水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

ペルガモン(7)風と桶屋

2008-09-30 11:38:07 | ペルガモン展関連
 ヘレニズムだ、パーチメントだ、アレキサンドリア図書館だ、紙の歴史だ、などとペルガモンに関係した検索をしているうちに、いつものことだが、横道にそれた。どんどんそれてしまい、収拾がつかなくなってしまったので、Deutsche Welle 2004 という名のHPで、今日は終わりにすることにした。

 紙について系統的に勉強しているHPらしいが、次の文(古くからの言い習わしだそうだが)を見つけ、思考が別の世界に入ってしまったのだ。

 Rags make paper. Paper makes monoey. Money makes banks. Banks make loans. Loans make beggars. Beggars make rags.
 
「ぼろから紙ができる。紙は紙幣になる。紙幣は銀行を必要とする。銀行は金を貸す。金貸しは乞食を発生させる。乞食はぼろを生む」とでも訳すのか。
生活必需品の紙について深く考究しているうちに、この古い格言を言っておかねばならぬ、ということになったのだろう。

 そしてこちらは、上の文を見た直感が標題。よく知る言い習わし。

 しかし次に、現在進行形のアメリカ発金融危機/恐慌前夜を対岸の大火事と傍観している、今のわが身とその近未来を連想し、ぞっとなった。誰かが「虚業はだめ、実業に徹せよ」って言ったけか。




ペルガモン(6)ローマ帝国

2008-09-26 15:57:49 | ペルガモン展関連
 ペルガモン王国は紀元前241から紀元前129年まで続き、自ら望んで、ローマ帝国の属州となった。マケドニアやシリアに比べ、ペルガモンのローマ帝国に対する抵抗は激しくない。なぜだったのか。
まだよく理解できていないが、塩野七生著ローマ人の物語II(1993、新潮社)からそのヒントらしきものを次のように得た。

・p352:ヘレニズム諸国にとっては、世界は自分たちの住む、東地中海世界でしかなかった。---西方は彼らにとっては世界に値しなかった。ーーー(ローマ対カルタゴがポエニ戦争という死闘に明け暮れている間)、中立の維持を求めたローマの要請を何の交換条件もつけずに受け入れ、(傍観していた)。ーーーそして、ふと気づいたら、背後に(強大になった)ローマが立っていたのだ。

・p322:ローマ帝国の対外政略は穏健な帝国主義。その内容は:
1 覇権はローマがもつ。
2 他の強国の軍事力は自衛力の水準に落とされる。
3 ローマによる軍事上の占領はない。
4 国内の自治を認める。
5 経済上の繁栄を希望する。

 
 ローマ帝国と諸外国との関係は、カルタゴのように抵抗すると徹底的にたたかれるが、降参すれば平和を謳歌できる、ということだ。おそらくペルガモンは、はやい段階でローマ帝国に対する抵抗をあきらめたのであろう。

 なんだか、アメリカと某国との関係のように思えてきた。
しかし、こちらが弥生時代であった時代に、中国では秦の成立が、地中海ではポエニ戦争がくりひろげられていたのである。

相撲

2008-09-22 05:57:46 | 雑感(3)スポーツ
 昨日、国技館で相撲を見る、という幸運を得た。しかも升席でだ。
朝青龍のかかとが蛇の目につき、多数の座布団が舞う、という結びの一番まで、久しぶりに国技相撲を堪能した。

 07/03/26の記事に書いたように、50年以上前、相撲に熱中した時期がある。東京場所の千秋楽は、ほとんど必ず、立ち見席の切符を買って、早朝から結びまで、国技館(隅田川沿いの蔵前国技館)内をウロチョロしたものだ。今の国技館は支度部屋も覗けないが、昔は、子供だからか、出入りが許された。

 今の国技館にも立見席があるが、下から見上げる限り、二階席は閑散としていて、寂しく感じた。昔のような、立見席からの声援の迫力を期待しても無理かもしれない。これも時代か。

