水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(68)

2015-02-27 08:58:25 | 古今和歌集
29 をちこちのたづきも知らぬ山中に、おぼつかなくも喚子鳥かな
題しらず
詠人しらず

どっちに行けばいいのか皆目わからない山中に迷い込んでしまいましたが、(その不安な心をあおるように、)喚子鳥(ヨブコドリ)がたよりなく鳴いています。


喚子鳥=カッコウではないか、と言われているが、不明。「古今伝授」の三鳥のひとつ。


伝授は、誤りを避けるために、口伝ではなく切り紙でなされてきたそうで、たぶん、現代まで延々と受け継がれてきたことであろう。
15世紀後半、東常縁から宗祇(連歌師)えの伝授で、方式が確立されたらしい。


古今集(67)

2015-02-26 11:16:15 | 古今和歌集
28 ももちどりさへづる春は 物ごとにあらたまれども 我ぞふりゆく
題しらず
読人しらず

ももちどりがサエズる春になり、世の中では物事の仕切り直しが種々おこなわれますが、私はただただ年老いていくだけです。


まったく同感です。加齢とはこういうことか、と思う今日ここごろです。


そんなことより、この歌が「古今伝授」の一つのことばを含んでいることが重要。

古今伝授=古今和歌集の解釈を師匠から弟子に秘伝として伝えること。細川幽斉の籠城戦を、彼の戦死による伝授の途絶を恐れた朝廷が介入、講和させた話は有名。「三木三鳥」といい、ももちどり、はそのひとつ。

ももちどり=鶯、であろうと言われているが、実は一般にはわかっていない。伝授された人のみが知る。
たぶん、現在まで、皇室関係で伝授が続いているのだろう。


ももちどり以外の「三木三鳥」は、をがたまの木、めどにけづり花、かはなぐさ、喚子鳥(ヨブコドリ)、稲おほせ鳥。
順に、歌などを紹介するつもり。

古今集(66)

2015-02-24 09:43:58 | 古今和歌集
468 花のなか目にあくやとてわけゆけば 心ぞともに散りぬべらなる
「はをはじめ、るをはてにて、ながめをかけて時の歌よめ」と人のいひければ、よみける
僧正聖宝

見てるうちの飽きるだろうと思って、花の中に入っていったのですが、(あまりの見事さに)心がおどってしまいました。


巻第十物名の最後に採録されている歌で、題詞に注目。
春の「ハ」と「ル」を、それぞれ、最初と最後に使い、なおかつ、眺め「ナガメ」、を途中に入れた歌、と出題された。

僧正聖宝:832~909、真言宗の高僧


真言密教を究めるために努力・精進している、深窓の僧侶であっても、世俗の支配階級の人々とのつきあいは欠かせなかった、のだろうと想像します。「こんなくだらぬ、遊びなんてやってられるか!」と、心中でつぶやいたのではないでしょうか。

でも、インテリジェンスを試されているわけですから、まともな歌を作らねばなりません。
結果、面目をつぶさず、さぞやほっとしたことでしょう。


もうすこし俯瞰の位置を高くして考えてみると、このような、一見くだらぬ「言葉遊び」が、実は、日本語の深みを増してきたのかもしれません。




古今集(65)

2015-02-23 10:45:42 | 古今和歌集
459 浪の花おきからさきてちりくめり 水の春とは風やなるらむ
からさき
伊勢

岸辺に立って、打ち寄せる波をみていると、(花のような白波が)沖で発生して、岸辺で散っていく。水面の春は風がつくるものなのだろう。


・ この人の歌はどれもきれいだ。
・ 「からさき」という地名を読み込んだ歌で、巻第十物名に採録されている。
「からさき」を読み込んだ歌がもうひとつあって、それが次。

458 かの方にいつからさきにわたりけん 浪路はあとも残らざりけり
あぼのつねみ(阿保経覧)

(あの舟は)いつ先に行ったのだろう。水面には航跡も残ってないではないですか。

・ 唐崎は近江八景のひとつ。そして、浮世絵。広重の「唐崎夜雨」。千年も前から、唐崎は名所だったのですね~。

浮世絵講座(2)

2015-02-21 10:50:34 | 雑感(1)日常
昨日、標記講座の第三回を聴講した。
2月第一週に、実は第二回があったのだが、悪天を理由に、参加しなかった。

今回は、「浮世絵にみる江戸の娯楽」と題し、芝居および相撲の話であった。


①芝居絵で名をはせた、主流派は三。
鳥居派:芝居小屋の看板および芝居番付を独占、現在まで続いている。清長が有名。
勝川派:似顔絵を追及。春章が有名
歌川派:多くの名手を輩出。豊国、国芳など

