水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

ケーブルテレビ

2007-01-30 09:29:08 | 雑感(1)日常
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 先週、市役所の担当課から、ビデオテープを郵送で頂戴した。昨年9月の解説員養成講座受講の際、2回ほどインタビュー取材に答えたこと、に対する礼の意味と思われる。
 タイトルは「ススメ!実年探見隊 1月編」というもので、地元のケーブルテレビで1月はじめに放映したようだ。この番組はシルバーグループで制作されているらしいが、1月放送分の内容は水車解説員養成講座の概要を手際よくまとめ、よいできであった。
 しかし、ビデオに写る自分の、顔のしまりのなさ、体形の醜さにうんざりした。年齢相応と言ってしまえばそれまでなのだが、もうちょっと、ましのつもりだった。お恥ずかし。

解説員として(2)

2007-01-29 10:06:26 | 水車解説関連
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 昨日の午後、解説員として、2回目の出勤をした。
寒中とはいえないような暖かい日であったからであろうか、席を暖める暇もないほど、来客があった。午後だけで、20組、50人は超えたようだ。散歩やサイクリングの途中に立ち寄る、といった雰囲気で、子供連れから老人まで年齢の幅も広い。せっかくきてくださったのだから、こちらがベラベラしゃべるのではなく、客の主体性を尊重したい、と思っている。しかし、客の興味の対象がどこにあるか見極めるのがなかなか難しい。昨日は民具に強い興味を示す人がいて、こちらの知識不足をあらためて認識し、種々教えていただいた。
これから春に向かって来客はますます多くなるであろうから、どんな出会いがあるか楽しみだ。最も楽しみにしているのは、自分が卒業した小学校の生徒達だ。
 たまたま担当にはならなかったが、来客の中にカナダ国籍とオランダ国籍のカップルもいた。場所柄、国外の方々の来場も多いはずで、個人的には、オタオタしないよう、英語での最低限の準備はしたつもり(昨年12月に書いた4回の記事)だが、さらにブラシュアップしておこう。
機会をみて、外国文(すくなくとも、英、漢、韓)のパンフレット作成の必要性を、市の担当課に提言してみたい。

タウンミーティング

2007-01-25 10:26:24 | 雑感(1)日常
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 ちょっと前、マスコミの俎上に上がったタウンミーティング・やらせ問題で、だれかが「特定グループに占拠されることへのおそれ、云々」といっていたと思うが、もうちょっと民主主義を大切にしてもらいたい、との思いから最近の経験を記す。

1 三鷹市報に環境保全審議会委員(市民枠4)の公募があり、それに応募。
2 800字程度の小論文提出が義務。
3 応募者15名。公開抽選の結果、落選。(これらは郵便で知らされた)

 担当者の独断で論文審査することが許されてよい、とも思うが、公募・公開抽選は公平性を担保する究極の方策だ。今後もタウンミーティングを開くなら、これを見習ってはいかがか。衆愚とみるか衆賢とみるか。

 個人的には「ボケていくこと」が怖いので、今回の落選にめげず、今後もこのような機会があったら挑戦するつもりだ。
以下は、応募のために書いた文章の一部である。落選への腹いせから、ここに引用しているのではない。PCと半日も向き合えば、必要な情報はほとんどすべて手に入る大変な時代に入っている、といいたいのだ。

 (独)製品評価技術基盤機構のHPに示されたデータによると、平成16年度における三鷹市域から排出された全PRTR対象物質の総量は40,673kgで、周辺市のそれ(武蔵野市107.9kg、調布市6,911.3kg、小金井市165.5kg)に比べ格段に多い。物質としてはTCEが全体の約71%、28,700kgを占め、ついでBTEX19%、ジクロロメタン7%が続く。これらの物質は、市内では、おそらく主として機械洗浄等を目的として使用されている、と想像できる。
なぜなら、平成16年度の工業統計調査(三鷹市役所HPからデータ取得)に基づくと、三鷹市の製造品出荷額総額、約1,464億円のうち、約75%を機械器具製造業(電気、情報通信、輸送)が占めるからである。次いで使用の可能性の高い業種としては、印刷業(同10%)、化学工業(同2%)等がある。化学物質を扱う事業者は、個々に環境・安全・消防等に関連する各種の法規制を遵守し、届け出や厳しい自主管理を実施している。
 一方、市当局は、市内における有効なリスクコミュニケーションシステムを確立するために、公害発生源としてのこれら事業所に対する監視と市政運営の重要な柱のひとつである「協働」との調和のとれた両立を図る努力を不断に継続する必要がある。(以下省略)

