水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(10)

2014-09-30 09:38:20 | 古今和歌集
巻第八「離別歌」のトップ

立ち別れいなばの峯におふるまつとし聞かば 今かえりこむ

題しらず

在原行平朝臣


(赴任先の)因幡では、山の松のように(存在感を示して頑張るつもりです。が一方、あなたの)「待つ」という言葉を聞くと、いますぐにでも帰りたい。


題がつけられていないのに、離別歌のトップにもってくるほど気に入られた要素はなんなのだろうか?
百人一首にも入っているし。

在原行平=平城天皇の孫。臣籍降下。業平の兄。古今集の4首採録されている。

因幡と往ぬ」および「松と待つ」
掛詞を使って、歌に厚みをもたせようとしたセンスが評価されたのかも。

古今集(9)

2014-09-29 09:48:03 | 古今和歌集
巻第七「賀歌」(ガノウタ)のトップ

343 わが君は千世にやちよに さざれ石の巌となりて苔のむすまで

題しらず

読人しらず


(わたくしのおつかえするお殿様が)千年も万年も (多くの)小石が(ひとかたまりになって)大岩となり、(その表面が)苔に覆われるようになるまで(幸福に長寿をまっとうされますように)


日本の国歌の元が、古今集にあるとは聞いていたが、今「ここにあったか!」と発見し、ある種感激している。


今日はじめて知ったことのいくつか。

・ 「我が君は」から「君が代は」への変更時期は鎌倉時代らしい、がよくわかっていない。
・ 作曲は1880年ごろ、宮内省雅楽課、奥好義/林広守と音楽教師フランツエッケルト(洋風和声担当)
・ 法律によって国歌と制定されたのは1999年。戦前も法律での制定はなかった。
・ 現代では「君」を象徴天皇(国家元首)を戴く国、と定義。






古今集(8)

2014-09-27 10:33:11 | 古今和歌集
巻第六「冬歌」のトップ

314 竜田川錦おりかく 神な月しぐれの雨をたてぬきにして

題しらず

読人しらず


旧暦十月の小雨降る竜田川沿いに立つと、川面一面に落ち葉が広がって流れている状景を見ることができる。それはまるで雨足を糸にみたてた機織りのようだ。


きれいな状景を見事に表現した歌だと思う。「冬歌」のトップにふさわしい。
竜田川は、奈良に近い生駒山系から流出する川である。
この歌は平安遷都(794年)前に、平城京に住んでいた人が詠んだのだろうか、それとも、平安京から、紅葉狩りに出かけて詠んだのだろうか?
なんて想像をかきたてさせてくれる。

ひとつ難点を言えば、「しぐれの雨を」の部分。重複していまいか?ここを「しぐれを機(ハタ)の」にするとどうか?

古今集(7)

2014-09-25 11:32:50 | 古今和歌集
巻第5「秋歌下」のトップ

249 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ

これさだのみこの家の歌合のうた

文屋やすひで

これさだのみこ=是貞親王、58代光考天皇(55才即位、58才没)の第二皇子
歌合=歌の品評会。入選するかしないかは、収入や出世に直結する、真剣勝負。

上の歌の次も、文屋やすひでの作。

250 草も木も色かはれども わたつうみの浪の花にぞ秋なかりける

これら2首の解釈は次。
・ 風が吹くたびに草木が萎れていきますが、この山風をあらし(荒ラシ)と(一般に)言うことは納得です。
・ (秋になると)草木は色を変えますが、海の浪(シラナミか?)は(いつも同じ色で、)秋を感じさせません。


西暦800年代の末期、文屋康秀は歌詠みとして有名であったらしい。実際、古今和歌集には、上以外に3首採録されているし、小野小町からの返歌も(名前つきで)載っている。

しかし、不思議なことに、わざわざ名指しをしている古今集の序での評価は、かんばしいものではない。
いわく「言葉はたくみにて、そのさま身におはず。いはば、商人(アキヒト)のよき衣(キヌ)たらんがごとし」(言葉使いは上手だけれども、それが人品の格と一致しない。例えれば、(利に敏い)商人が上等な服を着ているようなものだ)


