水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

解説員として(139)

2013-03-28 15:34:24 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

天気ははれ、暑くなく寒くなく、風もなく。桜満開、最高の見ごろであった。

桜見物を第一の目的にしているからであろうか、ここ、「しんぐるま」に立ち寄る人は少なかった。

水輪に「通し貫」が付けられた。いままでなかったはずで、いつつけたのであろうか?
強度的にはなくてもいい、と思うが、見た目は、このほうがしまってなかなかいい。
ただし、今作っている模型に反映させるとなるとーーーー、困った。穴をあけるのが大変じゃー。


見学者は二組。

・ 女性四人連れ。花の鑑賞がメインの目的であったようだが、100円は無駄ではなかった、と言わせてしまった。
・ 23人の団体。1330に予約したのだが、1230においでになり、ご見学。
土方歳三ゆかりの地近くからおいでになり、近藤勇の話に盛り上がった。

どちらのグループも土蔵の案内を省いて(最初のグループは、いかにも花、桜が気になる様子。次のグループは人数が多すぎることと、次のスケジュール(そば屋)に押されていた)しまったが、どうだったか。
無理気味でも、土蔵での説明はしたほうがいいかもしれぬ。


だいぶ前から、午前当番のとき、帰り際に利用する、お気に入りのごはんやさんがある。
もともとは、鮮魚店だったそうで、各種の魚定食は、気持ちが込められ、丁寧なつくり。
大沢交差点(人見街道とキリスト教大前のとおりとの交点)近くの、「沢」さん。東八沿いで、おいしい昼食を探している方にお勧めしたい。ただし、駐車場なし。

論語(292)

2013-03-26 09:13:33 | 論語
片言折獄。無宿諾(顔淵第十二の12)

片言、獄を折(サ)く=一言のもとに訴えを裁く
宿諾(シュクダク)無し、もしくは、諾を宿(トド)むることなし=承諾したことを先延ばししない

孔子の、子路に対する評価。
ただし、ヨイともワルイとも言っていないので、単に、子路の性格の特徴が積極果断なところにある、といいたかったか。


我々のコトバでいえば、「即断即決」、「善は急げ」、「先んずれば人を制す」とかに近い感覚であろうが、これらには、「急がば回れ」、「急いては事をし損じる」、「果報は寝て待て」などの反義が豊富にある。

どちらがいいとは言えない、と思う。




論語(291)

2013-03-25 10:20:30 | 論語
君君、臣臣、父父、子子(顔淵第十二の11)

君、君たり、臣、臣たり、父、父たり、子、子たり

斉の景公が、政治の要諦について、孔子に聞いたときの答え。

「人それぞれが、与えられた立場を理解し、責任をもってやりとげること」とでも解釈すべきでしょうか。

というのは、孔子の言を聞いて景公が、次のように応じた、とあるからです。

「善き哉、君、君たらず、臣、臣たらず、父、、父たらず、子、子たらずんば、粟(ゾク)有りといえども、吾、豈(アニ)得て諸れを食らわんか」
(そうだそうだ、人それぞれが、自分の立場が分かっていなければ、私がどうして腹いっぱいになっておられるでしょうか?)


それぞれの職責を果たす、ということを理解できない、景公のトンチンカンさかげんを際立たせた、いじわるな節と理解しました。




解説員連絡会(22)

2013-03-23 13:50:31 | 水車解説関連
3/8に開催された標記会合を欠席した。議事録が今日郵送されてきた。
メモしておくことは次。

・ 4月~6月の解説当番日決定。(穴をあけぬようにせねば)

・ 近々公開されるそば粉製造装置について、解説者サイドから、トマドイが相当出たようだ。
  (3/16の記事に書いたように、解説の為の解説を聞いても、一般見学者に満足してもらえるような話の種があるよう思えない装置。これの解説は難しい。当面、あまり力をいれずに説明しよう、と思っている。)

・ 解説員の新規募集が呼び掛けられる。
 (絶対数が足りなくなってきたようだし、高齢化も進行している。市は募集に本気に取り組まねばなるまい)


水車模型製作(5)

2013-03-22 09:49:55 | 模型制作
いわゆる、「蛇の目」に関し、やっと示した写真の状況までこぎつけた。

電動工具を使わないことにこだわっていたのだが、中央の穴あけに、万策尽き、電動ドリルを使ってしまった。

しかも、あけたこの穴は微妙にまっすぐではなく、対(ツイ)とあわせるときに、場合によっては、苦労の種を生むかもしれぬ。

まあしかし、ダメであったらやりなおせばいいことだし、期限があるわけではなし、先に進んでみようと思う。

論語(290)

2013-03-21 11:40:12 | 論語
崇徳辨惑(顔淵第十二の10)

