水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(131)

2015-09-28 11:03:24 | 古今和歌集
195 秋の夜の月の光しあかければ くらぶの山もこえぬべらなり
月をよめる
在原元方

秋の夜の月の光が明るいので、暗い、鞍馬山も越えることができそうだ。


この時期、地球と月との距離が最も短くなるので、月は大きいし、明るい。
現代では考えもつかぬほど、夜が暗かった昔は、月に頼る度合いは極めて高かった。


今日は旧暦8月16日。たまには、電気をジャブジャブ使う明るい夜を感謝し、昔の暗い夜をしのび、じっくり月を眺めてみようか、とも思う。

古今集(130)

2015-09-26 10:42:01 | 古今和歌集
583 秋の野に乱れてさける花の色の ちぐさに物を思ふころかな
題しらず
つらゆき

秋の野原はさまざまな色の花が咲き乱れます。まさにその風景のように私はいろいろなこと(もしかしたら女性)に思いを馳せめぐらせています。


秋って、そのようなものなのでしょうか?
自身の現在の日常を振り返ってみると、「心が動く」って状況が少なくなっているように思えます。
主要な理由が加齢による行動範囲縮小にあるのでしょうが、あまりいいこととはいえないでしょう。

視覚、聴覚、嗅覚、触覚、などを研ぎ澄ます努力を怠ってはいけないでしょう。
なるべく公助や共助に頼ることなく、生きとおさねばならぬからです。


まあそんなことはともかく、今はまっているのが日本書紀です。
色々な人がいろいろなことを言っているのですが、原文をしっかり読んでいる人がびっくりするほど少ないような気がします。
そのうち、記事にできそうな、なにかが見つかるかもしれません。

古今集(129)

2015-09-22 09:41:43 | 古今和歌集
184 このまよりもりくる月のかげ見れば 心づくしの秋はきにけり
題しらず
よみ人しらず

木々の間からもれる月の光が(葉が徐々に落ちるので、)ずっと強くなってきた。気をもまねばならぬ秋がきていることを実感させます。


心づくし=思いをつくすこと。気をもむこと(現代の意味、人のためにこまごまと気をつかうこと、とは異なる)


作者が思っている、気をもむこと、とはなんであろうか?
冬支度の準備か、年越しのためのお金か、~~~~~~。貧弱な想像力を恥じます。わかりません。

童謡(わざうた)

2015-09-18 05:33:40 | 万葉集
現代では、「童謡」という漢字を、ドウヨウもしくはワラベウタとよみ、おとなの作った子供用の歌、と解釈する。

しかし古代では、これは作者不明のはやり歌を指し、「ワザウタ」と読むのだそうだ。


講師の解説によれば、日本書紀の天智天皇十年十二月に天皇が崩御した際の童謡として、次が紹介された。


み吉野の 吉野の鮎 鮎こそは 島辺も良き え苦しえ 水葱の下 芹の下 吾は苦しえ

川中の岩陰に住む吉野川に住む鮎はいいよね~。しかし私は水草の下に入ってしまって、いや~苦しいといったらありません。


この歌が、やがて壬申の乱を起こす天武天皇の吉野隠遁を詠った民間はやり歌、と知っているのと知らないでいるのとでは、鑑賞の仕方がぜんぜん異なる。しびれてしまった。


和歌の奥深さに感じ入った講義であったので、備忘のため記録しておく。

古今集(128)

2015-09-15 09:09:40 | 古今和歌集
245 みどりなるひとつ草とぞ春はみし 秋は色々の花にぞありける
題しらず
よみ人ひらず

春は一種類の草に覆われていると思ったのですが、秋になるといろんな花が咲く場所であったのですね~


じわじわと秋の足音が大きくなってきています。もうすぐ野山もきれいに色づくことでしょう。


それにしても、鬼怒川の氾濫災害はひどいことになったものだ。

地元自治体の首長が、マスコミの襲撃にあっていて、その防災対策に対する不勉強ぶりを露呈した。
自分の街がどのような災害に弱いのか、ぐらいは知っておかなくちゃ~。

がしかし、マスコミはなぜ国交省の責任を追及しないのでしょうか?