のちの世に六歌仙と名付けられた6人すべての評価が、この文屋康秀同様、古今和歌集の序ではかんばしくないのです。

なぜなのでしょうか?
今のところ、梅原猛の考察に魅かれているのですが、もうすこし時間をかけて考えようと思います。


古今集(6)

2014-09-24 09:32:13 | 古今和歌集
巻第四「秋歌上」のトップ

169 秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

秋立つ日よめる

藤原敏行朝臣


(秋分の日のきょう)、秋がきたのかどうか見た目にはわからないけれど、(気を付ければ)風は(きのうまでとは)ちがうようだ。


藤原敏行=権力の中枢に君臨していた藤原氏一族。権力より、歌や書に傾注した人物。古今集に18首採録。百人一種にもあり。


一般的な解釈は上のようだが、敏行と友人とが次のように話をした、と解釈したい。いかが?

友人「秋分だからといって、秋だと感じるのは難しいとおもうけどな~。そもそも秋の風なんて、そのころまだ吹かないでしょうに。」
敏行「そのとおり。72候って知ってる? これはさ~、72候の「涼風至」を詠んだのですよ」
友人「恐れ入りました」

つまりこの歌は、隋・唐の文化に造詣が深いことを暗に自慢したものと、と解釈したいのです。

古今集の編纂者も、歌にさりげなく舶来文化を読み込むセンスを買ったのではないでしょうか?

古今集(5)

2014-09-22 11:10:20 | 古今和歌集
巻第三「夏歌」のトップ

135 わがやどの池の藤なみさきにけり 山郭公(ヤマホトトギス)いつかきかなむ

題しらず

読人しらず
この歌ある人のいはく かきのもとのひとまろなり

藤なみ=藤の花房が風にゆられ、波のようにゆれるさま
さく=(波が)たつ

わがやの池の岸辺では、藤が(満開で)、風にゆらゆらゆれている。こういう季節になると、もうすぐヤマホトトギスが鳴きだしますよ


古今和歌集はその序文で、柿本人麻呂を山部赤人とともに、「歌の聖なりける」(仮名序)、「和歌仙也」(序(漢文))、と絶賛している。
人麻呂に対する古今和歌集の特別な思いは、漢文序の最後、次の文に、顕著に表れている。

嗟呼、人麿既没、和歌不在斯哉(ああ、人麿既に没し、和歌ここにあらずや)

これは、論語の「文王既没、文不在玆乎」(子罕第九の5)のもじりだそうだ。論語に書かれた意図をあてはめると、次のような解釈となる。

「人麿は亡くなったけれども、わたしたちにその精神は伝わっています。神様が和歌を滅ぼそうしたら、今わたしたちは和歌に携われなかったはずです。神様が和歌を滅ぼそうとしなかったのですから、誰かがじゃましようとしても、もうどうすることもできません」


なにも知らずに、古今和歌集を詠み始めたのだが、とんでもないモノに手を付けた、との思いだ。
序文を読むと、「古今和歌集は柿本人麻呂の名誉回復を目的として編纂された」との仮説をとなえたくなる。が、膨大な数の人々が研究してきたシロモノだけに、軽率な思考はつつしみたい。

とにかく、歌の表の意味だけではなく、その当時の、社会・政治・権力状況を踏まえたウラの意味も考えねばならぬ。

という風に考えると、上は、藤原氏(フジから連想される、特定の誰か)の隆盛とそのかげりのくることを詠んだ歌なのかもしれぬ。

古今集(4)

2014-09-19 10:59:13 | 古今和歌集
巻第二「春歌下」のトップ

69 春霞たなびく山のさくら花 うつろはむとや 色かはりゆく

題しらず

読人しらず

うつろふ(移ろふ)=①移転する、②変色する、③色があせる、④(花が)散る、⑤染まる、⑥変心する。
④ですな。


春、霞がたなびいている山肌の桜の色が変わってきたようだ。もうすぐ散り始めるのだろうか?