 それにしても、外国人の客が多かった。二割ぐらいは占めているのではないか。日本人と見分けのつきにくい外国人を加えれば、外国人客比率はもっと高くなろう。国際化がいやおうなく進んでいる。

 両横綱の土俵態度から、確かに、今の相撲を背負っています、というメッセージは感じられた。立派!
彼らの四股に比べ、日本人力士のそれのみっともなさが目についた。相撲が弱いのは仕方ないとしても、基本動作だけは、その様式美追求を徹底すべきだ。

 まあとにかく、冥土へのいい土産になった。

 彼岸でも 見るか取るかも 草相撲

 

 

みみずのたはごと(16)泰平有象村々酒

2008-09-18 11:08:38 | 三鷹・文学
 蘆花著、標記文庫P144。たいへいゆうしょうそんそんのさけ。村々が、(秋祭りで)賑わっていれば、天下泰平である、の意か。

 先週末は隣の地区、今週末はうちの地区で、鎮守宮の秋祭りだ。がしかし、今日これらは、どれほど賑わうのだろうか。
そもそも秋祭りは、本来農村での生活習慣から、必要があって、はじまったものだから、今日のような街になってしまった三鷹では盛んになろうはずがないと、ついつい、思ってしまう。

 秋祭りが盛り上がらない、ということは、のんびり天下泰平なんて言っていられないのか。

 直接関係があるはずがなくこじつけなのだが、最近の世の中、とても天下泰平とは言っていられなくなってきたようだ。政治も経済もきな臭くなってきた。

 そういえば蘆花は、上の言葉のちょっと前の文章で、次のような時代風景を書いていた。

「三多摩は昔から人の気の荒い処で、政党騒ぎではよく血の雨を降らし、気のたった日露戦争時代は、農家の子弟が面籠手をかついで調布まで一里半撃剣の朝稽古に通ったり柔道を習ったりしたものだ」

 年寄りばかりなってしまった今日では、残念ながら、こんな風景が出現することもなかなか難しかろう。


ペルガモン(5)パーチメント

2008-09-16 10:46:25 | ペルガモン展関連
 パーチメントクラフトなんて言葉を聞いたことがあるものの、なんのことだか知らなかった。パーチメント(parchment)の和訳は羊皮紙。今度は羊皮紙を、恥ずかしながら知らない。

 過日の講座で、ペルガモンと羊皮紙との関係は密接、と聞いた。
この際基礎知識を確保しておくべきと、wikipediaを核に、とりあえず、以下を知った。

1 前2世紀、ペルガモンに、アレキサンドリアのものに対抗できるような大図書館ができ、パピルスの需要が増大した。エジプト側の事情(パピルス生産量が逼迫、禁輸などによる対抗工作)によって、ペルガモン側でのパピルス入手が困難になり、羊皮紙が考案された。

2 獣皮に字を書くことは、すでにそれまでの文明の中で普及していたが、今日の本タイプの原型、すなわち、皮の両面に書けるようにしたこと、がペルガモン製パーチメントの特徴。

3 皮の化学的加工が「ナメシ」であるのに対し、パーチメントは皮の物理的加工。皮を木枠に張り、限界まで延し、さらにナイフで削る。

4 羊のほか、ヤギ、馬、鹿、ウサギなど多様な獣の皮が用いられてきた。特に子牛の皮製をべラム(vellum)とい、上質パーチメント。

5 耐久性に優れ、1000年はもつらしい。だから、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖書に利用された。

6 インクがしみこみにくく、色彩の鮮明さを長く保てる。このため、今日でも、芸術などさまざまな分野での需要がある。水にひたすと、プルプルになる。これは、質がコラーゲンだから。
(これは、まがいものと見分ける重要なコツだ。世の中には、相当まがいものが出回っているらしい。)

7 高価。A4サイズで、一枚4000円ぐらい。




 

三年目に入る!

