水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

植松三十里(2)

2011-12-28 08:58:07 | 植松三十里
女たちの江戸開城 双葉社 2006年9月20日発行。

伊賀者あり、スーパーマンあり、の大活劇で、楽しい読み物となっている。
テレビドラマにしたら、さぞや面白かろう。

実在の、皇女和宮付き上臈、土御門藤子を主人公としている。

江戸無血開城の立役者は、西郷、勝・山岡というのが定説だ。
が、この本によれば、実は、この藤子が、和宮の意のもとに、あの混乱時に二回も、東海道を決死の往復をし、下地を作ったことによって成し遂げられた、のだそうだ。

徳川慶喜に、大阪からの敵前逃亡は国難を救うための決断であった、と語らせるくだりは説得力十分。
確かに、あそこで大きな軍事衝突があれば、この国は英国と仏国とに分割占領され、植民地となっていたに違いない、と思う。

土御門家は陰陽師の家柄で、暦をつくり占いをするのが仕事だったのだそうだ。

占いをする理由のひとつに、「なにかをしなければならない日を決める時、決定された日について不満が出ないようにするため」、があるのだそうだ。これも納得。

女性の力が必要な今の時代に合致する、いい本、と思う。

そしてもちろん、筆力十分、よく勉強している、確かな作家、と認める。

解説員連絡会(20)

2011-12-27 09:54:03 | 水車解説関連
昨日、12/2に実施された、標記連絡会の議事録等が、電子メールで送付されたきた。

今回も、連絡会は出席しなかったため、通読した。
備忘のために、大事な事項をメモしておく。

1 1月~3月のスケジュールが決まった。穴をあけないように注意せねば。

2 見学案内・安全管理マニュアルができた。簡にして要を得ている。いいできだ。

3 会議録

・ 11月の特別公開での見学者は、総計160人。
市は、見学者の平均年齢層が低かったこと、無事故であったこと、などを理由とし、成功、と認識したようだ。

・ 解説員の新規募集に5名の応募があった。今後トレーニングを積み、合流するのだろう。

・ 解説員詰所が準備されるらしい。寒さの厳しい季節はありがたい。

・ 市は、見学者を増やす努力を怠っていないようだ。自信を持って頑張ってほしい。
特別公開に行った人の評判はとてもいいのだから。

・ 活発な質疑応答が行われた様子がうかがえた。


4 有志による、そば打ち体験会が1月に開催されるそうだ。

論語(149)

2011-12-26 14:23:37 | 論語
不憤不啓、不悱不発(述而第七の8)

憤せずんば啓せず、悱(ヒ)せずんば発せず


知りたくて知りたくてしようがない、ということを示す態度が明確でなければ、(私(孔子)は私の思うところを)示すことはありません。

師に教えを乞うときは、それなりの態度が必要でしょう、と言っているのだと思う。

よく、「今どきの若者ときたら・・・」との導入句ではじまる話を聞くが、この孔子の言葉を示すまでもなく、いつの世も、老人の話題のひとつに、若者の姿勢があるのだ、と思う。


植松三十里(1)

2011-12-25 09:18:07 | 植松三十里
今月の13日に、水車見学にいらっしゃった、植松三十里(ウエマツミドリ)先生に敬意を表し、御作を読み、紹介し、感想を述べようと思う。

まず、

咸臨丸、サンフランシスコにて、 角川文庫、H22年4月25日発行

 咸臨丸に乗船した人々のうち、勝海舟や福沢諭吉などの有名人ではなく、水夫として乗り組み、病気やその介護のために、同船で帰国できなかった人々の話だ。

船に乗って、ずぶぬれになった経験を有する者としては、咸臨丸乗組員の荒天時の苦労話はみにつまされた。よくわかる。


「咸臨丸のかたりべ」という描き下ろしが、併載されている。

どちらかというと、こちらのほうが迫力があって、魅かれた。

「幕末軍艦咸臨丸」という本を著した文倉平次郎について書いている。「幕末軍艦咸臨丸」は知る人ぞ知る名著らしい。
その文倉の著作に至った動機が、咸臨丸乗り組み船員のうち、現地で亡くなった三人の墓のうち、三人目の墓を見つけたことであった、との解釈は、説得力があり、感激した。

この「幕末軍艦咸臨丸」も読んでみたい。


植松先生は、世の中の動きに一石を投じた、無名の人への関心が強いようだ。なかなかいい。



 

論語(148)

2011-12-21 09:25:46 | 論語
束脩(述而第七の7)

ソクシュウ

① 束ねた干し肉
② 教えていただく先生に会うとき、持参する進物
③ =束修(約束修整)=品行をつつしむこと

ここでは、②の意味で使われているのだが、納得できない。なぜか?