禅林寺

2007-01-24 11:10:03 | 三鷹・歴史/地史
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 昨年の10/14の記事に、脚気と森鴎外は関係があるらしい、という意味のことを書いたが、らしい、どころではなかった。日露戦争での、医者としての森鴎外等が主張する白米派の陸軍と麦飯・パン食派の海軍との、脚気による死亡者数の違い、の話を知らないなんて、と友人に笑われた。
 ところで、三鷹の住人としては、「森鴎外」とくると、だいたい「禅林寺」が脳裏をよぎる。鴎外の墓があるのだ。我々にとっては、もしかすると、大沢水車近くの龍源寺より、三鷹駅近くの禅林寺のほうが、寺としてなじみが深いかもしれない。鴎外の他、太宰の墓もある。それに、忘れもしない、三鷹事件の慰霊碑もある。確か黄檗宗だ。三鷹駅の誘致に禅林寺が重要な働きをした、と聞いたこともある。
神仏分離政策が打ち出された明治初年までは、隣の八幡神社と一体だったらしいが、夏祭りの時の八幡神社境内の賑わいは、芝居小屋もかかるほど、たいしたものだった。道路に土地を取られてしまったからか、最近はずいぶんとさびしい祭りになってしまった。
 

雨水浸透マス

2007-01-23 09:40:12 | 三鷹・市政
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 この施設の庭に、市は最近雨水浸透マスを設置した。この事業の基本は、市街化が進んだ武蔵野台地において、地表から水を浸透させることによって地下水を復活させよう、というのだと思う。地下水が復活するとしても100年後のこと、といった非常に地味な事業だ。 
 しかしこの事業は、野川や井の頭池や善福寺池や三宝池などの武蔵野台地上の水辺を昔の姿にもどせる唯一の方策であるので、都や各市は、ぜひとも息長く継続させてほしい。可能なら、今の子供達に、我々が遊んだ昭和20年代後半頃の、これらの水辺を見せてあげたい。
 このように偉そうなことをいいながら、実はまだ自宅に雨水浸透マスを設置していない。自分で工事をやろうと思い、ついのびのびにきてしまった。
体力的に、土方作業が可能なのもあと何年か、なのだから、今年やってしまおうか。

地震

2007-01-18 09:54:18 | 雑感(1)日常
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 昨日は阪神淡路大地震発生12年目に当たる日だった。発災日当日の朝のテレビ画面から映し出される延焼の状況は、人間の無力さをさらけだすものだった。およそ一月後に現地に入ったが、断層線沿いの被災の激甚さを見、正直言葉を失った。科学とか技術とか、我々少々思い上がっているのではないか。

 ここの主屋は1810年代に建設されたそうだが、当主であった峰岸清さんは関東大震災(1923年)を経験している。「水車屋ぐらし、p37」によれば、「立っていられないくらいゆれ」、「大沢にあった4台の水車のうち、無事だったのは峰岸家のものぐらい」、だったそうである。残念ながら、当時のものと思われる水車の覆屋は1970年代に建て替えられてしまった。
 主屋の柱は決して太いとは言えないし、構造的にも決して強いとは言えないと思うのだが、考えてみれば、この主屋は関東大震災のみならず、1854年の安政東海地震や1856年の安政江戸地震などをもしのいで生き抜いてきた、偉大な建物なのだ。地盤条件もよいのだろうが、耐震構造の面からも研究の価値があるかもしれない。

文化財防火デー

2007-01-17 09:07:28 | 雑感(1)日常
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 昨日の記事で文化財防火デーの日にちを間違えた。正しくは、1月26日だそうだ。
昭和24年1月26日に法隆寺金堂が焼損したことを、忘れないように、他の文化財を損耗させないように、文化財防火デーとして、昭和30年制定されたのだそうだ。
 壁画模写担当者が使用していた保温用電気座布団のスイッチ切り忘れ、が原因。

