水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(202)

2012-05-30 10:06:34 | 論語
博学而無所成名(子罕第九の2)

博く学びて名をあぐる所なし


達巷という土地の人が、孔子を評した言葉。

(孔子先生の)、持っておられる知識の広さは半端ではなく、どこかに突出した専門性をお持ちにならない。


このことを聞いて、孔子は、(六芸のうち)馬術(御)にしようか弓術(射)しようか迷うが、馬術ということにしておこう、と言った。


六芸(礼、楽、射、御、書、数)のどれもが人並以上だけれども、「このうち何が得意か?」と聞かれたら、孔子は、(インテリが嫌う)、射か御にしておこう、と、謙遜して言ったのでしょう。


今風に言えば、孔子はスペシャリストではなくジェネラリストであった、ということ。


原発事故調のヒアリングで、前首相が、小さなことまで口をはさみすぎた、と批判されています。しかし、どうでしょうか?

安全委員会、保安院、東電、それらの組織の中枢にスペシャリストが配置されていなかった、と見ることは間違いでしょうか。
あの混乱の原因の大半は専門知識の薄い文官の思い上がりにあった、と思うのです。
有能なはずの官僚組織から、なんら有効な対処法が出てこないから、前首相はどんどんのめりこまざるをえなかった、とみます。

もっとも彼には、人を信用できない人、という別の根があったのかもしれませんが。

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つけたし:過日取材に対応した、水車についての記事がY新聞本日朝刊に載った。やれやれ。
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論語(201)

2012-05-29 10:07:50 | 論語
子罕言利與命與仁(子罕第九の1)

子、罕(マレ)に利を言う。命と仁と。

孔子は、ときどき私益について言うことがありました。ただしその時は、天の配材とか人を慈しむ心とかの話と合わせてです。


久しく、「グローバリゼーション」とか「市場にまかせなさい」とか言われてきましたが、強者の論理を押し付ける社会は、強者をより強く弱者をより弱くするだけですから、長持ちしないでしょう。
質素さを追及する天皇家の思想からは180°逆にある思想で、この国に根付くはずがありません。

国を動かしている人々の心に、上の孔子の言葉の一片でもあれば、親族の生活保護費受給問題で芸人さんをスケープゴートにするような状況は起こるはずがないと思うのです。もっと本質的なところから社会を見、正していただきたい。

「さもしい」とか「ギスギスした」とかの言葉をつけたくなる社会と言わねばならぬ、今日この頃なのでしょうか。

論語(200)

2012-05-28 09:23:39 | 論語
禹吾無然矣(泰伯第八の21)

禹、吾、然無し

私(孔子)は、禹さんについては、文句のつけようがありません。

なぜなら、粗末な飲食をして(菲飲食)、神前の供え物をまともなものにし、粗末な衣服をまとって(悪衣服)、祭礼用衣服をまともなものにし、粗末な住居にすまい(卑宮室)、灌漑水路を整備する、というようなことを実践したからです。


この国の今を動かしている方々に、是非論語を読んでいただき、自らを省みていただきたいと熱望する。

まさか、中国神話に出てくる、禹にあこがれる人が出てくるとは思わないが、そろそろ、自らの衣食住の贅沢さかげんに気づかねばならぬ。タイミリミットは近い。



解説員として(112)

2012-05-24 18:44:59 | 解説員日記
今日の午後解説当番であった。

さわやかな、いやちょっと暑かったかな。気持ちいい午後であった。

見学者は、4組10名。

まず、たぶん国分寺からであろう、歩きの7人グループ。深大寺に行くとおっしゃっていた。
見学を終わって、気分よくお出になったのだが、突然ギャーと絶叫。
青大将を踏んだか、跨いだか、してしまったらしい。
すぐ探したが、発見できず。

サイクリング途中の男性とつなぎ作業服の男性、お二人同時に見学していただいた。
機械としての面白さを感じてお帰りになったようだ。

閉館間際に、買い物後の中年女性、おひとり。「いつもここを通っているのですが、水の音があまりにも気持ちいいので、ふらふらきてしまいました」、そして見学後「大沢にきて10年近くになりますが、近くに、こんなすごいものがあるなんて、夢にも思いませんでした。秋の公開楽しみにしています」との感想。

「三鷹市内は、少々地味ですが、それでも、いくつか見どころはあります。どうか地元に目をお向け願います」と申し上げておいた。


K氏が、ツバキの剪定に汗を流していらっしゃった。
チャドクガに三回も(ここでではない)やられた身としては、今の時期この種の樹木に近寄ることができず、遠くからながめていた。
案の定、というか、幼虫や卵をいく組も発見したようだ。
ご苦労様でした。



論語(199)

2012-05-23 10:29:50 | 論語
子曰才難、不其然也(泰伯第八の20)