鬼怒川は、確か一級河川ですから、国交省の管理下にあるはずです。
河川水位の観測網も、上流から下流までしっかりと確立されていて、当時、水位変化の状況を把握していたはずです。そして、およその予測もしていたにちがいありません。

その情報を流域自治体に流さなかったのでしょうか?

流したのに、自治体が対応しなかったとすれば、それは自治体が悪い。
しかし、情報を持っていながら、それを提供しなかったとすれば(あるいは、提供のしかたに不備があったとしたら)、その責任放棄を見逃すわけにはいきません。

国交省の対応状況を調べるべきだ、と思っているが、どのマスコミがきがつくか?



10年目だ!

2015-09-12 09:39:33 | 雑感(1)日常
このブログを始めて、明日から10年目に入ります。
10年一昔といいますが、あっというまの10年でした。
そもそも水車解説にからめて始めたのに、今ではそれとはまったく異なった方向に進んでいます。
読者層がかなり変わってきているはずですので、タイトルを変更すべき、とは思うものの、行動に起こしていません。
加齢にともなう優柔不断、というやつかもしれません。大目に見てやってください。

今朝の地震は大きかったです。飛び起きました。調布の震度が5マイナス、三鷹は4だったそうですが、実感的には、限りなく調布の5マイナスに近かったように思います。
鬼怒川破堤氾濫水害に続き、今度は地震、でしたから、多くの人々が一瞬ピリっとしたことでしょう。

のほほんと過ごごすことなく、緊張感を持って毎日を過ごしなさい、という神様の警告なのかもしれません。

その意味においても、読んでくださる方々がいらっしゃる、このブログを続けることは、自分にとって極めて重要になっています。
厚く感謝申し上げます。と同時に、どうかこんごともよろしくお願いいたします。

例によって、過去に書いた、この日の記事を添付し、自分自身を鼓舞したいと思います。

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明日から、このブログは9年目に入ります。
こうもズルズル続けてこられたのは、読んでくださるあなたのおかげです。心から感謝します。

このごろ、水車解説関連の記事の種を見つけることができないし、論語も読了したし、「そろそろやめどきか?」なんて考えが頭のスミをかすめます。
しかし、そもそも「ボケ防止」を主要な目的としてはじめたわけですから、その意味においては、これからが勝負、ということになるわけです。

そこで、続けるためには、論語に替わる「種」を探さねばなりません。

結論を申します。ブログの種を古今和歌集所収の和歌、としました。

理由
① 論語を勧めてくれた友人は万葉集を勉強している。彼の道を犯したくないが、同じ土俵に立ってみたい。
② 平安時代についての知識が極めて薄弱。和歌のついでに歴史も学べる。日本人の心の原点を探れるかもしれない。
③ 収録和歌の総数は1111首。読了に4年強かかった論語をベースにすれば、古今和歌集の読了には10年強かかりそう。読了前にオダブツを期待できる。
④ 読了後の目標:古今風和歌をいともたやすく作れるように!

なお、基本参考書は「古今和歌集;佐伯梅友;岩波文庫」にします。


論語同様、面白くもないかもしれませんが、ボケ防止に協力、とご理解いただければ幸いです。
では、今年もお元気で!よろしくお願い致します。

例によって、昨年のこの日の記事を下にコピーします。

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2013年9月12日の記事

このブログは、今日から、やり始めて8年目に入いります。
わけもなくズルズルと続けています。最近気にしていることがふたつあります。

① 論語はいつ終わるか?
読み出して驚いたのですが、論語は大部です。今360節ほど読み進みましたが、まだ150節ぐらいあります。
したがって、今の速度で読み進めると、あと50~70週(1年強)かかる計算になります。
なんとか読破したいものです。
② 模型製作は放り投げたのか?
実は今放り投げたい気分半分。歯車の部品がうまく作れず、暑さもあって、まだ再着手の気分になっていません。
しかし、もう少し時間をあければやる気がでてくるようにも思います。
次の段階に進んだ写真をアップできるかもしれませんので、よろしく!


