水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(38)

2011-03-31 13:44:55 | 論語
相維辟公、天子穆穆(八佾第三の2)

相(タス)くるはこれ辟公(ヘキコウ)、天子穆穆(ボクボク)

大辞林によれば、
穆穆(ボクボク)=やわらぎうるわしいさま。つつましく威儀のあるさま


(天子の家来である)辟公(諸侯)による補佐がきちんとしていれば、天子は安泰だ、ということだと思う。

前回と同様、今回も孔子は、分をわきまえよ、つまり、諸侯の家来がいかに天子を大事に祭ろうと天子が喜ぶことはない、と言っているらしい。

江戸時代、同じ500石の武士であっても、大名の家臣は陪臣と呼ばれ、直参旗本より一段低く見られていた。

支配のためのピラミット構造を支える基本理念ととらえるべきであろう。





論語(37)

2011-03-29 09:45:35 | 論語
是可忍也、孰不可忍也(八佾第三の1)

是を忍ぶべくば、孰(イズレ)を忍ぶべからざん

これが我慢できるなら、どんなことだって我慢できる。これだけは、絶対に我慢できない!


孔子が季氏の行為について言った言葉。
是=八佾(ハチイツ)=中国古代における、天子の前でのみ許される舞。八行八列計64人による舞

当時、天子は八佾、諸侯は六佾、大夫は四佾、士は二佾と決まっていたのに、季氏は(己の分をわきまえることなく)八佾を強行した。

孔子はこのような、分を逸脱するような行為を嫌う。儒教を基本理念に使った支配階級にとっては、まさにそこが都合がよかった。穿った見方をすれば、孔子の支配階級に対する諂いであるかもしれない。


福島第一原発から、余儀なく退避させられている方々にとって、今、「是可忍也、孰不可忍也」であることだろう。
種々の経緯があるとしても、だ。





論語(36)

2011-03-28 12:23:02 | 論語
見義不為、無勇也(為政第二の24)

義を見て為さざるは、勇無き也

誰でも知っている、有名な言葉だ。
人として歩むべき正しい道、に進まないことは、勇気がなく臆病なことだ、の意と解釈する。


この語の前段、つまり、「非其鬼而祭之、諂也」(無関係な人の葬祭をおこなうことは諂(ヘツライ)である)とあわせて読むと、

孔子のいう義=人として歩むべき正しい道=一族の祖先に関する葬祭をおこなうこと、ではないかと思える。

儒教の教えが行き届いた地方、例えば韓国・朝鮮では、同族の結束が極めて強い、と聞くが、「義」の定義は本来狭いのかもしれない。


しかししかし、やはり、この場合、「義」を「浩然の気」(道義に基づいて行動し、自らがかえりみて心に恥じる所なく、屈せずたゆまざる強きたけき徳。道徳的勇気(大字典))と解釈したい。

今、未曾有の大災害を受け、日本の至るところで、たくさんの、義を見て為す勇気、が発露されている。
必ず、復興する!








ごまめの歯軋り(2)

2011-03-27 08:48:50 | ごまめの歯軋り
福島第一原発は、どうも先が見えない。
いくつかの疑問を列挙しておく。

・ 頭脳がパニックっているとしか思えない。原発のようなシステムは必ずシミュレーションモデルがあって、事故発生と同時に、それをコンピュータで動かし、順次打つ手を決めるはずだ。が、どうもその気配が感じられない。事故直後の停電による混乱からはもう抜け出したはずなのに、なにをやっているのだろうか?
もし、シミュレーションモデルがない、なんていうことになったら、今やっていることは、昔の特攻隊に近い、極めてお寒い状態です。非定常モデルだから、容量的に難しい、と30年前は言われていた。今はどうってことないでしょうに。

・ 第二原発は見事に収束した、と理解している。第一と第二でのこの違い、の原因はなんだったのだろうか?

