水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

ペルガモン展ボランティアガイド(23・最終回)

2009-05-02 17:20:19 | ペルガモン展関連
 今日の午後は、標記ガイドであった。が、ガイド役が総計3名になっていたので、遠慮し、早々に切り上げた。
2名で十分。ガイドがそれ以上多いと、見学者の目障り、邪魔になるだけ、と思う。

 この企画展は5月6日で終了。当方のガイド役は、今日でおしまい。
担当学芸員に、ご指導いただいた御礼を申し上げた。彼らの展示準備の大変さが最も印象に残った。

 終了が近づいていること、連休中であること、などが理由であろうか、今日は、多数(といっても100名未満か)の見学者で賑わっていた。

 振り返れば、このガイドを始めるきっかけは、昨年秋の三鷹ネットワーク大学講座聴講であった。当初持った二つの目的に関し、結果は満足。ハナマルだ。

 「イスラム期以前の中東の歴史を知る」という第一の目的については、実に楽しい勉強をさせてもらった。面白すぎて、はまりそうである。

 「解説方法のスキルアップ」という第二の目的については、「王道なし」が結論。展示物やその背景について、真剣に勉強すればするほど、そして、その全てを話してはいけないこと、が見学者を引き込む、コツといえばコツだ。
 見学者の専門性や興味の対象は、ひとりひとり異なる。その辺を探りながら話をする緊張感というか、ある種のスリルは、正直楽しかった。

 3000円を払い、ギャラリーメイト会員になった。これからは見学者として勉強する機会をなるべく多く作ることにしよう。

ペルガモン展ボランティアガイド(22)

2009-04-26 17:32:11 | ペルガモン展関連
 今日の午後は標記ガイド役に従事した。

総計50人ぐらいの見学者であったか。そのうち約半数に説明した、と思う。「ペルガモン博物館からの借り物は、ベルリンんい帰ると倉庫に眠る。もう二度と日の目を見ないと思う」というと受ける。
総じて好評であった、と思う。それは、長話にしないからだ、と思う。

 長話といえば、81歳のご婦人の話が止まらなくなり、困った。「他のお客様もおいでになるので~~~」とか言っていたところ救いの神が現れた。
ご婦人が寄ってきて、「あなたの話おもしろいわ。今度、私達の壽大学で是非話をしてくださいな」。あれよあれよ、と言う間に双方の連絡先紹介とスケジュール調整(来年だ)がなされた。お見事!

 珍しくも西欧系の人が来た。たしか初めて見る。お一人は、特に何かに関心があるということではなく、時間があったので来た、とのことだった。
 
 もうお一人は閉館直前にいらっしゃり、「音楽関係を専門にしています」と、日本語ペラペラ。
音楽に係わるヒントが何か得られないか、と思っていたが、それについては残念、とのことだった。
平山コレクションの目の確かさ、浮き彫りが表す意味、などについて話がはずんだ。

 周辺の大学(例えばICU)などを通じ、在日外国人にも宣伝しているのだろうか。彼らが喜びそうな企画展であったのに。この展覧会も5月6日で終了だ。

ペルガモン展ボランティアガイド(21)

2009-04-19 18:14:48 | ペルガモン展関連
 今日の午後は、標記のガイドに携わった。

 今日はなんと、100人以上の女性が館内を埋めた。しかも、そのほとんどが和服でだ。

 聞くところによると、ある茶道の団体が、ここのホールを借りて催し物をし、その付属行事として、展示見学をなさったのだそうだ。全体として、なんとなくハイソな雰囲気を漂わせる皆さんであった。

 一般に皆さん、展示への関心は十分高いとはいえず、もっぱら、ご質問があれば答えるようにした。そして、ヘレニズム期の芸術性の高さを強調するようにした。

 閉館時刻近くになると、散歩の途中に立ち寄る、近隣の方々が多くなる。これも、地域住民の入場料を100円にした効果であろう。小中学生に見せる努力をもっとする必要がある。子供のうちから一流品を見ることは、その子の人格形成に強い影響を与えるからだ。

 

 

アトラス像浮彫

2009-04-15 11:12:48 | ペルガモン展関連
 ペルガモン展展示物の中で、気になる小品のひとつに、標記、アトラス像浮彫・カタログ番号182、がある。

