水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(126)

2011-10-31 11:42:30 | 論語
策其馬曰、非敢後也、馬不進也(擁也第六の15)

その馬に策(ムチウ)っていわく、敢えて後れたるにあらず、馬進まざるなり。

孔子が孟之反(モウシハン)という名の武士を評価した言葉。

「孟之反は決して手柄自慢をする人ではない。というのは、ある負け戦の時、彼は自軍の最後尾に位置取りをして、自城に走りこんだ。その時、馬に鞭を当てながら、次のように言ったそうです。」

そして上、

「格好つけてしんがりに位置取りしたのではありません。この馬が(どうしようもない駄馬で)、走ってくれなかったのです」

格好いいですね!こうありたいですね!

こっちの国の有名な話は、秀吉が信長旗下での地位を確固たるものにした、朝倉攻め敗走時のしんがり取りでした。

でも、ふだんボケーっとしていて、ピンチをチャンスに変えることができるとは思えません。
孟之反は度胸の据わった馬(たぶん高額)を選んで乗っていたのでしょうし、秀吉は修羅場・乱戦に慣れた蜂須賀勢を擁していたわけです。

平時における、準備や心構えがしっかりしていた、ということでしょうかね~。

論語(125)

2011-10-27 10:06:21 | 論語
行不由径(擁也第六の14)

行くに径(コミチ)によらず

孔子が、仕官できた弟子、子游に「人材を得ていますか」(汝人得)と聞いた問に対する答え。

澹台滅明という者がいます。
彼の行いは、正々堂々としていて姑息な省略をしません。(行不由径)

そして、公務でない限り、私のところにやってくることはありません。(非公事、未嘗至於偃之室也)

こういう生き方を貫ける人が世の中にどれほどいるであろうか?

論語(124)

2011-10-26 09:20:33 | 論語
無為小人儒(擁也第六の13)

小人の儒に為ることなかれ。

小人儒=名利のみを目的として儒教を学ぶ人

孔子が、その弟子、子夏に対して言った言葉。

道を究め、徳を修めるために儒教を学んでください(為君子儒)。
そして上、

名声とか利益を求めるために儒教を学んではいけません。


孔子のもとに、人材を求め多くの求人があって、そのことを知ってポストを得るために儒教を学ぶ(ふりをする)人が集まってくる、という構図。

いつの世も、どこにでもある光景。

今朝、大学生の求職活動が三年生から始まるいきすぎを是正しようとする動きを報じていた。

なんかおかしいよね、と誰もが感じていながら、変えられないこの世の中。
不思議といえば不思議。

解説員として(93)

2011-10-25 19:53:08 | 解説員日記
 11月4日~6日の間、「しんぐるま」は特別公開する。

水車を動力源として、つき臼、碾き臼を昔通りに運転し、見学者に丁寧な説明がなされる。

このブログを見ておられる方で、ご興味をお持ちの方に、この際是非見学なさることを、お勧めする。

予約制で、もう申込み期限を過ぎたが、まだ空きがあるらしい。
とにかく、三鷹市役所生涯学習課に電話(代表:0422-45-1151)で申し込んでほしい。


 今日の午後、解説当番であった。6組、総計12人のお相手をしたが、ご不満をお持ちになった方は一人もいらっしゃらなかった。
逆に、三鷹市の、宣伝をおおげさにやらない鷹揚さをほめる方もおられた。

百聞は一見にしかず。めったにない、稼働公開の好評・成功まちがいなしだ!


論語(123)

2011-10-24 09:45:39 | 論語
今女畫(擁也第六の12)

今、汝(ナンジ)は畫(カ)きれり

孔子の弟子、冉求(ゼンキュウ)が、次のように言ったときの、応答。

「先生の教えを理解したくないのではないのです。ただ、私の力がないのです」
(非不説子之道、力不足也)

これに対し、孔子は
「力の不足している人間は、途中で投げ出す」(力不足者、中道而廃)

そして、上の言葉、

「あなたは、今、そうしようとしている」

途中で投げ出すことを、孔子が極端に嫌った、と解釈しました。


ひるがえって、これまでの人生、途中で投げ出すことばかりでした。
ジクジたる思いです。

論語(122)

2011-10-21 10:51:55 | 論語
一箪食、一瓢飲、在陋巷(擁也第六の11)

一箪(タン)の食、一瓢(ピョウ)の飲、陋巷(ロウコウ)に在り

孔子が、その弟子、回について評した言葉。

普通の人であれば、決して耐えることのできない、粗食・粗飲をし、みすぼらしい町に居をかまえている回は、賢い。(なぜなら、彼はそれを自らの意思でやっているからだ)


宮崎アニメに、主人公の両親が太った豚になった場面があった。

折にふれ、渡辺京二「逝きし世の面影」をペラペラめくるのだが、江戸時代の庶民は、あれほど貧しかったのに、外国人が驚嘆するほど、なぜ明るい日常をおくりえたのか?

ひるがえって、今日社会を覆う、表面上の繁栄といいようのない暗さ・重苦しさとの対比を、どのように解釈すればいいのだろうか?