子(シ)曰(ノタマワ、)才(サイ)難(カタ)し(と)、其れ然(シカラ)ずや

孔子先生が、才知能力(を得ることは)難しい、とおっしゃいました。その通りだと思います。


この節は長い文章なのだが、どう解釈していいかわからない。

通常、節の文頭にくる、「子曰」が節の中間にきて、ただ「才難」のみを言っている。

示した文の前では、舜は5人の忠臣によって治められ、また武王(周?)が10人の賢臣がいると言った、と書いてある。

そして、その後ろに上の文がきて、さらにその後ろに、次のように書いてあるのだ。

唐虞之際、於斯為盛、有婦人焉、九人而已、三分天下有其二、以服事殷、周之徳、其可謂至徳也已矣

これ、どのように、こじつけ解釈をしても、前とつながらない。

脱帽! 浅学非才を恥じるのみ。

そのうち、なんかわかるかもしれぬ。そうしたら、むしかえすことにする。


それはともかく、孔子の言う、「才難」は納得だ。

テレビは怖い。この国を治めている大臣達の「才」がどんなもんか、隠すことなく見せてくれてくれているから。
彼らは、ご自分たちの無智さかげんを恥ずかしい、と思っているのでしょうか?

論語(198)

2012-05-21 10:21:02 | 論語
巍巍乎其有成功也、煥乎其有文章(泰伯第八の19)

巍巍(ギギ)として其の成功有り、煥(カン)として其の文章(モンジョウ)有り


神話の中の天子、尭を絶賛している言葉。

成功=事業を成し遂げること
文章=統治方針を文字で徹底させること(独断解釈)
巍巍=とてつもなく偉大なこと
煥=光輝いていること

(尭という天子はすごい方だと思いますよ)、やることやること必ずやりとげたし、種々の方針を、(口先だけでなく)、文字に起こして徹底させたのですから。


孔子が、なぜ、古代神話の中の人物、尭、舜、禹を絶賛しなければならないのか、よくわかりません。





論語(197)

2012-05-18 09:15:08 | 論語
巍巍乎(泰伯第八の18)

巍巍(ギギ)たるかな

立派ですよね~。ものすごいことですよね~。


舜や禹の国家経営の成功は、自分たちが直接手を下さなかったことにある(舜禹有天下也、而不與焉)。
これって、すごいことですよね~(巍巍乎)。


日本でいえば、誰のことを言っている、と考えればいいのであろうか。

古事記/日本書紀の神武天皇だろうか、魏志倭人伝の卑弥呼であろうか。聖徳太子では、時代が下りすぎているか。


政治の要諦は、適材適所への人材配置、に尽きるということでしょうか。
人を見分ける目があるかないか、ですかね。



論語(196)

2012-05-17 09:55:49 | 論語
学如不及、猶恐失之(泰伯第八の17)

学は及ばざるがごとくして、猶(ナオ)之を失うことを恐れよ


学=教えを受け、無智を開き、学び覚(サト)ること

人間、知識欲を失ってはならない、ということでしょうか。

一般に、食欲はどんなにボケてもあるが、知能はどこかの段階から低下し、知らず知らずのうちに、なにがなんだかわからなくなる。

よくよく考えると、空しいものですな。

が、がです。好奇心を失わぬよう、日々を過ごさねばならぬ、と思います。

論語(195)

2012-05-11 09:32:32 | 論語
吾不知之矣(泰伯第八の16)

吾、之を知らず

私(孔子)、(こんな人がいるなんて)、信じられませんよ。理解できません。

さすがの孔子もお手上げの人格、三種。

① 狂而不直(狂にして直ならず)
キャンキャン発言し、大騒ぎにするのだが、素直でない人

② 侗而不愿(侗(ドウ)にして愿(ゲン)ならず)
子供っぽくて、つつしみがない人

③ 悾悾而不信(悾悾(コウコウ)にして信ならず)
粗野で誠実さに欠ける人


静かで慎み深く、人様に対して素直に、誠実に対応し、教養を深めるべく日々努力する。

そんな人に、私もなりた~い。

解説員として(111)

2012-05-10 18:36:58 | 解説員日記
今日の午後解説当番であった。

天気予報のとおり、午後1時過ぎから、猛烈な雷雨となった。

見学者はゼロ。午前中は、チラホラ来てくださってたらしい。

前もって、知らされていたのだが、1時から約1時間、全国紙大新聞の取材に対応した。
市担当者も立ち会ったが、市職員は黒子・ボランティア解説員を前面に、とのお考えを徹底なさった。

感想

・ 若い記者。おそらく、初めて一人での取材を命じられた、という感じ。
・ 記事の内容について、自分のイメージをすでに持っていて、それに合わせる内容を拾う、という感じ。
・ だから、なんとなく、質問がワサワサしていて、余裕がない。
・ 写真をバシャバシャ撮った。それも、さえない解説員(ワタクシ)を入れて、だ。
・ タクシーできて、タクシーを呼んでお帰えりになった。
・ 「リラックスできる施設」がテーマで、読んだあと「行ってみたい!」と思わせる内容にしたいそうだ。
・ だったら、① 早めにきて、まわりをすこし歩いたほうがよかったでしょうに?
・ だったら、② とりあえず、はじめに一般的な解説を聞いたほうがよかったのではないでしょうか?
・ だったら、③ もうすこし、下調べをしておくべきだったでしょうに?
・ ご自分が、もう一度来たい、と思わなければ、人様に「行こう!」と思わせる記事は書けないと思う。
・ たぶん、興味を抱く施設ではなかったのだろう。
・ とすれば、大変まずい対応をしてしまったことになる。こちらの責任は重大だ。
・ 記事がボツになったら、市にお詫びせねばならぬかも!