 近年、一般住宅においての、火災報知器設置が義務化されつつある。我が家でも数年前にひとつつけた。年齢が増すにつれ、とっさの反応や動きは、悲しいかな確実に鈍くなる。その鈍さをカバーするために、文明の利器は必須だ。

消防訓練

2007-01-16 15:44:17 | 雑感(1)日常
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 今日は文化財防火デーだそうである。その関連行事の一環としてか、消防訓練に参加した。いかにボランティアとはいえ、解説員として参加しているときに、どのような緊急事態が発生するかわからないのだから、機会があるときはいつも訓練を受けねばならないと思う。
 今日の訓練で理解したことは次のとおり。
1 火災(に限らず、緊急事態)が発生したら、大声を出し、助けを呼ぶ。
2 慌てずに、消火器を作動させる。作動時間は短い。
3 火炎が天井に達したら、逃げる。素人の能力を超えた火災。
4 自らの身を大切に、特に火炎を吸わないように。

以上を肝に銘じておこう。



スーパーヒーロー

2007-01-11 09:34:48 | 雑感(4)思い出
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 昨年の12/15の記事で触れたスーパーヒーローについてもうすこし。
 今日まで何人かのスーパーヒーロー達、いわゆるオーラを発散する人、を見てきた。明治神宮球場で見た学生時代の長嶋の、とにかく目立っちゃうキャラクター、後楽園選手控え室で素振り中の王のまるで剣客のような迫力、支度部屋での初代若乃花の周囲を圧倒する凄み、などは今も強烈な印象に残っている。
 しかし、三鷹といえば、なんといっても卓球の荻村だ。小学生の時、世界選手権を取って凱旋し、学校にきた。校庭に並んだ生徒の前に立った荻村のまわりだけとても明るく、それが不思議だった。後年、府立高校(都立大/首都大の前身)の体育の先生に聞いたのだが、「彼はすべての時間を卓球の練習に費やした、印象」だそうだ。
 高校の時、全日本選手権をとった直後の柔道猪熊が、練習中の柔道場にやってきた。このときは、彼の身体から発する、風というか圧力というか、強烈ななにかを感じ、ただ立っているのさえ苦しかった。今思えば、たぶん彼の目は東京オリンピックに向いていたのだ。重量級で金を取り、残念ながら、無差別級は神永がヘーシンクにやられたのだ。
 どのような分野の人であれ、日の丸を本当に背負った時、オーラが発散し、スーパーヒーローと呼ばれるようになるのだと思う。

貴重種

2007-01-09 10:03:56 | 雑感(1)日常
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 解説員仲間の中に、小学校や中学校の同時代同窓生が多数いるのではないかと楽しみにしていたのだが、どうもそうではないらしい。その理由を考えてみたら、次のような結論に至った。

 昭和20年代後半(四小時代)の三鷹市の人口は約六万人。おおざっぱにみて、このうちの半数が今も生存しているとし、さらに生存者のうちの半数が市内に在住しているとすると、その数は一万五千人。つまり、現在の人口十七万人のうち、昭和20年代にも市内で生活していた人の数は、おおざっぱにいって、約一割にすぎないということになる。正確には、昭和20年代の10歳前後の人口と現在の60歳前後の人口との間で上のような比較をせねばならないのだが、それをすれば、たぶん、もっと低い割合になるような気がする。中学3年時のクラス(一中)55名の内、現在市内に在住しているのは5名以下なのだから。
 自分が地元で貴重種どころか絶滅危惧種に近い位置にいることを悟ってしまった。


解説員デビュー

2007-01-06 20:50:12 | 水車解説関連
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 今日は解説員としてのデビュー日であった。通常は3時間(10時からか13時からか)を担当するらしいのだが、当初に割り当てられた人が都合がつかない、ということだったので、一日中やらせてもらうことにした。
 終日土砂降りで、来客は午後1名のみであった(記録を見ると、昨日は7名)。来客は高校生で、「郷土について何か調べよ」との宿題に対応するためだそうだ。このような荒天を押して来る人もあることを知り、感激。AさんやTさんの話が参考になったにちがいない。おのれのそれは不可、不十分、不消化。おおいに不満。勉強が足りない。
 管理を担当するAさん、解説員としての先輩にあたる午前担当のOさん、および午後担当のTさんから、もりだくさんの有意義な話を聞くことができ、非常によかった。