②有名俳優
七世団十郎、五世幸四郎、三世三津五郎、五世半四郎、賛成歌右衛門など

③相撲
・ 興行中に喧嘩・刃傷沙汰が絶えないため、女子の入場禁止
・ 藩おかかえ力士が出るようになって、藩対抗の趣が強くなる。


機会が与えられれば、質問したかったこと
・ 芝居の官許権行使は町奉行か?寺社奉行か?
・ 芝居小屋の観客収容人数はどれほどであったか?
・ 相撲興行の観客収容人数はどれほどであったか?
・ 相撲の入場料はどれほどであったか?(芝居は20匁との話あり。たぶんこれは銀。江戸ではいくらであったか?)
・ 鳥居派に清政という跡継ぎがいたが、清長に跡目を継がせるため筆を折らされたそうで、もしかしたらこれが写楽では、という説があるらしい。そもそもどんな絵を描く人であったのか?


ジブリ博物館行のバス停が長蛇の待ち行列であった。どうも、隣国からの観光客であったようだ。
三鷹も、春節景気の恩恵を、若干は受けているようだ。



・ 

古今集(64)

2015-02-18 09:11:31 | 古今和歌集
414 きえはつる時しなければ 越路なるしら山の名は雪にぞありける
越の国へまかりける時、しら山を見てよめる
みつね

(雪が)消えることがないことが理由で、「しら山」という名が、この山につけられたのですね~


白山を詠んだ歌として、昨日の宗岳大頼や、藤原兼輔(1/7記事)の歌を紹介したが、古今集には、まだある。


383 よそにのみ恋ひやわたらん 白山の ゆきみるべくもあらぬわが身は
越のくにへまかりける人によみてつかはしける
凡河内みつね

(あなたのことを)遠くから心配することになります。なんせ、私は(ごいっしょして)白山の雪をみることもかなわぬのですから


上の2首の作者は同じです。383の歌を詠んだのち、越に赴任する機会を得て、414を詠んだ、ということでしょうか。


980 思ひやる越の白山 しらねども ひとよも夢にこえぬ夜ぞなき
越なりける人につかはしける
きのつらゆき

白山のことは想像するだけで、実際は知らないのですが、夢の中では、(あなたに会いに行くために)毎夜山越えしています。


3月の新幹線開通によって、白山の神々しさに心打たれ、そのファンになる人々が多数でてくるにちがいありません。

古今集(63)

2015-02-17 10:09:42 | 古今和歌集
978 君が思ひ雪とつもらばたのまれず 春より後はあらじとおもえば
むねおかのおほより(宗岳大頼)が、越よりまうできたりける時に、雪のふりけるをみて、「おのが思ひはこの雪のごとくなんつもれる」といひけるおりによめる
みつね

あなたの思いが、雪がつもったよう、と形容するようなものなら、信用できません。なぜなら、春になれば溶けてしまうではないですか。


979 君をのみ思ひこしじの白山は いつかは雪のきゆるときある
返し
宗岳大頼

あなただけを思って越の国ですごしています。その越の白山の雪は消えることがありません。


「あなたにあこがれています。その思いのたけは、ちょうど今積もっている雪のように厚いのです」
「ありがとう。でもちょっとマユツバですね~。だって雪は春になれば消えてしまうではないですか」
「いえいえどうして、今私が赴任している越には白山という山があります。この山の雪は消えないんですぜ~」


歌のやりとりを通じ、互いのセンスを推し量るような雰囲気が出ていて、楽しいですね~。



古今集(62)

2015-02-12 11:12:15 | 古今和歌集
105 霞立つ春の山辺はとほけれど 吹きくる風は花の香ぞする
寛平の御時きさいの宮の歌合のうた
ありはらのもとかた

かすみがかった景色のむこうに見える山は遠いのだが、そちらから吹いてくる風には花の香りがするような気がする。


104 春霞色のちぐさに見えつるは たなびく山の花のかげかも
寛平の御時きさいの宮の歌合のうた
藤原おきかぜ

かすみがかった景色が、なんとなく各種の色がまじりあっているように見えます。たぶん向こうの山に咲き始めた花の色をうつしているのだと思います。


寒さの大底を、やっと抜け出たようだ。
今日は、春を待ち焦がれる気分を詠った、と感じる歌を選んでみた。

素直な歌、と感じるのだが、歌合に発表した歌だそうだから、練りに練っているのでしょうね~。
和歌道の奥深さを感じさせられました。


古今集(61)

2015-02-10 10:58:19 | 古今和歌集
411 名にしおはばいざ事とはむ 都鳥 わが思う人は有りやなしやと
武蔵の国と下総の国との中にある、隅田川のほとりにいたりて、都のいとこひしうおぼえければ、しばし河のほとりにおりいて、思ひやればかぎりなく遠くもきにけるかなと思ひわびて、ながめをるに、わたしもり、「はや舟にのれ、日くれぬ」といひければ、舟にのりてわたらんとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なくしもあらず、さるおりに、白き鳥の、嘴と脚とあかき、川のほとりにあそびけり。
京には見えぬ鳥なりければ、みな人みしらず、わたしもりに、「これはなにどりぞ」ととひければ、「これなん宮こどり」といひけるをききてよめる。
在原業平朝臣

みやこどり、という名を持っているなら、(知っていなければなりません。)私が心配している、都の、あの人の消息はどのようでしょうか?