 ガンダーラ地方起源の25センチ足らずの小さな石像だ。東洋的で愛嬌のある、なんともほほえましい顔だ。ライオンの皮を被っているので、直感はヘラクレス、だが、有翼だ。

 この小品について、カタログの説明冒頭は、「彼らは複数で表され、仏塔基壇に横一列に並んでそれぞれが仏塔上部を両肩で担っている。この姿が、ギリシャ神話の中で天球を背負うアトラスを想わせることからこの名で呼ばれているが、本来の名も役割も不明である」、となっている。

 この石像の名や役割について、急がず、あせらず、調べたい、と思っている。

 ところで、地図帳をアトラスというのは、アトラスが地球を背負っていることに由来する、と思っていた。が、これは間違い。この誤った理解をしている人は結構多いらしい。
とにかく、アトラスが背負っているのは天球だ。
誤解に至った経緯について、解ったことは次。

 ・ティタン族の一員として、アトラスはゼウス達神々と戦い、敗れた。この結果アトラスは、ゼウスによって、大地(Gaia)と天球(Ouranos)が再び仲良くならないよう、大地の西端に立たされ、天球を支えさせられた(引きはなす役目を負わされた)。

 ・メルカトールが作った地図帳の表紙に、アトラスが天球を背負っている図柄が採用され、ここから、上に示したような誤解が始まったらしい。

 

 

コメント欄対応(ペルガモン展関連)

2009-04-13 09:13:07 | ペルガモン展関連
 昨年の12月23日に書いた記事について、コメント欄あてにお問い合わせがあった。以下がそれに対するお答えだ。

・図録には、桑原氏が日本古美術展覧会について書いています(p60~62)。その中に開会式写真および、大観描画のポスターが掲載されています。後者はp103にも掲載されています。ちなみに図録は2000円。

・中近東文化センターでのペルガモン展は5月初旬で終了します。そのあと尾道市立美術館に移る、と聞いています。
同館のHPを見ましたが、残念ながらペルガモン展開催予定のアナウンスを発見できませんでした。したがって、いまいち確信がもてません。が、関西方面の方には、多少は参考になるかもしれません。


 当ブログが受信するコメントやトラックバックの大半は極めて不真面目なものである。このため不本意ながら、受信制限をしている。今回のお問い合わせは、そのような類とは一線を劃せる、と判断した。(たぶん)見ず知らずの人の、つたないブログを読んでいただいていることに心から感謝し、応答させていただく。今後ともよろしくお願いします。


ペルガモンボランティアガイド(20)

2009-04-11 17:51:51 | ペルガモン展関連
 今日の午後は標記ガイドを担当した。

 本日はほとんど出番なし。理由は、①恒例、学芸員の解説があった。②どういうわけか、女性お一人が多く、声が掛けづらい。③担当学芸員のご好意により、専門家による講演を聞かせていただいた。

 「アッシリア美術の世界」という題で、大阪学院大・渡辺氏による話が、展示ケースを前にして、行われた。
中近東文化センター所蔵の象牙細工(紀元前9世紀~8世紀ごろ)について、彫り絵柄の特性について、概括的な話であった。

 まったく初めて聞く話であるので、問題の本質を理解できなかった。疑問に思った点を、おいおい調べようとおもう。

 しかしそれにしても、アッシリアの中心は今のイラク(チグリス・ユーフラテス川沿い)国内だ。なぜアメリカはここまで兵火を拡大させてしまったのか?侵略ではないのか?罪は大きい。日本もそれに加担した。

パーチメント(2)

2009-04-07 10:40:47 | ペルガモン展関連
 昨年の9/16の記事で、パーチメントつまり羊皮紙について書いた。

昨日、斜め読みしていた本(ギリシャ・ローマの盛衰、村川・長谷川・高橋著、講談社学術文庫、p160)の中に、これに関し、興味惹かれる記述を発見した。

「中世まで紙がわりにつかわれた羊皮紙をパーチメント(ドイツ語=ペルガメント)というのは、ペルガモンでそれがたくさんつくられたからで、紙をペーパーーというのがエジプト特産のパピュロス(ラテン語=パピルス)に由来するのと対をなす」