まあとにかく、いささかマンネリ気味になっていることは承知しています。ボケがはじまった老人日記、とご容赦いただければ幸いです。

7年後の五輪開催も決まりました。2007年のこの日に、その座を投げ出した人とは思えぬほど、今の首相には迫力があります。
某国は、しばらくの間、キラキラした空元気で覆われそうで、喜ばしいことです。

読者の皆様、今年もお元気で!よろしくお願い致します。

例によって、昨年のこの日の記事を下にコピーします。

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2012年9月12日の記事


このブログは明日から7年目に入ります。
こんなにも続けることができたのは、あなたのおかげです。
毎日示される閲覧数とか訪問者数から、多くの方々に読んでいただいていることを知り、そのことを書くためのエネルギーに使わさせていただいています。
最近の日間訪問者数は、最大で150といったところで、これが増えることはなくなりました。読者は固定的とみていい、と思っています。


今年は、今までと異なり、この時期に某国首相の交代はありませんでした。しかし、今が落ち着いた状況であるとはいえません。しょせんサル山のボス選びにすぎないわけですが、さまざまな特権を握ったままでの、茶番劇には、いささか辟易です。

まあ、それはそれ。今年もこのブログを続けるつもりですので、どうかよろしくお願いいたします。
どのような方々に読んでいただいているかを想像し、身を引き締め、緊張感を維持し続ける所存です。



例によって、昨年のこの日の記事を下にコピーします。
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2011年9月12日の記事

このブログは明日から、6年目に入ります。
読んでいただいていることに、あらためて心より御礼申し上げます。

最近、ブログ標題からのズレがひどくなっていることは、十分自覚しています。少々弁解させてください。

・ 自分の解説日を平日(今月までは木曜日)に限定しました。土日祭日にのみ解説できる方々を押しのけてまで、年寄りがでしゃばってはならない、と考えました。このため、お会いする見学者の絶対数が少なく、水車がらみのブログ種を切らしています。勉強不足を反省しているところです。

・ ひょんなことから、論語を読み出したのですが、これがなかなかなのです。はまってしまいました。折角ですから、最後まで読もうと思っています。スムーズに読めたとしても、二年ぐらいかかるでしょうか?
貴殿の御意に沿わず、面白くないかもしれません。が、素人の、とんでもない読み込みを、笑いの種にしていただくきたくお願いします、お許しください。


今年もやはりこの時期に、某国首相が交代しました。
歴史的にみて、今は大転換の時期なのかもしれぬ、とは想像しますが、このようなフラフラ腰をいつまで続けていることができるのでしょうか?心配でなりません。


例によって、心を新たにするために、この日の過去の記事を下に添付しました。

これからも、緊張感を持って記事を発信するつもりです。どうかよろしくお願いいたします。

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2010年9月13日の記事

このブログは明日から、5年目に入ります。

 生来の飽きっぽさからは想像もつかないほど長いこと、継続することができています。
これは、最近の場合、日間アクセス数や週間閲覧数がそれぞれ、百、千の大台をはるかに越えることも珍しくなくなってきていることと密接に関係しています。多くの方々に「読んでいただいている」ことがわかり、大変な励みになっています。
厚く御礼申し上げます。

 昨年の十月から「しんぐるま」が休館したため、一年間記事の種さがしに苦労しました。でも、いよいよ11月から再開です。ブログタイトルにふさわしい記事を途切れなく書くことができそうで、楽しみです。
今後ともよろしくお願いいたします。

例によって、心を新たにするために、この日の過去の記事を下に添付しました。


 それにしても、本当に面白い時期(こういういう言葉は誤解を生むかも)に、このブログを始めたものです。
某国では、今年も今、首相選び、をやっています。延べ六人目です。戦国時代であったら、とっくに周辺国によって蹂躙されることでしょう。平和の謳歌に感謝せねばなりません。

