と思う。

 自宅から新車(しんぐるま)まで、自転車で行くようにしているが、やや遠回りにはなるものの、ほとんどこの道を使う。人見街道を自転車で走行することは危険だし、東八道路の歩道走行は風情がないし。使いやすい道と思っているのは一人だけではなさそうで、走行自転車の数はすくなくない。昔の「アイノミチ」は今も健在だ、と思いたい。

 最近、つくづく感じるのだ。道を利用する際、強者は弱者を、つまり、自動車は自転車を、そして自転車は歩行者を、心底留意しなければならない、と。しかし、そのような簡単な気配りさえ、どうしようもなくおろそかになる社会ならば、無条件で弱者配慮をせざるをえない仕組みを作る必要があるのではないか。なんか、いい手立てがないものか。

 古道を使った「アイノミチ(愛の道)作戦」、なんて、ロマンティックな施策名ではないでしょうか。
 

 

入間川

2007-07-24 10:40:53 | 三鷹・歴史/地史
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 入間川というと、まず、埼玉県を流れる荒川の支流を想起する。しかし、野川の支流にも「入間川」があることを、前回の記事を書く際、はじめて知った。検索中、なんかの会議の議事録にこの名が出ていたのだ。

 手元にある地図などから、野川の「入間川」について、わかったことは次。

 1 京王線の仙川駅とつつじヶ丘駅との間で、線路を横切る水路。全長約4km。
 2 三鷹市内部分(中原1・2・4丁目)を含め、京王線の北側はほとんど暗渠化されている。三鷹市内部分は現在「中仙川遊歩道」という名の道。
 3 明治10年測量の地形図では、「水の流れ」は示されていないものの、幅約100mの水田が北西から南東に細長く伸び、「水路」の存在をうかがわせる。
 4 古くから人の手が入った証拠だ、市内範囲だけでも、調査済みの遺跡が4箇所(中原、西谷、羽毛、滝坂)ある。
 5 読み方は「いるまがわ」か「いりまがわ」か、定まっていないようだ。川の名の元となった村の名は「入間村(いりまむら)」らしい、のだが。

 人見街道を書いたときに、三鷹市教育センターHP内にある教育データベース・郷土学習資料の存在を知った。
試みに、ここを覗いてみたら、ありました。「ハケ(国分寺崖線)と野川」というやつが。「入間川」もちゃんと記載されていました。
この資料もなかなかいいできです。
 
 

野川ルール

2007-07-19 11:33:06 | 水車解説関連
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 過日、管理を担当しているAさんに教えていただいた資料(野川改修工事がらみ)を探すため、都のHPを覗いていたら、偶然、「野川ルール」(H19年3月)を発見した。腑に落ちた、こともあるのでメモッテおくことにする。(当初目的の資料にはまだたどりつけないが、そのうちやる)

 腑に落ちたこと。7月10日の記事で、大沢保全提言を紹介した。この提言の中で、「ルールづくり」なる言葉が、留意事項のひとつとして、かなり唐突にあらわれた。読んだときは、これを「品位の確保」と、理解しようとしたのだが、いまいちしっくりこなかった。「野川ルール」を見て、なるほど、これが大沢保全提言の「ルールづくり」のプロトタイプだ、と理解できたのだ。

 「野川ルール」は野川流域連絡会(H12年設立。都が事務局・流域の区市・市民団体・応募委員で構成。河川行政に関する意見交換の場。都内のほとんどの河川に設立されている。ツンドクの限りだが議事録は面白い)の、生きもの分科会があらわしたもので、河道内での六つの禁止(したい)項目(えさやり、ペット放流、生物採取、ゴミ捨て、飼い犬無法散歩、植生乱獲)をソフトに、絵入りで説明したもの。よく考えられていて、秀作だ。

