水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

解説員として(96)

2011-11-29 18:33:20 | 解説員日記
今日の午前中、解説当番であった。

見学者は1組2人。

なんと埼玉県は大宮から、わざわざ、西武線多磨駅~深大寺間を歩くためにおいでになった、そうだ。

垣根越しに話しかけ、見ていただいたのだが、後悔はさせなかった、と信じたい。

お帰りがけに、庭の梛(ナギ)の葉を差し上げた。喜んでいただけたようだ。


梛については、ずいぶん前に書いたような気がするが、大辞林をめくると、以下に示す記述がある。

「古くから神社の境内に植えられ、その葉に供物を盛る。また、その葉が切れにくいことから、男女間の縁が切れないように、女性が葉を鏡の裏に入れる習慣があった」


論語(138)

2011-11-28 10:27:55 | 論語
博学於文、約之以礼(擁也第六の27)

広く文を学び、これを約するに礼をもってす(ーーーーそうすれば、人間としてまっとうでしょうね(亦可以弗畔矣夫))。

「博文約礼」という四字熟語で有名な文。

事物の真理を広く深く追求するとともに、人間として行なわねばならぬことをしっかり守ること(が大切です)。


「博文」という名がよくありますが、これはこの論語の文からきているのでしょうか。

すぐに浮かぶのが「伊藤博文」。これは諱、字は俊輔でしたか。

以下はWikipediaから、

松陰は俊輔を「才劣り、学幼し、しかし性質は素直で華美になびかず、僕すこぶる之を愛す。俊輔、周旋(政治)の才あり」と評した。

ご本人が残した言葉、
「大いに屈するを恐れよ。いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ」



論語(137)

2011-11-24 11:10:23 | 論語
可逝也、不可陥也、可欺也、不可罔也(擁也第六の26)

行かしむべきも、陥(オトシイ)るべからず、欺(アザム)くべきも、罔(シ)うべからざるなり


弟子が孔子に、「仁者といわれるような人は、人が井戸に落ちている、と知らせられると、すぐに信じて飛び込むでしょうか」と問われ、「そんなことあるわけないじゃん」と言い、上のように説明した。


すぐに井戸までは行くでしょうが、井戸に飛び込むことはないでしょう。多少だますことはできても、最後までだますことはできないでしょう。


仁者=君子と呼ばれるようになるには、ことの善悪や正邪を正しく見極める目がありますよ。そういう目を育てねばならないですよ、と言っているのだと思う。

近年、振り込め詐欺の類が横行しているが、ことに際して冷静な判断ができるよう、構えていなければならぬ、ということでしょうか。




論語(136)

2011-11-22 14:21:00 | 論語
觚不觚(擁也第六の25)

觚(コ)、觚あらず

觚=さかずき。特殊な用途なのだろうが、それがなんなのか不明。

杯が杯ではない!

意味として考えられるのは、次のどちらかか?

① 杯として使われるものが杯として使われていない。中身が違う。

② 特殊な用途で用いられる杯が、その用途に使われていない。使い方が違う。

同じような意味ではありましょうが、浅学のゆえ、判断つきかねます。

今の心情としては、後者、すなわち、道具には、それぞれ固有の使用用途があるのであって、その使い回しは、世の中を乱すもとだ、と解釈するのが、儒教的と考えます。  

論語(135)

2011-11-21 10:59:25 | 論語
魯一変至於道(擁也第六の24)

魯一変せば道に至らん

魯=古代中国に存在した小国。孔子の母国。儒教の原点ともいうべき教理がいきわたっていたらしい。


魯という国も一皮むければ、道理が支配する、いい国になれるのに。

この文の前段では、斉という国も一皮むければ、魯のような、いい国になれるのに(斉一変至於魯)。


ヒマラヤ山脈に張り付いた小国の国王夫妻が新婚旅行で来日し、我々の心を気持ちよくくすぐってくれた。

彼は日本にあこがれているのであろうか?

我々は、ブータン一変至於日本、と言っていいのであろうか?

とにかく今回、大国の人心をわしづかみにする、小国のみごとな外交を見せていただいた。すごい!


