水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(504・最終節)

2014-09-10 09:55:12 | 論語
不知命、無以為君子也、不知禮、無以立也、不知言、無以知人也(尭曰第二十の5)

命を知らざれば、以って君子たること無きなり。禮を知らざれば、以って立つこと無きなり。言を知らざれば、以って人を知らざるなり。

天命がわからないようでは君子たりえない。禮がわからないようでは社会に適合できない。言がわからないようでは人の善悪を見極めることができない。


昨日の、アメリカでのテニスの主役は、幼少期に天命を知り、その実現に全力で取り組む人の成功典型でしょう。
しかし一方この社会には、盲導犬をフォークで突き刺すような社会生活をおくるには問題のある人が少なからずいるし、なけなしの貯金を言葉巧みに詐取する、フリコメ詐欺が蔓延しています。
個々の分野で頂点に立つ努力をすることも大事だが、凡人が一生を日々平穏に暮らし切ることも、実は大変なことなのではないでしょうか。

論語の最終節を読んだ感想です。


思い起こせば、2010年の暮れに、ある友人から「ブログで論語ぐらい読んでみたら!」と言われたのが、はじめるきっかけでした。
すべての節に目を通したというだけで、身についたモノがあるとも思えません。ただ、我々の生活の奥深くに、論語が息づいていることはよくわかりました。読んだことにより、観察眼の幅や奥行が広くなることは間違いないでしょう。論語を読み切った収穫です。友人に感謝です。

論語読み開始時に一句読みました(友に背を 押され学ばん 師走かな)ので、終了に当たっても駄句を示すことにします。

友に背を 押され学びし 老骨の 論語読みも 論語知らず

論語(503)

2014-09-09 09:42:09 | 論語
尊五美屏四悪(尭曰第二十の4)

五美を尊び四悪を屏(シリゾ)く

五美を尊び四悪にはまらないように。


子張が、政治にたずさわる者の心得を教えてください、と質問したときの孔子の答え。
五美四悪とはなにか。

五美
・恵而不費(恵して費えず)=民が利益と思うことを制限せずそのままとする
・労而不怨(労して怨まず)=自ら苦労を買うのであるから怨む種はない
・欲而不貪(欲して貪らず)=仁を求めていれば貪ることはない
・泰而不驕(泰(ユタカ)にして驕らず)=泰然として驕らない
・威而不猛(威にして猛からず)=威厳を示しても猛々しくない

四悪
・不教而殺(教えずして殺す)=教えることをしないで罰を与える
・不戒視成(戒めずして成るを視る)=注意せずに成績を重視する
・慢令致期(令を慢(ユル)くして期を致す)=命令を緩めておいて期限を厳守する
・出内之吝(出内(スイトウ)の吝(ヤブサカ)なる)=やらねばならぬことにケチケチすること


四悪(特に最後)、については少々補足すべきかもしれぬ。
最後の文は次のようになっている。

猶之與人也、出内之吝、謂之有司
人に猶(オナ)じく之を与うるに、出内(スイトウ)の吝(ヤブサカ)なるは、有司(ユウシ)という

ここを次のように解釈したい。

(公務に携わる者が人によって)教えない、戒めない、令をユルユルにする(なんていうのはもってのほかで)、こういう出し惜しみをする人を有司(=役人)といい、(我々は最もきらうものです)。


孔子が、いわゆる役人根性を、忌み嫌っていたことを顕著に表す文章、と理解しました。

今の世にも通じ、親近感を覚えました。

論語(502)

2014-09-08 10:46:40 | 論語
寛則得衆、信則民任焉、敏則有功、公規民説(尭曰第二十の3)

寛なればすなわち衆を得、信なればすなわち民任ぜん。、敏なればすなわち功あり、公なればすなわち民説(ヨロコ)ぶ

心がひろければ大衆は寄ってくるし、まことを尽くせば民は信用する。機敏に行動すれば成功し、公平であれば民は喜ぶ。


仁政を目標とする政治家が心がける四点、ということであろうか。
上に示した文のみであるので、実際に孔子が言った言葉かどうかは不明。
同じような言い回しが過去にもあったような気がするが~~~。


