温故而知新、可以為師矣(為政第二の11)
古きをあたためて新しきを知る、以て師となるべし
有名な語だ。
先例や古典、あるいは歴史を学ぶことによって、これから何をなすべきか方向性をつかむことができる、と理解していた。
大字典もそんな解釈を示している。
しかし、あいだの「而」、後ろの、可以為師矣、をあわせて読むと、孔子はもっと簡単なことを言ったのではないか、と思える。
人様から、師(先生)と呼ばれるようにしたいなら、まず、先例や古典、あるいは歴史をしっかり習熟しなさい。そうすれば、新しくおこっていることを理解することができるのです。
これが、今の解釈だ。「新」が未来の現象を示す語とはいえないのではないだろうか、というのが発想の原点。
一連の文章を、自分勝手に切り取って、自分勝手に解釈する。
その解釈が一人歩きして、世の中に害毒を振りまくこともあるわけで、肝に銘じねばならない。
それにしても、論語は面白い。脳を柔らかくしてくれる。きっかけをつくってくれた友に感謝だ。
古きをあたためて新しきを知る、以て師となるべし
有名な語だ。
先例や古典、あるいは歴史を学ぶことによって、これから何をなすべきか方向性をつかむことができる、と理解していた。
大字典もそんな解釈を示している。
しかし、あいだの「而」、後ろの、可以為師矣、をあわせて読むと、孔子はもっと簡単なことを言ったのではないか、と思える。
人様から、師(先生)と呼ばれるようにしたいなら、まず、先例や古典、あるいは歴史をしっかり習熟しなさい。そうすれば、新しくおこっていることを理解することができるのです。
これが、今の解釈だ。「新」が未来の現象を示す語とはいえないのではないだろうか、というのが発想の原点。
一連の文章を、自分勝手に切り取って、自分勝手に解釈する。
その解釈が一人歩きして、世の中に害毒を振りまくこともあるわけで、肝に銘じねばならない。
それにしても、論語は面白い。脳を柔らかくしてくれる。きっかけをつくってくれた友に感謝だ。