論語(134)

2011-11-18 10:16:14 | 論語
知者楽水、仁者楽山(擁也第六の23)

知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ

知者=物事によく通じた人
仁者=人を大切にする心を有する人

水=動、山=静を意味する、と思う。

物事の道理をよくわきまえている知者は、あたかも水のように行動がよどまない。一方、心を大切にする仁者は、外部の表面的な動きにまどわされることなく、あたかも山のようにどっしりしている。

とでも理解すればいいでしょうか。

思い起こせば、すぐにカッカカッカし、行動はスムーズでなく常にぎくしゃくし、人様の言動に右往左往した、これまででした。知者にも仁者にもなれない人生でした。


論語(133)

2011-11-16 09:38:16 | 論語
先難而後獲(擁也第六の22)

難(カタ)きを先にし、獲(ウ)るを後とす。

「仁とはどういうことなのでしょうか」との弟子に対して、孔子が言った答え。

まず、困難なことを先に解決し、しかるのち利得を得る、ということです。


これを聞いて、世の中耳の痛い人ばかりでしょうな。
難しいことを後回しにばかりしている世の中ですから、仁者はいない、ということでしょうか。


この文の前では、「知とはどういうことでしょうか」との問いにも答えている。

人間として正しく生活し、むやみに神頼みしないことです(務民の義、敬鬼神而遠之)。

「敬遠」(敬い遠ざけること)という言葉が、ここに発しているらしい、と初めて知りました。

これが日本で、野球用語として使われているのだから、面白い。

なぜなら、この意味するところの英語の直訳は、確か「故意出塁」(walk intentionally)というはずだからです。
こっちは実に味気ない、と思いませんか。

解説員として(95)

2011-11-15 19:41:38 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

見学者は、1組お二人のみ。
ゴミ処理問題がこじれた近隣市にお住まいとか。

見学は、満足いただけた、と思う。

散歩ついでに、お立ち寄りになった解説員仲間のお話によると、最近、外国人の数がぐっと増えているそうだ。
英語での説明が求められたときオタオタしないように、少々勉強し、その結果を交換しましょう、ということになった。




論語(132)

2011-11-14 10:08:02 | 論語
中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也(擁也第六の21)

中人(チュウジン)以上には、以って上を語るなり、中人以下には、以って上を語るべからざるなり


これは、どう理解すべきか、悩みます。

中人に上を語っていいのでしょうか、いけないのでしょうか。
以上と以下が同時に使われていますから、どちらにも解釈できます。

そもそも、上、中の意味するところは何なのでしょうか。
辞書(大字典)には、次のようにあります。

中人=普通の人
上人=仏家にて道徳堅固の者の総称
ちなみに、「下人」はありません。が上の反対とすれば、道徳堅固でない者、となります。

つまり、孔子が言いたかったことが、次のどちらなのか判断できない、のです。

・ 普通以下の人と、道徳とか、それを堅固に守る人とかについて、語り合うことはできません。
・ 普通以上の人となら、道徳とか、それを堅固に守る人とかについて、語り合うことはできます。


まあ、どっちをとるにしてもしても、この考えには、素直に「ハイ、そうですか」とは言えそうにありません。

例えば、唐突ですが、獄中においてさえ人を魅了させた(と聞く)吉田松陰は、人を上・中・下に区別することを嫌ったそうです。陽明学派だったでしょうか。
もっとも、彼を、生来のアジテーターと見る見方もありますが。
 

論語(131)

2011-11-11 10:27:12 | 論語
好之者不如楽之者(擁也第六の20)

之を好む者は之を楽しむ者に如(シ)かず

なにかをやるとき、それが好きでやることよりも、楽しんでやることのほうがレベルが上。

それはそうだ。好きでやればストレスは溜まらない。が、楽しんでやれば、アドレナリンの分泌によって、ガンガンやれちゃうのだから。

示した文の前段は次、

知之者不如好之者(之を知る者は之を好む者に如かず)

このあいだの、「なでしこ」達の楽しみようを思い出すにつけ、東京オリンピック当時の選手達の、ギリギリに追い込まれた悲壮感を思い出す。

なにごとにつけ、楽しむ余裕を忘れてはなるまい。

いい時代になっているのだ、と思いたい。

論語(130)