まあとにかく、寛、信、敏、公。心にとどめるべき漢字か。

論語(501)

2014-09-05 09:19:32 | 論語
所重民食喪祭(尭曰第二十の2)

重んずる所は民の、食、喪、祭

(政治の)枢要は、民を食わせ、先祖と神とを大切にすることである。


上の結論にいたるまでに、この節では、おおよそ次のように論じている(ただし、孔子が言った、とは書いていない)。

「課税を慎重にし、法規を整備し、官僚制度を整えれば、国の政治はスムーズになる。また、国を興隆させ、名家を再生させ、離れていった民を呼び戻すことができれば、民はその政治を信頼する」


中東における現在の混乱は、西欧社会の宗教観に基づく統治手法の、この地域への導入の無力さを表しているようだ。このままだと、民は飢えるばかりと思え、心が痛い。
一方、民を食わせることにまい進してきた某国は、さきの大戦の総括を自分でしなかったために、いま民族としての精神が蝕まれてきていて、目を覆いたくなるばかりの精神社会を呈しつつある。強国の餌食となっているウクライナを見れば、某国における軍事力強化は当分続くだろが、「国の強さ」とはどう定義するものなのだろうか?

論語(500)

2014-09-02 09:28:12 | 論語
百姓有過、在予一人(尭曰第二十の1)

百姓に過ち有らば、予(ワレ)一人にあるらん

民に過ちがあるとき、(その責任は)私一人が負うものです。


周の武王が、王位に就く際言った、とされる。

この節は、孔子の言ではなく、古代の王が言った言葉を集めているようだ。
上のほかに次のようなモノが書かれている。

・尭:允執其中(允(マコトニ)その中を執(ト)れ)=政治は中庸が大切
・舜(夏王朝設立):尭と同じことを言った、と書いてある。
・湯(夏を滅ぼした殷の王):帝臣不蔽、簡在帝心(帝臣蔽(オオ)わず、簡(エラ)ぶこと帝心にあり)=人事に個人感情ははさまない


ちかごろしみじみ思うのだが、この国においてはいつも、責任の所在があいまいで、そのため責任者をあぶりだせない、というもどかしさがある。
それはそれでいいところもあるのだろう。が、権力から遠い人間ほど、抱く被疎外感は大きい。



論語(499)

2014-09-01 09:45:11 | 論語
言不可不慎也(子張第十九の25)

言は慎まざるべからざるなり

言葉は慎重のうえにも慎重でなければならぬ。


陳子禽という人が、子貢に対し、「あなた謙遜しすぎですよ。孔子さんがどうしてあなたよりすぐれているというのです」と言ったときの答え。
まず、次のように言った。

「まともな人は、相手の人の一言でもって、その人の知性の高さを評価してしまうものです。どうか発言する際は慎重であってください」

さらに、子貢は孔子について次のように言っている。

「もし、孔子先生が国を治めることになったならば、民衆を立たせ、動かし、安心させ、共感させることができるでしょう。(孔子先生が)生きておれば(国は)栄え、先生がお亡くなりになれば(国中が)悲しみにつつまれるでしょう。このような方に(私のような者が)どうして追いつけるというのです」

子貢への賛辞、子貢の孔子に対する敬慕の念、こうも続くといささか食傷気味だ。


とにかくここは、「言不可不慎也」!
もって肝に銘ずべし。
加齢とともに責任がなくなる。そうすると、どんどん言いたい放題になりがちだ。


論語(498)

2014-08-29 08:12:12 | 論語
仲尼如日月也、人無得而踰焉(子張第十九の24)

仲尼(チュウジ)は日月のごとくなり。人、(これを)得て踰(コ)えることなし。

仲尼(孔子のアザナ)は太陽や月のような存在です。私たちが、これを越えることはできません。


叔孫武叔が孔子をけなすことに対し、子貢が「そんなことはおやめなさい」と忠告した。
その理由は、おおよそ次のとおり。


そこらに居る普通の賢者は、丘のようなもので、目標にして、越えようと思えば越えることはできます。
しかし、孔子先生は、はるかに高い存在で、私たちがなにをジタバタしようが、ビクともしません。
ジタバタすればするほど、みっともない自分の小ささを示すことにほかなりません。


叔孫武叔が、なぜ孔子の悪口を言い続けたのか? きっかけはなんだったのか?

