水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(16)

2011-01-31 11:12:38 | 論語
詩云、切如磋如琢如磨如、其斯之謂與(学而第一の15)

詩経云う、切(セッ)する如く磋(サ)する如く琢(タク)する如く磨(マ)する如く、は其れ斯れを謂うか


孔子と弟子の子貢とのあいだでの会話。以下は意訳。

子貢が、「貧しくてもへつらうことなく、金持ちでもおごることがない、(ような人間でありたいなんて考え方は)どうでしょうか」と孔子にお伺いすると、孔子は
「いいでしょう。しかしながら、貧しくても道を楽しみ、富んでいても礼を好む人間のほうがいい」
と答えた。

そこで、子貢が、次の質問をした。
「詩経に、切(セッ)する如く磋(サ)する如く琢(タク)する如く磨(マ)する如く、とありますが、それは今の私と先生とのやりとりのことを言っているのでしょうか?」

孔子の答えは、
「君とは詩経の話ができる。なぜなら、あることを話すと、次に話すことが分かってしまうからだ」


 禅問答みたいで、凡人にはチンプンカンプンだ。


切、磋、琢、磨、はいずれも「ミガク」意で、順番に、骨、象牙、玉、石をみがくことなのだそうだ。そこから転じて、切磋琢磨は学問や修養を積み上げる意となった。


 サッカー日本、豪州に勝った。選手・関係者全員の、不断の切磋琢磨が、ここに繋がった。
地味な努力を積んできた、脚光を浴びない選手達にエールを送りたい。どうやら、そこに目が行き届く監督のようだ。グッドグッドベリーグッド。




論語(15)

2011-01-28 09:51:58 | 論語
 敏於事而慎於言、就有道而正焉(学而第一の14)

 事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す

 行動が迅速・的確であって、話が慎重な人が、(さらに自らを高めるために)立派な人間に師事し自らを正そう、(ということであれば、その人こそまさに君子(リーダー)だ)。

 この語の前に、君子食無求飽、居無求安(君子は、食(ショク)飽(ア)かんことを求めること無く、居(キョ)安(ヤス)からんことを求むること無し)、とある。
立派な人が飽食・安居を求める、ことはない、だ。

 悲しいかな、もしかしたら、気持ちのよい、ぬるま湯にドップリと浸かってしまった、今の日本に、孔子の言うリーダー(君子)はいないかもしれぬ。


 閑話休題

 昨日、富士山の頂上に日が沈む状景が見られるらしい、場所と日を書いた。冬至をはさんでもうひとつの時期があるはずだ。調べたら、11月17日ごろであることがわかった。日没時刻は16:30頃。
今の時期の日没時刻は17:00頃だ。

解説員として(70)

2011-01-27 18:33:54 | 解説員日記
 今日の午後、解説当番であった。
3時ごろから曇ったが、それまでは、おだやかな日差しが降り注ぎ、春の近さを実感させた。

・ 残念ながら、見学者なし。

・ 午前中に、市内小学校3年生の見学があったそうだ。

・ しんぐるまから、野川の飛橋を渉った先に、武蔵野段丘の上に上がる階段がある。その階段上からの西方  のながめは素晴らしく、知る人ぞ知る、三鷹絶景ポイントのひとつだ。
   1/25は、1年に一度だけ、そこから、富士山の頂上に日が沈む状況を見ることができる日で、それ  を見るために、50人を越える人が集まっていたそうだ。
  残念ながら、雲が出て、見えなかったらしい。
  
  来年は是非、行って見てやろう!