・ 何回か水素爆発があった。マスコミは、その詳細を分析・報道しない。なぜか?
TNT爆薬に換算してどれほどの量に相当する爆発だったのだろうか?それがわかれば、ダメージを受けた場所や程度を、かなりの確かさで押さえられるでしょうに。
さらに、それほどの水素が発生するためには使用済み燃料プールでどのような現象が発生したのだろうか?
それがわかれば、使用済み燃料プールからどれほどの放射線や物質が出ているか、推定できるでしょうに。

・ 原発は、人が完璧にコントロールする、ことができないシステムであったのだろうか?
東京消防庁の出動や生コン圧送機械を導入しての放水を見て、唖然とした。
重武装原子力事故対策部隊を、電力会社も国も持っていないのであろうか。

・ 一体全体、峠を越すまでどれほどの時間がかかるのであろうか?
最前線で奮戦している人材にも限りがあろう。長期戦に備えた、分厚い人的ロジスティックスが準備できているのであろうか。
そしてなにより、退避(疎開ですよ、これは)せざるをえない原発周辺地区住民のケアは、もっとおおがかりにやるべきでしょう。国会議員の出番だと思うが、彼らの動きがどうして報道されないのだろうか。動いてなかったりして。笑えないブラックジョークですよ、本当に!


 つい先ごろ、我々は「対案はあるんです!」と啖呵をおきりになった某国首相を笑った。
が実は、某国指導者層全体(という事は某国国民全体じゃ)が、人様を犠牲にすることをなんとも覚えない我欲の塊のような人たちだ、と世界から笑われている。

論語(35)

2011-03-25 11:40:12 | 論語
十世可知也(為政第二の23)

十世(ジュッセイ)知るべきや

弟子の子帳が孔子に対し、十代前(の政治制度)について知ることはできるでしょうか、と質問した。


 孔子の答えを意訳すると、次のように解釈できる。

殷(イン、紀元前17C~紀元前11C)は、その前の王朝である夏(カ、紀元前21C~紀元前17C)の制度を土台にしている。周(シュウ、紀元前11C~紀元前8C)は、やはり同様に、その前の王朝である殷の制度を土台にしている。このことから、前後する王朝の差異を調べることによって、前代において施行されていた制度を追っていくことができえる。つまり、たとえ百代であろうと、知ることは可能、というわけだ。

 周の滅亡後、秦が成立する紀元前3Cまでを春秋戦国時代という。孔子はその時代のどまんなか、で活躍した(紀元前551年生まれ、紀元前479年没)。
今日、我々が見聞する思想哲学すべてのプロトタイプがこの時代にできあがってしまったのだろう、と想像している。
混沌とした、面白い時代であったに違いない。



論語(34)

2011-03-23 10:14:27 | 論語
大車無輗、小車無、其何以行之哉

大車(タイシャ)輗(ゲイ)なく、小車(ショウシャ)(ゲツ)なくんば、其(ソレ)何を以って之を行かしむか

輗、および:例えば、平安時代の牛車。その、車体部から前方にのびる二本の棒を轅(ナガエ)といい、それらの先端を繋ぐ横木を衡(クビキ)という。衡の、先端部(横に突き出ている)を輗、もしくはという。
大車と小車との間に明快な線は引けないらしい。


輗、がなければ車を自在に動かすことは不可能です、という意だ。

この前段に、

人而無信、不知其可也(人、信無くんば、其の可なるを知らざるなり)

とある。

孔子は、集団で物事をなしとげようとするときのキイは信(言動にウソ・イツワリのないこと)であることを輗に例えたのだと思う。

 
 大部分の時間がワーワー騒ぐだけのテレビ画面からでも、ときどき、被災現地での堅固な信の存在を感知できることがある。例えば、アクセス道路の開通に向けたすばやさ・見事さ、あるいは、たぶん真っ暗闇だったであろう原発コントロールルームの中での手探り対応、などだ。重苦しい時間の中でのうれしい瞬間だ。必ず復興できる。

