水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

解説員として(175)

2014-07-31 15:34:30 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

到着したときには、すでに市職員が垣根の剪定にいそしんでいた。近隣や歩行者への懸念から、らしい。

そして10時ちょうどには、新聞社の記者がいらっしゃった。

役所との話は済んでいるようで、「見学者向けの解説を!」とのご希望。

1時間をかけ、「熱心な見学者用解説」を開陳した、つもり。

ご満足いただけただろうか?

10日以内には、記事になるらしい。

新聞は朝日、児童生徒向け紙面、とのことだ。どのような記事になるか楽しみだ。


結局、このほかの見学者はなし。

時間つぶしに読んでいた本(呪の思想、白川静/梅原猛対談、平凡社ライブラリー、2011)に次のような記述があった(p153)。

梅原:孔子を理解するには論語一書に尽きますかね。
白川:そうですね。読むものとしてはね、論語がやはりいちばん優れている。

論語を読み切った次を何にするか考え中なのだが、尊敬する知の巨人お二人の、この言をたよりに、儒教関連書はもう読まない、と決めた。


論語(484)

2014-07-29 09:12:25 | 論語
信而後労、信而後諌(子張第十九の10)

信(ありて)労す、信(ありて)諌む

人様に対し、なにか頼みごとをするにしても、言いたいことを言うにしても、その人との間に信頼関係が存在しなければならない。


これも、子夏の言。

原文は、君子と民との関係として論じている。
ここでは、心臓部を切り出し、上のように読み、解釈するようにした。
揮毫の機会があったら(あるはずがない!)、なんて考えちゃったが、なかなかいい語感だと思う。


こちらは信頼している(と思っている)のに、実は相手からは「信頼されていない」、なんてことが、世の中多いものです。
日米関係なんてその典型でしょうね~。

論語(483)

2014-07-28 10:35:43 | 論語
君子有三変(子張第十九の9)

君子に三変あり

(ひとりの)君子には三つの異なった外見がある。

・ 遠目に見ると儼然(ゲンゼン):きっぱりといかめしいこと
・ 接すると温(オン):あたたかい(まるでヌルマユのように)
・ 言葉は(ハゲ)し:きびしい(きれあじするどく)

ここも、孔子ではなく子夏の言。


儒教が、今も深く生活に根付いている、お隣の国々の国家代表をテレビで見ていると、この三変を意識なさっているに違いない、と見えてくる。

そんなにかっこうつけなくてもいいのに、とつい言いたくなってしまう。

そもそも孔子は、君子本人は自然体であるべき、と説いているはずだからです。

論語(482)

2014-07-25 09:16:09 | 論語
小人之過也必文(子張第十九の8)

小人の過つや必らず文(カザ)る

まともではない人が過ちを犯すと必ずいいわけをする。


ここも孔子ではなく、子夏の言。


カザル、と読ませる漢字がいくつかあるが、互いに微妙に意味合いが異なるらしい。

飾=かざりたてるなどして、質を上げる。文の上
文=いろいろとりまぜ見事にすること
賁=うわべを鮮やかに見せること。(例:賁軍(フングン)=やぶれいくさ)


自らの間違いに気づいたら、なるべく早く潔く、その罪を認めるべきである。
ゴチャゴチャ言いわけしない! 昔、父親からやかましく言われたっけ。


今朝のネットニュースの中で気になった記事がひとつ。
渦中の女性研究者を、天下の公共放送が、逃げ込んだホテル内で1時間も追い回したそうだ。

なにがあったのか、事の詳細は知らないのでおおきなことは言えないがただひとつだけ。追い回す相手が違うでしょう、と言いたい。

報じられているような研究姿勢を認めてきた、出身大学や研究機関の教育者/先輩研究者達をこそ、追い回すべきだ。

地位の上にいる者ほど責任を追及されない、この国の現状から、明るい未来を展望することはできない。

解説員として(174)

2014-07-24 18:27:40 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

朝の天気予報は「猛暑日となる」だ。
その上、1330頃、次のような市役所の放送があった。
「ただいま、光化学スモッグ注意報が発令されました。外歩きは控えましょう」。

