水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(81)

2015-03-31 09:37:11 | 古今和歌集
77 いざ桜 我もちりなむ ひとさかり有りなば人にうきめ見えなん
雲林院にて桜の花をよめる
そうくほうし

桜さん、私もいっしょに散りましょう。盛りをすぎてもまだもたもたしていたら、人様に無様な姿を見せることになりますから。


75 さくらちる花の所は 春ながら 雪ぞふりつつ消えがてにする
雲林院にて桜の花のちりけるを見てよめる
そうくほうし

桜がいっせいに散っている様子は、春であるのに、まるで雪が降り、しかもそれが消え難くなっているように見えます。


現在、大徳寺の塔頭として、雲林院はある。
これは名前だけ残してあるようで、これらの歌が詠まれた時代、雲林院は天皇の離宮跡の邸宅であり、桜と紅葉の名所であったようだ。

上の二つの歌の間に次の歌があるのだが、これも、雲林院の桜を詠んだのかもしれぬ。


76 花ちらす風のやどりはたれか知る 我に教えよ 行きてうらみむ
桜の花のちり侍りけるを見てよみける
素性法師

桜を散らす風の家を、どなたかご存知ありませんか。教えていただければ、私はそこに行って恨み言を言いたいのです。


桜の散る様子は、さびしさ、はかなさ、いさぎよさ、勇気、などなど様々な心情を表していて、心を打つ。
ときどき、年度変更期を9月へ、との声が上がるが、日本はやはり、桜の四月、だと思う。

古今集(80)

2015-03-30 16:38:00 | 古今和歌集
71 残りなくちるぞめでたき 桜花 有りて世の中はての憂ければ
題しらず
読人しらず

桜は、一気にざーっと散ってしまうからいいのです。もたもた残っていると終わりは無様なものです。


72 この里にたびねしぬべし 桜花ちりのまがひに家路わすれて
題しらず
読人しらず

桜の散り具合があまりにも見事で、神経が狂ってしまい家に帰り忘れてしまいそうです。いっそのこと、この里に泊まってしまいましょうか。


桜の「散る」現象に、私たちはひきつけられます。古今、そして、東西、どのような人々にも感動を与えるのではないでしょうか?

古今集(79)

2015-03-27 09:36:39 | 古今和歌集
54 いしばしるたきなくもがな 桜花たおりてもこん見ぬ人のため
題しらず
よみ人しらず

(渡るのに面倒な)激流がなければいいのに~。向こう岸の桜を、見ることのできない人のために、折り取ることができるのに。

この時代、桜は人里には少なかったのでしょうか?


56 見渡せば 柳桜をこきまぜて 宮こぞ春の錦なりける
花ざかりに京を見やりてよめる
素性法師

(頭をあげて、ぐーっと)見渡せば、柳の新緑と桜の薄紅色とが入り混じって、まるで錦のようではありませんか。

都という都会にも桜はたくさんあったのですね~。


61 さくら花 春加はれる年だにも 人の心にあかれやはせぬ
やよひにうるふ月ありける年よみける
伊勢

今年は、閏月のために、3月が二回あります。せっかくですから、わたしたちが飽きるまで(二か月分)咲き続けてほしいものです。


桜が、この時代から、愛でられていたことがよくわかる歌です。

旧暦の一年はだいたい355日であるので、三年に一回程度、季節と月を調節するために、閏月が設定される。
旧暦の仕組みに基づけば、この歌の詠まれた年を確定することが可能である。
西暦904年と、推定した人がすでにいるらしい。 

古今集(78)

2015-03-26 11:06:36 | 古今和歌集
51 山ざくら我が見にくれば はるがすみ峯にもおにも立ち隠しつつ
題しらず
よみ人しらず

山桜を見にきたのですが、山の上も下も霞がかかってしまっています


52 年ふれば齢(ヨハイ)は老いぬ 然はあれど 花をし見れば物思ひもなし
染殿のきさきのお前に花がめに桜の花をささせたまへるを見てよめる
さきのおほきおほいまうちぎみ

年月が経過すれば年齢をかさねます。しかしきれいな桜をみることができ心配ごとはありません。

53 世の中にたえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし
渚の院にて桜を見てよめる
在原業平朝臣