被災地の最先端で奮闘なさっておられる方々を心底尊敬します。




 

論語(33)

2011-03-22 11:27:42 | 論語
孝干惟孝、友干兄弟、施於有政(為政第二の21)

コウウイコウ、ユウウケイテイ、ユウセイに施す。


これは、お手上げ。ペンディングトレイに入れることにする。が、自分の今の解釈を整理しておく。

干:干し物の干(カン)ではない。縦棒の下が左に跳ねねばならない。音読みはウ。訓読みはココニとかニとか。あるいは強勢の助詞としてよいかもしれない。

政:一般に、まつりごと、の意で使われるが、古くは、人を鞭撻して正道に導くこと、の意に用いられていたらしい。

「孝干惟孝、友干兄弟、施於有政」を「親孝行とか、友人・兄弟をおもんぱかること」と解釈したい。


そもそもこれは、ある人が孔子に「あなたは、どうして政治(まつりごと)にたずさわらないのですか?」と質問したことに対する答えの冒頭にあたる。

その答えが、「ある本にこうあります。」、「孝干惟孝、友干兄弟、施於有政」、「これも政治(まつりごと)です。政治(まつりごと)をおおげさに取り上げたくないのです」、というわけだ(かなり、独断的意訳)。


今朝の新聞を見て、昨日のテレビ会見時におけるハイパーレスキュー隊隊長の涙の意味がわかった。
あれは悔し涙だ。
政府側から、彼らの業務に関し、「○○をしないと、処分するぞ!」と脅されていたらしい。
○○の内容はまださだかではない。が、司令塔にこんな連中をいただく組織、すなわち国、はもつはずがない。リビアと同じではないですか。

なるべく多く(できれば全て)の人々の心を合わせないと、今の国難を克服することはできない。
そして、政治の根幹が「孝干惟孝、友干兄弟、施於有政」にあることを、指導者達は忘れないでほしい。

そして我々は、
我欲はすてよ!日々の生活をつつましく、つつましく!

ごまめの歯軋り(1)

2011-03-18 10:12:42 | ごまめの歯軋り
「201103111446」

 地震・津波・原発の三重同時災害が、ちょうど一週間前(2011年03月11日14時46分)発生した。
あのとき、未曾有の大災害であることは直感できた。が、原発がこんなことになるとは想像できなかった。
今、茫然自失状態だ(多くの方々の訪問を受けているにもかかわらず、ブログを更新できなかった。お詫びする)。

 「194508151200」(1945年08月15日12時00分)
原爆被災を含む国土荒廃から戦後復興の長い苦難の道が始まった時刻だ。

 今回も我々は、上の数字を始点にして、原発事故という放射能災害を抱えての国土荒廃から、立ち上がる。
(天皇もそう思っておられるようで、昨日テレビでお言葉を発露なさった。)

今被災地の最前線で戦っている方々に対し、心の底から敬意を表する。

そして我々は、心の持ちようを、平時から非常時に切り替え、彼らに心を合わせねばならない。
そうしなければ、彼らは萎えてしまう。

ロディスティクス(後方支援)を徹底充実させよ!

 幸いにも、西日本は無傷だし、国力は敗戦時よりずーっといい。必ず、日はまた昇る。
それを信じ、ガンバルのだ。


 しかしそれにしても、この国の民の精神がこれほどまで劣化していること(多分に、自分に対し言っているのだが)に、これまた絶句状態だ。

このブログの本来の趣旨に沿うかどうか、おおいに迷ったが、腹に据えかねることなどを、新しく設ける標題(ごまめの歯軋り)のもとで書くこととした。







 



論語(32)

2011-03-11 10:29:04 | 論語
以荘則敬、孝慈則忠(為政第二の20)

荘をもてばすなわち敬す、孝慈なればすなわち忠(あり)。


リーダーの統治能力に求められる基本は、荘と孝慈(のバランス)、だ、と言っていると思う。

弟子の「使民敬忠以勤、如之何」(民をして敬忠にして以って勤ましむるに、之如何(コレイカン))という問に対する孔子の答えだ。


さて、「荘」をどう解釈するか?

