水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(213)

2012-06-29 08:53:57 | 論語
子欲居九夷(子罕第九の14)

子、九夷(キュウイ)に居らんと欲す。

夷=常に弓と矢を持っている人。未開人。野蛮人

九夷=九つの夷。東方の夷。


孔子があるとき、自分の仕官がおもうにまかせないからか、どこに行っても乱れていて人間社会にいやきがさしたか、上のようにつぶやいた。

未開の地に行っちゃいたいですよ。


それを聞いて、ある人が、(未開地は)ごちゃごちゃしているのではないでしょうか、と言ったら、住めば都でしょう(君子居之、何陋之有)と孔子は答えた。


九夷とは、具体的には次のとおりらしい。

玄莬(ゲンメン)、楽浪、高麗、満飾、鳧曳(フエイ)、素家、東屠、倭人、天鄙(テンヒ)

それぞれが、現在のどこに相当するかさだかではないが、倭人=日本列島だけは確からしい。


もしかしたら、孔子が本気でこちらにこようとしたかもしれない、なんて想像するのは、なんとも楽しい。


解説員として(115)&解説員連絡会(22)

2012-06-28 18:41:20 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

午前中は、途切れなく見学者があったそうだが、午後は、残念ながらゼロ。

午後崩れる、と言っていた昨日の天気予報の影響に違いない。

水車装置全体の点検が昨日おこなわれたそうだ。油が注され、全体すっきりした感じ。

持参した本を読み切って、今日は終わった。

水車小屋 梅雨のしじまに 水の音


過日開催された連絡会の議事録が送付された。

備忘を目的に、主要な内容をメモしておく。

・ 7月~9月の当番日決定。
・ 解説員募集のための養成講座が開催される(7月~8月)。
・ 七夕竹飾り会、6/29
・ 製粉小屋の公開にむけた整備が実施される。道具類のレジストレーション、および建物塗装。
・ 樹木に名札付け作業をする。
・ 杵などの装置に手を出す人間がいるらしい。慣れに気をつけねばならない。

論語(212)

2012-06-26 09:15:02 | 論語
沽之哉、沽之哉(子罕第九の13)

之を沽(ウ)らんかな、之を沽(ウ)らんかな


弟子、子貢が、孔子に対して、次のような比喩をもって、実践の場での活動をするかしないか聞いた。上はそれに対する答え。

「有美玉於斯、韞匵而蔵諸、求善賈而沽諸」(ココニビギョクアリ、コレヲヒツニオサメゾウセンカ、ゼンコヲモトメコレヲウランカ)

ここに高価なダイヤモンドがあるとします。大事にしまっておきましょうか、それともなるべく高く売りましょうか。


売りましょ、売りましょ


まさか、「花より団子」と、言いたかったのではないでしょう。

孔子は、理論と実践は車の両輪、どちらもおろそかにできない、と思っていたと考えたい。




論語(212)

2012-06-25 10:05:31 | 論語
無寧死於二三子之手乎(子罕第九の12)

無寧(ムシロ)二三子の手に死なんか


孔子が死を覚悟するほど重病になったとき、弟子の子路が、弟子たちを家臣のようにふるまわせ、葬儀に備えた。

幸いにも、そのときは小康を得ることができ、孔子は次のように感想を述べた。


「ずいぶん長いこと、由(ユウ、子路)は人様を欺いていたことになりますね。私が家臣をもつ身ではないのに、家臣がいるようにみせていました。私は誰を欺いたことになるのでしょう。天(カミサマ)でしょうかね~。そしてなにより、仮に私に家臣がいるとしても、その人たちの手で葬式をしねもらうよりも」、____上に示した語につながる。

「近しい人々の手によって、あの世に送ってもらいたい」、____さらに

「私(孔子)の場合、たとえ大葬でおくられることがないとしても、(みなさんのような、同行の士がいるわけですから)、まさか、道端で野垂れ死ぬようなことにはならないでしょう」


この年になると、死を考えることも多くなるが、常に、なんとかピンシャンコロリ、といかぬものか、と思っている。






論語(211)

2012-06-22 10:46:54 | 論語
雖欲従之、末由也已(子罕第九の11)

之に従わんと欲すと雖も、由なきなり


弟子、顔淵が、孔子の偉大さを絶賛し、締めくくった言葉。

孔子先生の教えに従って今日まで来、これからも続けるつもりだけれども、(なんともはや、私自身の小ささに)、どうしようもなく(、力が抜けてしまいます)。

絶賛の言葉は次の6点、

① 仰之弥高(コレヲアオゲバイヨイヨタカシ)
② 鑽之弥堅(コレヲキレバイヨイヨカタシ)
③ 瞻之在前、忽焉在後(コレノマエニアルヲミレバ、コツエントシテ、シリエニアリ)
④ 循循然善誘人(ジュンジュンゼントシテヨクヒトヲイザナウ)
⑤ 博我以文(ワレヲヒロムルニブンヲモツ)
⑥ 約我以禮(ワレヲヤクスルニレイヲモツ)

先生、「とても私かないません」と言っていて、孔子の教育者としてのレベルの高さを表現しているのでしょう。

しかし、年寄りのへそまがりとすれば、「もうちょっとで追いつける」と思わせる指導もあるのではないか、とも思います。

論語(210)

2012-06-19 08:51:32 | 論語
必作必趨(子罕第九の9)

「論語を知っているぞ」なんて、自慢したくなったとき、これを使おうか、なんて思う一節。
たぶん、歴史上、このような切り取りをした人はいない、と思っている(大変な思い上がりかも)。

例によって、自分勝手独断解釈。

読み:ヒッサクヒッスウ
意味(直訳):必ず立ち、必ずそーっと小走りに歩く
意味(意訳):心を込めた思いやり(を忘れずに)

なぜこのような意訳になるのか?