 大沢の保全にも、これと同様の「大沢ルール」を作っておきたい、ということであろう。大賛成。よいことは、臆することなくマネすればよい。

 「野川ルール」はダウンロード可能である。
近い将来できるであろう「大沢ルール」を啓蒙する意味合いからも、新車(しんぐるま)に、「野川ルール」のコピーを置いてはいかがでしょうか。

 

台風

2007-07-18 09:48:11 | 雑感(1)日常
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 柏崎の地震によって霞んでしまったが、土曜・日曜の雨はひどかった。それでも、東京の降水量は二日間で128mmにすぎなかった。高知では14日一日だけで314mmも降ったそうだ。台風4号がもうすこし北側を通ったら、関東でも甚大な被害がでたことだろう。

 新車(しんぐるま)の稼動停止因子のひとつである河川改修工事、がすでに完了している現在、野川での洪水災害に関しては、少なくとも三鷹地区の範囲において、それこそ、100年安心といえるのではなかろうか。
 対岸の崖崩壊が多少心配であるが、宅地造成工事の規制区域となっていることだし、そもそも比高が10m未満であるし、災害が発生したとしても、リカバリーは困難ではなかろう。

 地震と違って台風は、よいことももたらす。
深刻な水不足がおこっていた四国では、早明浦ダムの貯水率が100%になり、14日、取水制限が解除されたようだ。関東でも、心配されていた今夏の水不足は、台風4号に伴う雨のおかげで避けることができるようだ。小河内ダムや利根川上流のダム群の貯水率が、著しく改善されているからだ。

 それにしても、テレビ報道の、台風から地震への力のいれかたの変更はなんだ。
今、西のほうにも、泥土にまみれ復旧に力を尽くしている人々がたくさんいらっしゃる。
地震の被災現場にだって、必ず、深刻だが目立たない問題がたくさんあるはずだ。
 腰の据わった取材を心がけ、それを報道してほしいものだ。


  

 

地震(2)

2007-07-17 10:40:52 | 雑感(1)日常
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 昨日、中越地方で地震があった。テレビの画面は、これでもか、とばかり惨状を映し出す。
年寄りになった証か、報道関係者の、無知に起因するえげつなさ、というか下品さばかりが目立ち、悲しく腹をたてている。

 1月の記事にも書いたが、新車(しんぐるま)の施設は、関東大震災ばかりでなく、安政東海地震や安政江戸地震をもしのいだ貴重なものだ。見るからに、柱に比べ上が大きい母屋については、構造的にも決して強いとは思えず、現状のまま大地震に遭遇すれば倒壊する、と覚悟しておくべきであろう。

 三鷹市において、この種の文化財に対する地震対策はどうなっているのであろうか?学校などの公共施設と同様に、文化財施設も耐震診断とそれに基づく工事を急ぐべきである、のか。
 しかし一方、「軽々にいじくりまわさないほうがいい」との意見も出るかもしれない。それは、伊勢神宮の遷宮行事からも明らかなように、我々の精神文化の底流には、「モノを、そのまま残すより、それを作る技術や基本精神を残すことのほうが大切」とする考えが脈々と流れているようにも思うからだ。
どっちが正しいか、わからん。

 
 

 

解説員として(14)-2

2007-07-14 08:19:54 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 昨日の続き。7月12日の解説当番日の一般見学数は3組3人にすぎなかった。雨も降ったことだし、こんなものか。

 平日の見学者で、年配者ではない方は、なにか特殊な目的を持っている、と思ったほうがよさそうだ。

 三人のうち、一人は博物館学を学んでおられる学生さんで、小学生の見学も見学したり、我々へのヒアリングも熱心だった。レポートでも書くのか。

 小学生が来る直前にこられた方は、研究者か物書きか編集者か、といった感じ。
小学生の大混雑を、上手にスルリと抜けてお帰りになった。写真も写していたようだし、初期の見学目的は果たせた、ことを願う。少々説明不足だったかもしれぬ。

