水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(352)

2013-08-30 05:43:37 | 論語
民到于今受其賜(憲問第十四の18)

民今に到るまで其(管仲のこと)の賜(シ)を受く

一般大衆は今日まで管仲のおかげで、安穏で文化的な日常を過ごしている。


前節と同様に、今度は子貢が「管仲は仁の人とは言えませんよね」と、聞いたときの孔子の答え。

示した文の前では、
桓公を補佐して覇権を握らせました、と言い、

示した文の後では、
管仲がいなかったら、人々の野蛮な生活は続いていたでしょう。そこらの人間の死と管仲の死(殉死しなかった)とをいっしょにすることはできません、と言っている。


徳川家康でいえば、本田正信でしょうか、天海でしょうか?
豊臣秀吉でいえば、竹中半兵衛でしょうか?

いやいや、孔子がこれほどまでに絶賛するわけですから、民政の安定を重視した管仲は、これら思いつく参謀とは人間としての大きさが桁違いだったに違いありません。
確か宮城谷昌光の小説があったように思う。読んでみようか。


論語(351)

2013-08-27 09:25:47 | 論語
桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也、如其仁、如其仁(憲問第十四の17)

九合=糾合=集め合わすこと

桓公、諸侯を九合するに、兵車を以てせざるは、管仲之力なり。その仁なり、その仁なり。

桓公が周辺諸国を傘下におさめていった際、決して武力を用いなかったのだが、これはもっぱら管仲の力でなしとげられた。仁の人、管仲が仕切ったからでしょう。


桓公が、離反を計る身内の人間を殺害した際、その側近であったにもかかわらず管仲は殉死の道を選ばなかった。(もうひとりの側近は殉死した)。
このことに関し、子路が「(管仲は)仁には程遠いですよね」と、孔子に確認した。その答えが上。

孔子の言いたかったことは、「殉死を仁と考えることは間違い。国の勢力範囲を広げていく際に、武力を用いなかったこと、そのことのみをとっても管仲は仁の人と言える」ということでしょうか。


戦後レジームからの脱却、などと言われる時代になってきました。しかしこの変換は危険です。戦後レジームは継続すべきです。
ただひたすら、武力大国(AからBに変わるかもしれない)の顔色をうかがいながら生きていく、という道です。
島国根性(井の中の蛙状態)丸出しの武装は亡国のはじまりと思います。

論語(350)

2013-08-26 10:34:54 | 論語
晋文公譎而不正、斉桓公正而不譎(憲問第十四の16)

晋の文公は譎(イツ)わりて正しからず、斉の桓公は正しくして譎わらず


春秋時代の覇者の中に、文公と桓公という人がいた、この両者の行動規範は対照的で、文公は正邪の判断より策を弄することを好んだ。一方の桓公は、正邪の判断を重視し、策を弄することを好まなかった。

と、孔子は述べているだけ。どちらを好むかどうかについては何も言っていない。
したがって、何が言いたかったのか、わからない。

隔靴掻痒、なんか気になるので、文公/桓公について調べてみようと思う。

論語(349)

2013-08-23 08:36:36 | 論語
雖曰不要君、吾不信也(憲問第十四の15)

君に要(モト)めずと雖も、吾信ぜざるなり

魯の官僚で、その智謀で名声だった武仲に関し、孔子が発した感想。

政争に敗れ、中央から追い出された武仲が、一家の安寧を中央にお願いしたらしい。

武仲は、要求(おどし)ではなく願望だ、と主張したようだ。
が、そうした行為をおこしたことをもって、孔子は武仲への信頼を失った。


儒教では、親を大切にせよ、という。そして我々は、その行為の延長戦上に一家一族の繁栄追及がある、と考えがちだ。
しかし孔子は、この節の言で明解なように、そこを厳しく峻別している。

一家一族の安寧・繁栄を人様に頼んではいけない。当然のことです。

解説員として(150)

2013-08-22 15:10:04 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

見学者はゼロでした。
調布の小学校教諭数人が遠足の下見に立ち寄った。

蝉の音に 眠気誘わる 昼下がり

酷暑とはいえ、やはり蝉に秋の気配が近づいていることを知る。
蝉は確かにかしましい。が不快ではない。油断していると、眠りこけてしまいそうだ。

数独の難問も1題解けたし、今日はよしとしよう。


論語(348)

2013-08-21 09:05:53 | 論語
信乎、夫子不言不笑不取乎(憲問第十四の14)

信なるか、夫子言わず笑わず受け取らずとは。

夫子=ここでは公叔文子(地方領主)を指している。

公明賈という人に公叔文子について聞いた孔子の言葉。


公叔文子さんという方は、物言わず、笑わず、物を受け取らずない人(と聞きますが)、それは本当のことなのでしょうか?