子貢は、孔子の悪口なんて「天に唾をはく」ようなもの、と言いたかったのでしょう。

論語(497)

2014-08-26 09:13:40 | 論語
夫子之牆也数仭、不得其門而入者、不見宗廟之美百官之富(子張第十九の23)

牆(ショウ)=垣根
仭(ジン)=ひろ

夫子の牆や数仭なり。その門を得て入らざれば、宗廟の美・百官の富を見ず。

先生(孔子のこと)(のすごさを隠している)垣根の高さは数ヒロです(ですから外から中をうかがい見ることはできません)。赦しを得てその門から中に入らなければ、なかのミタマヤの壮麗さやそこに集う人々のすごさを知ることはできません。


孔子の弟子、子貢が、「子貢は仲尼(チュウジ、孔子のアザナ)より優れている」と人(叔孫武叔)が言っていると聞き、コメントした言。

私の牆は肩ほどの高さですから、外から中を見ることが可能です。中を見ることができない人と比較した場合、「見た」ことを前提に、「孔子先生より優れている」と言ってしまう気持ちは、わからないではありません。(不亦宣也、亦た宣(ウベ)ならずや)


子貢の、孔子に対する敬慕の念がよく現れている文、と思う。

論語(496)

2014-08-25 05:31:15 | 論語
夫子焉不学、而亦何常師之有(子張第十九の22)

夫子(フウシ)焉(イズク)にか学ばざらん。而してまた、何の常師(ジョウシ)かこれあるらん。

先生(孔子のこと)は、誰かからは学ばない、ということはありません(誰でもから教えを乞うた)。ですから、ぴったりはりついて学ぶような先生をもつことはありませんでした。

子貢が、衛の公孫朝という人の質問、「孔子さんはどなたの指導をうけたのですか」に対して答えた言。

「(孔子が尊敬していた周王朝における)文王・武王の治世が今失われたわけではなく、人づてに伝わっていると考えます。まともな人はまともなことを、そうでない人でも小さなことを受け継いでいるのです。ですから、あの時代のいいことは、今も、どこにでもあるのです」(と孔子先生から教えられました。)
ですから~~~~、と上に続く。


孔子先生であるから、こういうことができるのでしょう。凡人は、なにがよくてなにが悪いのか、判断がつかないのですから、マネするわけにはいかないでしょう。


このあいだ、バスのなかで中学生が、ヨーロッパにおけるサッカーをワイワイしゃべっているのを聞いて、隔世を感じた。
テレビなどをつうじ日常的に、「世界一」を見ることができる今の時代に、生を受けた彼らがうらやましい。
考えれば、世界一どころか日本一す、見ることがマレな時代だったのだから、目標はどうしても低くなりがちであった。

昨夜も寝苦しく、早起きしてしまった。

論語(495)

2014-08-19 10:13:48 | 論語
君子之過也、如日月之蝕焉(子張第十九の21)

君子の過ちや日月(ニチゲツ)の蝕(ムシバ)むごとし

犯した過ちは、日食や月食のよう(に、すべての人に見られていると思ったほうがよい)。


子貢の言。

人に見られている、という解釈は、後段に続く言葉(過也人皆見之、更也人皆仰之)に基づく。

間違いをしでかさないように人生をおくることが最も大切であるが、その間違いをしでかしてしまったら、かくすことなく、すぐに改める態度が必要である。

そのとおり、と思います。
近年の政治の世界では、透明性/情報公開/説明責任などの言葉が声高に叫ばれているようにみえますが、これ、その陰で逆の動きだしが活発、ということではないでしょうか。

インターネット社会時代に突入した今、どんな些細な過ちであっても隠しとおせることはできない、と思わねばならぬ。

論語(494)