 三人目は不思議な方だった。古民家めぐりが趣味、とおっしゃり、閉館時まで話をしていかれた。とりとめのない話題が多かったのだが、印象に残ったのは次。

 古民家めぐりをしていると、対応してくれる解説員などの態度や雰囲気で、運営がうまくいっているかどうか、およその検討がつき、それを見ることが面白い、らしい。地元の老人のたまり場になってしまっているところとか、見学者を無視するところとか、とんでもないところもある、そうだ。

また、説明の押し売りはせず、客に合わせて説明するよう心がけているのだが、そのことにもいち早く気づき、おほめいただいた。

 いかにボランティアとはいえ、解説員として立った時は、緊張感をもって、マンネリにならぬよう、対応に心がけなければならない。

解説員として(14)

2007-07-13 09:51:24 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 昨日は解説当番であった。

 通常、平日は管理担当者と当番解説員1名の対応だが、この日は第六小三年生約110名の見学予定が入ったため、市担当者および応援の解説員1名が加わっての対応となった。

 結果、残念ながら、見学は失敗といっていい。丁度見学時間帯に土砂降りになり、児童をバスに戻すことを急いだため、中は「大混雑の博物展」状態で、説明・質疑どころではなかったためだ。

 先生方は、見学の実施にあたって、天気予報を見ながら、相当迷ったことであろう。昼直前の天気予報(地域詳細・アニメーション予報)では雨の確率が小さかったことだし、実際、この雨は極めて局地的であったようだし。
見学実施の決断を責めることはできない。

 しかし、この種の見学に、本当に教育上の成果を求めるなら、来年度から、次の2点は是非前向きに検討してほしい。

 1 少なくとも、事前に現場を視察する。
 2 学校と施設責任者(生涯学習課)とのあいだで、見学のおおよその段取りを打ち合わせる。

 上の2点が行われていれば、「110名の児童が一度に訪れる」ことがいかに無理なことかが理解されるはずなのだ。

 「実績のための見学」をとるのか「内容を求める見学」をとるのか。

 授業の一環としての見学の理想は、上級生が纏める小人数単位の見学、かもしれない。しかし、これは、安全上の管理問題がネックか。忙しいだろうし。

 いずれにしても、少ない経験を基にすれば、大人の見学ですら、1グループ最大10名が同時に見学できる最大数は2グループ、見学時間の最小は20分、が限界、と思う。
 

解説員連絡会(3)-7

2007-07-11 10:51:04 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 今日のネタは、配布された資料の中の みたかゆうゆうマップ(三鷹市エコミュージアムマップ)。

 100円で売っている 「みたかガイドマップ」 を原型としたものか。手に持って歩くのに便利なように小ぶりにしてあり(1/1万を85%ぐらい縮小している)、内容も充実していて、いい地図だ。説明によると、「エコミュージアム」とは街全体を展示する博物館とも言い換えることができ、街中にある文化財や自然をまるごと案内しようとするもの、だそうだ。

 下の示すようなことについて、改良が加えられるとさらに使いやすくなる、と思う。

 1 駐車場の位置と規模の表示
 新車(しんぐるま)の解説をしていると、車の置き場を聞かれることが多い。野川公園の駐車場を案内することにしているが、それでよいか。

一方、上の地図は、おそらく、歩行もしくは自転車の方々を念頭において作られたものだ。しかし、たとえ市内に限定しても、移動方法は車という人や、市内の交通状況について不案内な人も少なくなかろう。利用可能な駐車場について、少なくとも位置と規模ぐらいは、図上に示しておいたほうがよい。

 2 危険性の高い道路を区別
 市民であっても、普段使う道以外はよく知らないものだ。歩きなれない人がこの地図を頼りに、希望する場所に行こうとしても、どの道をたどれば安全で快適か区別できない。
 もし、自転車優先レーン、あるいは歩行者優先路が整備されれば、こんな問題はでてこなくなる。三鷹市がやってしまえば、他も追随すると思うのだが、難しいか。