論語(14)

2011-01-26 09:42:55 | 論語
信近於義、言可復也、恭近於礼、遠恥辱也(学而第一の13)

信、義に近せば、言、復くべし、恭、礼に近せば、恥辱に遠いなり(この読み下しは、間違っているかもしれぬ。アヤフヤ)


 直訳的には、人が行うべき正道に関しての約束は何度でもできるし、心の底から人を敬っていれば、辱めをうけることはない、と解釈すべき言葉だろうか。

 思い切った意訳は次、

 人様と約束するときは、その約束事が人間としてやましいことではないかを、確認しなさい。また、恥ずかしい思いをしたくなかったら、人様をさげすんだり、あなどったりしてはいけません。

 孔子の弟子、有子の言葉だそうだ。

論語(13)

2011-01-25 10:02:57 | 論語
知和而和、不以礼節之、亦不可行也(学而第一の12)

和を知りて和すれども、礼をもって之を節せざれば、亦た行われず。

合わせることの重要さを十分わきまえた上で、他者と合わせようしても、行儀作法(相手を尊敬する意味合いをもつ)によって和に節目をつけないと、物事は先に進まない。

 
 儒教は作法にやかましい、と聞く。禅の修業、小笠原流などと同類の、外面の形をきれいにするところから入って、内面に向かっていく教えなのかもしれない。


「和」といえば、聖徳太子、17条憲法、第一条。日本人の根本精神だ。

以和為貴 無忤為宗

和(ヤワラギ)を以って貴しと為す。逆らふこと無きを宗(ムネ)とせよ

(まず)、他者と調和することを考えなさい。(はじめっから)異論をまくしたてないことを心がけるべきです。


イエスバット人間がいいか、バットイエス人間がいいか、なんて話をしたことがあったような気がする。

 人の話を聞いて、「ごもっとも、ごもっとも、----、しかしちっとまって、----」と答えていくやりかたの人がいいか、聞いたとたんに、「ダメ、ダメ、そんな話、話にもならない。---」と大上段から否定し、しばらくたったって気がついたら、ダンマリもしくは賛成してたりするような人がいいか。世の中、けっこう、後者が多かったりして。

これも、孔子のいう「礼」のひとつなのかもしれない。



論語(12)

2011-01-24 11:09:27 | 論語
 三年無改於父之道、可謂孝矣(学而第一の11)

 三年、父の道を改むること無きを、孝と言うべし。

 父に対する孝行(親に仕えるということ)とは、其の死から三年の間、彼のやりかたを変えないことである。


 これは、農業や製造業などの家業を引き継ぐ際の注意を言っている、と思う。

というのは、上の語の前に、父在観其志、父没観其行(父在(イマ)せばその志しを見、父没すれば其の行いをみる)とあるからである。

 ということで、例によって勝手に解釈すると次、

 家業を引き継ぐことが分かったら、まず前任者の考え方を自分のものにし、引き継いだ後は、彼がどのように行動したかを反芻する。そして、三年間は自分のやりかたを前面に出さないことである。


 「三年」を服喪期間とすることは、儒教では自明のことらしい。

解説員として(69)

2011-01-23 17:59:50 | 解説員日記
  解説員が足りない、との話で、急遽午後、解説に入った。
過日、担当予定日に休み、迷惑をかけたが、これで相殺していただけるかもしれぬ。

 土間の寒暖計は、今日8℃。このあいだの5℃に比べ、ずーっと楽であった。

 本日、書いておきたいことは以下、

・ 長距離ウォーカーの靴の脱着は、手間隙かかる。今日、そのことを理由に、入らない方が何人かあった。
「シューズカバーを用意しなさい」とのコメントをもらった。そのとおりかもしれぬ。
長椅子の用意も必要かも(靴紐を解く際、結ぶ際、座ることができると楽)。

・ 小学生(たぶん6年生)から投げかけられた疑問に的確な対応ができなかった反省。
その疑問とは、「板(水受けのこと)の角度が違う」との言葉だ。
なんのことやら、さっぱり理解できなくて、困った。
つきそいのおかあさんから、「朝倉の三連水車を見た」と聞き、氷解したが、あとのまつり。
彼の疑問は次に移ってしまっていて、話をもどす余地を見出せなかった。
上掛け・胸掛け・下掛け、の違いを話せばよかった、と思う。なるべく短く、どう説明するか、次の機会にむけ、考えておこう。
 
・ 「横浜から来た」という、男性お一人。素養レベルがとてつもなく高そうで、不気味であった。こちらのレベルの低さを見透かされたような気分。


 不断の精進、そして、ことに当たっての緊張感の維持。肝に銘じねば。

論語(11)

