水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

解説員として(90)

2011-09-29 13:57:47 | 解説員日記
今日の午前中、急遽、解説当番のピンチヒッター。

驚くなかれ、開館時間の5分前に着いたら、すでにお待ちの方々、3人がおられた。

聞くところによると、名古屋から出張でこちらにきていて、時間をあけて見にいらっしゃった、とのことだ。

非常に熱心に見学なさった。質問も的確、こちらタジタジ。

機械製作に携わっておられる方々と推察した。お三方だけでお話になる内容がチンプンカンプンだったからである。

満足げに、お帰りになったので、ほっと安心。


13時までの見学者は、結局これだけ。

テレビ映画制作会社の方がきた。
10/3終日、この周辺でテレビ撮影をする。ご迷惑をかけるかもしれぬが、よろしく、とのこと。
さらに、トイレを使わせてもらうかもしれぬ、とのことだったので、
「管理人に報告する。ダメな場合は、管理者側から連絡する」とした。


今日は快晴。心地よい半日となった。9月に入って、俄然見学者が増えているそうだ。

解説員連絡会(19)

2011-09-28 09:36:13 | 水車解説関連
9/9の夜、解説員連絡会があったのだが、欠席した(確か、前回も欠席)した。

昨日、その議事録が送付されてきた。備忘を兼ねて、主要な内容をメモしておく。

① 12月までの解説予定が決まった。前回、送付された予定表の転記ミスでポカをしだかしたので、今回は要注意。

② 三鷹創造協会(「しんぐるま」の管理担当)のブログ(http://staffblog.hanakyokai.or.jp)に「しんぐるま」の記事が載った。
  継続的に記事を出してくれるようだ。

③ 11月初旬に稼働公開がなされる。詳細は10/2発行の市報で公表される。予約制(100人/日)だそうな。
  送付された資料から、準備への力の入れようが感じ取られ、期待できる。
  盛況・成功を祈ろう!

④ 「しんぐるま」関連の民具調査がおこなわれているが、そのうち、関連講座が開催される。

⑤ 市内を太陽系にみたてたスタンプラリーが開催中(9/23~10/31)。「しんぐるま」は冥王星エリアに相当し、スタンプが置かれているそうな。

論語(112)

2011-09-27 11:28:39 | 論語
可使南面(擁也第六の1)

南面(ナンメン)せしむべし。

孔子が、弟子の擁(ヨウ)について評した言葉。

南面=天子の位
古代中国では、宮殿(例えば故宮)で天子が座る場所は北を背にするようにしつらえられた。

孔子が、「擁は(すごい)、天子の座に座るウツワをもっていますよ」と言った、と解釈される。


平城京紫宸殿の天皇御座所も、確か、南向きにしつらえてあった。
真似をしていた、ということだろう。

中国の天子の重要な業務のひとつに、天帝を祭る儀式がある。これは日本にはない、と思うがどうだろう。
中国の天子は天帝の命令でその位につく。では、日本の天子は、(あくまで形式的にだが)、誰の命令でその位についてきたのだろうか?


論語(111)

2011-09-26 16:26:08 | 論語
不如丘之好学也(公冶長第五の28)

丘(=孔子)の学を好むの如(シ)かざるなり

この文の前段は、全体として、次のように解釈することができる。

ちょっとした大きさの人間集団(十室=十軒)があれば、その中には、私と同様に、行いを正しく(忠信)しようとする人は必ずいます。しかし、

トナッテ、上が出てくる。

私のように、学(=修行)をやりぬこうという人はいない(でしょう)。


自慢ですかね~。そうは解釈したくないのですが~。わかりません。

解説員として(89)

2011-09-22 18:18:36 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

見学者は、3組計4人。
自分が説明した方は、熟年男性2名。

大過なく説明できた、と思う。
お一人は、しきりに、お孫さんをつれてくることを強調していた。
もうお一人の方は、川(多摩川のこと)むこうから、免許証書き換えのついでに、ふらーっときた、そうで、「こんなにすごいものを見ることができてもうけた」と、言ってお帰りになった。


15:00ごろ、一天にわかに掻き曇り、雨が降り始め肌寒くなった。

と、ここで思い出したのだが、たしかに昨日の嵐はひどかった。
しかし、

・ 帰宅難民とか、ワーワー、テレビが騒ぐが、どうしてだ。
事前にこれほど周知されているのだから、自己責任の範囲でしょう。
みっともない話です。世の中全体が、他に頼りすぎ、と思います。

