水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

万葉集(4)

2016-12-29 10:59:39 | 万葉集
3-340 古の七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にしあるらし
大伴旅人
酒賛歌13首の第三

昔、七賢人と呼ばれた人々がいたというが、その人達も酒に目がなかったようだ


三世紀ごろの中国で作られた故事。
その話が、八世紀初頭の日本の上流階級で広く知られていた、ということを証明する歌だ。

当時、日本の公文書は漢文であったから、高級官僚にとって、漢文は習得必須の学問であった。
遣唐使船で訪中した使節団は、とにかく書籍を爆買いしたそうで、日本人の探求心のおおせいさが、古代から、レンメンと培われてきていたのだ。


万葉集(3)

2016-12-26 14:16:10 | 万葉集
3-339 酒の名を聖と負ほせた古の大き聖の言の宜しさ
大伴旅人の酒賛歌第二

お酒のことを聖(ヒジリ)と呼ばせるようにしてしまった、あの昔の人はなんとすごいことでしょうか


倭人伝でよく知られている魏志の徐邈伝(ジョバクデン)に出てくる話を知ったうえで、この歌が詠まれているのだそうだ。

徐邈は優秀な軍人官僚であったのだが、曹操の禁酒令に抵抗し酒を飲んだ。このため、曹操は死刑にしようとしたのだが、人望が厚く、免職で済まさざるを得なかった。このとき、ある将軍が「酒の清なる者をいいて聖人と為す」と、徐邈をかばったのだそうだ。

ここで、気になることがふたつある。

・ 旅人は、魏志倭人伝の内容(すべてではないであろうが、)を知っていた。事実だとすれば、これすごいことですよ、ほんとに!
・ 現在、酒造会社や酒の銘柄の、名に「聖」がつくものがある。これは、徐邈もしくは、旅人のこの歌をリファーしているのだ。


いいかげんに、諸事をやりすごしていますが、世の中、奥が深いですね~。

万葉集(2)

2016-12-22 12:33:11 | 万葉集
3-338 験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあらし
大伴旅人

しょうもないことをグダグダ考えることをやめて、いっそのこと、ドブロクでも一杯やるほうがよっぽどましだ。


旅人が大宰府の帥であるときに、13首の酒讃歌を作った。この歌はその最初。

ちょうど一年前、講義してもらった歌だ。

これからの年末年始、アルコールに向き合う機会が増えそうなので、13首を順番に見ていこう。

万葉集(1)

2016-12-19 11:53:42 | 万葉集
3-318 田子の浦ゆ打ち出てみれば真白くそ不盡の高嶺に雪は降りける
山部赤人

田子の浦から船をこぎだして後ろを振り返ると、富士の山頂が降った雪で真っ白になっている。


百人一首で有名な、この歌は、このように、万葉集が元歌で、新古今集に採録された歌は、次のように変えられている。

田子の浦ゆ打ち出てみれば白妙の不盡の高嶺に雪は降りつつ


元歌のほうが、直接的で情緒感に欠ける、と思ったのだろうか。
赤人本人が変えたのだろうか? よくわかっていないらしい。

不思議なことに、富士山については、万葉集にはいくつか歌が載せられているのだが、古事記や日本書紀では言及されていないのだそうだ。

また、この赤人についても、人麻呂と並んで歌聖と呼ばれる人であるにもかかわらず、出自や人となりについての情報がほとんどない、のだそうだ。


このように、ひとたび万葉集に手をつけると、わからないことだらけで、もやもやした闇の中に入り込んでいくような感じだ。

歌を鑑賞しながら、未知の古代へ目を凝らそうと思っている。

古今集(250)

2016-12-15 11:16:10 | 古今和歌集
1039 思へども思はずとのみいふなれば いなや思はじ 思ふかひなし
題しらず
読み人しらず

私が、好きだ好きだ、といくら言っても、私はそうではありません、との返事が返ってくるばかりです。ええ~い、こうなったら、もう私はあなたを追いかけません。だって、追いかける甲斐がないもん。


古今和歌集には、恋歌という題で、320首が採録されている。
上の歌も恋歌に入る、と思うのだが、異なったカテゴリーに入れられている。
採録された歌の総数は1111首であるが、その半数が恋歌であるような気がする。

この恋歌の多さに、最近、いささかげんなりしてきた。
恋歌以外の歌については、大体カバーできたので、少々方向を変えよう、と思う。

2年ほど前から、月2回、万葉集の講義を受けている。
大変真面目な勉強家講師による講義に満足しているのだが、聞くそばから忘れてしまう。
あまりにも、もったいないので、今まで説明を受けた歌を、復習の意味から、読み直してみたい。

次回から、そんな方向に舵を切る。

古今集(249)

2016-12-12 16:46:29 | 古今和歌集
320 この川にもみじばながる 奥山の雪げの水ぞ今まさるらし
題しらず
読み人しらず

(もみじはとっくに終わったのに、)川にもみじの葉が(大量に)流れています。たぶん上流の雪が(根雪にならず)溶けてしまったためにちがいない。


この歌は、春歌ではなく、冬歌の最初のほうに出てくるので、たぶん、今頃の季節に詠んだ歌であろう、と上のように解釈した。


街路樹の葉はきれいに落ちたし、街行く人々は忙しそうだし、郵便局は人であふれているし、師走を身近に感じる一日でした。

そろそろ、年末にやらねばならぬう作業の段取りをたてねばならないのでしょうね~。面倒くさいですね~。

古今集(248)

2016-12-08 11:16:20 | 古今和歌集
897 とりとむるものにしあらねば 年月をあはれあな憂と過ぐしつるかな
題しらず
読み人しらず

年月というものは、かってにひきとめるものでもないからだろう。毎日を、あ~よかった、とか、なんとも不愉快ね~、とかをくりかえして過ごしてしまうものです。


今年も、もう12月8日。加齢のせいでしょうか、あっという間の一年でした。
上の歌がいうように、感情に流されるだけの無為な日常を送ってきました。
だから、なんとかせねば、という気にもなりません。
ただただ、流れにまかせているような、~~~~、ふがいないといえばふがいない。

古今集(247)

2016-12-06 10:02:16 | 古今和歌集
1027 あしひきの山田のそほづ おのれさへ我を欲しといふ うれはしきこと
題しらず
読み人しらず

あらいやだ、田んぼの中のあの案山子も私に色目を送ってくるわ。どうしてこうも私はもてるのかしら!


万葉の時代から、田んぼの害獣害鳥除けには苦労が絶えなかった。
いわゆる「ししおどし」も含めさまざまな仕掛けの総称を「そほづ」もしくは「そほど」と呼んでいたらしい。その後、今でいう「案山子」を指すようになったそうだ。

では「案山子」はいつごろから使いはじめられたのだろうか?
どうも、よくわかっていないらしい。「そほづ」と同じころから使われていたのかもしれない。


少々自意識過剰気味の女性の歌として解釈したが、どうだったろうか。


現在、いのししなどによる被害が全国で深刻になるばかりのようだ。
鳥獣害対策に関する古代の知恵をひもといてみるのも面白いかもしれぬ。

古今集(246)

2016-12-01 10:23:01 | 古今和歌集
285 恋しくは見るてもしのばん もみじばを吹きなちらしそ 山おろしの風
題しらず
よみ人しらず

あなたを恋しく思ったときは、紅葉を見て偲ぼうと思います。ですからどうか、風さん、紅葉を吹き散らかさないでください。


きょうはもう 師走に入りました。
これから、なんとなくせわしい毎日をおくることになるのでしょう。
そして、きしこのかたを思い出し、反省せねばならぬことなど、メモでもとりましょうか。