この世に桜なんてものがなければ、春は心静かにすごせるでしょうに


52と53の2首は、奥深い組み合わせ、と見たほうがよさそうだ。

染殿のきさき=文徳天皇后、藤原明子、藤原良房の娘、清和天皇(惟仁親王、文徳天皇次男)の母、829~900
さきのおほきおほいまうちぎみ=藤原良房、太政大臣・摂政、804~872
渚の院=文徳天皇離宮/惟喬親王宮殿
惟喬親王=藤原氏の力によって、天皇への道を閉ざされた、文徳天皇長男。844~897

52は、藤原家の繁栄を確実にしたことに満足した心を詠った歌で、一方53は、惟喬親王の無念さをおもんぱかった歌、

と理解しました。

古今集(77)

2015-03-25 15:08:49 | 古今和歌集
49 ことしより春知りそむる桜花 ちるといふ事はならはざらなん
人の家にうえたりける桜の、花さきはじめたりけるをみてよめる
つらゆき

(この若木は)今年から花を咲かしはじめました。(可能であれば)「散る」ということを学ばないでほしい


東京でも、桜の開花がはじまったようです。ここ三鷹では、今週末から来襲にかけてが見ごろでしょうか?
今年は、どこの桜を見に行きましょうか?

それにしても、古今集、春歌編に収録されている、桜を詠んだ歌は、けっこうあります。ざっと勘定してみると70首ぐらいありましょうか。
上の歌は、その最初に示された歌です。下はその次の歌ですが、しばらの間、桜を詠んだ歌を見てみようと思います。


50 山たかみ人もすさめぬさくら花 いたくなわびそ 我み はやさむ
題しらず
よみ人しらず

山の高いところに咲いている桜さん、人から愛でられることがなく、さぞやさびしい思いをしていることでしょう。私がせいぜいもてはやしましょう。




古今集(76)

2015-03-23 11:07:13 | 古今和歌集
997 神な月時雨ふりおける楢の葉の名におふ宮のふるごとぞ これ
貞観の御時、「万葉集はいつばかりつくれるぞ」と問はせたまひければ、よみてたてまつりける
文屋やすひで

十月(陰暦)ともなると時雨が降り、楢の葉も色づいてきます。そのナラと同じ名の都があった、古い時代のことです。


貞観の御時:859~877、清和天皇の時代
万葉集成立時期:7世紀後半~8世紀前半
平城京の時代:707~810


天皇様から、「万葉集っていつごろつくられたの?」と聞かれて、「奈良時代だと思いますよ」と答えるのは芸がなさすぎる。
そこで、楢と奈良をかけ、さらに、「葉」を入れ込んだ、ということでしょうか。


万葉集(2)

2015-03-20 09:22:02 | 万葉集
262 矢釣山木立不見落乱雪釃朝楽毛
反歌
新田部皇子

訓読み
矢釣山木立も見えずふり乱る雪に騒ぎて朝楽しも

意味
(あちらの)木立がよく見えないほどに雪が降っていますが、その雪とはしゃぐことができるので、明日も楽しいことでしょう。


講師の説明によると、4、5句については、統一解釈がまだないのだそうで、漢字および語句について丁寧な説明をしていただいた。

しかし、前の句が、人麿による、新田部皇子に対するヨイショ句((降る)雪のように、絶え間なく未来永劫お訪ねします)であることを前提にすると、この歌の意図は「にぎやかに来てくれるのはうれしいことです」とういことにあるわけで、上のように意訳した。


生まれて初めて、万葉集や古代仮名に接しはじめたわけだが、とてつもなく面白い。
しかも、講師がきっちり勉強してきてくださっているので、気持ちいい。
いつまで続けられるか、なるべく頑張りたい。

古今集(75)

2015-03-19 10:40:38 | 古今和歌集
1007 うちわたす遠方(オチカタ)人にもの申すわれ そのそこに白くさけるはなはなにの花ぞも
題しらず
よみ人しらず

私、そこにいらっしゃる方にお伺いします。そこに咲いている白い花はなんという名なのでしょうか?