 知らなかった。念のため、確認した結果が次。

 古代ラテン語で、羊皮紙をPergamenomと書く。意味は「ペルガモンの紙」だそうだ。ちなみに、英語はparchment、独語はPergament。
なお、古代ラテン語でのパピルスのスペルはpapyrus。
蛇足、今ペルガモンはPergamonとスペルする。

化粧皿

2009-04-06 10:07:26 | ペルガモン展関連
 ペルガモン展の展示物の中で、特に気になる小品のひとつに、標記、直径10センチ足らずの化粧皿(カタログ番号172)、牛の背に女性が横座りした情景が浮き彫りされたもの、がある。

 パキスタン(おそらくガンダーラ)で発見されたもので、紀元前1世紀~紀元後1世紀に製作された品、と推定されている。

 西欧人がこれを見たら多分、「ああ、あの話ね」とすぐにわかる情景らしい。有名なギリシャ神話の中のひとつ、神々の王、ゼウスが牛に化けてエウローパ姫を誘惑する話だ。


 気になる点というのは、展示タイトルが「エウローパの略奪」となっていることにある。
「略奪」はちょっときつすぎるのではないか。話はもっとずーっとロマンチック。
これだけだったら、そんなものか、ですんだが、カタログ中の英文タイトル一覧を見ていてギョっとなった。

「172.Toilet-tray with Rape of Europa」とある。

Toilet-trayはないでしょう。そして、いくらなんでも、Rape とされちゃあ、さすがのゼウスもがっくりくるのではないでしょうか。

 折角の、見事なカタログなのに、ネイティブチェックをおろそかにしたか。

 ちなみに、英文グーグルで上の神話を検索してみたところ、「rape」を使っている文をひとつも見つけることはできなかった。直感は「temptation」であったが、「abuduction」、「kidnap」、「carry off」、「carry away」、「seduction」などを使って上の話が説明されていた。「temptation」はどちらかというと、悪い意味合いをもった「誘惑」なのかもしれない。


文化財の移送復元

2009-03-30 09:48:44 | ペルガモン展関連
 ペルガモン展の解説をしていると、しばしば、ベルリンへのペルガモン遺物移送の是非が、見学者との話の種になる。
確かに、武力と金にものをいわせ収奪した西欧人の姿勢には首をかしげざるをえない。が、彼らにも彼らの理由がある。

 ペルガモン遺跡発掘に貢献した考古学者、コンツェはつぎのように回想している(ベルリン国立博物館、日本語リーフレットp14)。

「ひとつの大きな記念建造物の遺物を、その母体からもぎ取り、その中に造られ、かつてはそこで完全に生きていたのと同じ光と環境を決して再び与えることの出来ない我々の所へ移動させる事に関し、(たしかに)、無感覚であった。しかし、我々はそれ(遺物)を、次第に脅かしている完全な破壊から救い出したのである。」

 同じリーフレットのp6には、フーマン(ペルガモン遺跡発掘の中心人物)の、遺跡を初めて訪れた時の感想が次のように記されている。

「重いハンマーに屈した(遺物の)大理石のブロックがこなごなにされて投ぜられた石灰焼釜が、煙をなびかせていた。」

 考古学的にはいかに重要な遺物であっても、地元の人々にとっては、生活の糧にすぎなかった、といえよう。

 日本でも、明治維新期に大量の文化財が海外に流出した。そのことは、なんとも悔しい。が一方、だから今も地球上に残っている、と言えなくもない。

文化財を、移送してでも保存すべきか、生活の糧の一部として再利用することも許される、のか、なかなか難しい問題だ。

 では、バーミヤン大仏の爆破を、なんと見る。


見学者との話は、だいたいいつもこの辺で終わる。



ペルガモンボランティアガイド(19)

2009-03-28 18:00:57 | ペルガモン展関連
 今日の午後は標記の当番であった。

 土曜日の午後一番には定例的に学芸員による企画展解説がある(日曜の同時間帯は常設展解説)。通常一時間強だが、今日は1.5時間であった。見学者はラッキー。たぶん見学者の熱心さが、長くさせたのであろう。