2008-09-12 09:45:28 | 雑感(1)日常
 正しくは明日からですが、このブログは三年目に入いります。
読んでいただいているみなさんに、あらためて厚く御礼申し上げます。個別に御礼状を差し上げたいほどです。

 読者数はアクセスIP数や閲覧数によってのみ知りますが、その数が今なおジワジワと増していて、大変な励みになっています。
しかも時々、少数の方々が過去の多くの記事をいっきにごらんになったに違いない、と思われる状況(通常、閲覧数はアクセス数の数倍だが、時々それが十倍を越える)が出現することもあります。
このような、過去の記事にご興味をお持ちになる方の一助にと、カテゴリー区分してみました。一層の修正が必要ですが、これでも多少お役にたつかもしれません。

 
 下に去年の記事(一昨年の記事も添付)を添付しましたが、今年も、昨年同様、某国首相が退陣なさいました。つくづく、面白い日にブログを始めたものだと思います。こんなことがあるから、日記はやめられなくなるのでしょうか。

引き続き、緊張感を持って書きますので、よろしくお願いいたします。

なお、昨年の記事に書いた、「一年前の記事をコピーする」という作業は、途中でやめました。ボリュームが増すことに神経を尖らす必要はなさそう、と判断したからです(すぐに、容量とかを気にするのは、コンピューターを、その草創期に利用した者の性だからでしょうか)。


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2007年9月13日の記事

 某国首相が昨日、在任一年を目前にして辞任表明した。さぞや無念であろう。
比較するのは本当に恐れ多いのだが、このブログは、幸いなことに、今日から二年目に入いることができた。子供時代の夏休み日記でさえ満足に継続できなかった人間としては、信じられな~い。
これも読者(アクセスIP数によると、常時30~60)のおかげです。この場から、心より御礼申し上げます。

これからも、今までどおり続けようと思いますので、よろしくお願いします。

それから、これからは、当日の記事に、前年同月同日の記事を、コピーでつけたそうと思う。理由は、何をいつ書いたか、ほとんど忘れそうなので。
もちろん、その本元は削除する。

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2006年9月13日の記事
タイトル:始めの記

ブログ挑戦! その種は、水車解説ボランティア。

 三鷹市は、市内における文化遺産保存の一環として、市内河川で稼動していた、あるひとつの水車の保存に力を入れている。内外からの見学者は年間7000人を超えるそうである。最近の市報に、この水車についての講座を修了すると解説員として登録する、との案内があったので、応募することにした。応募の動機はいろいろ(定年後のボケ防止、居住地域に多少とも役立つことがしたい、外出の口実にできる、などなど)。
 去る9/9に第1回の講座が開かれ、とりあえず出席した。気に入った。面白そう。もっとも、果たして講座を修了しても採用していただけるか。幸いにして、採用していただけた場合、どんなことが待っているか。ブログに挑戦しながら、しばらく記録してみたい。これもボケ恐怖からかもしれない。
 ちなみに、グーグルで「水車」を検索すると、三鷹市のものがトップに出てくる。

ペルガモン(4)第一回講座

2008-09-11 10:15:42 | ペルガモン展関連
 昨夜(9/10)、8/18の記事に書いた講座の第一回が、三鷹駅前・三鷹NW大学であった。

受講者(募集20名、実数は数え忘れた)の大半が女性であった。

講師は、池田裕氏(中近東文化センター付属図書館館長)で、演題は、文明を生み出した古代中近東世界(大空と大地と)。

 耳ざわりのいい、楽しい話ではあったが、とらえどころのない内容。
講座全体の導入部であること、聴講者の経歴・興味の対象がバラエティに富んでいるはずであること、などを考慮すればやむをえないのかもしれない。
だからといって、興味が削がれたわけではない。不思議な講義であった。

 印象に残ったことを下に列記すると、

1 演者が最も強調したかったのは、古代の人々も我々も同じ自然を体感している、ということではなかったか。
 (遺跡や遺物の読み取りに成功するかどうかは、常日頃体感している花鳥風月を、過去に敷衍できるかにかかっている、とまで云うと云いすぎか)