「荘」のクサカンムリをとり、「壮」と考える。
サカンと読む漢字の相互比較をすると、

盛=栄枯盛衰の盛、勢いのピーク
隆=ふっくらとおおきいこと
熾=火の燃え盛り
昌=日光のひかり
壮=強くどっしりしていること

ということで、「荘と孝慈」を「強さとやさしさ」と解釈した。月並みか~~。

論語(31)

2011-03-10 10:42:24 | 論語
挙直錯諸枉、則民服(為政第二の19)

直(ナオ)きを挙げて枉(マガ)れるを錯(オ)けば、則(スナワ)ち民服す。

上に続いて、挙枉錯諸直、則民不服、とある。


いくつかの解釈があるらしいが、素直に(とんでもない独断かもしれないが、)、次のように解釈した。

「リーダーたるべき人間は正邪を峻別せねばならない」。

この解釈の根拠は、辞書をペラペラめくって、錯=措(ソ)、諸=無意味の助辞、枉=曲、に行き着いたからだ。


 ここまできて、「挙直錯枉」に反するような姿勢もリーダーとして広く容認されることに、ハタと気づいた。

そう、清濁併呑(セイダクアワセノム)、だ。

出典はどこか?史記らしい。


どっちがいい、とは言えませんな。どっちもありです。

古文書講座(5)年貢割付状(4)

2011-03-08 09:56:21 | 三鷹・歴史/地史
大沢村には、土地以外にも、次のような年貢があった。

・ 水車運上 永220文

 天明7年(1787年)の割付状であるから、「しんぐるま」はまだ設置されていず、上流の「おおぐるま」に課せられた年貢であろう。運上=金納の年貢・雑税。商業・工業・漁業・運送業などに対する営業税もしくは免許税。

・ 御伝馬宿入用 米1斗9升4合

 布田5宿に供出していた、と思う。伝馬宿では公用の通信・連絡のために、人馬を常備しておかねばならなかった。
布田5宿、といっても、合計10軒の宿があるほどの小さな宿場であった。30軒以上もある隣の府中に比べ、運営は楽ではなかった、と思う。
「しんぐるま」の近くにある、近藤勇の生家・宮川家は甲州街道沿いに、あらゆる面で強い影響力を持っていた家だったそうだが、それは、この伝馬の調達に関する采配をふるっていたからだ(当然のことながら、幕府を後ろ盾にして、だ)、という話がある。非常に興味深い家なのだ。

・ 六尺給米・御蔵前入用 米永 助郷に付免除

 六尺=当時、幕府雇用の人足を呼ぶ公用語。江戸城の中にも大勢いたであろう。大沢村の供出米は蔵前用であった。ただし、これは助郷をすることによって、免除。
助郷=宿場(この場合、布田5宿)での人馬が不足した場合、その不足分を供出すること。

今日考えれば、六尺給米を負担し、助郷を免除してくださいと言えそうだ。が、たぶん、それは決して言えなかった。
つまり想像するに、これは、「助郷を出せ」という命令、だと思う。六尺給米免除は単なるカザリ。





論語(30)

2011-03-07 12:17:44 | 論語
言寡尤行寡悔、禄在中矣(為政第二の18)

言に尤(トガメ)寡(スク)なく、行に悔(クイ)寡なければ、禄(ロク)はその中にあり

給料がほしいなら、人様から非難されるようなことを言ってはいけないし、行動に失敗があってはならない。


弟子の子張が、「禄を干(モト)めんことを学ぶ」(給料がもらえるようになりたいのですが、どう仕掛ければいいのでしょうか)と言ったことに対し、孔子の結論が上である。

上の結論にいたる前に、孔子は、可能な限り見聞を広め、その中から、自分が信じることができることのみを、言動に表現すれば、尤も悔も少ない、と言っている。


宮仕えの奥義、と言っていいだろう。昔も今も、KYはいけません、ということだ。

儒教が支配者層に好まれた要因のひとつが、この辺にあるのかもしれない。


 