当然のことながら、見学者ゼロ。

図書館で借りた、書評本の読書で時間をつぶした。
快楽としての読書、丸谷才一、ちくま文庫

読みたい本をいくつか発見。

思わずメモした話のいくつかを下に示す。

・ 漢文の、今のような訓読みは江戸末期だそうだ。遣唐使廃止(AC900年ごろ)までは中国読みをしていた。
・ 古代の妻問いは、月夜の晩のみ、人目をしのんで行われた。新月とか、雨の夜とかは妻問いはしなかった。
野放図に行われていたわけではなく、厳しい制約に縛られていた、らしい。
・ 今、馬の鳴き声を、ヒン、ヒヒンと表現するが、古代の国語にはHの音がなく、馬鳴き声は「イン」と表現されていたそうだ。
・ 正岡子規は古今和歌集(つまり、紀貫之)をボロクソにけなしたそうだ。


しかし暑かった。雲がかかっているのに、目がくらむような暑さであった。



論語(481)

2014-07-22 10:05:47 | 論語
君子学以致其道(子張第十九の7)

君子は学を持って其の道を致す

君子は学問をし続けることで、人としての生き方を高める。


これも、子夏の言。
次のような、標記の前の文が気になる。

百工居肆以成其事

一般には、
「百工は肆(シ)にいて以って其事をなす」と読ませ、「職人は工場でものづくりをする」
と訳している。が、少なくとも大字典には「肆」に工場の意味は出ていない。

そこで、
「百工は居肆(キョシ)を以ってそのことをなす」と読み、「職人は、自分の思いを精一杯こめてものをつくる」と解釈したいのだが、いかがだろうか。

久しぶりの、独断偏見解釈でした。


論語(480)

2014-07-21 05:55:14 | 論語
博学而篤志、切問而近思(子張第十九の6)

博く学びて篤く志し、切に問い近くに思う

視野を広くもって志を大切にし、(常に自分に対し)疑問を持ち身近なことに思いを馳せる


そういう人を「仁」がある、と言うのです。(仁在其中矣)


これも、孔子ではなく、その弟子、子夏の言。

たぶん、仁徳のある人になるには日常どのように過ごすべきか、ということを説明したのだ、と思う。

異論はありません。


昨夜は大雨であった。今朝は涼しい。いよいよ梅雨明けか?

ガザ、ウクライナ、どうなるのだろう。長年にわたる民族間の憎しみを根にした国家間紛争は国際的混乱を拡大かつ複雑化する。
ノホホン坊やが首を突っ込むと、とんでもないヤケドを負う。




論語(479)

2014-07-18 09:07:04 | 論語
日知其所亡、月無忘其所能(子張第十九の5)

日にその亡き所を知り、月にその能くするところを忘れず

毎日、自分に足りないところを確認し補おうとする、と同時に、会得したと思ったことについても忘れまいとする、(努力を惜しまないこと)。


この節も、子夏の言。

好学者=学問好き、の定義。


「好きこそものの上手なり」ということでしょうか。
しかし、「下手の横好き」というのもありますなあ。


論語(478)

2014-07-17 09:31:46 | 論語
雖小道必有可観者焉(子張第十九の4)

小道と雖も必ず見るべきものあり

なんでもない小道にも心を打たれるものが必ずある。


これも、孔子ではなく子夏が言った言葉だそうだ。


一芸に秀でることの重要性を指摘しているわけではない。
というのは、このあとに続く言葉が次の四字熟語だからだ。

「致遠恐泥」(チエンキョウデイ)=道を究めようとするとき、ぬかるみに足をとられぬようきをつけよ。

君子、つまり、人間としてまともな者は些事に目を向けてはならない、と言っている節。


凡人の悲しさは、気になる物ごとが、些事であるかないか、判断つかないことである。


論語(477)

2014-07-16 09:48:43 | 論語
我之不賢與、人将距我(子張第十九の3)

我の不賢こそ、人将に我をふせがん

わたくしめが至らないから、人様はわたくしと付き合おうとはしないのです。


この節も、孔子が直接言った、とは書いていない。
やりとりがやや複雑なので、整理すると、次のようになる。

① 子夏(孔子の弟子)の門人(孔子の孫弟子)が、子張(孔子の弟子)に、人様との交友に関し気を付けるべきこと、をたずねた。
② 子張は、君たちの先生、子夏はなんとおっしゃっているのでしょうか、と聞いた。
③ その答えを聞いて、子張は、「私が先生(孔子)から聞いた話と違うね」と言い、説明した。

子夏の門人が答えた「交友」:よい人とはつきあい、よくない人つきあわない(可者與之、其不可者距之)

子張が言う「交友」:君子は賢人を尊敬すると同時に、一般人ともつきあうし、善を大切にするけれども、至らない人ともつきあう。私自身が大賢であれば、人様が私を受け入れない理由はないでしょう、わたくしめが至らないから、人様はわたくしと付き合おうとはしないのです。
(以上のことからして、よくない人とはつきあわない)、という論はなりたたない、(と思いますよ)。