それに対し、公明賈は次のように答えた。
「いやいやそれは、先生にそうお話した人の間違いです。公叔文子という人は、タイミングよくお話し、笑い、義にかなって物を受け取ります。このため人様から嫌われていません」

これを聞いて、孔子は次のように答えた。

其然、豈其然乎
其れ然り、豈其れ然らんや
そうでしょう、そうでしょうとも


この孔子の言、一見、公叔文子についてのウワサは事実ではないことを確認した、と理解できますが、そうでしょうか?
公明賈の説明ができすぎではないの、と言っているようにも感じられます。
漢文読解力不足の露呈で、お手上げです。「其然、豈其然乎」の意味するニュアンスがわかりません。


論語(347)

2013-08-20 09:13:35 | 論語
見利思義、見危授命、久要不忘平生之言(憲問第十四の13)

利を見て義を思い、危うきを見て命を授(サズ)く、久要(キュウヨウ)平生の言を忘れず

久要=昔の約束


子路が成人(=完璧な人)の条件を聞いたときの孔子の答え。

本来、成人とは次の五つの条件を満たす必要がある。
①知恵者
②欲張らない人
③勇気のある人
④技術・文学に造詣が深い人
⑤礼儀と音楽も知っている人

しかし、最近の状況をみていると、~~~~

として、3条件を示した。

①我に利あり、と感じたときは、義理を欠くことがないかどうか確かめられる人。
②危機に直面したら、まず命を投げ出す覚悟ができる人
③昔の、なんでもない約束を忘れない人


とてもこんな人になれるとは思いませんが、忘れないよう肝に銘じようと思います。

論語(346)

2013-08-16 05:58:28 | 論語
為老則優、不可以為大夫也(憲問第十四の12)

老となるは即ち優、大夫と為すべからず

老=家老
大夫=領主

(領主に仕える)家老であれば無難にこなすであろうが、領主になってはならない(領主になる素質をもたない)


孟公綽(モウコウシャク)という名の人に関する孔子の評価。
ナンバーツーとしては優れた働きをするが、トップにはなれない。

なぜそう評価するのか?
残念ながらなんの説明もない。
疑うわけではないが、人材評価の基準ぐらいは示してほしい。

よく「適材適所」というが、そこに至る「人材評価」が重要なのであって、皆苦労しているのだ。

それはそれとして、このように断定的に人様を評価できる、孔子様とは、どのようなお人であったのか?
その「自信満々」がうらやましい。


論語(345)

2013-08-14 09:08:21 | 論語
貧而無怨難、富而無驕易(憲問第十四)

貧しくして怨むこと無きは難し、富みて驕ること無きは易し

(人は)貧しいと恨み言を言わないようにすることは難しいが、金持ちになって驕らないようにすることは簡単だ


なんの説明も加えられず、これだけなので、孔子の真意は不明です。
が、貧乏であってもさわやかに人生を過ごそうと努力することと、金持ちになっても謙虚でいようと努力することとを比較するなんてできないでしょう、というのが直感的感想。


「衣食足りて礼節を知る」といいます。
今飽食の、某国の民度は、貧しかった昔に比べ、高くなったのでしょうか?
富国強兵を飽くことなく推進している隣国の節度はまとも、と言えるでしょうか?
一時話題になったヒマラヤ山中の小国の統治はどのようになされているのでしょうか?


恐れ多いことですが、この節に限って、孔子様のご意見には賛同しかねます。

論語(344)

2013-08-13 09:01:28 | 論語
飯疏食、没歯無怨言(憲問第十四の10)

没歯=死ぬまで一生

疏食(ソショク)を食らいて、没歯(ボッシ)怨み言なし

粗末な食事に甘んじ、一生怨み言は言わなかった。


孔子の管仲に関する評価を説明している文。
管仲は政敵伯氏を追い落とした。しかしその伯氏は、上のような姿勢で一生を貫いた。
政敵をして、このように思わせる管仲を、孔子は「人也」として評価した。

この前の文で孔子は、子西(孔子の官吏としての登用を阻止した大臣)をどう評価するかと聞かれ、「彼哉、彼哉」(あの人、あの人)、とのみ答えた。


たぶん孔子は子西のことを、よくは思っていなかった。怨んでいたかもしれない。
そのような自身の体験を背景に、納得ずくで政敵を追い落とす管仲の周到な手腕を見ると、やはりすごい、と思うのだろう。

管仲は仁を貫き、子西は仁に欠ける、といいたかったのかもしれに。しかし、自身を深く見つめようとする、儒教の根本精神にそぐわないように思えてならない。
解釈に間違いがあるのかもしれぬ。

論語(343)

2013-08-09 08:53:10 | 論語
草創、討論、脩飾、潤色(憲問第十四の9)

草創=素案・原案・たたき台の作成
討論=論理性的矛盾を是正すること
脩飾=文章を修正・整理すること
潤色=文章にメリハリをつけること

鄭という国の公文書の見事さを、孔子が評価している。

(なぜスキのない文章ができているか、といえば)、四人の大臣(卑、世叔、乎羽、子産)が、個々の文章ごとに、上に示した四つの観点で分担し、筆を入れるからである。


現代、公文書の国際比較なんてなされることはないのでしょうか?