 百歩譲って、地図上で、例えば、「自動車の往来が激しく歩道がない」ことが判別できれば、使用する道の選択がずいぶんと楽になる、と思うのだが、いかがだろう。

 話がずれるが、農道だったところも含め「古い道」を他と区別表示しておくと、郷土史の観点から面白いかもしれない。

 3 季節のスポットガイドの表示
 地図の裏に、いろいろな花について、見ることが可能な場所が示されている。せっかく桜とけやきは示されているのだから、これらも、表の図に表示したらどうか。

解説員連絡会(3)-6

2007-07-10 10:46:54 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 今日のネタは、配布された資料の中の次。

 大沢の里周辺地域の保全・活用に関する提言~~平成19年4月~~大沢の里周辺地域保全・活用検討委員会~~A4ー24ページ

 黒子としての外部専門家の存在を覗わせる玄人っぽい文章だ。
まあ、そんな詮索はさておいて、素直に読むと、この提言の内容、というか意図を整理すると次のようになる。

 1 大沢は、「緑と水の公園都市」を標榜する三鷹市を象徴する三大拠点のひとつ。(だから、計画性をもって整備を進める必要がある)
 2 大沢の地域資源は多様である。(周辺エリアまで拡大すると総計26にもなる大沢の地域資源は、野川公園や大沢緑地などの「自然系」が10、大沢ふるさとセンターや市民農園などの「学習系」が6、出山横穴墓や古民家(箕輪家)などの「歴史・文化系」が5、大沢野川グランドや大沢総合グランドなどの「スポーツ系」が2、国立天文台と国際基督教大学は「複合系」(自然系+学習系+歴史・文化系)で2、に細分される)
 3 多様な地域資源を有効活用するためには、総合的なソフト設計が必要。
 4 「みんなで守り育てる大沢」をテーマとし、明確な将来像を掲げる。
 5 地域内外の、多くの人々が連携・協調する場(ネットワーク)を確立する。
 6 提言の実践に際しての留意事項:①地元の支持 ②後継者育成 ③品位の確保(ルールづくり)

 新車(しんぐるま)は、上のような、大きな地域計画の実現化のためのエンジンとして利用されるのではないか。なぜなら、すでに、見学者が年間7000人を超える実績を有しており、種々の予算化の論拠・口実に使える。
とすれば、半分昨日の話しにもどり、新車(しんぐるま)にもうすこしお金をつぎ込んでもいいのではないか、と思う。

 

解説員連絡会(3)-5

2007-07-09 09:53:06 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 今日のネタは、配布された資料の中の、平成19年度文化財関連予算。

 平成19年度の文化財関連予算の総計は、約66百万円であり、内訳として、歴史・民族等文化財関係費が約10百万円、水車経営農家関係費が約4百万円、埋蔵文化財関係費が約52百万円、だそうだ。
市の一般会計予算総額、約56583百万円のほんの0.1%、市民一人当たり、わずか400円程度、ということだ。文化財保存に費やされるお金がこれらで全てだとはとても思えないのだが。

 本当だとすれば、直感は、文化財保存にかけるお金が少なすぎる、だ。その論拠にするため、近隣市、都、国等との比較を試みようとしているが、まだ適切なデータを発見できないでいる。したがって、この方向での議論はしばしおあずけ。

 一方、市の予算には文化財に振り向ける余地がほとんど無い、ことが現実であるならば、文化財保存活動をさらに活発化させるためには、この際、何回か前に書いた「見学者に寄付金を募る」方法を採用してもよいのではないか。

 新車(しんぐるま)でいえば、「水車を動かす」とか「機械をオーバーホールする」とかのためだったら、喜んで義捐金を出してくださる見学者が大勢いらっしゃる、と思う。


解説員連絡会(3)-4

2007-07-04 14:47:57 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 今日のネタは、配布された資料の中の次。