束脩をもってきたからには、私は教えなかったことはない(自行束脩以上、吾未嘗無誨焉)と言っているからだ。

学びたい、と思う心の強さを、束脩を持ってくることで、計るのだろう。

孔子といえども、しょせん、そんなものなのだろうか。

凡人ではなく、かの孔子様なのだから、何も持ってこなくても、学びたい心を強く持っている人には、貧富の差をつけず、教えてほしい。逆に、大金を持ってきても、学ぶ心がない人は、追い返してほしい。


独断偏見解釈だが、がっかりさせる文章だ。間違っているか?

解説員として(99)

2011-12-20 17:00:10 | 論語
今日の午後、解説当番であった。今年最後。

快晴、無風、やや寒し。

午前の見学者がゼロであった、と聞き、午後もたぶん同じ、と思った。

が、一組7名熟年男女が、わざわざ八王子から、いらっしゃた。「散歩」のグループらしい。

過去に、休みの水曜日に来てしまったことがあり、今日がリベンジ、とか。

ご満足いただけた、と思う。
特に、農具や民具を前に、皆さんの話がはずみ、とても楽しげであった。


満足、といえば、80歳を超えた(ご自分でおっしゃった)、御婦人が市内から、これもわざわざバスを乗り継いでいらっしゃり、庭先で30分ほど話をしてお帰りになった。

なんでも、子供のころ、父上につれられて行った、信州の家のたたずまい、にとても似ていて、「ここにくると落ち着く」のだそうだ。

この施設を取り巻く環境は、我々に心の安寧さを生み出させる力を持っているのかもしれない。
だとすれば、すばらしい!


論語(147)

2011-12-19 12:32:36 | 論語
志於道、拠於徳、依於仁、遊於芸(述而第七の6)

道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ。

孔子様が言いました。とあって、上の語が出てくる。

私、すなわち孔子、が目指している生き方が、こうですよ、と言っているのであろうか。

それとも、人間たるものこうでなければならない。みなさん、このように心がけなさい、と言っているのか。


まあ、どっちにしても、人間としてまっとうに生きることを志し、良いと思うことをし、人様を慈しみ、学ぶ心を失わないように、毎日を過ごすことができれば、これはもう、神様みたいなものだ。

とてもとてもできるわけがない。と言ってしまったら、身もふたもないか。


論語(146)

2011-12-16 10:30:29 | 論語
甚矣、吾衰也(述而第七の5)

甚だしきかな、吾が衰(オトロ)えなり。

孔子は歴史上の人物のなかで、政治家、周公旦を、夢にみるほど尊敬していたのだそうだ。

が、その夢も見なくなって、上の表現、となった、らしい。


世の中、オッカケと称する、特定個人を慕うファンがいる。もしかしたら、孔子はこの類ではなかったか。

オッカケ族は、ある時点で、憑き物が落ちたように、それを卒業するらしい。

孔子も、心身の衰えを言っているのではなく、「周公旦卒業!」と宣言したかったのではないか。

独断偏見解釈。


それにしても、身体の衰えを実感する毎日を迎え・送っているわが身を振り返り、なんとも寂しい。




論語(145)

2011-12-14 09:08:11 | 論語
子之燕居、申申如也、夭夭如也(述而第七の4)

子(シ)の燕居(エンキョ)、申申如也(シンシンジョ)なり、夭夭如也(ヨウヨウジョ)なり。

燕居=閑暇無事のこと

申申如=のびのびしていること

夭夭如=いきいきしていること


孔子様が暇でくつろいでいるときは、ゆったりとしていて、魅力的だ、
との感想を持った弟子の言葉でしょうか。

いかに孔子であろうとも、四六時中、ピリピリしているわけはなく、こういうときも当然あっただろうし、そんなときは、「かっこいい、爺さん」であったに違いない。

一方、凡老人の場合はまったく逆だ。
年中、「申申如、夭夭如」であるから、たまにはピリッとする時がなければならぬ。

解説員として(98)

2011-12-13 16:34:07 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

やや寒かったが、快晴、風弱し。

しかし、見学者は、一人のみ。

が、が、である。

その方、定番の解説を、上の空的にお聞きになるのだが、ときどき、鋭い質問を飛ばす。ひやり!