古今集には、題しらず・読人しらず、の歌の数が圧倒的に多い。選者の目がどこにあるのか、注意深く読まねばならぬ。

定点観測しているから、短期間における、桜の色の微妙な変化に気づくわけで、我々現代人の生活からは想像もできないことだ。
そういう意味から、つい、権力者の没落を予見した歌、なんて憶測してしまう。




解説員として(179)

2014-09-18 14:19:00 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

薄曇り、暑くなく、絶好の散歩日和。

野川沿いを歩く人の数が随分と増えている。

見学者は3組、5人。

最初のお二人は、学校の先生とみた。遠足か? 下見であろう。
興味津々のご様子で、お帰りになった。

次の二組のうち、一組お二人は上流からの散歩、もう一組お一人は下流からの散歩、ということがわかり、情報交換をなさっていた。
こちらの方々に、「百円、ご損はしなかったでしょうか?」との問いかけたところ、「充分満足」と答えていただいた。
(やや、押しうり気味ではあったが~~~)


市役所職員お二人が、民具のほこり掃いに精を出していた。特別公開に向けた地道な努力に敬意を表する。

途中、20人を越えるおおぜいさんが通りかかった。一瞬緊張したものの、「時間がない」とのことで、立ち寄らなかった。
ほっとしたような、残念、だったような。


古今集(3)

2014-09-17 10:04:50 | 古今和歌集
1 年の内に春はきにけり ひととせをこぞとやいわん ことしとやいわん

ふるとしに春たちける日よめる

在原元方


年内に春がきてしまった一年を、去年と言えばいいのでしょうか 今年と言えばいいのでしょうか

年内立春になった日に詠んだ

在原元方=業平の孫、藤原国経(時平政権の中納言)の養子(政権中枢に極めて近い)、古今集に14首採択


旧暦では、立春(太陽暦、冬至と春分の中間)に一番近い新月の日を元旦とする(太陰暦)ので、年二回立春が発生する年の確率は、およそ1/2。


古今和歌集は20の章に分かれていて、個々の歌に通し番号がふられている。
国の事業であるから、歌の採否や配列(章だて、順番)に、どこからも文句が出ぬよう、細心の注意が払われたはずである。
上の歌も、一番に持ってくるだけの理由があったに違いない。
残念ながら今はそれがわからない。読んでいくうちに回答が得られることを期待しよう。

さて、これからどのように読み進めようか?
さんざん迷ったあげく、全体の傾向を知ることを期待し、まず、各章の最初の歌を詠みきってみようと思う。

ちなみに、今日の歌は、第一章「春歌上」の最初。

古今集(2)

2014-09-16 09:37:45 | 古今和歌集
420 このたびは幣(ヌサ)もとりあへず たむけ山もみじの錦 神のまにまに

朱雀院の奈良におはしましたりける時に、たむけ山にてよみける

すがはらの朝臣


朱雀院の奈良お出ましに際しては、(旅の安全を祈願するための)御幣も用意できずに手向け山(神社?)まできてしまいました。(でも)神様のおぼしめしのとおりの(素晴らしい)山の紅葉でございます。

朱雀院(宇多上皇)が奈良にお出かけの際、たむけ山で読む

すがはらの朝臣=菅原道真


右大臣にまで上り詰めた菅原道真は、宇多上皇の腹心で、醍醐天皇/藤原基経/時平派との、壮絶な権力争いの中心にいた。結局、901年、負けて大宰府に流されたのだが、死後、「怨霊になった」、と恐れられた。

このような政治状況を踏まえて、上の歌をみると、なにかただならぬ気配を感じるのだが、どうだろうか。
御幣も忘れてしまうほど、大慌てに奈良に向かい、たむけ山にやっとたどりついて、ほっとした、というような。

道真の絶頂期は895年ごろから数年間(道真の建議によって、遣唐使が廃止されたのが、894年)であろうから、この歌は、895~900年ごろの秋、読まれたと想像しちゃう。一体なにがあったのだろうか?