徳を崇め惑いを辨ぜん

弟子の子張が、「崇徳辨惑」とはどういうことでしょうか、と質問した。孔子は次のように答えた。

「崇徳」というのは、誠実さを追及(忠)し、自らの言説を大事にし(信)、正しいと思ったことを実行(義)することです。

「辨惑」(惑いを解決すること)の、「惑い」というのは、愛する人は生きていてほしいし、憎む人は死んでほしいと思うのに、同じ人であるのに、生きていてほしいとの望みから(急に)死んでほしいとのぞむようになること、です。
つまり、「辨惑」とは愛憎の相克(下村胡人説)です。


せんじつめれば、何事においても判断の基準のなかに、極力スキダキライダを入れないようにする、ということでしょうか。


この節の最後に「誠不以富、亦祗以異」という文が張り付いているのですが、読めませんし、解釈不能です。

解説員研修

2013-03-16 15:18:35 | 水車解説関連
今日の午前、解説員研修があった。快晴。

そば製粉装置が近々公開されるにあたり、調査整理を担当した、ムサ美大所属の民俗学教授および学生さん方によって、解説のための解説がなされた。

装置全体の概要は理解できた、つもり。しかし、地味。
製粉工程やその歴史に関するプロもしくはセミプロにとっては、貴重な装置であるに違いない、とは思う。
がしかし、一般見学者やこどもさんに興味を持っていただけるように説明するには、どうすればいいか?
メダマをなににすればいいか、皆目見当もつかない。

当面、当たり障りのない簡単な説明で流そうと思う。
ただしまさかのときに備え、プロ/セミプロ用のカードを数枚作っておかねばならぬ。


今日は、京王主催のウオーキング会とかで、野川沿いを行列をなして人が歩く状況であった。
ここ、シングルマに立ち寄る人も多数あるのだが、研修会とバッティングで、少々混乱気味。なんとも残念であった。

この種の催しについて、事前に情報が入れば、当然研修会はキャセルされたであろうし、多数の解説員を動員して対応できた、と思う。


湯島聖堂(3)

2013-03-15 09:26:42 | 湯島聖堂
絶句

湯島聖堂の寺子屋テキスト、初級編には、漢詩が五首載せられている。

・春眠暁を覚えず(孟浩然)
・千山鳥飛ぶこと絶え(柳宗元)
・千里鶯啼いて緑紅に映ず(杜牧)
・仙客来たり遊ぶ雲外の巓(石川丈山)

そして、杜甫による標題の首だ。

江(コウ)碧(ミドリ)にして鳥逾(イヨイヨ)白く
山青くして花然(モ)えんと欲す
今春看(ミスミス)又過ぐ
何れの日か是れ帰年ならん


今週の頭、マスコミは東日本大震災追悼一色であった。
「原発事故がなかったら」、復旧はもうすこしなんとかなっていただろうし、今後の展望も多少明るかったかもしれぬ。
がしかし、福島浜通り・中通りに関係する人々の心を思うと、出世できずに都落ちした時の詩とはいえ、杜甫のこの絶句は心に突き刺さる。


今年の春もまたたくまに過ぎていきます。いったいいつになったら故郷に帰れるのでしょうか?


50基を超える原発を、極めて安易に作り続けてきた、わたしたち日本人の責任はどうしようもなく重い。



論語(289)

2013-03-13 12:06:54 | 論語
百姓足、君孰與不足、百姓不足、君孰與足(顔淵第十二の9)

百姓(ヒャクセイ)足らば、君、孰與(イズレカ)足らざらん、百姓足らざれば、君、孰與足らん

庶民が満足しているとき、国王(国家)がどうして不満足といえるのでしょうか、庶民が困窮しているとき、国王(国家)がどうして満足していられるのでしょうか。


孔子の弟子、有若が、魯の国王哀公から、「飢饉で税が入らず、国庫は破たんしそうだ。どうしたらいいか?」と問われたときの答え。

魯の租税は、収穫の二割であったのだが、有若は「それを一割にするべきです」(盍徹乎(ナンゾテツセザンヤ))と言って、上につなげた。


某国では、今増税のため地ならし施策が実行されている。
やむ負えない、とは思うものの、まだ未練がましく、どこかに無駄金がジャブついているのではないかと、疑っている。

論語(288)

2013-03-11 11:41:09 | 論語
駟不及舌(顔淵第十二の8)

駟(シ)、舌に及ばず

駟=四頭立ての馬車

したがって、全体の意味は次、

四頭立ての馬車がいくら早いと言ったって、舌(から発せられる言葉の伝搬)の速さにはかなわない。


子貢が、棘子成(どこかの国の政治家)の発言に対して、発した言葉。「どうしようもない失言ですね」という意味だそうだ。

棘子成がどう言ったかというと、

君子に求められているのは「質」のみであって、「文」(アヤ=装飾)なんかいらない。

これに対し、子貢は、上のように、「これは失言でしょう」と言い、次のように続けた。

「質」と「文」とは表裏一体です。動物の皮は毛を取り去った鞹(カク)にしてしまうと、虎や豹のものか犬や羊のものか見分けがつかなくなってしまいます。これと同じで、君子を「質」だけで評価するのでは十分ではありません。