孔子の説は、子張の説明に限りなく近い、とは思います。が、が~。

子張が、子夏に対し張り合っている印象が強い文章で、気分よく読めた、とは言えませんでした。
同輩なのですから、フォローがあってもいいのではないでしょうか。

一般人は、子夏の説明に納得するでしょうに。

論語(476)

2014-07-11 09:05:52 | 論語
執徳不弘、信道不篤(子張第十九の2)

徳を執(ト)ること弘からず、道を信ずること篤(アツ)からず

善行の実践も道義に対する信念も中途半端(な人)


この節も、子張が言ったと書いてある。

善行の実践も道義に対する信念も中途半端な人は居ようが居まいが関係ない、と言っている、と解釈した。

「居ようが居まいが関係ない」と訳した原文は、「焉能為有、焉能為亡(いずくんぞ能く有と為し、いずくんぞ能く亡しと為す)」


ちょっと、ちょっと! 孔子さんがおっしゃる言葉ような「やさしさ」、が欠けているような気がします。

世の中、99%の人が、孔子一門に入りえない、中途半端な人間ではないでしょうか。
儒教は、そういう人々を激励する宗教であるわけですから、この子張さんのように、突き放すような言い方はいただけません。

というのが、凡人の率直な感想です。

論語(475)

2014-07-09 05:53:37 | 論語
士見危致命(子張第十九の1)

士、危きを見ては命を致す

(人間として)まともな人は危険に遭遇すれば命を投げ出す


孔子の弟子、子張が言った、としている節で、士の基本条件、四つのうちのひとつ。
四つを挙げると、

・ (人様が)危険であることを見たら、自分の命をなげうって助けにまわる(逃げない!)。
・ 義にかなっている収入のみ手にする
・ 神・仏・先祖を敬う
・ 葬儀は失礼のないようにする


「士」は、当時、「官吏」の意味合いで使われていたようだ。
今の世の中で誰を指さすのがいいだろうか?
議員さんですかね~。

金もうけに走ってほしくない。弱者に温かい目を!
私が考える、議員としての基本条件です。


論語(474)

2014-07-07 11:12:38 | 論語
周有八士(微子第十八の11)

周に八士あり

周に八人の立派な人がいる。


この節も、孔子言った、とは書いていない。
なおかつ、上の文に続いて、八人の名が書いてあるのみ。
意味合いがわからぬ、変な節だ。

ちなみに八人の名は、
伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季駒、季騧

性がふたりづつ同じだ。親子か兄弟か?

なにがなんだか、とにかく、わかりません。

論語(473)

2014-07-04 09:44:24 | 論語
無求備於一人(微子第十八の10)

一人に備わるを求るなかれ

(リーダーたるべき人間は、特定の)一人に多くの責任を預けてはいけない。


この節は、孔子が言った、ではなく、魯国の建国に携わった周公がその子供に言った、と書いている。


君主が取るべき態度
・ 親族をじゃけんに扱わない
・ 親族の登用に関し、不満が出ないよう心配りをする
・ 古くからの知り合いは、よほどのないかぎり、じゃけんに扱わない

そして上
・ えこひいきをしない。


立身出世に伴って群がりくる親族や旧友をどのように扱うべきか指南している。
一言でいえば、如才なく穏便に、ということであろう。

孔子の教えとしては、これはないんじゃないの、というのが率直な感想。
論語にも駄文があります、と云う際、エビデンスとして、取り上げることができるのではないでしょうか。



解説員として(173)

2014-07-03 14:40:03 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

サイクリング途中の、近隣市お住まいの女性、一名。

「前から気になっていたのですが、拝見させてください」

才気あふれる見学者とのやりとりにより、気持ち良い時間を過ごせた。
これ、少々強がりかもしれぬ。実際は、鋭い質問が矢継ぎ早で、こちらの眠気は吹っ飛んだ。

そののち、大挙、24名の団体さんのご入来(事前予約はなし、のようでした)。川崎市から、野川ハイキングにおいでのみなさん。
「手短に!」とのご要望だったので、説明は水車本体前で簡単に済ませ、あとは、見回っていただき、ご質問に対応するようにした。
帰りがけに、「もうすこし時間を割いて聞くべきだったかな」との感想をもらった。

100円ぶんのご損をおかけしたつもりは毛頭ない。