知らないのは、ワタシだけだったりして。

まあとにかく、古今和歌集編纂決定直前期の政権ナンバーツーの歌として、二番目に取り上げました。




 

古今集(1)

2014-09-15 12:12:59 | 古今和歌集
230 女郎花、秋の野風にうちなびき 心ひとつをたれによすらん

朱雀院のをみなへしあはせによみてたてまつりける

左のおほいまうちぎみ


おみなえし(女郎花)が風を受けて一斉になびくさまは、まるで、みんなが心ひとつにして、誰かに心を寄せているようです。

朱雀院(宇多上皇)主宰の、女郎花あわせ(左右に分かれ、花(もしくは歌?)の優劣を競う遊び)に参加したとき読んだ歌

左のおほいまうちぎみ=左大臣=藤原時平


古今和歌集は、905年に、醍醐天皇の勅命により編纂された、本邦最初の勅撰和歌集。
これより遡ること約百年前に編纂された万葉集に漏れた歌や、万葉集以後に作られた歌を集めることを目的としている。

国の事業として作られた歌集、ということなので、時の政権トップ、藤原時平に敬意を表し、彼の歌をトップにもってくることにした。

朱雀院の顔色を窺うような、こすからさ、を感じる、というのが直感。
まさか、みんなが、オレ(時平)をおそれている、とおもいあがってはいないでしょうね~。それとも、注目を浴びる絶世の美女がいるのでしょうか?


いやいやいや、ちょっと調べただけですが、この時代の政権内部の権力闘争はすざましいものですな~。
時平の養父、基経(不比等から6代後。道長は基経から4代後)が、藤原氏による摂関政治を確固としたようです。
テレビドラマにしたら面白い時代、と思いますが~。
おいおい紹介します。


9年目に入る!

2014-09-12 09:22:55 | 水車解説関連
明日から、このブログは9年目に入ります。
こうもズルズル続けてこられたのは、読んでくださるあなたのおかげです。心から感謝します。

このごろ、水車解説関連の記事の種を見つけることができないし、論語も読了したし、「そろそろやめどきか?」なんて考えが頭のスミをかすめます。
しかし、そもそも「ボケ防止」を主要な目的としてはじめたわけですから、その意味においては、これからが勝負、ということになるわけです。

そこで、続けるためには、論語に替わる「種」を探さねばなりません。

結論を申します。ブログの種を古今和歌集所収の和歌、としました。

理由
① 論語を勧めてくれた友人は万葉集を勉強している。彼の道を犯したくないが、同じ土俵に立ってみたい。
② 平安時代についての知識が極めて薄弱。和歌のついでに歴史も学べる。日本人の心の原点を探れるかもしれない。
③ 収録和歌の総数は1111首。読了に4年強かかった論語をベースにすれば、古今和歌集の読了には10年強かかりそう。読了前にオダブツを期待できる。
④ 読了後の目標:古今風和歌をいともたやすく作れるように!

なお、基本参考書は「古今和歌集;佐伯梅友;岩波文庫」にします。


論語同様、面白くもないかもしれませんが、ボケ防止に協力、とご理解いただければ幸いです。
では、今年もお元気で!よろしくお願い致します。

例によって、昨年のこの日の記事を下にコピーします。

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2013年9月12日の記事

このブログは、今日から、やり始めて8年目に入いります。
わけもなくズルズルと続けています。最近気にしていることがふたつあります。

① 論語はいつ終わるか?
読み出して驚いたのですが、論語は大部です。今360節ほど読み進みましたが、まだ150節ぐらいあります。
したがって、今の速度で読み進めると、あと50~70週(1年強)かかる計算になります。
なんとか読破したいものです。
② 模型製作は放り投げたのか?
実は今放り投げたい気分半分。歯車の部品がうまく作れず、暑さもあって、まだ再着手の気分になっていません。
しかし、もう少し時間をあければやる気がでてくるようにも思います。
次の段階に進んだ写真をアップできるかもしれませんので、よろしく!