2011-01-20 11:36:33 | 論語
夫子温良恭倹譲(学而第一の10)

夫子は温良恭倹譲。

先生(孔子のこと)は、あたたかで、すなおで、慎み深く、質素で、でしゃばらない。


 孔子の孫弟子・子禽が、孔子の弟子・子貢に、次のように聞いた問に対する答えだ。

「先生(孔子)はどこにいっても、その話を聞こうと人がきます。先生から人に接近しようとしているのでしょうか、それとも人のほうから寄ってくるのでしょうか?」

夫子温良恭倹譲、の次を意訳すると次、

「(人間性の根本が、このように異なるので、たとえ同じ話であっても)、先生の話は他の人のそれとはぜんぜん異なるのですよ。だから人が寄ってくるのです。」


 俗に言えば、人間枯れないと、話はすぐに、名誉や地位や富のほうに向かってしまう、ということでしょうか。
むずかしい! が、せめて、モンスターじじい、と呼ばれることにならぬよう、温良恭倹譲、を肝に銘じよう。

論語(10)

2011-01-19 09:42:26 | 論語
慎終追遠(学而第一の9)

終わりを慎み遠くを追え(ば)、民徳帰厚矣(民の徳厚きに帰す)。

人望が集まる人は、慎終追遠、を心がけているものだ、という意味だろう。


では、慎終追遠、をどう解釈するか。

大字典によれば、
慎終:①父母の死して葬儀を鄭重にすること②事の終末を全からしめんとすること
追遠:祖先の徳を追い思うこと

む~ん、ピンときませんな。
独断と偏見の、個人的解釈は以下、

「遠」を深謀遠慮、とか遠想とか、遠利とかの「遠」と同じ意味合いに使われていると解釈したい。すなわち、

なにか事を行うときは、常に、広く大きく見て、用心深く締めくくるように心がけること。

いかが。


 サッカー、アジアカップ。サウジに大勝し、今意気盛んだ。
試合の終わらせ方に齟齬があり、勝利寸前で落とした、あの「ドーハの悲劇」は忘れられない。リベンジのチャンス。
完全アウェイの戦いとなる、対カタール戦は力が入る。今から武者震いがとまらない。
がんばれ、サムライブルー!慎終追遠だ。

論語(9)

2011-01-18 11:11:20 | 論語
主忠信、無友不如己者(学而第一の8)

忠信を主とし、己の如(シ)かざる者を友とすること無かれ


 人間、誠意ある、ウソイツワリのない生き方を求めるべきだが、(世の中にはそうではない人もいるのであって)そういう人に近寄ることは避けたほがいい。

 
 その通りだ。しかし、世の中には、忠信を主として生活している人を食い物にしようとする人も少なからずいるわけで、不如己者をどのように見分ければいいのだろうか?

見分けかたが甘ければ、悲しい思いをする機会が増すだろうし、厳しく見分けようとすれば、友人のない寂しい生活を送ることになる。
答えはない、ということか。


 この節の最後は、昨年の11/12の記事で使った、過即勿憚改、だ。

 論語は、内容の整理が吟味されていず、さまざまな意味合いをもつ言葉が、ほとんどランダムに並べられている。
だから、どこを切り取っても、どのように解釈するのも勝手、と言えなくもない。
聖書、コーランと同類とみなすべきなのだろうか。

 


論語(8)

2011-01-17 11:42:02 | 論語
 賢賢易色(学而第一の7)


 これは、まったくわからない。お手上げ!
子夏(孔子の弟子)が言った言葉だそうだが、上の四字のあとを意訳すると、

 父母・上司・友人を大切にする人は、たとえ、その人が(他人がその人のことを、かもしれない)「学が未熟だ」と言ったとしても、私は(認めない)、「よく学んだ」といいます。

 
 さて、冒頭の四字について、大字典によれば

賢賢(ケンヲケントス):賢人を尊び敬うこと
賢賢易色(ケンヲケントシイロニカヘヨ):人の賢を賢として好み、その色を好む心に易(カ)うるは善を好むこと誠あるなり

上はいい。下は、なぜこう読めるのか、さっぱりわかりません。

 伊藤仁斎は「賢人を賢人として、(顔色を変えるように)きっちり認めること」と解釈したらしい。
が、白川静がどのように解釈したか調べたいし、しばらく、ペンディングトレイに投げ込もう、と思う。

