水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

72候一巡

2010-05-25 10:04:00 | 72候
 明日は72候の、「紅花栄う」(23/72)だ。

 下にコピーしたように、昨年の5月28日から、72候を書きだした。
そして一年が経過し、幸いなことに、全てをネタに記事を書くことができた。
この年齢になると、何かを始めるとき、必ず「途中でできなくなるかもしれない」という思いが頭をよぎる。それゆえに、どんなに小さなことであっても、その何かを「やりきりたい」という思いが強く、それゆえにであろう、やりきった後の自己満足もそれなりに、恥ずかしながら、ある。

 
 カテゴリーに「72候」をもうけてあり、そこをクリックすると、72候全ての記事を見ることが可能だ。自分はまだ見直す気にはならないのですが~~~、もしご興味がおありでしたら、どうぞ!

 
 このブログの主題である、水車からずいぶんと遠ざかってしまい、実は、忸怩たる内心の今日この頃だ。
 秋に再開されるであろう、ボランティア解説に向け、そろそろ予習をしなければならない、と思っている。記事も書きたい、いえ、書きます。


********** 72候について書き始めた、昨年5月28日の記事 **********

末摘花

 二十四節気をさらに細分した、七十二候という季節分類がある。これだと、確か、今頃は麦秋だ。

麦秋のひとつ前が、紅花、だったか。

 紅花といえば末摘花、末摘花といえば源氏物語のシコメ話、「花が紅い」と「鼻が赤い」と掛けたあだ名、とか。本当かな?

 読んだことも無く、単なる聞きかじりからの連想で、書くのは問題だ。やめた。

とにかく、これから書く種に、七十二候も入れようと思う。
 

蚕起き桑を食う(22/72)

2010-05-21 04:58:24 | 72候
 今日は、72候の「蚕起き桑を食う」だ。

蚕は昆虫だ。それも、唯一家畜化された蛾だ。

 蚕の一生は、およそ次のごとし。
 
 まず、卵から孵化して、幼虫になる。この幼虫の間は約3週間で、その間、旺盛に桑の葉を食べ、4回の脱皮をする。
 昔一度だけ、この、桑の葉を食べている音を聞いたことがあるが、サラサラ(といったらいいか)とても面白い音であった。確か、蚕の世話をしていた方は「小雨の音みたいでしょ?」とおっしゃった。

 次に繭を作り、中に籠る。蛹(サナギ)の期間だ。3週間ぐらい。
この蛹が中に入った状態の繭から、絹を取るのだろう。

 羽化させる繭は極めて少数のはずだ。この少数の羽化した成虫(羽化後の蛾)は、次世代を作り、10日程で死ぬ。

 徹底的に家畜化を追求されてきたため、今の蚕蛾は飛ぶこともできないらしい。

 絹の生産が始まったのは、数千年前の中国だそうだが、蛾を家畜化させる、ということをなしとげてしまう人間の欲(といっていいだろう)は本当にすごいことと思う。

竹筍生づ(21/72)

2010-05-16 05:33:53 | 72候
 今日は、72候の「竹筍生づ」(たけのこしょうづ)だ。

 俳句の、晩春を表す季語に、「竹の秋」というのがある。

 調べてみると、この時期、竹は養分をタケノコの生育に回すため、葉を枯らし、落とすのだそうだ。ただ、落とした葉の下にはもう次の葉があるので、目立たないらしい。

 秋があるなら春も~~~。そう、ありました。「竹の春」は陰暦8月の異称だそうだ。
青々と茂っている様子が春、ということらしいが、これはちょっとこじつけ気味。

 
 そして、春と秋の間、つまり、夏の季語として、筍がある。

 最近食欲が出すぎて困っている(食欲のナツだ。ちょっと違うか。)。
穿けるズボンがどんどん少なくなっている。
 
こないだも、

 おずおずと 二膳目おかわり タケノコ飯  (おそまつ!)

2010-05-14 09:52:06 | 雑感(1)日常
 猫は苦手だ。幸いにも、家人も猫を好まない。だから、猫が原因で家庭争議が起きることはない。

 我が家の庭は、近隣の猫(ほとんどが飼い猫だと思う)のトイレおよび逢引の場と化していて、迷惑している。
御猫様の御来臨を避けるべく、日々努力しているのだが、その際、「あそこの家は猫を虐待している」と、世間様に見られぬよう、最大限の配慮をしているつもりである。

