水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(230)

2016-09-29 11:12:09 | 古今和歌集
308 刈れる田におふるひづちの穂にいでぬは 世を今更にあきはてぬとか
題しらず
よみ人しらず

刈りとられた田んぼで目にする光景、すなわち、残された株から緑の芽がでている状態、を見ると、なんか人生終わってあきっちゃたなあ、なんて思ってしまいます。なぜかといえば、もう芽が出る機会はないからです。

ひづち=ノギヘンに呂、と書くのだそうで、大字典には、意味が「自生の稲」、とありました。

年よりの厭世の歌でしょうか。

自分もどんどん年を取っていきますが、加齢を重ねるごとに時の経ることの速さを感じています。
なんとか、スパっと終わりたい、と年寄り誰もが思っているのです。


古今集(229)

2016-09-26 11:01:51 | 古今和歌集
251 もみぢせぬときはの山は 吹く風の音にや秋をききわたるらん
秋の歌合しける時よめる
紀よしもち

常盤山(トキワヤマ)は常に緑で紅葉はしません。しかし、夏とは微妙に違う風の音を聞き分けるによって、秋の到来を察知します。


高山では、そろそろ紅葉が始まったでしょうか。昔々立山の室堂で、この時期、素晴らしい紅葉を見たことを思い出しました。


昨深夜、サッカーのU-17、対UAE戦をテレビ観戦しました。
1-0での勝利でしたが、久しぶりに強い日本のサッカーを見ることができ、満足です。
マスコミは一人の「天才少年」と呼ばれる中学三年生をはやしたてています。確かに、キレキレの動きをします。素晴らしい逸材だ、と思います。

しかしヘソマガリとしては、全体としての守備が抜群にいい、と強調しておきます。つまり、大崩れから最も遠いサッカーをたたきこまれている、ということだと思うのです。期待できます。10年後が楽しみです。
とにかく、この年代での、来年の世界大会を制覇する、と断言しておきます。監督の手腕に注目です。

古今集(228)

2016-09-22 08:37:09 | 古今和歌集
273 ぬれてほす山路のきくの露のまに いつか千年を我はへにけん
仙宮に菊をわけて人のいたれるかたをよめる
素性法師

菊の花が咲いている山道を歩くと露に濡れますが、それがかわかぬ、ほんの束の間に私(この人)は千年もの年を過ごしてしまいました。

この歌は、注の「かた」が「模型」(箱庭)であることを知れば、理解は容易だ。
仙人になろうとする老人が菊の山を分け入って、仙境にに至ろうとする箱庭をみて、作られた歌。

どの時代においても、上流階級は優雅な生活を送っているのですね~。


最近の老人の増えようは、「仙境」どころか、「敬老の日」どころではなくなってきた。
ボク自身もうすぐ後期高齢者なのだが、午前中の町中における、あまりの老人の多さに、この国に未来はどうなるのか、と暗たんとしてくる。
どのように消えていくべきか?

古今集(227)

2016-09-19 02:14:35 | 古今和歌集
586 秋風にかきなす琴のこえにさへ はかなく人の恋しかるらむ
題しらず
ただみね

そよそよと秋風が吹くなか、琴をひきますと、ちらっとあの人のことが気になってしまいます。


ぐ~んと秋めいてきました。現在午前2時。別に、思い人がいるわけではないのですが、目がさえて、おきだしてしまいました。

残念ながら、弾く楽器は皆無です。昔の貴族は琴も弾くことができたのですね~。

中国からはいってきたのでしょうが、この時代の琴って、どのようなものであったのでしょうか?


今日は祭日だそうですし、もう一度寝なおすことにしましょうか。

古今集(226)

2016-09-15 10:31:54 | 古今和歌集
191 白雲にはねうちかはし飛ぶかりのかずさへ見ゆる秋の夜の月
題しらず
読み人しらず

白雲を背景に雁が翼をつらねて飛んでいます。その数を数えることができるほど、秋の満月は明るいものです。


旧暦でも、ちょうど今日あたりが、満月でしょうか? 晴れていれば、この歌が言うような明るい月が見えるはずなのに~~~。
残念ながら、この数日間は曇りがつづくようで、月を楽しむことはできない、であったでしょうか?