解説員として(68)

2011-01-16 17:04:08 | 解説員日記
 今日の午後、解説当番であった。

寒かった! 待機している室内の土間にあった寒暖計を見たら、5℃。

 それでも見学者はあった。二組計5名。

担当した見学者は、市内の小学生を連れた、おかあさんとおじいさん。

水車のことを調べる、と意気込んでいらっしゃったようだ。
ニコニコ顔でお帰りになったので、ご満足いただけた、と思う。

感想ノートに英語での記述があった。なんということのない感想文だったが、初見の単語がひとつ。

loom

機(ハタ)織り機、であった。

論語(7)

2011-01-14 09:29:38 | 論語
行有余力、即以学文(学而第一の6)

行いて余力あれば、即ち文を学ぶ

やることをちゃんとやって後、まだ力が残っているなら本を読むなり学問するなり、してください。
(勉強する前にしなければならないことがあるでしょう!)


 示した文の前段で、孝・悌・信・愛・仁を説いている。
人間としてどうあるべきか、若者に対し、行動規範を示した文だと思う。

 今、伊達直人君行動が共感を呼んでいるのは、そこに、愛や仁をみ、実践できるからだろう。
今回は、たまたまマスコミが取り上げたので大きな騒ぎになっているけれども、もともと世の中の根底は、表に出てこない沢山の孝・悌・信・愛・仁で満ちている、と信じたい。

論語(6)

2011-01-13 11:57:21 | 論語
 敬事而信、節用而愛人、使民以時(学而第一の5)

 事を敬して信、用を節し人を愛し、民を使うに時を以てす。


「導千乗之国」(千乗の国を導くに)、に続いて、上の語が示されている。

「千乗国」とは、戦車千台を供出できる国、すなわち諸侯、だそうだから、今ならさしずめ、「リーダーシップをとるために必要なことは」、次のようなことです、ということだ。

 下のように解釈するが、どうだろうか。

 ・どんなことでも、軽々しく事を運ばず、ウソ・イツワリを言わない。
 ・出費を最小限に抑えなければならないが、そのために人様を粗略にあつかってはならない。
 ・部下にものを頼む時は、自分勝手を慎み、その人が最も働きやすい時節を選ぶ。


「而」という字を、どのように解釈するか、なかなか難しい。単なる強調ともとれるときがあるし、シカシ、ソシテ、ヨウニ、などの意をとる時もある。章題の「学而」を、直感的に、「学んだ、そして(どうするか)・・・」と理解していたが、そうでないかもしれない。


 話は飛ぶが、論語の英訳があるかどうか検索したところ、ザクザク出てきた。非常に面白い。が、翻訳者の能力の問題かもしれないが、上の「而」の例のように、微妙な意味合いの違いを、英語は表現できない、と感じている。
今あらためて、日本語の凄さを実感しているところだ。そのうち、紹介できる、と思う。

論語(5)

2011-01-12 09:17:20 | 論語
 吾日三省吾身、不忠乎、不信乎、伝不習乎(学而第一の4)(全文ではなく、途中いく語か省略している)

 吾、日に三度わが身を省みる。忠ならざるか、信ならざるか、習わざるを伝うるか。


 孔子の弟子、曾子與の言葉だそうだ。


 私は毎日何度もわが身を振り返り反省しています。人様に真心を尽くしているでしょうか、ウソやイツワリを言っていないでしょうか、受けうりでなく自分の言葉で話をしているでしょうか。

 有名な本屋さんの名前の由来はこんなところにあったのですね~。

通常「忠」を、主君や上司に仕えること、と解釈するが、それは後世のことらしい。この字の本来の意味は、真心を尽くすこと、だそうだ。

「信」の意味も、ウソ・イツワリなし、から、疑わず、に転じ、今の、シンじる、に変わってきたらしい。


まあとにかく、毎日反省もいいですが、そればかりては元気がなくなる、と思います。