水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(427)

2014-02-28 09:34:05 | 論語
禄之去公室五世矣(季氏第十六の3)

禄の公室を去ること五世。

人事権を王家が失って五代経過した。


魯王朝の衰退の原因について、政治の実権を家老筋にまかせ、人事権をも手放した王朝は衰退していくものです、と言及している節。


魯の歴史について何も知りませんので、「ハア、ハア」と伺っておくだけにします。


しかしまあ、某国首相の人事権ふりまわしは、ちょくっといきすぎでしょうな~。

解説員として(163)

2014-02-27 18:46:50 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

寒さは厳しくなかったが、小雨。

見学者ゼロ。


閑話休題

写真は数日前に撮影した、井の頭池。
ただいま、カイボリ中、ということで見に行った。

昔はこんな池じゃなかった、と年寄りは、つい言いたくなる。
湧水量が多量であったから、池底にはきれいな水草が繁茂していたのですよ。
今は、単なるため池にすぎませんな。底泥のよごれは、見た目、ひどい。情けない姿でした。

武蔵野台地全体における都市化によって地下水の水位が低下し、こんなになってしまったのだ。
(遠くにみえるビルも、地下水の流れをせき止める、というワルサをしているのです)
地下水位の回復は絶望的であろうから、将来にわたって、細々と人工的に水(深井戸からくみ上げ、と聞いたことがある)が補給されれるのであろう。
外来魚などを駆除し、桜の咲くころには、原状復帰するようだ。









論語(426)

2014-02-25 09:54:48 | 論語
天下有道、則庶人不議(季氏第十六の2)

天下に道あれば、庶人議せず

世の中(のマツリゴト)が、道徳心に基づいてなされていれば、庶民はゴチャゴチャ言いません。


江戸時代における「打ちこわし」、1930年代初期に発生した「米よこせ」、などの事件は、やはり、「天下無道」の結果とみるべきだろう。

一方、今多くの国でおきている紛争のうち、どれを、天下の有道/無動で説明していいのであろうか?
わかりません。



論語(425)

2014-02-24 09:51:04 | 論語
季孫之憂、不在於顓臾、而在蕭牆之内也(季氏第十六の1---③)

季孫の憂い、顓臾(センユ)にあらず、蕭牆(ショウショウ)の内にあり

季氏王国の問題は顓臾(センユ)にあるのではなく、蕭牆(ショウショウ=垣根・国境)の内にある


復習
・ 季氏の補佐官になっている弟子、冉有と季路がやってきて、孔子に「主が顓臾を攻め滅ぼそうとしています」。
・ それを聞いた孔子は、「攻める理由がないでしょ。そもそもあんたら無能者の責任だよ」。
・ 冉有が、「いやいや先生、今のうちにやっとかないと、季家の将来が心配なのです」

これを聞いて、長々と説教し、最後に言った言葉が上。
すなわち、
季氏王国の将来を安定させようと考えるなら、対外関係ではなく、国内問題の解決に力をそそぐべきです。

長々とした説教の内容を要約すると、次のふたつ。
・ 本心(実は顓臾の土地がほしい)を隠してモニャモニャ言うのは君子として最も恥ずべき行為だ。
・ 組織安定の基本は、組織内に分配するパイ全体量の多さ追及より、分配の公平性に留意せよ。


東アジア情勢は、近年一段ときな臭くなってきた。
どの国も深刻な国内問題から国民の目をそらすために、対外紛争の種をつくろうとしている、ようにみえる。

積極的平和主義という、へんてこりんな言葉を使いだした某国もちょっとおかしい。
過去に総理を務めた、老人二人が寒い中、知事選に便乗して原発ゼロを説きまわった、という事実を深刻に直視する必要がある。
某国は国をあげて、福島第一の収束に全力を傾けるべきだ。
担当大臣に、福島第一に限定した記者会見を周一サイクルで実施させ、マスコミはそれを必ず報道するようにすべきだ。



論語(424)

2014-02-21 10:14:35 | 論語
虎兕出於柙、亀玉毀於櫝中、是誰之過與(季氏第十六の1---②)

虎兕(コジ)柙(コウ)より出ずり、亀玉(キギョク)櫝中(トクチュウ)に毀(コワ)る、是れ誰のあやまちぞ。

兕=野牛、柙=檻、櫝=箱

檻に入れていた虎や野牛が逃げ出したり、(あずかった)箱の中に入れていた宝石が壊れたら、誰の責任なのでしょうか?
(檻や箱の管理を任せられた人の責任ではありませんか)