もしかしたら、社会全体、個々人の生活から、贅肉を徹底的にそぎ落とさねばならないのかもしれない。

これ、自力では決してできない。また、外力に頼ることになるのでしょうか。


論語(121)

2011-10-19 09:57:06 | 論語
亡之、命矣夫(擁也第六の10)

これ亡なり、それ命なるかな

孔子が、不治の病にかかった弟子、伯牛を見舞いに行き、窓越しに手をにぎり、発した言葉。

「こんなムゴイことないよ。やめてくれよ、運命とはいえ!」


70年も生きてくると、これと同様の気持ちになったことは、何回かある。
親友の死は本当にやるせない。

今朝、復興担当大臣が、津波で亡くなった友人(たぶん、親友だったのだと思う)について、「死んだバカがいる」と発言した、と報じられた。

公式の場(身内の会合か?でもマスコミ取材を許していた)で、公人が言ってしまう、軽々しさは責められるべきだ。とは思うが、言葉尻だけをとっつかまえて、キャンキャン騒ぐ、マスコミ、野党もいかがなものか。

給料に見合った仕事をしていただければいいではないですか。


話がそれたが、孔子が手を差し伸べた窓は、「牖」(ユウ、マド)という字であった。
この字が意味する窓は、壁に設置された通常の窓ではなく、回廊などの壁面に設けられる格子窓のことだそうだ。
病院内に入ることができず、病棟の外から格子越しに手を握り合う情景を想像すると、なんとも物悲しい。

解説員として(92)

2011-10-18 15:09:57 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

見学者は、サイクリングの途中で立ち寄った、一組3人のみであった。
満足していただけた、と思う。

当方も、天気がよく、静かで、満足。

・ 感想文を書くノートにフランス語(と思う)での記述があった。
ベルギーから来た人だと思うが、なんて書いたのか知りたい。

・ カラスが柿を食べにやってきた。10羽近く来たと思う。油断していると全部食べられてしまうかも。


前回書いたスタンプラリー、今日15か所に到達したので、打ち止めにする。ステッカーと交換してくれるらしい。ちなみに、50箇所だと、携帯ストラップ、100箇所だとマグカップだそうだ。

論語(120)

2011-10-17 10:06:39 | 論語
則吾必在汶上矣(擁也第六の9)

則(スナ)わち吾必らず汶(ブン)の上(ホトリ)に在り

人様からの頼みごとを断るときの最後通牒。

孔子の弟子、閔子鶱(ビンシケン)を費国の宰相にしたいという要望がきたが、本人は断った(善為我辞焉)。それでもなお、採用したいと言ってきたら、

「私はここから逃げ出して、国境である汶川の岸辺に行きます(つまり国を捨てます)。」


しかししかし、劉備が諸葛亮を軍師にしようとしたとき、断られても断られても頼みに行ったという故事がある(三顧の礼)。


「在汶上」がなぜ最後通牒なのか?もう一回頼みに行ってもやはりダメなのであろうか?

この辺、背景を勉強しなければわかりませんな。

論語(119)

2011-10-14 09:21:02 | 論語
於従政乎何有(擁也第六の8)

政(マツリゴト)に従うに於いて何か有らん。

孔子が、その三人の弟子(仲由、賜、求)の政治能力を問われたときの答え。

政治に従事することに、何の問題もありません(うまくやりとげるでしょう)。

理由として挙げたのが次:

仲由の場合、「果」=勇敢、だから
賜の場合、「達」=物事に通暁している、から、
求の場合、「芸」=才能がある、から


孔子は、政治は誰でもできる、といいたかったのではなかろうか。

つまり、人間、普通は、それぞれに得意な分野を持っている。これすなわち「芸」。
このような人が、まじめに勉強し(つまり、達)、気力を失わなければ(すなわち、果)、政治家として、まともにやっていける。


政治、特に地方政治に、職業政治家は必要ない。ボランティア業務にすべきだと思う。
そうすれば、人件費などを節約できるし、損得抜きの真剣議論が増えるはずで、政治のレベルが向上するに違いない。
孔子様も異論ないはずだ。

論語(118)

2011-10-13 10:27:57 | 論語
其余即日月至焉而已矣(擁也第六の7)

其の余は即ち日月(ジツゲツ)で至り已(ヤ)む


顔回(何回か前に書いた、若死にした、孔子の愛弟子)について、「回は仁心を、三か月でも(平気で)維持できる」と評した後、上の言が出てくる。

例によって、独断と偏見解釈を試みると、次のようになるのだが、さて、それでいいか。

「顔回以外の人間(弟子)が仁心を維持できるのは、ほんのわずかな時間だけだ」

「日月」を、日が昇って、月が昇って、まる一日と解釈した結果だ。


論語(117)

2011-10-12 09:52:58 | 論語
犂牛之子、騂且角(擁也第六の6)

犂牛(リギュウ)の子(にして)、騂(アカ)く且(カツ)角(ツノ)(あらば)