2 遠くから見えるものがある。
 中近東を見ることによって、日本とはなにか、などとフィードバックして考えることも大切。

3 イランの文化度は極めて高い。
 古代ペルシャから、連綿と続いてきた歴史は、その変化に富んだ自然環境にある(南の土/砂漠からカスピ海沿いの温帯気候まで)。

4 ペルガモンと羊皮紙は密接
(読むべき本を探す糸口を与えてくださったのか)

5 日本で禅が発達したのは自然が豊かであったから。
(本当か?とすると、イランで発達した宗教/宗派はなんなのでしょうか?)

6 中東は大きな渡り鳥(ペリカン、ツル、コウノトリなど)の渡りコース。
(日本も重要な渡りコース。彼我の渡り鳥を見る眼に違いはあるか?古代人は?)

7 シナイ半島地域は、緑がなく沈黙の世界であるために、天と地が直結する、と体感できる。
(だから、一神教がいくつも発祥したのでしょうか?)


 ということで、半ボケ脳が少なからず刺激を受け、楽しかった。


 
 


ピカレスク

2008-09-09 10:06:40 | 三鷹・文学
 図書館で、たまたま眼についた本の題名。猪瀬直樹著、2000年発行。副題が太宰治伝。

 著者はあとがきに、「ーーー。だがつねに目標を設定しては破壊しまた新たな目標を設定し直す、そんな勤勉なひとりの青年の軌跡を浮かびあがらせたかった」と書いているが、読後の印象は、まさに、ピカレスク、悪漢話だ。

 自己中心主義というか、自分が書く小説の種を見つけるために、次から次へと人様に迷惑を掛ける。売れる小説を書く人はなにをしても許される、ということなのだろうか。不愉快の極み。

 ひるがえって、このところのテレビ/マスコミ報道ではピカレスクの種になる話が続々と出てきている。政治・相撲・米・うなぎ、枚挙にいとまがない。太宰だったら、どんな小説にするであろうか。

しかし、現実はばかばかしくて話にならない。しばらくテレビを見るのも新聞を読むのもやめようと思う。

 まてよ、これはもしかすると、加齢からくる欝かもしれない。クワバラクワバラ。

   

ペルガモン(3)タラントン

2008-09-01 09:56:30 | ペルガモン展関連
 トルコ旅行案内を見ると、ペルガモン遺跡(現ベルガマ郊外)の壮大さは眼を見張るばかりだ。宗教を中心とした都市であったようで、いくつもの神殿のほか、図書館、劇場が建設されていた。

 これらの建築物を建造するための富と労働力をどのようにして、蓄積したのだろうか。隔靴掻痒。この辺の肝心なことを、まだ理解できないでいる。

森谷公俊著興亡の世界史01(アレクサンドロスの征服と神話)講談社、p329に次の記述がある。

「それまで一つの村にすぎなかったペルガモンが、なぜヘレニズム世界有数の王国に成長できたのか。そのきっかけは、大王の後継将軍の一人であるリュシマコスが、前302年、ペルガモンのアクロポリスに保管されていた9000タラントンもの財宝の管理を部下のフィレタイオスに委ねたことにある」

 ペルシャからの戦利品の保管場所であったのかもしらぬ。

「タラントン」とは、キリスト教でよく知られたお金の単位らしい。
1タラントンとは、当時一日の労働賃金の6000倍であったそうだから、今のお金にすると五千万円ぐらいか。とすると、9000タラントンは5000億円ぐらいか。

 いずれにしても、9000タラントンを原資として、
なぜ、このような宗教/文化都市を築かねばならなかったのか?

そもそも、巨大な神殿を伴う、ギリシャ時代の宗教とは、どんなものだったのか?
キリスト教にどのような影響を与えたのか?

む~ん。わからんことだらけだ。どうも、迷路に入り込みそうだ。