特に、水車本体に関して、相当なご興味をお持ちのご様子であった。


「これで、私からの説明を終わらせていただきますが、何かご質問はおありでしょうか?」

「大変参考になりました。実はわたくし、売れない物書きなのです。今反射炉に関する小説を書いていて、動力に水車を使う場面に入ったのですが、どうしても水車を見たくなって、ネットで調べたら、すぐ近くにあるではありませんか。武蔵野市に住んでいるのです。すぐ、きてしまいました」

「げげーっ。是非ご尊名と御著書名を教えてください」

教えていただいたのが、次の二冊。
群青・日本海軍の礎を築いた男、文春文庫、新田次郎賞受賞作
北の五陵星、角川書店、近刊(12/21書店に出る)

植松三十里先生

帰宅後、さっそくネット検索してみた。「売れない作家」どころではない。立派な公式サイトあり。著書多数。

これを機会に読みますべえ。全部読むぞ!

こういうことがあるから、この種の活動は面白い。
管理の方は、色紙にサインをいただいていた。


文章作成のためのイメージが膨らんだに違いない、と信じたい。
その著作がいつ出版されるか、待ち遠しい。




論語(144)

2011-12-12 10:12:08 | 論語
是吾憂也(述而第七の3)

是、我が憂いなり。

「孔子の四憂」として、よく知られているものらしい。
四憂とは?

徳之不修也(徳の修めざる)=人間性を高めようとしない。

学之不講也(学の講ぜざる)=勉強しない。

聞義不能徙也(義を聞きて徙(ウツ)るあたわざる)=正しいことを正しいと言う。あいまいにしない。

不善不能改也(不善の改むるあたわざる)=良くないとわかっていて改められない。


さすが孔子様だ。彼の心配事はこういうことであったのか。

凡人の心配事は、こうはいかない。もっとずーっと世俗的だ。

どれも、とてもできるとは思わない。が、せめて四番目ぐらいは、忘れないように努力してみよう。

論語(143)

2011-12-09 09:41:10 | 論語
黙而識之、学而不厭、誨人不倦(述而第七の2)

黙して之を識り、学びて厭わず、人を教えて倦まず

孔子が、自分の職務、ライフワーク、生きる目的(うまい表現が浮かばない)を表した言葉だと思う。

というのは、上に続いて、(これらをすることは)、「何有於我哉」(我において何か有らんや)=私にとってはどうということはない、と言っているからだ。


で、上は何を言っているか?

観察・思索(黙而識之=対象とする事柄をさとること)、学習(学而不厭)、および教育(誨人不倦)の三つであるに違いない。
これらが、孔子の考える、自分の役割、と理解した。


今の社会、一般に、この三つのうちの何が足りないか?

たぶん、観察・思索(黙而識之)。借り物知識の上滑り横行。

心しなければ、と思う。

論語(142)

2011-12-07 09:49:06 | 論語
述而不作、信而好古(述而第七の1)

述べて作らず、信じて古を好む


私(孔子)は、古典や歴史が好きですが、それらを、こねくりまわすのではなく、素直に理解しようとしている。

と、理解しました。独断偏見解釈かもしれません。

随分前、温故知新(為政第二の11)を書きましたが、精神は共通しているように思えます。
これらに共通して、孔子が言いたいことは、

現代を理解しようと思ったら、古典や歴史を勉強しなさい。その延長上に未来への展望や創作がある。
と、理解しています。


しかしそれにしても、「温故知新」を書いたのは、震災・原発事故の前、二月でした。

自分も含め、人々の心は、この間に激変しました。

今あらためて、「論語ぐらい読んだら・・」、と言ってくれた友に感謝しています。
論語を読むことによって、常にヨタヨタしている自分でも精神が正されるような気分になることがあるからです。

論語(141)

2011-12-05 10:37:29 | 論語
仁者己欲立而立人、己欲達而達人(擁也第六の30)

仁者は己を立たんと欲して人を立て、己を達せんと欲して人を達する。

仁者=人格者

本当の人格者は、自分を目立たせる前に人を目立たせるし、自分が到達したい境地には先に人を行かせる。

弟子の子貢が「仁者とは?」と聞いたことに対する孔子の答え。

子貢は仁者を、民を救い幸せにできる人(博施於民、而能済衆者)と考えた。

それに対し孔子は、そんな人は聖人ですよ(必也聖乎)と言った後、上の定義を示した。


人格者でありたい、と思ったら、でしゃばるな!謙虚であれ!ということでしょう。


最近のマスコミ報道を見ていると、組織を束ねる人間の人格を疑う場面を目にすることがある。

人間、権力を握ると盲目になる。

そして、そのような人間本来の愚かさを肯定すれば、制度としての定年制は維持せざるをえない、と思う。

いまさらながら、アメリカ大統領の任期が二期8年であることの重要さに気づく。