水車屋ぐらし~~峰岸清氏インタビュー記録報告書~~文化財シリーズ第28集~~三鷹市教育委員会~~75p

 平成14年夏に聞き取った話を、平成18年度の予算を使って活字に起こしたもののようだ。
「しっかり勉強しなさい」との意図であろうか、配布された。

 内容は、ほぼすべての精米・精麦・製粉関連設置機器と、主要な民具(万石通し、槽(ふね)、箕、斗桶、升、桑くれ台など)の使いかた、について、峰岸さんのお話。技術史の観点から、珍重される文献のひとつになるのではないか。

 いろんな想像生まれ、楽しい読み物となってもいる。
通読して、例えば、次のようなことについては、もうすこし深く追ってみたい、と思った。

1 水車への水のかかり様については、相当なノウハウがあるようだ(p3)。
2 巻き板についても、ここ独特のノウハウがあるのではないか(p7)。
3 野川側の碾き臼(この施設のウリのひとつ)を清さんは動かさなかった(p13)。なぜか?
4 水車の時代、歯車に挟まれて亡くなった話はあちこちで聞いたことがある(p25)、そうだ。
5 所要時間について、機械精米、1時間/60kg(p27)、小麦機械製粉、4時間/60kg(p32)、だそうだ。石臼の製粉のほうが早い時もあったらしい(p33)。
6 ラーメンのスープの素を粉砕したこともある(p34)。
7 押し麦機や精麦機は最初水車動力で動かした(p38)。

などなど。


解説員連絡会(3)-3

2007-07-03 10:19:17 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 今日は、過日送付された資料の中の「平成18年度 見学者数」が種。
平成18年度の見学者総数は7844人であったそうだが、資料は、この数字を月別曜日別にブレイクダウンしている。つまり、72個の数値(6曜日(火曜休館)*12ヶ月)で構成された表があって、それをもとに、総数7844の中身について考えてみたい、ということ。

1 見学者数の月平均と日平均は、それぞれ、およそ654人、22人。
2 見学者の多い月は、10月(1143人)、4月(955人)、5月(930人)などで、見学者の少ない月は、8月(280人)、12月(323人)、7月(367人)など。10月の日平均見学者数は45人、8月のそれは11人。
3 週末の見学者総数は、4358人(全体の56%)、日平均としては、およそ42人で、平日の見学者総数は、3486人(全体の44%)、日平均、およそ17人。
4 4月の土曜、日曜および10月の日曜は見学者が特に多かった。おそらく、週末日平均(42人)の倍を超えていたと思われる。逆に、8月の土曜や12月の日曜は平日日平均(17人)と同程度と思われるほど少なかった。
5 見学者が最も少なかったのは、7月の金曜日で、トータル(たぶん4日間)8人。
6 平日の見学者数には、市内小学校の授業としての見学(6月と10月か?)含まれているようである。これを考慮すると、見学者数の総数は7000程度とみるべきか。

 なぜ、こんなことを書くか。
どういうわけか、見学者の来訪が重なるのだ。せっかく来ていただいても、説明させていただく機会ができず、残念に思うことが少なくない。
できることなら上の考察を参考に、ゆっくり見学していただければ幸いだ。

いずれにしても、結論として次のことが言えます。
 1 春や秋に比べ、夏や冬はすいています。
 2 週末に比べ、平日はすいています。

そして、解説員としての経験からですが、

 3 開館直後(10時)や閉館直前(15時)はすいています。ただし、開館直後には団体が入ることがあります。

以上、かくのごとし。なんともしまらない、あたりまえの結論になってしまった。

なお、今年度第一四半期の見学者数は、明らかに前年度を上回っている印象だ。また、見学に30~60分の時間を割いていただければ十分、と思う。

そのうち、市役所・水車博物館のHPにも、上のような情報が載るようになるでしょう。