 見学者の中で印象に残った方は、神戸から、ここを見るためにだけ東京に来られたご婦人お二人。ガイドが一人であったので、平山美術館分の展示スペースから動けず(見学者が触れることが禁じられている展示物があるため)、ペルガモン側の話が不十分で、遠路はるばるいらっしゃったご足労に対し、と言われると、やや不満が残ったかもしれない。
趣味ということだったが、なんとなんと、知識が豊富で、こちらも勉強になり、楽しい会話となった。


 最近新聞に、中近東文化センター実施のトルコ国内で発掘された鋼が、今まで発見された中で世界最古であることが解った、と報じられた(実は恥ずかしながら、記事を見落としていて、知人に指摘され読んだ)。
今日の見学者の中に、早速このことを質問する方がおられた。結論は「よく知りません」と言うのだが、木で鼻をくくったような答えではまずいし~~~。
日常のちょっとした注意が肝要、とつくづく肝に銘じた一日。
 

陶器欠片(ペルガモン展関連)

2009-03-18 10:10:01 | ペルガモン展関連
 前回、先生(特に幼稚園や小学校)の重要さを言った。その続き。

 小学生の頃、井の頭公園の、ある場所で、「このあたりで、古い土器の欠片が出てくる」と、担任の先生に聞いた後、友人と必死になって探した。
その時は結局なにも見つけられなかったが、その後、古い陶器片への興味はずっと持ち続けている。不思議にも、完成品にはそれほど興味は沸かない。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだ。

 出光美術館(有楽町)には、さまざまな地方と時代に製作された陶器欠片(たぶん集めたもののほんに一部であろうが)が見事に整理されている。好きで、時々見に行く。

 今回のペルガモン展でも、多数の陶器欠片が展示されている。興味が尽きない。
黒い釉薬がかかったもの、白い釉薬のかかったもの、および、浮き彫りが施されたもの、の三種に大別されるが、いずれも、装飾画・彫りの見事さは驚嘆ものだ。
個々は、小さな、目立たない欠片でも、それらをいくつか集めた集団になると、その背景にあるものの偉大さに気づかされる。

 これらの欠片は、ベルリンのペルガモン博物館にあっては、おそらく、歯牙にもかけられない、決して日の目を見ることのない収蔵品の一部のはずだ。倉庫に埋没している多数の中から、展示に値する陶器欠片であるかどうかを判断し、選択する人の眼は、当然のことながら、極めて高度でなければならない。

中近東文化センターの、蓄積してきた力の大きさを感じる。

ペルガモン展ボランティアガイド(18)

2009-03-15 17:21:31 | ペルガモン展関連
 今日の午後は解説担当であった。見学者総数は20名を越えたかどうか、というところ。午前中(10時~13時)はたった二名だったそうだ。少ない。が、そのかわり、見学者は、静かな中で心行くまで鑑賞できる。

お一人、それも女性が多く、話しかけることを遠慮する機会が多かった。

 印象に残った見学者は、おばあちゃんに連れられた小学一年生二人。開設された、子供向け講座受講のついでに企画展見学となったらしい。
大人でも難しいのに、どのように説明すべきか迷った。結局、ヘラクレス、ライオン、棍棒に絞って話した。
興味を持ってくれただろうか。なにか記憶に残るものがあっただろうか。楽しいひとときであったが、彼らをして「つまらん」と思わせてしまったら、責任は大きい。心配でもある。

 幼稚園や小学校低学年を受け持つ先生の責任は極めて重いものだ、とつくづく感じた。

女王頭部

2009-03-12 10:35:12 | ペルガモン展関連
 ペルガモン展の展示物のなかで、特に気になるもののひとつに、カタログ番号51(大祭壇浮き彫り断面(テレフォスフリーズ):女王頭部)がある。

 破損が激しいにもかかわらず、えもいわれぬ気品を感じる。気に入っている。

 カタログの説明によると、女王ネアイラの可能性がある、そうだ。

 大祭壇は、発見当初ゼウスを祭る目的で作られた、と考えられていたが、今では、ペルガモン王国の建国を記念するもの、と考えられているようだ。その根拠は内壁の壁面浮き彫りが、ペルガモン王国の建国神、テレフォスにまつわるものであるからだ。残念ながら、浮き彫りの大半は失われている。標記の頭部は残された貴重な断面だ。