マスコミの、豊洲追及がツボにはいってきたようです。オオゴトになること必然なのではないでしょうか?
しばらく、注目です。
芸能人のスキャンダルにうつつをぬかし、視聴者にいいかげん飽きられてきたテレビも、この問題を厳しく追及すれば、息を吹き返すことができるかも。

しかしそれにしても、女王陛下への道は開かれましたねえ~。

11年目に入る!

2016-09-08 10:11:44 | 雑感(1)日常
このブログを始めて、明日から11年目に入ります。

特に最近はたいくつな記事が続きますが、おつきあいいただき本当にありがとうございます。
加齢とともに、行動範囲がめっきり縮小してきていますので、目を大きく外に向けることが少なくならざるをえません。
そんなわけで、もうしばらく、古今集は読まねばならぬかな、と思っています。

首都のトップが女性になりました。スタートダッシュがものの見事に決まり、女王陛下への道が開けたのではないでしょうか。
防衛大臣の時に、実力次官と呼ばれていた方を追い落とした経験がおありですから、今回もとんでもないことをおやりになるかもしれません。

そんな今日この頃ですので、今年は日常に感じる事項も記事にしてみようかな、とも思い始めています。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

例によって、過去に書いた、この日の記事を添付します。

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このブログを始めて、明日から10年目に入ります。
10年一昔といいますが、あっというまの10年でした。
そもそも水車解説にからめて始めたのに、今ではそれとはまったく異なった方向に進んでいます。
読者層がかなり変わってきているはずですので、タイトルを変更すべき、とは思うものの、行動に起こしていません。
加齢にともなう優柔不断、というやつかもしれません。大目に見てやってください。

今朝の地震は大きかったです。飛び起きました。調布の震度が5マイナス、三鷹は4だったそうですが、実感的には、限りなく調布の5マイナスに近かったように思います。
鬼怒川破堤氾濫水害に続き、今度は地震、でしたから、多くの人々が一瞬ピリっとしたことでしょう。

のほほんと過ごごすことなく、緊張感を持って毎日を過ごしなさい、という神様の警告なのかもしれません。

その意味においても、読んでくださる方々がいらっしゃる、このブログを続けることは、自分にとって極めて重要になっています。
厚く感謝申し上げます。と同時に、どうかこんごともよろしくお願いいたします。

例によって、過去に書いた、この日の記事を添付し、自分自身を鼓舞したいと思います。

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明日から、このブログは9年目に入ります。
こうもズルズル続けてこられたのは、読んでくださるあなたのおかげです。心から感謝します。

このごろ、水車解説関連の記事の種を見つけることができないし、論語も読了したし、「そろそろやめどきか?」なんて考えが頭のスミをかすめます。
しかし、そもそも「ボケ防止」を主要な目的としてはじめたわけですから、その意味においては、これからが勝負、ということになるわけです。

そこで、続けるためには、論語に替わる「種」を探さねばなりません。

結論を申します。ブログの種を古今和歌集所収の和歌、としました。

理由
① 論語を勧めてくれた友人は万葉集を勉強している。彼の道を犯したくないが、同じ土俵に立ってみたい。
② 平安時代についての知識が極めて薄弱。和歌のついでに歴史も学べる。日本人の心の原点を探れるかもしれない。
③ 収録和歌の総数は1111首。読了に4年強かかった論語をベースにすれば、古今和歌集の読了には10年強かかりそう。読了前にオダブツを期待できる。
④ 読了後の目標:古今風和歌をいともたやすく作れるように!