 来年こそ、この時期、今度選ばれる人がゆるぎなく続けていてほしい、と心から願うところです。
そして、貴殿のご健勝を念じます。

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2009年9月13日の記事

このブログは今日から4年目に入ります。三年間の日数は1095日ですが、このうち409日、記事を書きました。3割7分4厘という、イチローびっくりの高打率です。我ながら、よく続けてきた、と思います。これは、貴殿が読んでくださっているからです。これ、本心です。

過去三年、この日に書いた記事を、下に再掲しました。

おかげさまで、読者数はジワジワと増加しています。週間閲覧数が、もうすぐ四桁に乗りそうな勢いです。

 しかし、四年目は、ブログを書き続けられるか、試練の一年になりそうです。というのは、しんぐるま(新車)が、動態保存に向けた工事のために、来月から来年秋まで休館するからです。
たぶん、記事の種探しに苦労します。読者のご興味を繋ぎとめられるよう、初心を忘れず、がんばります。どうかよろしくお願いします。

 それにしても、某国首相の交代劇が続いた9月に、たまたまブログを始めたとは、本当に不思議です。組織が崩れていく過程を興味深く見させてもらいました。

さて、来年の9月はどのようなことになっているでしょうか。貴殿のご健勝を、わが身の無事、とあわせて祈らせていただきます。


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2008年9月12日の記事

正しくは明日からですが、このブログは三年目に入いります。
読んでいただいているみなさんに、あらためて厚く御礼申し上げます。個別に御礼状を差し上げたいほどです。

 読者数はアクセスIP数や閲覧数によってのみ知りますが、その数が今なおジワジワと増していて、大変な励みになっています。
しかも時々、少数の方々が過去の多くの記事をいっきにごらんになったに違いない、と思われる状況(通常、閲覧数はアクセス数の数倍だが、時々それが十倍を越える)が出現することもあります。
このような、過去の記事にご興味をお持ちになる方の一助にと、カテゴリー区分してみました。一層の修正が必要ですが、これでも多少お役にたつかもしれません。

 
 下に去年の記事(一昨年の記事も添付)を添付しましたが、今年も、昨年同様、某国首相が退陣なさいました。つくづく、面白い日にブログを始めたものだと思います。こんなことがあるから、日記はやめられなくなるのでしょうか。

引き続き、緊張感を持って書きますので、よろしくお願いいたします。

なお、昨年の記事に書いた、「一年前の記事をコピーする」という作業は、途中でやめました。ボリュームが増すことに神経を尖らす必要はなさそう、と判断したからです(すぐに、容量とかを気にするのは、コンピューターを、その草創期に利用した者の性だからでしょうか)。


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2007年9月13日の記事

 某国首相が昨日、在任一年を目前にして辞任表明した。さぞや無念であろう。
比較するのは本当に恐れ多いのだが、このブログは、幸いなことに、今日から二年目に入いることができた。子供時代の夏休み日記でさえ満足に継続できなかった人間としては、信じられな~い。
これも読者(アクセスIP数によると、常時30~60)のおかげです。この場から、心より御礼申し上げます。

これからも、今までどおり続けようと思いますので、よろしくお願いします。

それから、これからは、当日の記事に、前年同月同日の記事を、コピーでつけたそうと思う。理由は、何をいつ書いたか、ほとんど忘れそうなので。
もちろん、その本元は削除する。

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2006年9月13日の記事
タイトル:始めの記

ブログ挑戦! その種は、水車解説ボランティア。

 三鷹市は、市内における文化遺産保存の一環として、市内河川で稼動していた、あるひとつの水車の保存に力を入れている。内外からの見学者は年間7000人を超えるそうである。最近の市報に、この水車についての講座を修了すると解説員として登録する、との案内があったので、応募することにした。応募の動機はいろいろ(定年後のボケ防止、居住地域に多少とも役立つことがしたい、外出の口実にできる、などなど)。
 去る9/9に第1回の講座が開かれ、とりあえず出席した。気に入った。面白そう。もっとも、果たして講座を修了しても採用していただけるか。幸いにして、採用していただけた場合、どんなことが待っているか。ブログに挑戦しながら、しばらく記録してみたい。これもボケ恐怖からかもしれない。
 ちなみに、グーグルで「水車」を検索すると、三鷹市のものがトップに出てくる。