五・七・七、五・七・七の調子で詠まれるこのような歌を旋頭歌というそうだ。
問答を歌にするとき、もちいられたらしい。

万葉集はもちろん、古事記にも採録された歌があるらしい。

古今集には、この歌も含め、4首採録されている。

古今集以後は、はやらなかったようだ。


上の歌には、返し、があって、それが次。

1008 春されば野辺にまづさく見れどあかぬ花 まひなしにただ名のるべき花の名なれや
返し
よみ人しらず

春がくると真っ先に咲く花で、見飽きることがありません。まい(幣=贈り物)をいただかずに花の名を教えるわけにはいきません。


これ、女性のことなのですかね~。

かっこつけた男が、きれいな女性を見つけ、その女性の関係者と思われる人に、
「あの人の名を教えてよ」

「あっというまに、みんなからあこがれるような女性に変身してしまいました。私たちが大事ににしている、そのような人の名を、あなたみたいないきずりの人に、簡単に教えるわけにはいきません。なんか持って来れば別ですがね。」


ユーモアあふれる、問答歌だと思います。気に入っています。

ここまでの印象ですが、古今集には、メソメソ、ジメジメした歌が多すぎる、と思っています。


古今集(74)

2015-03-16 10:26:20 | 古今和歌集
914 君を思ひ おきつの浜の鳴くたづの 尋ねくればぞ ありとだにきく
つらゆきが和泉の国に侍りけるときに、大和より越えまうで来て、よみてつかはしける
藤原ただふさ

あなたに会いたくて、おきつの浜の鶴のような心境できたのですが、(お会いできず)「(つらゆきさんは、おげんきで)お過ごしですよ」とだけ聞くことができました。

915 沖つ波たかしの浜の浜松の なにこそ君を待ちわたりつれ
返し
つらゆき

高い波を寄せる海を前に立っている松のような心境で、(きっとお会いできると思いながら)お待ちしていましたのに(、残念!)。


いわゆる、贈答歌。

ちょっとかっこうをつけすぎた感がありますが、落ち着いた品のいいやりとりが、なんともいえません。

これに比べ現代は、やはり余裕がないのでしょうか、なかなかこんなやりとりを見聞きすることはないように思います。

万葉集(1)

2015-03-12 10:29:28 | 万葉集
255 天ざかる夷(ヒナ)の長道(ナガチ)ゆ恋くれば明石の門より大和島見ゆ
柿本人麻呂

遠い田舎から、長い道中を、家族を思いながら旅をしてきたのですが、明石海峡に到達し、大和の山々が見えてきました。


友人の紹介で、長いこと万葉集を勉強なさっておられるグループの末席を穢させていただけることになった。
専門家を講師にお招きしている、本格的な研究会だ。

初参加の日、柿本人麻呂が船旅をしたときの歌8首(249~256)が、テーマであった。上はそのうちのひとつ。
古今集の序文で、柿本人麻呂を読んでいたこともあり、興味深く聞くことができた。
独学の弊害、を痛感もした。

この研究会、非常に面白く、十分満足!
続けたい。


天ざかる:通常、「ヒナ(鄙)」や「向かふ」にかかる枕詞だが、この歌では「はるか遠く離れた」という言葉の本意を強調したい、という講師の意見に納得。
枕詞を杓子定規に解釈せず、あくまで歌の意を汲むべきだ。


このブログも、ますます本来のタイトルから離れてしまうが、このまま続けたい。かんべんしてほしい。

古今集(73)

2015-03-10 09:56:31 | 古今和歌集
24 ときはなる松のみどりも 春くれば 今ひとしほの色まさりけり
寛平の御時きさいの宮の歌合によめる
源むねゆきの朝臣

常に緑の松であっても、春がくると、その色は一段とあざやかになります。

ときは=常盤


25 わがせこが衣はるさめふるごとに 野辺のみどりぞ色まさりける
歌たてまつれと仰せられし時、よみてたてまつれる
つらゆき

私の妻が、春の雨のあいだをぬって、洗い張りをするのですが、そのたびごとに、周辺の緑はその色を濃くしていきます。


昨夜の雨は、なんとなく、春近し、と思わせるものであった。

これから、日に日に緑の色が濃くなっていくことだろう。

それにしても、紀貫之さんは、その技巧のウデを誇っておられるようで、しらける。
もっとも、歌前半の独断解釈が正しい、ということを前提とするのだが。

古今集(72)

2015-03-09 10:46:28 | 古今和歌集
445 花の木にあらざらめどもさきんけり ふりにしこのみ なる時もがな
二条の后、春宮の御息所と申しける時に、めどにけずり花させりけるをよませたまひける
文屋やすひで

(本来、私は世間でおっしゃるような、)花ではないのですが、皆様に評価していただきました。もう十分年も取ったことではありますが、お役に立つことがあれば(、なんなりとお申し付けください)。