古文書講座(4)年貢割付状(3)

2011-03-04 09:46:31 | 三鷹・歴史/地史
田畑以外の土地に対する課税


・ 林銭、8.14ha、 2貫104文
・ 藪銭、3.25ha、   492文
・ 芝野銭、7.57ha、1貫527文
・ 芝銭、31.73ha、 1貫601文
・ 草銭、0.22ha、    41文

 講師の説明によると、林は屋敷林および斜面林、藪は竹林、芝野は高位台地で潅木の生えた草地、芝はススキの生えた草地、草は野川沿いの低湿地、だそうだ。

 武蔵野台地は西暦1500年代まで一面ススキの原っぱであったそうだ。そこに入植者が入り、屋敷を建て、その周りに樹木を植え、田畑の開墾にいそしんだ状景が目に浮かぶではないか。

 「芝」は「柴」とするほうが感じが出る。林、芝野、芝は薪炭燃料調達地であったに違いない。

まあとにかく、約41ヘクタールの未開発地に、今日の金銭感覚で言うと約10万円ほど課税されていた、と考えていい。


 現在、大沢地区は1丁目から6丁目に区分されていて、その総面積は283ヘクタールである。
江戸時代に開発が進んだ地域は、主として低位台地(しんぐるまが立地する台地)であって、今の大沢4丁目~6丁目に該当する。その合計面積は101ヘクタールである。
一方、年貢割付状で課税された、土地の総面積は131.4ヘクタールである。

 このことから、何がいいたいか?
非常に荒っぽく結論にもっていくと、当時の高位台地(武蔵野段丘面)は、ほとんど開発の手が入っていなかった、といいたい。
なぜなら、高位台地上の課税対象面積は20.4(131.4-101)ヘクタールであって、それは、大沢村に属する高位台地上面積の約11%(20.4/(238-101))にすぎないからである。


 見学者の多くは、土蔵にぶらさげられた、3枚の土地利用図の説明を興味深げに聞いてくださるし、質問も多い。上の整理はその説明の補強だ。


  

論語(29)

2011-03-02 10:42:10 | 論語
知之為知之、不知之為不知之、是知也(為政第二の17)

知るを知るとし、知らずを知らずとす、是知るなり。


知らないことは知らない、とはっきり言わねばならない、ということ。

知ったかぶりはやめましょう。難しいですな、これは。ついついやっちゃって、恥をかくことが多いです。

人生の中にはときどき、知っていても知らない、と言わねばならぬ立場に立たされることもあります。
孔子はこういう態度をどう評価するのでしょうか?
奥ゆかしい、と評価するのでしょうか、それとも、まずい、でしょうか。そのうち、どう評価するか、出てくるかもしれません。


「之」もなかなか解釈が難しい漢字だ。ここでは、大字典に従い、「口調を緩くする助字」と解釈し、わざわざ読まない、こととした。それでいいか?

解説員として(74)

2011-03-01 18:45:17 | 解説員日記
今日の午後は解説当番であった。

寒い寒い、曇り。見学者は男性お一人のみ。閉館時刻頃には雨まで降り始め、ついていない一日。

来館者との、メモすべき会話は以下、

「このあいだから、どうも気になっていたもので、仕事中なのですが、来てしまいました」

「それはそれは、お時間が限られているでしょうから、急いで見ていただきましょう」

~~~~

「こんなにすごいとは、想像を越えていました。もう一度、今度はゆっくり来ます」

「お待ちしています」

空港近辺に仕事場がおあり、と推察した。


新車に伝わる、人形が飾ってあった。写真に写したが、なかなか品がいい。そのはずだ。銘は元賀章介。
たぶん、先代の作であろうから、けっこうな値打ち物のはずだ。
保管に気をつけてほしい。