前回の最後で、季氏の補佐官となっている、冉有が「私たちは望んでいないのですが、主が望んでいますので~~~」と発言したことに対し、孔子は、「そりゃ、あんたが間違っているよ」と言って上のようにつないだ。

君主の補佐官としての責任はどこにあるのでしょうか?
孔子は、君主個人に対する助言より、国家安泰保持に対する責任を重視せよ、といいたかった。

この言の前では、次のようにも言っている。

周任という人が言いました。「持っている能力を買われて任務についているのだから、能力がなければ辞任しなければならない」(陳力就列、不能者止)
組織がグラグラしているのになにもしない、のであるならば、補佐官の職務に就く資格はないのではありませんか。


以上のような孔子の説教に対して、冉有は、またまた、とんでもないことを言ってしまった。

「顓臾(センユ)の勢力圏は、季氏が重要視している費(土地の名)の近くですので、今彼らを潰さないと、将来おかしなことになると思われるのです」

之を聞いて、孔子は当然「なんだと~」となる。
続きは次回。

論語(423)

2014-02-20 11:21:35 | 論語
何以為伐也(季氏第十六の1)ーーー①

何をもって伐(ウ)つことをなさん

どうして、攻め滅ぼそうとするのですか?


今日から、論語第十六章、季氏に入る。ざっとみてあと80節ぐらい、最後の胸突き八丁だ。
この300字を越える季氏第一節は、孔子が二人の弟子(冉有と季路)に長々と意見していて面白い。
孔子の心中をのぞけそうな気がするので、3回に分けて読んでみる。
今日は前半。


季氏に仕えている弟子二人(冉有と季路)が、孔子のところにやってきて、次のように言った。

「主、季氏が顓臾(センユ)を攻め滅ぼそうとしています」

孔子の答えが次、

「そりゃ間違いでしょう。そもそも顓臾は、その氏族そのものがむかしから季氏一族だよ。」と言って上に示した言葉につないだ。
孔子が言いたいことは、「責める理由がないでしょう、理由が~~~」、だと思う。

これに対する冉有の答えが次、

「主がやりたがっているのです。私たち二人はそうは思っていないんですけど~~~」

これを聞いて孔子先生、カーっときた(に違いないと思う)。


先生、なんとノタマワッタか?
次回をお楽しみに!

論語(422)

2014-02-19 09:33:31 | 論語
固相師之道也(衛霊公第十五の42)

固(モト)より師を相(タス)くる道なり

当然、(私(孔子)がとった行動が)先生をおたすけするやりかたです。


師=音楽家。この節では、冕(ベン)(盲人)という名の楽師。
相=タスクと読む場合、下位の者が上位の者に対して助けること

冕が訪ねてきたおり、孔子は、懇切に、彼を誘導し、彼に同席者たちを説明した。
彼が帰ったあと、弟子の子張が、「(あのように)音楽家を遇するべきなのでしょうか」(與師言之道與)と聞いたときの答えが上。


ここの解釈は迷う。孔子は次の三つのどれを言っているのであろうか?

① 冕は盲人なのだから、このように対応するのはあたりまえ。
② 一流の芸術家に対する態度として当然でしょう。
③ 一般に、客人に対する対応でしょう。

どれでもいいような、なんか釈然としない節ではある。

論語(421)

2014-02-17 10:29:20 | 論語
辭達而已矣(衛霊公第十五の41)

辭は達するのみ

辭(ジ、ことば)は意志を通じさせるためにつかう(、美辞麗句は必要ない)。


しかし、今回の雪は大変でした。3時に起き、主要な部分の雪かきを済ませましたが、大汗をかきました。
新宿方面から歩いて帰ってくる、仕事帰りの人々もいたりして、事の重大性を感じました。

それにしても、もう何回も書きましたが、なぜ、天気予報の自由化をしないのでしょうか。
今回も気象庁の失態だと思います。力のない人々が既得権益にしがみついているように思えてなりません。
気象庁の業務を気象データの観測・収集・公開に限定し、天気予報は自由化すればいいのです。

天気予報の正確性を報道媒体等に競わせれば、面白い、と思うのですが。

解説員として(162)

2014-02-14 09:22:21 | 解説員日記
昨日の午後、解説当番であった。

曇天、無風だが厳しい冷え込み。

野川沿いは、工事関係者を除き、見事に無人。

予想通り、見学者はナシ。

持参した、激辛数独15に没頭。これは本当に奥深いパズルだ。


今朝は雪。予報に依れば、前回と同程度の降雪量になりそうだ。
自転車で往復した昨日、小道路の数か所が、まだ除雪されていないところがあった。

今回の積雪量はどれほどになるのであろうか?
通りの除雪は、早め、早め、を心がけねばなるまい。


論語(420)