節全体は次のようなことを言っている。

孔子は、葬儀中の人(斉衰者)、祭礼を施行中の人(冕衣装者)、盲目の人(瞽者)に出会ったら、それがいかに年少者であっても、必ず、イズまいをただし、目立たぬよう脇を小走りに通り過ぎる。

ということで、他者への思いやりをあらわす言葉として、「必作必趨」を論語からの引用として使える、と考えた。いかが?

論語(209)

2012-06-18 10:13:34 | 論語
鳳鳥不至、河不出図(子罕第九の9)

鳳鳥(ホウチョウ)至らず、河、図を出さず


中国古代の伝説では、傑出した偉人が現れるときは、その前兆として、鳳凰が現れたり、黄河沿いのどこかに天命を伝える図書が、(たぶん竜によって)、もたらされる。


上はそれを引き合いに出した孔子の感想。「どうもそのようなことは起こりそうにない」、続けて、「どうしようもないかも(吾已矣夫)」。


なにか、今の世の中を言っているように思います。

既得権保持者の意向があまりにも強すぎる。このまま、この世は、ズルズルズルズル、泥沼にはまり込んでいくのでしょうか。

論語(208)

2012-06-16 10:45:29 | 論語
叩其両端而竭焉(子罕第九の8)

その両端を叩き尽くす


意味は、終始・本末・精粗いづれも余すところなく取り調べること、だそうだ。


私(孔子)は、物知り、と言われますが、決してそうではありません。
(もしそのようなふうに言われている原因はなにか、と考えますに、たぶん次のような私の行動が、人をして、私を、物知りと言わしめるのだと思います。)

どのような人が訪れてきても、その人が真面目でありさえすれば、両端を叩き尽くす、(ように話を徹底させる)からです。

有鄙夫、来問於我、空空如也

鄙夫(ヒフ=粗野な田舎者)有り、来て我に問う、空空如(コウコウジョ=真面目?)なり


今回はかなり、自分勝手な解釈をした。

論語の読み始めは、文法・語法等にこだわって、正確に読まねばならぬ、と考えていた。が最近は、そのことも大事だが、読むことから始まる、連想や思考が大事なのではないか、と思うようになってきた。

脳みそを動かそう、ということです。






解説員として(114)

2012-06-14 16:24:52 | 解説員日記
今日の午前中、解説当番であった。

好天にもかかわらず、見学者はゼロ。
数日前までの天気予報は、今日を、曇り/雨としていたことだし、散歩に出るとしても午後か。

残念だが、しょうがないか。


グループ散歩の幹事さんがお一人、事前踏査においでになった。中には入らず。

持っておられた地図(東京都発行、野川公園)を見て、感じたことがひとつ。

このあたりは、四市(三鷹、調布、小金井、府中)の境界が複雑に入り組んでいる。それぞれの市発行の地図は、隣市の情報をほとんど載せない。地図を頼りに散歩をする人々にとっては不便極まりない。
狭い了見にこだわらず、お互い市境を越えて情報を載せあったらいかがでしょうか。

そんな話をしたせいではないでしょうが、府中市の方々だそうだが、この水車経営農家をメインターゲットにしてくださることになった。

ちなみに、彼らのウォーキングは多磨駅を出発/帰着とする。


解説員控室で得られた情報など

① 特別公開、10/26~28に決定、だ。
② 教育委員会発行の「水車屋の用具解説資料」が提供された。(素晴らしい出来。クリーンヒットだ。役に立つ)
③ 解説員用缶バッジが提供された。(かわいすぎて、つけるには照れる。が、いただくことにした)


論語(207)

2012-06-13 10:03:27 | 論語
吾不試、故芸(子罕第九の7)

吾、試(モチ)いられず、故に芸あり。

私(孔子)は、適当な職業につくことができなかった。それゆえ、(食うために)さまざまな技能を身に着けました。


多芸と聖人・君子とはあいいれない、という考え方が底流にあって、このような話になるのだろう、と思う。

そして、孔子はこれらはまったく別物、といいたかったのだと思う。

聖人・君子が多芸であることはある。
聖人・君子が多芸でないことはある。
普通人が多芸であることはある。
普通人が多芸でないことはある。

たぶん、99.999%の人は、四番目、つまり言葉を換えれば、無芸大食、なのだ。




論語(206)