2014-08-18 11:31:21 | 論語
紂之不善也、不如是之甚也

紂(チュウ)の不善、是(カク)のごとくには甚しからざるなり

紂=殷最後の、悪名高い皇帝。紀元前1100年ごろ。

紂王が良くないというが、それほどでもなかったのではないか


子貢の言。


確かに、紂王は常識はずれではあったのだが、他人の不行跡を背負いこまされていたようだ。


今日の我々の生活に関していえば、マスコミの言うところを鵜呑みにしてはならぬ、ということ。

論より証拠
百聞は一見にしかず


論語(493)

2014-08-15 09:20:39 | 論語
如得其情、哀矜而勿喜(子張第十九の19)

もしその情を知れば、哀矜(アイキョウ)し喜ぶなかれ

(罪に問われている人の状況について)知る機会に接する場合には、悲しみ憐れむ心で臨み、(決して)喜んではならぬ。


曾子の言。
陽膚という人が、孟氏のもとで司法官(士師)に任ぜられ、曾子に、(心構えを)聞いた時の答え。

曾子はこの前段で次のように言っている。
「上失其道、民散久矣」(上はその道を失い、民散じて久しい)

つまり、民衆が政治の腐敗を絶望している世の中である場合、罪を犯す人にもそれなりに理由があるかもしれので、喜び勇んで罪人に接してはならぬ、と言っている。

では、政治がしっかりしていて、民衆から支持されている政治社会であれば、情け容赦なく罪人に接するべきなのだろうか?


こういう、屁理屈をこねる生徒は、先生に嫌われますよね~。
ごねるのをやめます。


こちらの言葉で言えば、「罪を憎んで人を憎まず」ということ、と解釈しました。

論語(492)

2014-08-14 10:48:13 | 論語
不改父之臣與父之政(子張第十九の18)

父の臣と父の政とを改めざる

(父の服喪期間中)、子である喪主は、父の教えを守り踏襲すること


曾子が、孔子から聞いた、とする語。
その話とは、
「孟荘子という方はとても親孝行であった。服喪期間中父の教えを守り踏襲したのだが、これは我々がまねをしようとしてもなかなかできないことだ」


儒教では、正式の服喪期間が三年、ということは、今まで何回かでてきた。
その期間中、守らねばならぬことを守り通すことは、まみたいていのことではない。
孟荘子という人は、数少ない、守り通した人であったのだろう。

なぜ三年か?
確か、陽貨第十七の21、に書いてあった。
生まれてのち三年を経て親の懐を離れる。だから、親が死んだら三年は服喪しなければならぬ。

余裕のある人であればそれもよいが、通常はそんな悠長なことをやってられないでしょうな~。

論語(491)

2014-08-13 08:48:29 | 論語
人未有自致也者、必也親喪乎(子張第十九の17)

人未だ自致(ジチ)なるものあらず。必ずや親の喪か。

自致=誠意を十分尽くすこと

一般に、誠意を十分に尽くす、ということは、(できそうで)できにくいものだ。あるとすれば、親の喪に服するときだろう。


曾子が、孔子から聞いた、として紹介している語。


確かに、一切の打算を抜きにして、事に当たれるのは親の喪かもしれぬ。
しかし儒教は、あまりにも葬式を重要視したために、その形式化が進むとともに、見栄の張りあい、がエスカレートしていったそうだ。
今も儒教の影響が強く残っている隣国のみならず、仏教式の多いこの国においても、葬式は形を大事にしすぎている、と思う。


それはさておき、「自致」。常に忘れず、大事にしようと思う。

論語(490)

2014-08-12 06:00:04 | 論語
堂々乎張也、難與竝為仁矣(子張第十九の16)

堂々たるかな張なり。共に並びて仁をなしがたし

張(子張のこと)さんは堂々としている。(その堂々たる(姿勢)ゆえに)いっしょに人間修養をしようとは思わない。


曾子の言。
ここでも子張は敬遠されている。

ひとりの弟子が多くの同士から批判されるのには、それなりの理由があるのでしょう。
が、さて、孔子先生はそれをどのように見ていたのでしょうか。
たぶん、「人様の批判をする時間も惜しんで、自分を見つめよう」とおっしゃったのではないでしょうか?

ワタクシをして、このように言わしめるところに、論語のふところの深さがあるのでしょうか?