・ テレビ報道をみていると、風雨の激しい場からの中継が多々あるが、あれはなんのためにやっているのだろうか?
若い記者をシゴクためだけ、と思えてならない。
どうせやるなら、もうすこし知性を示してほしい。
例えば、「今風は南東から吹いています」とでも言ってくれれば、その人の居る位置が台風との関係でわかる。
聞いていると、ただ「すごい風が吹いています」だけ。なんの情報の発信がない。
さらに言えば、せめて、「今私が経験しているこのような状態が、おそらく、X時間後ごろ、YY地区周辺で発生すると思います」ぐらいは言ってほしい。台風のことを、少々学べば、こんなことはすぐに言えます。
とにかく、報道記者としての勉強が足りない!そして、気象庁の報道発表が下手すぎる。もっとプレゼンの勉強をしてほしい。

年寄りのタワゴト、でした。


論語(110)

2011-09-21 09:58:59 | 論語
吾未見能、見其過而内自訟者也(公冶長第五の27)

吾、未だ見ること能わず、其の過ちを見て内に自らを訟(セ)むる者を。


孔子の嘆き節。

自分の非を自覚し、そこから正しく反省するような人を、私はみたことがない。

この語の前段で、已矣乎(ヤンヌルカ=もうどうしようもないぞ)、と言っているので、さすがの孔子もカンカンに怒ったにちがいない。


いつの世にも、カエルのツラにナントカ、という輩が大手を振って闊歩しているわけだが、さてそれを、遠くから「已矣乎」とワメイテいるだけでよいのであろうか?ジクジたる今日この頃である。

フクシマの事故、原因究明があやしくなってきた、と感じるのは吾だけか?


JR北海道のようにヒトリに責任を押し付けてはいけない。システム上のウミをなんとかきれいにしないと、とんでもないことになる。

論語(109)

2011-09-17 07:35:57 | 論語
老者安之、朋友信之、少者懐之(公冶長第五の26)

老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐く。

老人を安心させ、友人を信じ、若年者を思いやる。

孔子が、「生き方として、こうありたい」ことを表現した言葉、と理解した。

人間そのものを大切にしたい、と言いたいのだ、と思う。

というのは、この前段で、二人の弟子(顔淵と季路)に、「どのように生きるか?」と孔子が聞き、その答えが、次のように示された後、上を言っているからだ。

・物を私物化しません。(顔淵:車馬衣裘、與朋友之、敝之而無憾)

・行為・行動を独善化(私物化)しません。(季路:無伐善、無施労)

物や行為・行動を私物化するより、人を私物化することはもっとよくないことだ、と孔子は言いたい、のだと思う。
かなり、強引な独断解釈。


国会議員がやたら軽々しく「被災地の方々に寄り添って」と、言っているが、このような人たちに政治を司る資格があるのであろうか?

心の底から、「人」へのオモイヤリを忘れたくない、と思う。


六年目に入る!

2011-09-12 10:02:15 | 水車解説関連
このブログは明日から、6年目に入ります。
読んでいただいていることに、あらためて心より御礼申し上げます。

最近、ブログ標題からのズレがひどくなっていることは、十分自覚しています。少々弁解させてください。

・ 自分の解説日を平日(今月までは木曜日)に限定しました。土日祭日にのみ解説できる方々を押しのけてまで、年寄りがでしゃばってはならない、と考えました。このため、お会いする見学者の絶対数が少なく、水車がらみのブログ種を切らしています。勉強不足を反省しているところです。

・ ひょんなことから、論語を読み出したのですが、これがなかなかなのです。はまってしまいました。折角ですから、最後まで読もうと思っています。スムーズに読めたとしても、二年ぐらいかかるでしょうか?
貴殿の御意に沿わず、面白くないかもしれません。が、素人の、とんでもない読み込みを、笑いの種にしていただくきたくお願いします、お許しください。


今年もやはりこの時期に、某国首相が交代しました。
歴史的にみて、今は大転換の時期なのかもしれぬ、とは想像しますが、このようなフラフラ腰をいつまで続けていることができるのでしょうか?心配でなりません。


例によって、心を新たにするために、この日の過去の記事を下に添付しました。

これからも、緊張感を持って記事を発信するつもりです。どうかよろしくお願いいたします。

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2010年9月13日の記事

このブログは明日から、5年目に入ります。

 生来の飽きっぽさからは想像もつかないほど長いこと、継続することができています。
これは、最近の場合、日間アクセス数や週間閲覧数がそれぞれ、百、千の大台をはるかに越えることも珍しくなくなってきていることと密接に関係しています。多くの方々に「読んでいただいている」ことがわかり、大変な励みになっています。
厚く御礼申し上げます。

 昨年の十月から「しんぐるま」が休館したため、一年間記事の種さがしに苦労しました。でも、いよいよ11月から再開です。ブログタイトルにふさわしい記事を途切れなく書くことができそうで、楽しみです。
今後ともよろしくお願いいたします。