犂牛=①農耕用の牛②黄と黒のまだら毛の牛
騂牛=セイギュウ、赤い牛

農耕用の牛の子供であっても、赤く立派な角を備えることがある。
(そのような牛は祭祀用に重用されることもある)

孔子が、その弟子、仲弓について評した言葉。

たぶん、仲弓は、氏素性はかんばしくなかったにもかかわらず、本人の才能・努力によって、世の中の中央に出てきた、ということ。


このところ、あやしい雰囲気だが、いわゆるアメリカンドリームを支えた根幹は、これと同じことだろう。
日本から国外への留学者数が激減しているそうだが、社会の成熟とはこういうことか。

論語(116)

2011-10-11 09:25:11 | 論語
以與爾隣里郷党乎(擁也第六の5)

以(モ)って爾(ナンジ)が隣里郷党(リンリキョウトウ)に与えよ。

粟900(単位不明)を与えようとした執事(名前は原思)が辞退したとき、孔子が言った言葉。

(いやいや、あなたにあげるのではなく)、あなたを支えている人々に配ってもらいたいのですよ。


ウサンクサイ金品を配るときの常套語、と聞いたことがあるが、もともとは孔子の、きわめて品のいい言葉だったのですね~。はじめて知りました。


ところで、「いやいや」(そうではないよ)を意味する語として、「毋」(ナカレ)という漢字があることも初めて知りました。正確には、真ん中の縦棒が下に突き抜けるのだそうです。

「母」=これは、ハハですね。

「貫」の本字の「毌」もあります。貫の字の上で、二枚の貝を串刺しにした形。カンと音読みします。

まぎらわしい字が三つもあって、いささか混乱しました。


何が言いたかったかというと、上に示した(いやいや、あなたにあげるのではなく)という解釈に行き着くまでに時間がかかった、ということです。基礎的知識の不足を恥じ入ります。



論語(115)

2011-10-07 10:21:49 | 論語
君子周急不継富(擁也第六の4)

君子(なるもの)周急(シュキュウ)、富めるを継がず

まともな人間は、危急に陥っている人様を救うもので、金持ちをさらに富ますようなことはしない。


孔子の弟子が、使いに出された。別の弟子が、出発にあたって、孔子に、母への手土産として粟をいただけないでしょうか、と頼んだ。

孔子は、「釜」(フ)でいいでしょう、と答えた。それに対し、弟子は、もうちょっとお願いできないでしょうか、とねだった。

孔子は、じゃあ「庾」(ユ)にしましょう、といった。

弟子は不満で、結局無断で、5「秉」(ヘイ)の粟を持って出かけた。しかも、そのいでたちは、立派な馬にのり、フカフカの毛皮を羽織っていた。


上の言はこの話を受けて出てくる。


全体を正しく理解するためには、容量の単位を今の感覚でとらえねばならない。

1釜=6斗4升=64升
1庾=1斛(コク)6斗=16斗=160升
1秉=16=160斗=1600升

この時代、1升=約200ml、だったそうだ。

最初ねだられた時の答えは、約13リットル、もうちょっと、と言われて、約30リットル、と孔子が言ったのに、弟子は、孔子に無断で、約16000リットルもの粟を持たせた。


もしも、弟子がカツカツの出張旅費しか与えられていないなら、あるいは、出先の母親の生活が本当に困窮しているなら、たぶん孔子は多量の粟を持たせたであろう、見栄は張るな、というお話。


ツケタシ。
岩波の国語辞典(85年発行、ちょっと古い)で「斗酒」と引いたら、「1斗(=約18リットル)もの多量の酒」とあった。
1.8か2リットルでしょうに。
新しい版ではなおっているとは思うが、辞書の不備を、久しぶりに、見つけ、快感!

論語(114)

2011-10-06 11:02:43 | 論語
好学、不遷怒、不弐過(擁也第六の3)

学を好み、怒りを遷(ウツ)さず、過ちを弐(フタ)たびせず

孔子が、「お弟子さんの中で、学を好むのはどなたでしょうか?」と聞かれた時の答え。

前段に、「顔回なる者あり」と言って、上を言った。

「顔回は学を好みました。(そして彼は)、八つ当たりをせず、同じ過ちを二度としません。」

そして、「この後、次の意味することを言った。

「不幸にして彼は若死にしてしまい、今はいません。学を好む者を、彼以外に聞いたことがありません。」


好学と不遷怒、不弐過とを同列にあつかっているので、孔子が考える「学」は、単純に、習う、とか、知る、とかを意味するものではない。
「切磋琢磨」とか「人間修養」とかを意味するのではないだろうか。

孔子が、その死を惜しんだ顔回は、知識を豊富に持ち合わせて器用にふるまえる人では決してなく、常に自らに厳しい、神様仏様に近い人であった、と想像する。

そうありたい、とは思います。が、とてもとても未熟すぎて、近づこうと努力することもはばかられます。
ヤツアタリと同じアヤマチを繰り返す人生だったからです。お恥ずかしい。