なお、基本参考書は「古今和歌集;佐伯梅友;岩波文庫」にします。


論語同様、面白くもないかもしれませんが、ボケ防止に協力、とご理解いただければ幸いです。
では、今年もお元気で!よろしくお願い致します。

例によって、昨年のこの日の記事を下にコピーします。

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2013年9月12日の記事

このブログは、今日から、やり始めて8年目に入いります。
わけもなくズルズルと続けています。最近気にしていることがふたつあります。

① 論語はいつ終わるか?
読み出して驚いたのですが、論語は大部です。今360節ほど読み進みましたが、まだ150節ぐらいあります。
したがって、今の速度で読み進めると、あと50~70週(1年強)かかる計算になります。
なんとか読破したいものです。
② 模型製作は放り投げたのか?
実は今放り投げたい気分半分。歯車の部品がうまく作れず、暑さもあって、まだ再着手の気分になっていません。
しかし、もう少し時間をあければやる気がでてくるようにも思います。
次の段階に進んだ写真をアップできるかもしれませんので、よろしく!


まあとにかく、いささかマンネリ気味になっていることは承知しています。ボケがはじまった老人日記、とご容赦いただければ幸いです。

7年後の五輪開催も決まりました。2007年のこの日に、その座を投げ出した人とは思えぬほど、今の首相には迫力があります。
某国は、しばらくの間、キラキラした空元気で覆われそうで、喜ばしいことです。

読者の皆様、今年もお元気で!よろしくお願い致します。

例によって、昨年のこの日の記事を下にコピーします。

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2012年9月12日の記事


このブログは明日から7年目に入ります。
こんなにも続けることができたのは、あなたのおかげです。
毎日示される閲覧数とか訪問者数から、多くの方々に読んでいただいていることを知り、そのことを書くためのエネルギーに使わさせていただいています。
最近の日間訪問者数は、最大で150といったところで、これが増えることはなくなりました。読者は固定的とみていい、と思っています。


今年は、今までと異なり、この時期に某国首相の交代はありませんでした。しかし、今が落ち着いた状況であるとはいえません。しょせんサル山のボス選びにすぎないわけですが、さまざまな特権を握ったままでの、茶番劇には、いささか辟易です。

まあ、それはそれ。今年もこのブログを続けるつもりですので、どうかよろしくお願いいたします。
どのような方々に読んでいただいているかを想像し、身を引き締め、緊張感を維持し続ける所存です。



例によって、昨年のこの日の記事を下にコピーします。
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2011年9月12日の記事

このブログは明日から、6年目に入ります。
読んでいただいていることに、あらためて心より御礼申し上げます。

最近、ブログ標題からのズレがひどくなっていることは、十分自覚しています。少々弁解させてください。

・ 自分の解説日を平日(今月までは木曜日)に限定しました。土日祭日にのみ解説できる方々を押しのけてまで、年寄りがでしゃばってはならない、と考えました。このため、お会いする見学者の絶対数が少なく、水車がらみのブログ種を切らしています。勉強不足を反省しているところです。

・ ひょんなことから、論語を読み出したのですが、これがなかなかなのです。はまってしまいました。折角ですから、最後まで読もうと思っています。スムーズに読めたとしても、二年ぐらいかかるでしょうか?
貴殿の御意に沿わず、面白くないかもしれません。が、素人の、とんでもない読み込みを、笑いの種にしていただくきたくお願いします、お許しください。


今年もやはりこの時期に、某国首相が交代しました。
歴史的にみて、今は大転換の時期なのかもしれぬ、とは想像しますが、このようなフラフラ腰をいつまで続けていることができるのでしょうか?心配でなりません。


例によって、心を新たにするために、この日の過去の記事を下に添付しました。

これからも、緊張感を持って記事を発信するつもりです。どうかよろしくお願いいたします。

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2010年9月13日の記事

このブログは明日から、5年目に入ります。

 生来の飽きっぽさからは想像もつかないほど長いこと、継続することができています。
これは、最近の場合、日間アクセス数や週間閲覧数がそれぞれ、百、千の大台をはるかに越えることも珍しくなくなってきていることと密接に関係しています。多くの方々に「読んでいただいている」ことがわかり、大変な励みになっています。
厚く御礼申し上げます。