昨年の11/18の記事に、文屋康秀を紹介するため、この歌を使った。
当時、おはずかしながら、古今伝授、なるものを知らず、いいかげんな解釈をマゴビキしてしまった。

古今伝授、三木のひとつとしてこの歌をみると、「メド」をどのように解釈するか、ということが問題なのです。

結論的には、いまだ不明ではあるものの、一般に次のように理解されているようです。


・「メド」は「メドハギ」のこと。霊木として珍重されていた。
・「メド」を「あらざらメドも」と詠みこんだ。
・ 本来、メドハギを飾らねばならなかった宮殿に、削り花(造花)が飾ってあった。(メドハギを手に入れることが難しい)

・メドを妻戸のこととし、「宮殿の妻戸(出入り口)に造花が飾ってあった」と解釈する人もいるらしい。

・もちろん、11/18に示したように「メド」を「馬道」と解釈している人もいるらしい。


古今伝授とは、歌の中には、さまざまに解釈されるものがありますよ、と言っていることなのでしょうか?
さらに一歩進んで、歌の解釈は、受け手(詠む人)ひとりひとり、違っていいのですよ、と言っているようにも感じます。

古今集(71)

2015-03-06 09:18:28 | 古今和歌集
449 うばたまの夢になにかはなぐさまん うつつにだにもあかぬ心を
かはなぐさ
ふかやぶ

夢の中で、(お会いできたとしても)どうして心が慰められましょうか。現実に、(お会いできたとしても、私の)思い通りにはならないのですから~~~。


「かはなぐさ」を「なにカハナグサまん」として読み込んだ歌。

古今伝授、三木のひとつ。

おそらく、川藻に一種、ミズゴケであろうと言われているが、不明。
古今、次のような数々が挙げられてきた。

・ 川モズク
・ 河花
・ 川菜
・ 河骨(スイレン科)


最近、和歌をよりよく楽しむためには、枕言葉についての理解を深めねばならぬ、と気づいてきた。
この歌に出てくる、うばたま、って実はなんだ?

うばたま=烏羽玉=ヒオウギの種、黒色=この「黒」が連想させる、闇・夜・夢などにかけ、言葉の調子を整える目的に使われる。

ということだ。

古今集(70)

2015-03-03 09:28:41 | 古今和歌集
431 みよしのの吉野のたきにうかびいづる泡をか玉のきゆと見つらん
をがたまの木
とものり

吉野で(今あの人は、滝を見ているでしょうが、おそらく)、水のしぶきの消長を、「宝玉が消えた」とはかなんでいるでしょう。


この歌は、四句にオガタマを読み込んだことが評価され、第十物名に採録されているのだろう。

このオガタマは、古今伝授、三木のひとつでもある。

大辞林には、モクレン科の常緑高木、古来榊の代用として利用されていた、と説明されている。

しかし、古今伝授では、何なのか、定かではないらしい。招霊樹としての榊をいう、というのが妥当のようだが、正月の松飾の松、であるとか、玉木と書いて、松や紅葉などの光状態を指す、という説もあるらしい。

たぶん、万葉集などの他の歌集にも、オガタマが詠まれているであろうから、その辺を調べるべきかもしれぬ。


素人は、大辞林の説明で納得、することにする。

政争に敗れ吉野に隠棲した人を思いやっている歌、と理解したのですが、まちがっているかもしれません。
この理解が正しければ、ですが、とても奥深い歌だと思います。

古今集(69)

2015-03-02 10:44:59 | 古今和歌集
208 わがかどにいなおほせどりの鳴くなへに けさ吹く風に雁はきにけり
題しらず
よみ人しらず

我が家の門前で、いなおほせどりが鳴いているのですが、それとともに、風に乗って雁の声もきこえてきますよ(いよいよ秋ですな~)。


いなおほせどり=古今伝授、三鳥のひとつ。セキレイ、スズメなどいろいろ説があるが、特定されていない。
秋を象徴する鳥、と考えねばならないのであろうか?

古今集には、いなおほせどりを詠んだ歌がもうひとつある。それが次。


308 山田もる秋のかりいほにおく露は いなおほせどりの涙なりけり
これさだのみこの家の歌合のうた
ただみね

山裾の水田見張り小屋が露に濡れています。これは、いなおほせどりの涙にちがいありません。


人に見張られているために、稲穂をついばむことができないことを残念がって、いなおほせどりが涙を流す、と読んでいるのでしょうか?

だとすると、スズメか?
しかし、スズメが秋を象徴する、とは思えないし~~~。

いなおほせどり、って、なんなんでしょうか?