まあとにかく、いささかマンネリ気味になっていることは承知しています。ボケがはじまった老人日記、とご容赦いただければ幸いです。

7年後の五輪開催も決まりました。2007年のこの日に、その座を投げ出した人とは思えぬほど、今の首相には迫力があります。
某国は、しばらくの間、キラキラした空元気で覆われそうで、喜ばしいことです。

読者の皆様、今年もお元気で!よろしくお願い致します。

例によって、昨年のこの日の記事を下にコピーします。

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2012年9月12日の記事


このブログは明日から7年目に入ります。
こんなにも続けることができたのは、あなたのおかげです。
毎日示される閲覧数とか訪問者数から、多くの方々に読んでいただいていることを知り、そのことを書くためのエネルギーに使わさせていただいています。
最近の日間訪問者数は、最大で150といったところで、これが増えることはなくなりました。読者は固定的とみていい、と思っています。


今年は、今までと異なり、この時期に某国首相の交代はありませんでした。しかし、今が落ち着いた状況であるとはいえません。しょせんサル山のボス選びにすぎないわけですが、さまざまな特権を握ったままでの、茶番劇には、いささか辟易です。

まあ、それはそれ。今年もこのブログを続けるつもりですので、どうかよろしくお願いいたします。
どのような方々に読んでいただいているかを想像し、身を引き締め、緊張感を維持し続ける所存です。



例によって、昨年のこの日の記事を下にコピーします。
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2011年9月12日の記事

このブログは明日から、6年目に入ります。
読んでいただいていることに、あらためて心より御礼申し上げます。

最近、ブログ標題からのズレがひどくなっていることは、十分自覚しています。少々弁解させてください。

・ 自分の解説日を平日(今月までは木曜日)に限定しました。土日祭日にのみ解説できる方々を押しのけてまで、年寄りがでしゃばってはならない、と考えました。このため、お会いする見学者の絶対数が少なく、水車がらみのブログ種を切らしています。勉強不足を反省しているところです。

・ ひょんなことから、論語を読み出したのですが、これがなかなかなのです。はまってしまいました。折角ですから、最後まで読もうと思っています。スムーズに読めたとしても、二年ぐらいかかるでしょうか?
貴殿の御意に沿わず、面白くないかもしれません。が、素人の、とんでもない読み込みを、笑いの種にしていただくきたくお願いします、お許しください。


今年もやはりこの時期に、某国首相が交代しました。
歴史的にみて、今は大転換の時期なのかもしれぬ、とは想像しますが、このようなフラフラ腰をいつまで続けていることができるのでしょうか?心配でなりません。


例によって、心を新たにするために、この日の過去の記事を下に添付しました。

これからも、緊張感を持って記事を発信するつもりです。どうかよろしくお願いいたします。

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2010年9月13日の記事

このブログは明日から、5年目に入ります。

 生来の飽きっぽさからは想像もつかないほど長いこと、継続することができています。
これは、最近の場合、日間アクセス数や週間閲覧数がそれぞれ、百、千の大台をはるかに越えることも珍しくなくなってきていることと密接に関係しています。多くの方々に「読んでいただいている」ことがわかり、大変な励みになっています。
厚く御礼申し上げます。

 昨年の十月から「しんぐるま」が休館したため、一年間記事の種さがしに苦労しました。でも、いよいよ11月から再開です。ブログタイトルにふさわしい記事を途切れなく書くことができそうで、楽しみです。
今後ともよろしくお願いいたします。

例によって、心を新たにするために、この日の過去の記事を下に添付しました。


 それにしても、本当に面白い時期(こういういう言葉は誤解を生むかも)に、このブログを始めたものです。
某国では、今年も今、首相選び、をやっています。延べ六人目です。戦国時代であったら、とっくに周辺国によって蹂躙されることでしょう。平和の謳歌に感謝せねばなりません。

 来年こそ、この時期、今度選ばれる人がゆるぎなく続けていてほしい、と心から願うところです。
そして、貴殿のご健勝を念じます。

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2009年9月13日の記事

このブログは今日から4年目に入ります。三年間の日数は1095日ですが、このうち409日、記事を書きました。3割7分4厘という、イチローびっくりの高打率です。我ながら、よく続けてきた、と思います。これは、貴殿が読んでくださっているからです。これ、本心です。