 一方、飼い主、あるいは、野良猫への給餌者は、このような反対のサイドにいる人々に対し、どのような配慮をしているのであろうか。常々疑問を持っている。

 誰でもそうだが、好きな対象の負の部分は見えない。逆に、嫌いな対象のそれは、巨大な負荷だ。これらの感覚的落差が原因で、殺人まで起きるのだから、油断できない。

 今朝のテレビで、三鷹市内で係争中の、猫への給餌事件を取り上げていた。訴えられた方が、将棋界の重鎮であるため(であろう)、大きく取り上げられた。

 ここまでくるには(たぶん)壮絶な背景があったことだろう。訴えたサイドに心底からご同情申し上げる。

 そして、訴えるサイドの代表として放映された方は、なんと、碁会所でお見かけする方であった。何回か手合わせしたこともある。

世の中広いようで狭い。

バラが咲いた

2010-05-13 09:56:24 | 雑感(1)日常
 庭のバラが咲いた。

 そもそも、ピンクを植えたはずであるが、いつのまにか接木の下の部分が勢力を強め、いまや写真のごとく、である。

 木香ばら(モッコウバラ)と呼ばれる種類で、トゲがなく、香りが強い。原産は中国で、丈夫らしい。ただし、年一回、この時期にしか咲かない。

 
 木香ばらの軍団の中で一輪気を吐くピンクに敬意を表して、

 我在りと 木香ばらを 従えし (おそまつ!)

バラは夏の季語だ。が、今期の最後となろう寒気がやってくるらしい。ブルブル。
 

蚯蚓出づる(20/72)

2010-05-11 20:24:24 | 72候
 今日はは72候の、「蚯蚓出づる」(みみずいづる)であった(記事のアップを忘れた)。

 大字典によれば「蚓」の訓読みは、みみず、だそうだ。
なぜ、「蚯」も必要なのか?「蚯」の意味がわからない。

 ミミズの出現頻度は、土地の肥沃度の指標であることは古くから知られていたが、本格研究の対象にとりあげたのは、あのダーヴィンだったそうだ。彼は、肥沃な農地には、1m2当たり13体以上のミミズが居る、と調べ上げ、「世界の歴史」(the history of world)にこれほどまで貢献した生物は他にない、と言ったそうだ。

 気持ちいい、とはいえない生物ではあるが、我々が生きるための根源の種を、黙々と作ってくれているわけで、今後は、出くわしたら、多少は「感謝」の念を伝えよう、と思う。

 そういえば、徳富蘆花著の「みみずのたはごと」を随分引用させてもらったこともあった。あれは、2年前だったか(カテゴリーの中の「三鷹・文学」にまとめてあるはず)。

 

FCTOKYO どうした!(3)

2010-05-06 10:25:45 | 雑感(3)スポーツ
 今年も、昨年と同様のタイトルで書くなんて、思いもよらなかった。

 昨年の出足もひどかったが、今年はもしかすると、とんでもないことになるのではないか、と思えるような現状だ。

 今まで、対セレッソおよびアントラーズ戦を見て、「悪くない」と思っていた。特に、アントラーズ戦の守備は、ハナマルをつけたいくらいだった。

 ところがである。あれよあれよ!ほとんどドンケツだ。点が入らない。

 昨日の対ベガルタ戦を見る限り、点を入れねばならぬ選手達(FWだけではない)が、相手守備陣の心理を理解できていないのではないか。惨憺たるアリサマだ。

 「自分達はうまい」と、変な思い込みをしているのではないか。
シュート練習を気分よくしていたって上達なんかしない。退歩するばかりだ。

 やっている、とは思うが、前と後ろを入れ替えて練習してほしい。
 
 どんなに相手守備網がブ厚かろうが、振り払って、ねじ込む、のみ。
きれいごとではない、プロとしての乾坤一擲を見せろ!
 コテコテのF東ファンの切なる願いだ!
 
5/15は見に行くぞ!

蛙始めて鳴く(19/72)

2010-05-05 05:02:26 | 72候
 今日は、72候の「蛙始めて鳴く」だ。

 日本人は、蛙の声を好意的に聞いてきた、と思う。

手をついて 歌申しあぐる 蛙かな  宗鑑

 水田が身近にあって、蛙が日常的に存在していたからだ。

 一方乾燥地の多い英語社会では、蛙の声を不快音ととらえるようだ。
例えば、風邪などで、しゃがれれ声になってしまったときの成句に、「咽に蛙を飼っている」(I have a flog in my throat.)という。

 成句といえば、井の中の蛙~~~、というのがある。

英語にも同じようなのがある。

・小さな池にデッカイ蛙(big frog in a small pond)
・水溜まりの中の一番でっかいガマ(biggest toad in the puddle)

 これらは、「大海を知らず」の意味合いに使うのではなく、「はきだめの鶴」に近い意味合いに使うらしい。「番長」が最も近い意味合いの日本語か?

The present biggest toad in Japan may be the most undesirable guy in the public. 

そういえば、ガマガエルの鳴き声を聞いたことがまだない。彼らはなんと鳴くのか?