例によって、心を新たにするために、この日の過去の記事を下に添付しました。


 それにしても、本当に面白い時期(こういういう言葉は誤解を生むかも)に、このブログを始めたものです。
某国では、今年も今、首相選び、をやっています。延べ六人目です。戦国時代であったら、とっくに周辺国によって蹂躙されることでしょう。平和の謳歌に感謝せねばなりません。

 来年こそ、この時期、今度選ばれる人がゆるぎなく続けていてほしい、と心から願うところです。
そして、貴殿のご健勝を念じます。

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2009年9月13日の記事

このブログは今日から4年目に入ります。三年間の日数は1095日ですが、このうち409日、記事を書きました。3割7分4厘という、イチローびっくりの高打率です。我ながら、よく続けてきた、と思います。これは、貴殿が読んでくださっているからです。これ、本心です。

過去三年、この日に書いた記事を、下に再掲しました。

おかげさまで、読者数はジワジワと増加しています。週間閲覧数が、もうすぐ四桁に乗りそうな勢いです。

 しかし、四年目は、ブログを書き続けられるか、試練の一年になりそうです。というのは、しんぐるま(新車)が、動態保存に向けた工事のために、来月から来年秋まで休館するからです。
たぶん、記事の種探しに苦労します。読者のご興味を繋ぎとめられるよう、初心を忘れず、がんばります。どうかよろしくお願いします。

 それにしても、某国首相の交代劇が続いた9月に、たまたまブログを始めたとは、本当に不思議です。組織が崩れていく過程を興味深く見させてもらいました。

さて、来年の9月はどのようなことになっているでしょうか。貴殿のご健勝を、わが身の無事、とあわせて祈らせていただきます。


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2008年9月12日の記事

正しくは明日からですが、このブログは三年目に入いります。
読んでいただいているみなさんに、あらためて厚く御礼申し上げます。個別に御礼状を差し上げたいほどです。

 読者数はアクセスIP数や閲覧数によってのみ知りますが、その数が今なおジワジワと増していて、大変な励みになっています。
しかも時々、少数の方々が過去の多くの記事をいっきにごらんになったに違いない、と思われる状況(通常、閲覧数はアクセス数の数倍だが、時々それが十倍を越える)が出現することもあります。
このような、過去の記事にご興味をお持ちになる方の一助にと、カテゴリー区分してみました。一層の修正が必要ですが、これでも多少お役にたつかもしれません。

 
 下に去年の記事(一昨年の記事も添付)を添付しましたが、今年も、昨年同様、某国首相が退陣なさいました。つくづく、面白い日にブログを始めたものだと思います。こんなことがあるから、日記はやめられなくなるのでしょうか。

引き続き、緊張感を持って書きますので、よろしくお願いいたします。

なお、昨年の記事に書いた、「一年前の記事をコピーする」という作業は、途中でやめました。ボリュームが増すことに神経を尖らす必要はなさそう、と判断したからです(すぐに、容量とかを気にするのは、コンピューターを、その草創期に利用した者の性だからでしょうか)。


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2007年9月13日の記事

 某国首相が昨日、在任一年を目前にして辞任表明した。さぞや無念であろう。
比較するのは本当に恐れ多いのだが、このブログは、幸いなことに、今日から二年目に入いることができた。子供時代の夏休み日記でさえ満足に継続できなかった人間としては、信じられな~い。
これも読者(アクセスIP数によると、常時30~60)のおかげです。この場から、心より御礼申し上げます。

これからも、今までどおり続けようと思いますので、よろしくお願いします。

それから、これからは、当日の記事に、前年同月同日の記事を、コピーでつけたそうと思う。理由は、何をいつ書いたか、ほとんど忘れそうなので。
もちろん、その本元は削除する。

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2006年9月13日の記事
タイトル:始めの記

ブログ挑戦! その種は、水車解説ボランティア。

 三鷹市は、市内における文化遺産保存の一環として、市内河川で稼動していた、あるひとつの水車の保存に力を入れている。内外からの見学者は年間7000人を超えるそうである。最近の市報に、この水車についての講座を修了すると解説員として登録する、との案内があったので、応募することにした。応募の動機はいろいろ(定年後のボケ防止、居住地域に多少とも役立つことがしたい、外出の口実にできる、などなど)。
 去る9/9に第1回の講座が開かれ、とりあえず出席した。気に入った。面白そう。もっとも、果たして講座を修了しても採用していただけるか。幸いにして、採用していただけた場合、どんなことが待っているか。ブログに挑戦しながら、しばらく記録してみたい。これもボケ恐怖からかもしれない。
 ちなみに、グーグルで「水車」を検索すると、三鷹市のものがトップに出てくる。

論語(108)

2011-09-09 09:06:51 | 論語
巧言令色足恭(公冶長第五の25)