過去三年、この日に書いた記事を、下に再掲しました。

おかげさまで、読者数はジワジワと増加しています。週間閲覧数が、もうすぐ四桁に乗りそうな勢いです。

 しかし、四年目は、ブログを書き続けられるか、試練の一年になりそうです。というのは、しんぐるま(新車)が、動態保存に向けた工事のために、来月から来年秋まで休館するからです。
たぶん、記事の種探しに苦労します。読者のご興味を繋ぎとめられるよう、初心を忘れず、がんばります。どうかよろしくお願いします。

 それにしても、某国首相の交代劇が続いた9月に、たまたまブログを始めたとは、本当に不思議です。組織が崩れていく過程を興味深く見させてもらいました。

さて、来年の9月はどのようなことになっているでしょうか。貴殿のご健勝を、わが身の無事、とあわせて祈らせていただきます。


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2008年9月12日の記事

正しくは明日からですが、このブログは三年目に入いります。
読んでいただいているみなさんに、あらためて厚く御礼申し上げます。個別に御礼状を差し上げたいほどです。

 読者数はアクセスIP数や閲覧数によってのみ知りますが、その数が今なおジワジワと増していて、大変な励みになっています。
しかも時々、少数の方々が過去の多くの記事をいっきにごらんになったに違いない、と思われる状況(通常、閲覧数はアクセス数の数倍だが、時々それが十倍を越える)が出現することもあります。
このような、過去の記事にご興味をお持ちになる方の一助にと、カテゴリー区分してみました。一層の修正が必要ですが、これでも多少お役にたつかもしれません。

 
 下に去年の記事(一昨年の記事も添付)を添付しましたが、今年も、昨年同様、某国首相が退陣なさいました。つくづく、面白い日にブログを始めたものだと思います。こんなことがあるから、日記はやめられなくなるのでしょうか。

引き続き、緊張感を持って書きますので、よろしくお願いいたします。

なお、昨年の記事に書いた、「一年前の記事をコピーする」という作業は、途中でやめました。ボリュームが増すことに神経を尖らす必要はなさそう、と判断したからです(すぐに、容量とかを気にするのは、コンピューターを、その草創期に利用した者の性だからでしょうか)。


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2007年9月13日の記事

 某国首相が昨日、在任一年を目前にして辞任表明した。さぞや無念であろう。
比較するのは本当に恐れ多いのだが、このブログは、幸いなことに、今日から二年目に入いることができた。子供時代の夏休み日記でさえ満足に継続できなかった人間としては、信じられな~い。
これも読者(アクセスIP数によると、常時30~60)のおかげです。この場から、心より御礼申し上げます。

これからも、今までどおり続けようと思いますので、よろしくお願いします。

それから、これからは、当日の記事に、前年同月同日の記事を、コピーでつけたそうと思う。理由は、何をいつ書いたか、ほとんど忘れそうなので。
もちろん、その本元は削除する。

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2006年9月13日の記事
タイトル:始めの記

ブログ挑戦! その種は、水車解説ボランティア。

 三鷹市は、市内における文化遺産保存の一環として、市内河川で稼動していた、あるひとつの水車の保存に力を入れている。内外からの見学者は年間7000人を超えるそうである。最近の市報に、この水車についての講座を修了すると解説員として登録する、との案内があったので、応募することにした。応募の動機はいろいろ(定年後のボケ防止、居住地域に多少とも役立つことがしたい、外出の口実にできる、などなど)。
 去る9/9に第1回の講座が開かれ、とりあえず出席した。気に入った。面白そう。もっとも、果たして講座を修了しても採用していただけるか。幸いにして、採用していただけた場合、どんなことが待っているか。ブログに挑戦しながら、しばらく記録してみたい。これもボケ恐怖からかもしれない。
 ちなみに、グーグルで「水車」を検索すると、三鷹市のものがトップに出てくる。





論語(504・最終節)

2014-09-10 09:55:12 | 論語
不知命、無以為君子也、不知禮、無以立也、不知言、無以知人也(尭曰第二十の5)