解説員として(149)

2013-08-08 15:20:59 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

見学者は、3組、いや4組であったか。暑さかボケか、記憶があいまいだ。
いづれにしても、どの見学者も、小学生とその母親、という組み合わせ。
夏休み研究のテーマ探しだ。なるべく多くのインスピレーションがわいてくれるよう、説明を心がけたつもりだ。
が、気に入っていただけたか?

今日は、市職員による障子の張り替えが行われた。
彼らが見学者に「体験してみませんか」と声を掛けると、楽しそうに参加してくれた。
考えてみれば、今の子供たちにとって、障子の張り替えといった作業は、別世界のことなのかもしれない。
こちらもお手伝いをした、つもりだが、トラブルメーカーになっていたかもしれぬ。

それにしても、昨日放映されの「ゆうゆう散歩」は期待外れ。少々がっかりした。
① 35分番組で、コマーシャルを15分以上流すとはどういうことか?
② 「散歩」と称しているのに、どこをどのように歩くのか、説明不十分。
③ 「しんぐるま」の沿革について説明がないため、初見の人はなにがなんだかわからないはず。
④ 番組製作者は他局の「世界街あるき」でもじっくり研究してもらえないものか?
⑤ ビッグネームにとられすぎて、実務に金が回ってこないのではないか?
⑥ こんな番組を続けていると未来がなくなりそうだ、なんて他人事ながら心配。

それでもまあ、少数であっても、放映が見学のきっかけになってくださる方々がおられることを、夢想している。


論語(342)

2013-08-06 09:19:01 | 論語
愛之能勿労乎、忠焉能勿誨乎(憲問第十四の8)

愛して労(イタワ)ることなからんか、忠にして誨(オシ)うることなからんか。

愛しているから、(ものごとに対し)力を尽くせるのです。誠実をむねとしているから、(人様に対し)教えることができるのです。


この節は、特に言葉足らずで、わかりにくい。が、とても重要だと思う。

労働の原動力は「愛」、教育の原点は「忠」、だと言っている。

愛=慈しむ、憐れむ、恵む、心
忠=真心を尽くすこと

拝金主義を増長させる、いまはやりのグローバリゼーションは、この孔子(儒教)の精神とは整合しない。


今日は、広島原爆被災の日。
西の原爆、東の原発事故。両者の時間差は66年。66年後(西暦2079)、この国は、そして世界は、どうなっているのだろうか?


論語(341)

2013-08-05 10:09:40 | 論語
未有小人而仁者也(憲問第十四の7)

小人にして仁なる者あらざるなり

小人(=器量の小さい人)が仁徳を身につけていることはない。


この前文では、
君子(=器量の大きい人)であっても仁徳を備えていないこともある(君子而不仁者有矣夫)。


小人の私としては、この孔子様の言は、ちょっとひっかります。
なぜなら、私めがいかに努力精進しようとも決して直接的に仁者になれる道はない、と理解できるからです。


小人である者が、もし仁者になろうとすれば、まず君子になることをめざし、しかるのち、仁者になるべく努力せねばならない、ことになります。

では、君子とは?辞書(大辞林)はどのように定義しているのでしょうか?

①学識・人格ともに優れ、徳行の備わった人
②身分・官位の高い人


そもそもこんな方向に思考回路が向くことがおかしいのです。君子とか仁者になることを目的にしてはいけません。
常に、物事に正対し、熟慮し、恥じることのない行動をすること、が儒教の教えです。
これでいいでしょうか?

論語(340)

2013-08-02 09:40:29 | 論語
君子哉若人、尚徳哉若人(憲問第十四の6)

君子なるかな、かくのごとき人、徳を尊ぶかな、かくのごとき人


いや~、この人は立派な人ですよ、と孔子が絶賛した。(ただし、直接ではなく、本人のいないところで)

弟子の南宮适が孔子に次のように聞いた。
「羿(ゲイ)は弓の名手でした。奡(ゴウ)は船を引っ張るほどの剛腕の持ち主でした。これらの方々は寿命をまっとうすることはできませんでした。(一方)禹や稷は、農耕に力を注ぎ国家を安定させました。(このような歴史解釈でよろしいのでしょうか?)」

孔子はそれに答えず、南宮适の退出後、上のように発言した。


このやりとり、いまいち合点がいきません。
南宮适にしてみれば、聞いたことに答えない(不答)先生をなんと理解すればいいのでしょうか?
あまりにも、まとをえた認識を発露する弟子に、孔子が嫉妬を覚えたのでしょうか?
弟子としては、あとから人づてにほめられるより、先生から直接声をかけてもらうほうがよほど励みになると思うのですが。

まあとにかく、この節については、よくわかりません。納得できません。