巧言(コウゲン)令色(レイショク)足恭(ソクキョウ)

孔子が嫌う、人間として恥かしいこと三つ。

巧言=しゃべくりが上手なこと
令色=人の顔色ばかりみること
足恭=おもねり、へつらうこと

孔子が嫌う、もう一つ、

匿怨而友其人
怨み(があるのに、それ)を匿(カク)し、友とすること。

マスコミが報じる、某国政界は、上の、孔子が嫌うことばかりがまかりとおっているようにみえる。

どうにかしてほしい、と思う一方、一票一票を積み重ねばならぬお立場を考えればさもありなん、と思う。
また、孔子を見習って、上の四つを徹底して嫌えば、友達は出来ないであろう。

結論的にいえば、ほどほど、だ。

蛇足:
孔子の名が「丘」であることをこの節で初めて知った。

解説員として(88)

2011-09-08 18:42:09 | 解説員日記
今日の午前中、解説当番であった。

絶好の散歩日和で、野川沿いを歩く人も、ちらほらいたが、残念ながら、見学者はゼロ。

「100円取られるのならやめよう」と話しながら通り過ぎる熟年三人組ウォカーの声を聞き、しごく残念!

草刈が済んだ野川高水敷を写した。そろそろ、秋を迎える準備が本格化する。

名残惜し ツクツクボウシ 盛んなり

待ち遠し ツクツクボウシ 盛んなり

夏が去るのを惜しむか、秋がくるのを待つか、悩むところだ。

論語(107)

2011-09-07 04:28:34 | 論語
孰言微生高直(公冶長第五の24)

孰(タレ)か微生高(ビセイコウ:人名)直なりと言う。

想像だが、微生高という人がいて、直(=ウソ・イツワリのない、まっすぐな人)だと評判だった。
孔子はそのことに、弟子達の前で異議を申し立てた。

ここにいる皆さんのうち、どなたが微生高さんをまっすぐな人だとおっしゃるのでしょうか?

孔子の、直ではない、とする理由は、
「或乞醯焉、乞諸其鄰而與之」(或人醯(ス)を乞う。諸(コレ)を其の鄰(トナリ)に乞い、之を與(アタ)う)

醯(=酢)を少々いただけませんか、と頼みにきた人に対し、微生高は、(自分の家になかったので)隣家から借り、それをあげた。

こういう人を、軽々しく、「直」と評価してはいけません、と孔子は考える。


たしかに、微生高はエエカッコシイだ。

孔子は、たぶん、「申し訳ない。我が家にもないので、隣から借りようと思いますが、それでいいですか?」とか答える人を「直」といいたいのだろう。

それはそうだが、エエカッコしく振舞うことも棄てがたい。これでは、孔子に近づくことは難しい、か。

エエカッコしく振舞うことは、どうしても無理を重ねることになる。無理するな、が、孔子の本音か?

論語(106)

2011-09-05 11:24:40 | 論語
不念舊悪、怨是用希(公冶長第五の23)

舊悪(キュウアク)を念(オモ)わず、是を用(モッテ)怨(ウラミ)希(マレ)なり。

孔子が、伯夷・淑斉兄弟について評した言葉。清廉で正義感の強い兄弟でああったのだそうだ。

意味のとりかたが二通りあって、どちらにすべきか決めることができない。

① この兄弟は、人様が昔おかした不正については厳しく追求はしない。だから、人様から怨まれることは少ない。

②、この兄弟は、自分達の失敗を長く引きずって、クヨクヨすることがない。こういう性格だから、人様を怨むこともほとんどない。

伯夷・淑斉兄弟については、いろんな人がいろんな評価をしているようだが、この孔子の見解についても、真意はわかっていないようだ。

大勢は①のようだが、ヘソマガリとしては②でがんばってみたい。

人様から怨まれることの少ない人と、人様を怨むことが少ない人と、どちらを友人として長く遇したいか、といえば、後者を選びたい、からだ。

論語(105)

2011-09-01 11:00:30 | 論語
狂簡、斐然成章(公冶長第五の22)

狂簡(キョウカン)、斐然(ヒゼン)として章(ショウ)を成す。

孔子が、よいポストを求めて、長い旅をしているとき、望郷の念にかられ、帰りた~い(帰與帰與)、とつい言ってしまった。

その言い訳が、自分の門人を評価した上、

狂簡=気持ちばかりが壮大で、現実のあつかいが粗略であること
斐然=立派な、なかなかの

孔子はこう言った
「故郷に残してきた、わが門人たちは、美辞麗句をならべ、大きなことばかり言っているが、どう判断すべきかがぜんぜんわかっていない(不知所以裁之也)。(だから、私は帰りたくなってしまうのだ)」

なんか釈然としません。部下を理由にして、故郷に帰りたい、というなんて。