 昨年の十月から「しんぐるま」が休館したため、一年間記事の種さがしに苦労しました。でも、いよいよ11月から再開です。ブログタイトルにふさわしい記事を途切れなく書くことができそうで、楽しみです。
今後ともよろしくお願いいたします。

例によって、心を新たにするために、この日の過去の記事を下に添付しました。


 それにしても、本当に面白い時期(こういういう言葉は誤解を生むかも)に、このブログを始めたものです。
某国では、今年も今、首相選び、をやっています。延べ六人目です。戦国時代であったら、とっくに周辺国によって蹂躙されることでしょう。平和の謳歌に感謝せねばなりません。

 来年こそ、この時期、今度選ばれる人がゆるぎなく続けていてほしい、と心から願うところです。
そして、貴殿のご健勝を念じます。

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2009年9月13日の記事

このブログは今日から4年目に入ります。三年間の日数は1095日ですが、このうち409日、記事を書きました。3割7分4厘という、イチローびっくりの高打率です。我ながら、よく続けてきた、と思います。これは、貴殿が読んでくださっているからです。これ、本心です。

過去三年、この日に書いた記事を、下に再掲しました。

おかげさまで、読者数はジワジワと増加しています。週間閲覧数が、もうすぐ四桁に乗りそうな勢いです。

 しかし、四年目は、ブログを書き続けられるか、試練の一年になりそうです。というのは、しんぐるま(新車)が、動態保存に向けた工事のために、来月から来年秋まで休館するからです。
たぶん、記事の種探しに苦労します。読者のご興味を繋ぎとめられるよう、初心を忘れず、がんばります。どうかよろしくお願いします。

 それにしても、某国首相の交代劇が続いた9月に、たまたまブログを始めたとは、本当に不思議です。組織が崩れていく過程を興味深く見させてもらいました。

さて、来年の9月はどのようなことになっているでしょうか。貴殿のご健勝を、わが身の無事、とあわせて祈らせていただきます。


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2008年9月12日の記事

正しくは明日からですが、このブログは三年目に入いります。
読んでいただいているみなさんに、あらためて厚く御礼申し上げます。個別に御礼状を差し上げたいほどです。

 読者数はアクセスIP数や閲覧数によってのみ知りますが、その数が今なおジワジワと増していて、大変な励みになっています。
しかも時々、少数の方々が過去の多くの記事をいっきにごらんになったに違いない、と思われる状況(通常、閲覧数はアクセス数の数倍だが、時々それが十倍を越える)が出現することもあります。
このような、過去の記事にご興味をお持ちになる方の一助にと、カテゴリー区分してみました。一層の修正が必要ですが、これでも多少お役にたつかもしれません。

 
 下に去年の記事(一昨年の記事も添付)を添付しましたが、今年も、昨年同様、某国首相が退陣なさいました。つくづく、面白い日にブログを始めたものだと思います。こんなことがあるから、日記はやめられなくなるのでしょうか。

引き続き、緊張感を持って書きますので、よろしくお願いいたします。

なお、昨年の記事に書いた、「一年前の記事をコピーする」という作業は、途中でやめました。ボリュームが増すことに神経を尖らす必要はなさそう、と判断したからです(すぐに、容量とかを気にするのは、コンピューターを、その草創期に利用した者の性だからでしょうか)。


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2007年9月13日の記事

 某国首相が昨日、在任一年を目前にして辞任表明した。さぞや無念であろう。
比較するのは本当に恐れ多いのだが、このブログは、幸いなことに、今日から二年目に入いることができた。子供時代の夏休み日記でさえ満足に継続できなかった人間としては、信じられな~い。
これも読者(アクセスIP数によると、常時30~60)のおかげです。この場から、心より御礼申し上げます。