2012-06-12 08:26:34 | 論語
固天縦之将聖、又多能也(子罕第九の6)

固(モト)より、天縦(テンジュウ)の将(マサ)に聖(ヒジリ)にして、多能なり


どこかの国の大臣が、孔子の弟子(子貢)に、「先生(孔子)は本当に聖人でしょうか。それにしては、なんでもできすぎる、と思うのですが」、とした、質問に対する答え。

(孔子先生は)、生まれつきの、天が決めた聖人で、かつ多芸に秀でているのです。


この話を孔子が聞き、次のように感想を述べた。

「この大臣は私のことがわかっていますね。私は、若いころ、貧しかったものですから、なんでもやらなければなりませんでした。君子たるものは、なんでもやらねばいけないのでしょうか。いいえ決してそんなことはありません。」

多芸に秀でることなく君子になることは可能だ、と孔子はいいたかったのだと思う。
聖人の話が、途中から、君子の話になっていて、これだと、聖人=君子になってしまうのだが、それでいいのだろうか?


まあ、それはそれとして、前首相の福島原発事故時の介入に対する批判が根強くある。これも「君子のあるべき姿」と裏表の話なのだろう。そうはそうだが、彼がそうせざるをえなかった、周囲の無能・混乱振りを、もっとあぶりだすべきではないか?
江戸時代であったなら切腹すべき人間が、今もシャーシャーと大きな顔をしているのが、心底解せない。

一番気になっていることは、電源喪失の主原因となった、原発敷地内の送電線鉄塔倒壊の事故原因だ。
問題が、設計にあったのか建設工事にあったか、だ。このまま表に出さず、うやむやにしてしまうのではないか。



論語(205)

2012-06-08 09:19:16 | 論語
文王既没、文不在茲乎(子罕第九の5)

文王既に没したれども、文茲(ココ)に在(アラ)ずや


(仁政を施した)文王はすでに亡くなったけれども、その精神が私たちのところにないというのでしょうか(、いえいえ、しっかりと私たちが受け継いでいるのです)?


孔子一行が、旅の途次、匡(キョウ)という土地で、人違いで捕えられたとき、弟子たちに対して発した言葉。


私たちは、(世界に誇るべき)文王の政治手法を受け継ぎ、後代にひろめようとしているのです。

そのような志を持った私たちを、どうしようとするのですか(なにもできるわけがありません)?
(匡人其如予何)


国境警備隊に囲まれてオロオロする弟子たちを鼓舞するために、言ったのだろうが、その自信たるや、敬服ものだ(少々不遜なものいいか?)。


自分のやること、ひとつひとつに、もう少し自信を持つことができていれば、違った人生があったかもしれぬ。

解説員として(113)

2012-06-07 18:59:14 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

少々風が強かったが、好天。

管理担当者が新任の方に変わった。

何組かの見学者が、時間をおかずどっと訪れるときがある。今日はそんな日であった。

たまたま業務できておられた市担当者が解説を買ってくださり、混乱なくことなきをえた。

担当した見学者は二組。

中年男性お一人。国分寺崖線に興味があって上流から歩いてきた、とおっしゃっていた。
崖からの地下水の湧き出しに話がはずみかけたが、次の見学者が来て、失礼してしまった。地形・地質関係の研究者かも?

川崎からいらっしゃった10名前後のグループ。神代植物園にきて、こちらに足を延ばしてくださったそうだ。
中のお一人、「私、清原慶子さんと、高校の同級生なのよ」
「是非アンケートにご協力願います。市長までいくと思いますので」

さて、アンケート書いてくださったか?


紫陽花の きれいさ光る 散歩道


論語(204)

2012-06-05 09:11:29 | 論語
絶四(子罕第九の4)


どうして自分勝手なことをするのか。どうして無理押しするのか。どうして部分にこだわるのか。どうして相手を受け入れられないのか。

碁が終わったあとの、いつものきまりきった反省だ。この四つを克服できれば、もうすこし強くなれるかもしれない。今日の実力は長年にわたる無反省の結果だ。


「絶四」として次の四つを絶った孔子が碁を知っていたとすれば、その腕は相当なレベルにあったはずだ。

毋意、毋必、毋固、毋我

意なく、必なく、固なく、我なし

毋=ム、なかれ。毌(カン)、母(ボ)ではない。

論語(203)

2012-06-04 10:38:34 | 論語
雖違衆、吾従下(子罕第九の3)

衆に違うと雖も、吾は下に従わん


目上の人に対する態度を言っていて、

まず一段下がったところから挨拶すべきなのに、今はそうなっていない。だからといって、私(孔子)はみなさんに同調するつもりはない。

一方、前段では、麻の冠をかぶることになっているが、最近では、倹約するために、他の材質(たぶん絹)で作られたものを使用する人が多い。これについては、私(孔子)はみなさんのまねをしようと思う。(麻冕禮、今也純倹、吾従衆)。


人様とのつきあいに関し、カタチを重視することはもちろん大切であるが、それ以上に、自らの考えに基づいて真心を尽くすことが大切だ、と解釈すべき、と思う。