直感的には、棘子成の言うことに賛成です。
儒教の行き過ぎた形式主義は子貢のような弟子たちがつくりあげたのかもしれない、なんて思うのですがーーー。よくわかりません。


それはさておき、「駟」は、今では例えば「新幹線」とでも言い換えればいいのでしょうね。

国会議員さんたちの質疑の中で、だれかが失言したとき、「新幹線舌に及ばず」なんて言葉が発せられ、どっと沸くなんて状況が日常的にみられるようなら、某国も捨てたものではない、と思えるのですが。
テレビを見ていると、つい、別に論語でなくてもいいのですが、知的レベルの高い討論を、国会議員さんたちにお願いしたくなります。




解説員として(138)

2013-03-08 08:36:16 | 解説員日記
昨日の午後、解説当番であった。

気温はぐーっと高くなったのだが、肌に感じる風は冷たい。天気予報の示す気温にだまされてはならない。
いわゆる花粉症のため、目、鼻、喉の状況は最悪だ。しばしの辛抱の時期とはいえ、不愉快極まりない。

見学者は、総計3組、5名。
いずれも、近隣市にお住まいの、熟年の方々であった。

みなさん喜んで見学していただけたようだ。
特にメモしておきたいことは次、

・ 野川公園駐車場からの距離がありすぎ、近くの道路上に運転者一人を残した停車状態として、残りのお二人できた方々がいた。
足の不自由な方などが気安く見学できるような配慮について、市はそろそろ考えはじめてもいいように思う。

・ 稼働状態を見学できる特別公開の話をすると、みなさん「是非見たい」とおっしゃる。
近隣市への宣伝展開をもっと積極的であってもいいと思うのだが。

・ これからの時期、散歩する人が増えよう。そのような人々が、たてえ中を見学することがなくとも、休めるよう、少なくとも10脚程度の椅子やベンチを庭に配置してみてはいかがか?コミュニケーションの依り代となるようにおもうのだが。

論語(287)

2013-03-05 10:13:53 | 論語
民無信不立(顔淵第十二の7)

民は信なくんば立たず

政治への民の信頼がないかぎり、(国(組織))の安定はない。


子貢が、政治の要諦について孔子にたずねた。その答えが次。

食わせること、軍備を整えること、民の信頼を勝ち取ること(食足兵足、民信之矣)。

では、このうちひとつを除外するとすればどれでしょうか、と子貢がたずねると、

「軍備はあとまわし」と答えた。

さらに、では、残りのふたつのうち、どちらを先に切るべきでしょうか、とたずねると、孔子は

「食を切る」と答え、上の言葉につなげた。


孔子を生んだお国において、現在、政治への民の信がゆらいでいるらしい。

某国においても、最近おきた二回の政権交代は、まさに民の信を失った結果であった。
今のところ、現政権の必死さは伝わってくる。
将来後悔しないよう、安定感のある国づくりをめざし、民の信頼を勝ち取るための努力を続けてほしい。

論語(286)

2013-03-04 11:27:26 | 論語
浸潤之譖、膚受之愬、不行焉(顔淵第十二の6)

浸潤(シンジュン)の譖(ソシリ)、膚受(フジュ)の愬(ウッタエ)、行なわざる。

「明」(賢明な人のことか)とはどういうことでしょうか、と子張から聞かれたときの孔子の答。

他人様について、噂話や悪口はしないこと。そうすることが「明」である。



この文章の次に、「またそうすることは「遠」でもある」と付加されている。

「明」を賢明と解釈するとして、この「遠」をどう解釈すべきか悩む。次のように解釈したが、これでいいか?

遠=遠識(遠い先まで見通す見識)


まあ簡単に言ってしまえば、ごくまっとうな人は人様の噂話にはのらないし人様の悪口を言うこともない、ということでしょう。
異論有りません。


論語(285)

2013-03-02 09:11:40 | 論語
死生有命、富貴在天(顔淵第十二の5)

死生、命あり、富貴、天にあり

死ぬも生きるも、あるいは財をなすか人様から尊敬されるかどうかも、(すべて)天の配材です。


司馬牛が「世のみなさんは、(立派な)兄弟をお持ちですが、私にはいません」と嘆いたとき、子夏が(孔子から)聞いた、として、司馬牛に示した言葉。

さらに続けて、

(あなたを含め、君子になろうと努力している人々は)、物事に慎重に取り組み失敗をなくそうとしているし、他人様に対し礼を尽くして接しているので、周囲の人々は皆(敵ではなく)兄弟ですよ。君子たる人がどうして兄弟がないことを気にするのでしょうか(心配する必要はありません)。


たぶん、司馬牛は迷いや悩みの真っただ中にいるのだ、と思う。
俗に「迷わぬ者に悟りなし」というが、子夏は、司馬牛のたどっている道に間違いはない、と激励したかったのではないか。

とにかく、「死生有命、富貴在天」という言葉は、凡人にとってとんでもない高みの、悟りの境地だ、と理解した。