命を知らざれば、以って君子たること無きなり。禮を知らざれば、以って立つこと無きなり。言を知らざれば、以って人を知らざるなり。

天命がわからないようでは君子たりえない。禮がわからないようでは社会に適合できない。言がわからないようでは人の善悪を見極めることができない。


昨日の、アメリカでのテニスの主役は、幼少期に天命を知り、その実現に全力で取り組む人の成功典型でしょう。
しかし一方この社会には、盲導犬をフォークで突き刺すような社会生活をおくるには問題のある人が少なからずいるし、なけなしの貯金を言葉巧みに詐取する、フリコメ詐欺が蔓延しています。
個々の分野で頂点に立つ努力をすることも大事だが、凡人が一生を日々平穏に暮らし切ることも、実は大変なことなのではないでしょうか。

論語の最終節を読んだ感想です。


思い起こせば、2010年の暮れに、ある友人から「ブログで論語ぐらい読んでみたら!」と言われたのが、はじめるきっかけでした。
すべての節に目を通したというだけで、身についたモノがあるとも思えません。ただ、我々の生活の奥深くに、論語が息づいていることはよくわかりました。読んだことにより、観察眼の幅や奥行が広くなることは間違いないでしょう。論語を読み切った収穫です。友人に感謝です。

論語読み開始時に一句読みました(友に背を 押され学ばん 師走かな)ので、終了に当たっても駄句を示すことにします。

友に背を 押され学びし 老骨の 論語読みも 論語知らず

論語(503)

2014-09-09 09:42:09 | 論語
尊五美屏四悪(尭曰第二十の4)

五美を尊び四悪を屏(シリゾ)く

五美を尊び四悪にはまらないように。


子張が、政治にたずさわる者の心得を教えてください、と質問したときの孔子の答え。
五美四悪とはなにか。

五美
・恵而不費(恵して費えず)=民が利益と思うことを制限せずそのままとする
・労而不怨(労して怨まず)=自ら苦労を買うのであるから怨む種はない
・欲而不貪(欲して貪らず)=仁を求めていれば貪ることはない
・泰而不驕(泰(ユタカ)にして驕らず)=泰然として驕らない
・威而不猛(威にして猛からず)=威厳を示しても猛々しくない

四悪
・不教而殺(教えずして殺す)=教えることをしないで罰を与える
・不戒視成(戒めずして成るを視る)=注意せずに成績を重視する
・慢令致期(令を慢(ユル)くして期を致す)=命令を緩めておいて期限を厳守する
・出内之吝(出内(スイトウ)の吝(ヤブサカ)なる)=やらねばならぬことにケチケチすること


四悪(特に最後)、については少々補足すべきかもしれぬ。
最後の文は次のようになっている。

猶之與人也、出内之吝、謂之有司
人に猶(オナ)じく之を与うるに、出内(スイトウ)の吝(ヤブサカ)なるは、有司(ユウシ)という

ここを次のように解釈したい。

(公務に携わる者が人によって)教えない、戒めない、令をユルユルにする(なんていうのはもってのほかで)、こういう出し惜しみをする人を有司(=役人)といい、(我々は最もきらうものです)。


孔子が、いわゆる役人根性を、忌み嫌っていたことを顕著に表す文章、と理解しました。

今の世にも通じ、親近感を覚えました。

論語(502)

2014-09-08 10:46:40 | 論語
寛則得衆、信則民任焉、敏則有功、公規民説(尭曰第二十の3)

寛なればすなわち衆を得、信なればすなわち民任ぜん。、敏なればすなわち功あり、公なればすなわち民説(ヨロコ)ぶ

心がひろければ大衆は寄ってくるし、まことを尽くせば民は信用する。機敏に行動すれば成功し、公平であれば民は喜ぶ。


仁政を目標とする政治家が心がける四点、ということであろうか。
上に示した文のみであるので、実際に孔子が言った言葉かどうかは不明。
同じような言い回しが過去にもあったような気がするが~~~。


まあとにかく、寛、信、敏、公。心にとどめるべき漢字か。