2014-02-12 09:33:45 | 論語
道不同、不相為謀(衛霊公第十五の40)

道、同じざれば、相(アイ)謀(ハカ)らず

志す方向が同じでなければ、(難事)について互いに相談しない(ほうがいい)。


自分が抱える困難な状況について人様に相談をもちかけようとする場合、その相手も同様の難事を抱えている人を選ぶ必要がある。さもないと、相手は興味本位の聞き役になるだけで、そこから得るものはなんら期待できない。


「ハカル」と読ませる漢字の意味はいろいろだ。
「謀」についても、辞書で確認した。調べたいくつかを示す。

謀=難事を考えること
計=見積もること
図=指図すること
量=軽重、長短をみること
度=状況をああだこうだとみること
忖=先の状況を予想すること
料=はかりつもりすること
測=深さをみること

などなど、まだまだあるが、この辺でやめる。


近年、世間における読書離れ傾向は甚だしいらしい。
日本語を大切にする若手の書き手が出てこない、のがその主要な原因では、なんてナマイキなみかたをしている。

論語(419)

2014-02-10 14:38:28 | 論語
有教無類(衛霊公第十五の39)

教え有りて類(ルイ)なし


類(ルイ)の意味が、まだ決まっていない、らしい。言われているところが、次の二つ。
①先天的種別
②身分の区別

それぞれの意味による解釈は次のようになる。

① 人間、生まれながらに善人/悪人の区別がつけられていることはない。生きていく途中の教え(環境)がそれを決定する。

② 身分の違いによる教育の差別があってはならない。だれもが平等に同じ教育を受けることができる。


どっちも捨てがたい。
が、儒教本来の教えとしては、①ではないか、と感じる。

論語(418)

2014-02-07 10:24:20 | 論語
事君敬其事而後其食(衛霊公第十五の38)

君に事(ツカ)うるに、その事を敬い、その食を後にす

仕事にとりかかったら、まずその仕事をまっとうすることを優先し、報酬について(の不満)はあとから(訴えましょう)。


この国において、この考え方は、いまのところ、大方に受け入れられている(と思う)。

しかし、少ない海外での見聞に基づけば、一歩国をでると、たとえ孔子の生まれた国であっても、これは通用しない。
職業の種類が、身分や民族による差別の上に厳然とのっかっているために、有能であるにもかかわらず、低賃金の単純労働にたずさわらねばならない人々が大勢いる。まじめに、与えられた仕事をしても満足に食べることができない人も多いらしい。
今、世界中でおきている多くの政治社会不安の根幹はここにある、とみている。

派遣労働という職種を導入した、この国においても、残念ながら早晩、学歴差別から貧富差別があたりまえとなる社会へ移行し、その社会は当然不安定化していく。
そして、それは、江戸時代から培われてきた、与えられた仕事を完璧にやりとげるという「職人魂」を消滅させることにつながるように思う。
「美しい日本をとりもどす」なんて、どなたかがおっしったようですが、いやいやなんとも~~~~、です。

この節の思想は、世界で唯一、この国の歴史のなかの極めて短い期間でのみ、奇跡的に通用した、と考えますが、いかがでしょうか?
少々言葉不足かもしれません。お許しを!

論語(417)

2014-02-04 09:42:59 | 論語
君子貞而不諒(衛霊公第十五の37)

君子は貞にして諒(リョウ)ならず

まともな人間は正しくどっしりと構え、安易に同意しない。


この節については(「も」かもしれぬ)、世間一般の解釈に同意できない。
例えば、金谷先生は、「諒」を善悪を考えずにどこまでも押し通すこととし、不諒=馬鹿正直ではない、と解説している。
とてもこのようには読めず、上に示したようにした次第だ。

迷いを振り切りどっしりと構え、進みなさい、と孔子様がおっしゃっている、と解釈したいのです。
いかが?

論語(416)

2014-02-03 10:56:44 | 論語
当仁不譲於師(衛霊公第十五の36)

仁に当たりて師をも譲らず

仁道を追及しようと思ったら師であっても遠慮する必要はない。


儒教が支配者に支持された主要な理由は、年齢や地位による上下関係の維持を大切こと、であった。
そのような教えの中であっても、こと仁徳の追及に関しては、年長者や師にさからってもかまわない、ということだ。


しかしながら、先生がたとえそのようにおっしゃっても、現実は難しいでしょうな~。
もしかしたら、仁徳に関係する場合は特に、周囲を気にし、なるべく突出せずに行動するのではないでしょうか。

む~ん、これ、この国の人々が持っている、儒教に影響されていない共通の気質特性(自己主張が苦手)かもしれません。
今気づきました。