 ところで、なぜ、ペルガモン王国はテレフォスを建国神としたのだろうか。まだぜんぜん解らない。ギリシャ神話集(ヒューギヌス著、松田・青山訳、講談社学術文庫)によると、次のようなストーリーが組み立てられるのだが、どうしても、これが、ペルガモン王国の建国神話になると思えない。
 なお、上のネアイラはテレフォスの祖母(たぶん、下のアウゲーの母)。

①アルカディア(ギリシャの一地方)の王女アウゲーはヘラクレスの子を身ごもり、パルテニオ山中で分娩・遺棄。ミューシア(ペルガモンを含む小アジアの一地方)に逃亡。
②鹿がこの子を養った。乳房をテーレー、鹿をエラポス。名、テレフォスはこれらをくっつけた。
③成人になった後、母を捜してミューシアに来たテレフォスは、ミューシア王によって、ミューシア王の養女となっていた母アウゲーと、めあわされようとした。
④両者ともそれをいやがり、互いに互いをを殺そうとした。神託が下り、互いに母子であることを知った。

読んでいて、頭が変になりそうになる。神話だから仕様が無いか。
とにかく、なぜテレフォスはペルガモン王国の建国神なのか?

ペルガモン展ボランティアガイド(17)

2009-03-08 16:10:05 | ペルガモン展関連
 本日の午前中、ガイド当番であった。

 前半(10時~11時半)の見学者はお若いカップルひと組のみ。おじゃましないよう、声は掛けなかった。

 後半(11時半~13時)は、あとになるほど見学者は増したが、それでも総勢20名程度であったろう。数組とお話したが、失敗はなかったと思う。ガンダーラ仏などへのギリシャの影響をどのようなところに注目して見るか、なんて大それたヒントを提示したつもりになっている、自分が可笑しい。

 ギガントマキアレリーフの実物大写真が、企画展入り口の壁に貼られた。フォイベ(Phoibe)という名の女神だそうだが、どんな神なのか解らず困っている。
ギリシャ神話集(ヒューギヌス著、松田/青山訳、講談社学術文庫)では、ポイベーと呼ばれる神に相当すると思うが、細かな話はなにも載っていない。

 ついでにもうひとつ。ペルガモン博物館を写した写真に川が写っている。その名を聞いてきた見学者がいて、たぶん学芸員が調べて、答えたメモが残っていた。
Kupfergraben川だそうだ。エーット、銅鉱山?帰宅して辞書を引いたらやはりそうだった。
この川の流域(つまりベルリン近傍)では、大昔、銅が掘られていた、ということだろう。いったいどれほど昔だったのだろうか。

ペルガモン展ボランティアガイド(16)

2009-03-02 11:28:06 | ペルガモン展関連
 昨日の午後、ガイド当番であった。見学者数は50人強か。少ない。

お一人での見学が多かった。このような場合、特に女性に対しては、こちらから話しかけることはしない。

 同年代と思われる、ある男性と話がはずんだ。たぶん、高等学校で世界史を教えておられた先生ではないか。ベルリンのペルガモン博物館やベルガマに行ったときのこと、今夏ギリシャ旅行をする予定であること、などお話を聞かせていただいた。

 「わたしは海外に出るつもりはありません。が、もし行くとすれば往復航空券のみ買って、あとは行き当たりばったりにぶらぶらしたいです」
「実は、今度の旅行の宿泊は全部ユースホステルにし、自由気ままに歩く予定です」

 なんてことから、例によって、二人とも「いまどきの若いもの」症候群症状に陥り、意気投合した次第だ。


 最後の一時間は、平山郁夫美術館からの借り物展示室を、ほぼ独り占めでき、実に幸せであった。

 
 平山さんのスケッチに書いてある「ストッコ」という字が気になり、帰宅後調べた。

stucco。しっくい。plasterとは微妙に違うらしい。フレスコ画の地。

 今まで、「石灰が多く入った粘土」と説明していた。が、これではいまいちピンとこなかったのではないか。もうすこし分かりやすく説明しなければならぬ。
「今のモノで言えば、セメントモルタルです。水と化学変化し、固くなるのです」と。