有名な歌だ。
書いておきたいことは二つ。

① 渡し: 現在しらひげ橋がかかっているあたりが、隅田川沿い最古の渡し場があったところ。名は「橋場の渡し」。業平が渡った所はここに違いない。言問橋や業平橋は上の歌と直接の関係はない、と思う。
昭和30年代前半、「佃の渡し」を利用していたことがある。動力船がボートを曳いていた。オリンピックのころ、佃大橋ができてなくなった。
今無性に懐かしく思い出した。

② この歌が詠む鳥は、ユリカモメ、だそうだ。ミヤコドリは背が黒いのだそうだ。ユリカモメをミヤコドリと言ってしまった、わたしもりのまちがい、と理解されているようだ。
京都・鴨川では、最近になって、ユリカモメが現れるようになったそうで、「昔見なかった」というのは事実らしい。



古今集(60)

2015-02-09 11:08:12 | 古今和歌集
38 きみならで誰にか見せん 梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る
梅の花を折りて人におくりける
とものり

あなた以外に、この梅を誰にみせましょうか? 当然です。その色も香りもご存知の方だけ、つまり、あなたにだけおみせしたいのです。


46 梅が香を袖にうつしてとどめてば 春はすぐともかたみならまし
寛平の御時きさいの宮の歌合のうた
よみ人しらず

梅の香を袖にしまいこみ、もうすぐくる春の思いでにとっておきましょう


48 ちりぬとも香をだに残せ 梅の花 恋しき時の思ひいでにせん
題しらず
よみ人しらず

梅の花がもう散ってしまいそうです。このさき、思い出にとっておきたいので、香りだけでも残してください。


おととい、散歩途中に、見事な梅を拝見した。
寒くて、なかなか外に出る気にならないが、出れば、このような感激がある。
行動せねばならぬ。


古今和歌集に採録された歌、1111首の内、実に360首が恋歌(巻第十一恋歌一 ~ 巻第十五恋歌五)である。
上に示した3首は、巻第一春歌上に採録されてはいるが、詠みようによっては、恋の歌ともいえるのではあるまいか?







古今集(59)

2015-02-04 09:36:53 | 古今和歌集
2 袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん
春たちける日よめる
紀貫之

(だいぶまえ)袖を濡らすようにしてすくった、水が今は凍っています。しかし今日、立春の風が、これを解かすことでしょう。

15 春たてど花もにほはぬ山ざとは ものうかるねに鶯ぞなく
寛平の御時きさいの宮の歌合のうた
在原棟梁(業平朝臣男)

立春になったとはい、ここ山里では花のにおいもしません。かったるそうに鶯が鳴いています。


今日は立春。明日雪、との予報。


春到来を詠う歌は、古今集にはいくつもありますが、今日は上の二つを挙げました。

業平の歌が、しごく自然なのに比べ、貫之の歌には、技巧に走るプロ意識を感じます。

水の年間変化を、5・7・5・7・7に詠い込み、文句あるめえ、といっているように感じるのですが。

このあたりが、貫之に対する評判が、毀誉褒貶相半ばする源なのでしょうか?

古今集(58)

2015-02-02 11:29:06 | 古今和歌集
834 夢とこそいふべかりけれ 世の中にうつつある物と思ひけるかな
あひ知れりける人の身まかりにければよめる
きのつらゆき

(今、私が直面している、人様の死は、)夢にちがいない、といいたいのです。(しかし)、現実世界というものを認めざるをえません。

835 寝るがうちに見るをのみやは夢といはん はかなき世をもうつつとはみず
あひ知れりける人の身まかりける時によめる
みぶのただみね

寝ている間に見る夢が本当の夢です。しかし、この世にも現実とは思いたくない(ことがおこります)。


中東での、邦人殺害は、なんともいたましい。心よりご冥福をお祈りいたします。

昔、中東の人に、およそ次のように、言われたことがある。
「この地域の歴史は、殺し合いの連続であった。イスラム教は、それを制御する道具として、浸透してきた傾向がある。だから、俺たちと親密になろうと思ったら、歴史とからめてイスラム教を勉強すべきだ」


石油資源の確保のために、欧米列強がやりたいほうだい、やりすぎた結果が、今か?
日本もその一派、と思われはじめたのかもしれぬ。

それにしても、テレビで解説する人々は、どれほどあの地域のことをご存知なのだろうか?
無知をさらけだして、恥ずかしいとおもわないのでしょうか?