彼が、どのような原稿をお書きになるか興味深々。
そして、Y新聞社会部上司の方、温情をもって、なんとか記事として採用していただけないものでしょうか。




論語(194)

2012-05-08 09:05:31 | 論語
洋洋乎盈耳哉(泰伯第八の15)

洋洋として、耳に盈(ミツ)るかな

ゆったりと、耳いっぱいに充満する。


この節は、正直、よくわかりません。

示した語の前は、こうです。

師摯之始、關雎之乱

師摯之始=摯先生の歌い始め
關雎之乱=詩経の關雎編の終わり(乱)


したがって、全体としては、次のように解釈される。

摯先生の歌い始めと詩経の關雎編の終わりとは、ゆったりと耳いっぱいに充満するように、心なごませるものです。


孔子は、単純に、音楽の素晴らしさを、言っているのでしょうか。それとも、なにか隠された背景があるのでしょうか。
わかりません。


論語(193)

2012-05-07 09:26:39 | 論語
不在、不謀(泰伯第八の14)

不在其位、不謀其政也

其の地位にいるのでなければ、政務に口出ししてはならない。

これが、この節についての、通常の解釈である。

儒教に影響を受けた、古今の国家では、官僚の跳梁跋扈が常であった。

たぶん、この節の解釈を、上のようにすることによって、官僚は他者の意見を聞かないことにしてきたのでろう。


孔子が、このように狭量なことを言うはずがない。後代の勝手解釈だと思う。


ここでは、個々の語の次のような原義にさかのぼり、下のように解釈する。

「位」=物事などの品格
「謀」=難を咨(ハカ)り、患を慮(オモンパカ)る
「政」=人を鞭撻し正道に導くこと

人様に対し、偉そうな訓示をたれることができるのは、それなりに人格が備わっていなければならない。

以上、独断偏見解釈でした。


辞書を見ていると、ときどき、とてつもなく面白いことを見つける。今回は、大字典で次の解釈を見つけ、笑ってしまった。

謀諸婦(モロモロヲフニハカル)=妻に謀りて諸(モロモロ)をなすなり。男子はもともと自ら事を決すべきに今これを婦に謀るとは、諧謔の意を帯ぶるなり。

「なんでもかんでも、奥さんに聞くなんて、笑っちゃうよ」という意味合いで、「謀諸婦」という熟語が、古代中国から使われている、ということでしょう。

解説員として(110)

2012-05-03 14:49:21 | 論語
今日の午前中、解説当番であった。

祭日だが、土砂降りの雨で、見学者は、当然、ゼロ。

アクビの出っ放しの半日であった。


アクビをなぜ「欠伸」と書くのか。気になって、帰宅後、辞書を引いた。

まず、大辞林

欠伸=眠いとき、飽きたとき、疲れたときなどに、思わず口を大きく開けて深く息を吸い、その息を短く吐き出す呼吸。血液中の二酸化炭素の濃度が高くなると、呼吸中枢が刺激されておこる。

大字典

欠伸=あくびとせのびと。欠=あくび。人の頭より気の立ち上がる意。


ここまでで、わかったこと。アクビの漢字は「欠」でよい。「欠伸」と書くのは、正しくは、間違い。
「飽く」、とか、「開く」とも関係しているらしいが、語源の定説はまだない、らしい。


ついでに、英英辞典を引いてみた。

yawn=to open the mouth wide involuntarily, as a result of fatigue, drowsiness, etc.
(疲れや眠気などを原因として、心ならずも口を大きく開けること)


なにが言いたいか、

大辞林の、「深く息を吸い、その息を短く吐き出す呼吸」と自分の実際のアクビとが一致しないように思えてならないのである。


今日、解説員仲間と話していてわかったこと。

解説員のなかでは、自分はまだ若いほうだ、と思っていたのだが、これは間違い。平均年齢は、ずーっと若かった。
若いと思っているのは、自分だけ。




論語(192)

2012-05-01 09:42:24 | 論語
篤信好学、守死善道(泰伯第八の13)

篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす


いろんなところで、よく見かける言葉だ。ちょっと見には理解できたような気になる。が、じっくり眺めると、難しい。
例えば、「篤信」の対象はなにか、とか。
たぶん、次の二語を、どう解釈するか、が問題だと思う。ここでは次のように解釈した。

篤信=強固な信念
守死=死を念頭に置く

とすると、上は次のように解釈される。

強固な信念を以て学問を追及し、かつ、自己の死と同等のレベルで人としてのあるべき道を追及する。


このように読んでくると、次のように言葉を入れ替えたくなる。

篤信守死、好学善道

意味するところは次、
信じるからこそ命をかけることができる、学問を好むからこそ人の道を善くできる。

な~んちゃって、脱線も甚だしいですな。