これからも、今までどおり続けようと思いますので、よろしくお願いします。

それから、これからは、当日の記事に、前年同月同日の記事を、コピーでつけたそうと思う。理由は、何をいつ書いたか、ほとんど忘れそうなので。
もちろん、その本元は削除する。

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2006年9月13日の記事
タイトル:始めの記

ブログ挑戦! その種は、水車解説ボランティア。

 三鷹市は、市内における文化遺産保存の一環として、市内河川で稼動していた、あるひとつの水車の保存に力を入れている。内外からの見学者は年間7000人を超えるそうである。最近の市報に、この水車についての講座を修了すると解説員として登録する、との案内があったので、応募することにした。応募の動機はいろいろ(定年後のボケ防止、居住地域に多少とも役立つことがしたい、外出の口実にできる、などなど)。
 去る9/9に第1回の講座が開かれ、とりあえず出席した。気に入った。面白そう。もっとも、果たして講座を修了しても採用していただけるか。幸いにして、採用していただけた場合、どんなことが待っているか。ブログに挑戦しながら、しばらく記録してみたい。これもボケ恐怖からかもしれない。
 ちなみに、グーグルで「水車」を検索すると、三鷹市のものがトップに出てくる。




古今集(225)

2016-09-08 10:06:38 | 古今和歌集
189 いつはとは時はわかねど 秋の夜ぞ物思ふことの限りなりける
これさだのみこの家の歌合のうた
よみ人しらず

(物思いにふける)季節はいついつだ、と決めつけることはできませんが、やはり秋の夜というのは、その頂点でしょうね~。


人間の人間たる由縁は、「悩むこと」でしょうか?

人間以外の動物は、もてる時間の大半を食物探しに費やし、疲れたら寝る、ことで一生をすごします。

加齢がすすみ、食べて寝るだけ、という生活が迫ってきているように思うと、なんともむなしいものです。

逆説的に考えれば、「悩み事をかかえる」ことは、人間らしい生活を送っている証拠でもあるわけですから、年取ってからは、積極的に「悩み」をかかえねばなりません。

古今集(224)

2016-09-05 11:25:50 | 古今和歌集
196 きりぎりすいたくな鳴きそ 秋の夜のながき思ひは我ぞまされる
人のもとにまかりける夜、きりぎりすの鳴きけるをききてよめる
藤原ただふさ

キリギリスさん、こんな夜中に、そんなに鳴き続けないでください。鳴きたいのは私のほうなんだから。


キリギリスは昼間鳴く。だから、この歌の言うキリギリスは、我々の知っているキリギリスではない。コオロギであろう、とされているらしい。

楽しい語らいを期待して訪れたのに、キャーピーキャーピー、グチや泣き言ばかり、いいかげんにしてくれよ、も~、といった感じの歌でしょうか。

古代の日本における婚姻関係は、天皇からして、妻問いだったそうですが、気に入ってもらうためには大変な努力が必要だったに違いありません。

現代の日本をみるとき、先祖がえりをしているような気がしないでもありません。

古今集(223)

2016-09-01 11:24:24 | 古今和歌集
204 ひぐらしの鳴きつるなへに日はくれぬと思うは山のかげにぞありける
題しらず
読みひとしらず

ひぐらしがやかましく鳴きはじめて日も暮れてきたようだ、と思ったら、なんと山の影でありました。ひぐらしも間違えたのでしょうか。


古今集の歌には珍しく、軽妙でひょうきんな歌だ。気に入っています。


今頃の日の入り時刻は、最も遅い6月下旬に比べ1時間は早くなっている、と思う。夏休みは終わりだ。
が都会の子供は、人工的に明るすぎるため、もう日暮れ時刻を気に掛けることはないのかもしれぬ。


それにしても、岩手の水害被害は痛ましい。
津波に対しては、自信をもって昔から対策を講じてきたのに、うしろから、最も弱い人々が狙われた感じ。
神様・仏さまの、無慈悲さを痛感する。行政の危機感に問題あり、と痛罵されるかもしれぬ。