古今集(127)

2015-09-11 09:38:16 | 古今和歌集
172 昨日こそ早苗とりしか いつのまに 稲葉そよぎて秋風のふく
題しらず
よみ人しらず

早苗を手にとって植えていたのが昨日のように思えます。現実は稲の葉が、秋風にそよいでいるのです。


年を取ると、時間経過がはやい。どんどん秋も深まることだろう。


鬼怒川流域で、河川水が溢水、破堤。広い地域で浸水被害が発生した。
気の毒で、テレビをつけることもできぬ。

たぶん、堤防のかさ上げをメインとする河川改修が、今後も相も変わらず行われることになるであろう。

もうすこし利口になってほしい。
例えば「浸水は許す、しかし被害は出さない」というコンセプトをかざせば、別の市街地開発ができると思うのだが。


古今集(126)

2015-09-07 10:01:04 | 古今和歌集
239 なに人がきてぬぎかけし 藤袴 くる秋ごとに野べをにほわす
これさだのみこの家の歌合によめる
としゆきの朝臣

秋になると、誰かがきて、袴をぬいで掛けます。よい香りがしています。


藤袴:秋の七草のひとつ。生では無臭、乾燥させると、清涼感ある芳香剤になるそうだ。

したがって、このロナンチックな歌の作者は、野辺のフジバカマが無臭であることを知ったうえで、このゆな歌を詠んだのでしょうか?
それとも知らないで詠んだのでしょうか?


昔は、河原に咲き誇っていたフジバカマも、外来植物との勢力争いに敗れ、今では絶滅危惧種のひとつだそうです。

古今集(125)

2015-09-04 10:08:40 | 古今和歌集
917 住みよしとあまは告ぐとも長居すな 人忘れ草おふというなり
あひ知れりける人の住吉にまうでけるによみてつかはしける
みぶのただみね

住むにはいい場所ですよと、その土地の漁師が言ったとしても長居は禁物です。そこは忘れ草の名所ですから、長居すれば過去を忘れてしまうのです。


ガールフレンドが、住吉大社に参詣に行く、と言ったことに対して、自分の思いを歌に詠んだ、ということでしょうか。
「どうぞどうぞ、はい、いってらっしゃい」とあっさり言ってしまうのは、あまり好まれないのでしょうかね~。
よくわかりません。


しかしそれにしても、昨夜の日本サッカーはいただけませんでした。さすがプロ、と思えたのは本田のシュートのみでした。
個々が手にしている給料のチーム総額を比較したら、500倍ぐらいにはなるのに、あんなにてこずっては沽券にかかわります。
力がない、弱い、下手、プロとはいえない、といわれても仕方ないかもしれません。
8日の次戦は、圧倒的に勝たねば、おさまりがつきません。



古今集(124)

2015-09-02 10:40:16 | 古今和歌集
259 秋の露いろいろことにおけばこそ 山のこのはのちぐさなるらめ
題しらず
よみ人しらず

秋の露は、さまざまな場所に落ちるので、木の葉の色づきが多様なのです。


この歌だけでは、なぜこの歌が詠まれたのか分からない。
たぶん、次の歌に答えた歌なのだと思う。

257 しら露の色はひとつを いかにして秋のこのはをちじにそむらん
これさばのみこの家の歌合によめる
としゆきの朝臣

白露の色は一色であるにもかかわらず、なぜ、その露を受けた木の葉が紅葉するのでしょうか?


紅葉は、露とその露が落ちた葉との化学反応です、とでも言っているのでしょうか?
しゃっちこばった、まじめすぎる答え、と感じました。


しかしそれにしても、グラフィックデザイナーの世界でも、コピペ病がはびこっているのですね~。
独創力が問われる世界での相次ぐ恥ずかしい行為の露見は、ヤマト民族全体の衰微の徴候と、思えてなりません。