2011-11-09 13:18:13 | 論語
人之生也直(擁也第六の19)

人の生くるは直(ナオ)し

「直」という字は、「十」と「目」と「L」に分解され、「L」は「隠す」という意だそうだ。

したがって、「直」のモトモトの意味は、いかに隠そうとも十の目で見張り、誤りを正すこと、だそうだ。
転じて、今の、ウソ・イツワリなき義となる。

胃カメラを開発した大会社の経理不正が明らかになった。それも20年あまり隠しつづけ、新しく任用した外国人社長によって表に出された。

今まで隠していた人たちはさぞやつらかったことだろう。潔く縛におつきになるべきだ。

「直」を無視して生きていられるのは、たまたま運がいいだけだ(罔之生也、幸而免)、との文が上の文に続く。


がしかし、一般社員の無念さはいかばかりか?
マサカの上から、ドンゾコを見ている思いだろう。
経営にたずさわった者の責任は重い!




論語(129)

2011-11-07 11:01:46 | 論語
文質彬彬、然後君子(擁也第六の18)

文質(ブンシツ)彬彬(ヒンピン)として、然る後君子なり

文=教養
質=自然さ、純粋さ
彬彬=兼ね備えていること

君子と呼ばれるようになるためには、教養と自然さとが適度に兼ね備わっていなければならない。

自然さが教養より勝っていれば野人であるし(質勝文則野)、教養が自然さより勝っていれば史人にすぎない(文勝質則史)。

史人=書記官

宮本武蔵は、沢庵和尚によって書物に埋まった一室に閉じ込められ、見事に、野人から君子に変貌した。

孔子が、今の世の中を見たら、余計な教養を身に着けた人が多すぎる、と言うのではないか。純粋さともいうべき自然さを失ってしまったように思えてならない。

君子出てこい、野人出てこい。

論語(128)

2011-11-06 15:43:50 | 論語
何莫由斯道也(擁也第六の17)

何ぞ斯道(シドウ)に由ること莫(ナ)きなり

斯道=人をいつくしむ道、もしくは孔子が勧める生き方


建物を出入りする際、必ず出入り口を通る(誰能出不由戸者)。
それなのに、どうして、生き方として、定まったところを歩かず、はずしてしまう人達ばかりなのでしょうか、
と孔子が嘆いている、と解釈しました。

彼でも、落ち込むときもあったのでしょうか。
それとも、人間社会なんてこんなものだ、と達観することができない一生だったのでしょうか。

そんなところが気になる文章でした。

論語(127)

2011-11-02 12:41:41 | 論語
祝鮀宋朝(擁也第六の16)

祝(シュク)鮀(ダ)宋(ソウ)朝(チョウ)

鮀、朝は人の名前。祝、宋は官職名か地名。

鮀は弁舌にすぐれていた(たぶん、外見はひどかったのだろう)。朝は外見がすばらしかった(その外見をフルに使って、上流婦人を籠絡し、政界中央にのし上がっていった。しかし、失脚したようだ。)。


おそらく朝の失脚を見て、孔子は次のように言った。

鮀のような弁舌の才(佞)を持たずに、朝のような外見(美)だけで世渡りしようとするのは無謀だ。


ブスオさんが弁舌の才を磨くことは意味あるのでしょうな~。

解説員として(94)

2011-11-01 16:50:37 | 解説員日記
今日の午後、ピンチピッターで、解説についた。

絶好の散歩日和であったが、野川沿いのハイキングを楽しむ人数は少なかった。

午後の見学者は3組、計6名。解説を受け持ったのはこのうち、2組。

いずれも国分寺から深大寺に向かう途中に立ち寄られた、熟年ご夫婦で、望外の収穫、と見学を満足していただけた。もちろん、昔話にも花が咲いた。

ダメモトかもしれぬが、特別公開の見学が可能かどうか、市役所に電話することを勧めた。

16時の閉館時にいらっしゃた、カップルには、「ごめんなさい」、そして、上と同様、特別公開の案内をしておいた。