水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古文書講座(1)

2011-02-13 15:37:45 | 三鷹・歴史/地史
 先週の日曜日、そして今日、の午前中、市生涯学習課主催の古文書講座があって、聴講した。

講師は以前同じような講座(確か、近藤勇五郎、宮川信吉、吉野泰三の手紙が題材だった、と記憶している)で話を聞いたことのある、国学院大根岸先生で、期待に違わず、受ける刺激が大きい講義であった。聴講者は50~80人ぐらいであり、盛況といえるだろう。

今回は、「数字から読み解く耕地と産業」、「漢字から読み解く連雀の成立」というもので、いくつかの古文書資料が配布された。

何回かに分けて、この配布された資料について書いてみたい、と思っているところだ。非常に面白い。

今日は、講義で触れられた、さまざまな内容の中で、印象に残ったことがらを、備忘のため、ランダムに列記しておく。

・ 草書のほうが楷書より古い。楷書の崩し字が草書なのではない。行書は楷書の崩し字。
・ 天明6年(1787年)関東一円大水害を被ったが、大沢も、1石程度の収穫しかなく、年貢を免除されるほど、被害を受けた。
・ 水車(たぶん、大車)の税金は220文。水車の運転で生活習慣が大きく変わった。うどん類の食用。
・ テレビでよく、小判のきりもち、といっているが、銀銭を紙で包んでいたのである(それも大阪で)。
・ 江戸時代の1村は500石の収穫が基本。
・ 江戸時代、朱の印は将軍のみ使用。他は黒印。
・ 手紙の差出人、受取人の字の大きさが身分上下を表している。上に書いてあるほど、字が大きいほど身分は上。
・ 一般に上畑の収穫量は10石と認定されるものだが、開発間もない連雀のそれは4石であった。
・ 一般に、上町、下町とあるとき、下が本村。ただし上連雀は連雀からの分派ではなく、世田谷(?)の  井口権兵衛による開発地。
・ 軍学書などで、本陣を本陳と書いてあることがある。味方を本陳、敵方を本陣とする。
エンギかつぎ、車をヒクのは語呂がよくない、のだそうだ。
・ 八幡神社は一般に寺が支配した。鎌倉八幡の宮司は22坊の住職の輪番。
・ ~~領とよくいうが、戦国期の特定者にとる支配域と考えたほうがよさそう。

こんなところか。

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