水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(91)

2011-07-29 14:17:02 | 論語
不知其仁也(公冶長第五の8)

其の仁を知らざるなり。


ひとつの節に三回も出てくる。

魯の宰相、孟武伯が、孔子にその弟子3人(由、求、赤)の人物評価をしたくて、仁でしょうか、とたずねた。

孔子の答えは:由は武官として、求は文官として、赤は外交官として、それぞれ一流でしょう。しかし、人物として一流であるかは、わからない。

お相撲さんが、稽古を積んで、横綱になったとたん、心技体、だなんて言われても、なんのこっちゃ、ということになる。

一芸に秀でると人物も一流、と錯覚しがちである我々一般人に対する戒め、と理解しました。


解説員として(84)

2011-07-28 14:58:48 | 解説員日記
今日の午前中、解説当番であった。

曇り、気温26度。快適な日和であるにもかかわらず、見学者はゼロ。

節電のために土日出勤の人が増えたらしいので、野川沿いの人出は多くなってもいいと思うが、静かなものだ。読書と居眠りの3時間であった。

こういうのを、「商売上がったり」というのだろうか。しかし、こんな状態のときこそ、とんでもない大事に遭遇することがあるので(マーフィーの法則ってやつだ)、緊張感をきらしてはならない。


 今日読んでいた本(日本人の目玉、ちくま学芸文庫、2005年)で、気になった文章。

・政治とは、法や予算を通じて、社会や国を制作していくこと、その制作のために様々な利害を調整し、あるいは「力」を利用すること。(p192)

・政治とは、「精神」のない「巨獣」を飼いならす術(小林秀雄)。(p229)

・西郷と勝の、江戸無血開城に向けた談判を、ひとつの政治、とすると、二人の覗いた闇は、
「今はまだ、実在している体制を残影へと、旧時代へと押しやり、未だに実在はしていない、夢であり、計画であり、虚構にすぎない体制が現実になる、そのすれ違い、同居において立ち上がる、いずれもが、虚ではなく、実でもないという微細な、しかし長大な時間」

こんな闇を覗いてしまった二人の心を想像すると、寒気を覚える。

百年後、今の政治状況はどのように評価されるであろうか。

論語(90)

2011-07-26 09:46:27 | 論語
無所取材(公冶長第五の7)

これを、どう読むのか、どう解釈するのか、わかりません。

頭から解釈してみます。

「孔子が言いました。「世の中こう乱れてしまっては(いやになってしまう。)筏にでも乗って海に出てしまいたい。いっしょに行ってくれる人がいるとすれば、由ぐらいなものだろう。」その話を聞いて、由は喜んだ。そして、そのような由について、孔子はコメントした。」

そのコメントが、「好勇過我、無所取材」

「勇敢なところは私以上だが、?????」

古来、この「無所取材」については、いろいろに解釈されてきたらしい。三つほどメモしておく。

① (筏の)材料を取る場所がない。~~漢字どうりの解釈。
② とりえが無い。(頼るにしてはちょっと心もとない)~~「材」を無視、もしくは「哉」に読み替える。
③ 思慮が(ちょっと)足りない。~~「材」を「裁」(ハカル)に読み替える。

常識的には③だろうか?


話は変わるが、マスコミすべてが、こぞって何故あんなに、かの国の新幹線事故を、ワーワーわめきたてるのか?
人の不幸は密の味、なのか?
散々、こちの不幸を魚にされたから、その仕返しのつもりなのか?
こっちのレベルの高さを誇りたいのか?
そもそも、あの政治体制が嫌いなのか?

かの国のことより、この国の復興についての、地道で建設的な取材や報道のほうが、今はずっと大切だと思う。

論語(89)

2011-07-25 09:27:51 | 論語
吾斯之未能信(公冶長第五の6)

吾斯(コ)の之れ未(イマ)だ信ずること能(アタ)わず。

ワタクシは、ワタクシ自身の能力が、その仕事をこなすのに十分のなっているとは思えません。


と言って、ある弟子(漆雕開)が、就職に関する、孔子の推薦を辞退した。
そのこと(姿勢、態度)を、孔子は喜んだ。

孔子のところに群がる人は、孔子の推薦を得て、良いポストにつきたい人ばかりであったに違いない。

そんな中で、黙々と研鑽を積む少数のホンモノに、孔子はきちんと目を向けていますよ、といいたかった。たぶん。


自己主張の激しいかの国の人々と違って、それが美徳の正反対にある、この国では、今もって、漆雕開のような人がウジャウジャいるのではないだろうか。そういう人を世の中に出す仕組みを真剣に考えないといけない。


トナリの芝生はきれい、ではないが、しばらく実務につくと勉強したくなるし、ある程度勉強すると実務につきたくなる、のが人情。この国では、国家公務員および大会社の社員など、極く一部の人々にのみ、それを生かすサイクルが与えられている。

米国のように、再入学や再就職があたりまえの社会、にしないと、今の閉塞感から抜け出すのは、なかなか難しかろう。

論語(88)

2011-07-22 09:20:35 | 論語
禦人以口給、屢憎於人(公冶長第五の5)

人に禦(アタ)るに口給(コウキュウ)を以ってすれば、屢(シバシバ)人に憎(ニク)まる。

口給=口にまかせて、場合場合をよくいいまわすこと

人とのつきあいを、口先だけでペラペラやっていると、ねたまれることがしばしばある、の意。


この語の前後に、「焉佞用」(焉(イズクンゾ)佞(ネイ)を用(モチ)いん)とある。

佞=弁才あれども心情正しからず、他をよろこばせ追従すること

焉佞用=どうして、口先ばかりの人間を重用する必要があるのでしょうか


人間、どうしても弁の立つ人に目が行きがちであるが、その性根を見極める目を養いたいものだ。

そしてもっと大切なことは、おのれ自身が、口先だけのペラペラ人に成り下がらぬよう注意しなければならない。

話し出したら止まらなくなってしまう人を、最近やたら目にする。

解説員として(83)

2011-07-21 14:21:18 | 解説員日記
今日、午前中解説当番であった。

昨日までの台風騒ぎや今朝の糠雨、からして、見学者の来訪は期待できず。
案の定、見学者数ゼロ。
野川沿いに歩く人も、ほとんどいないのだから、仕様がない。

しかも、室内温度計が20度を示すほど、肌寒かった。

梅原猛の古い随筆を読んで、時間を潰していたのだが、面白い記述があったので、メモする。1993年に書かれたものだ。

近代日本の経済的発展の要因について、梅原氏の説
① ほぼ単一の民族で12000万人の人口を保てたこと。
② 道徳的水準が高い
③ 知的水準が高い
④ 学歴社会に基づき、社会的変動がはげしい。

1993年時点で、そのどれもがおかしくなってきた、と梅原氏は言う。
① 人口減少化に向かう。外国人労働者移入が問題になる。
② バブル景気が日本人の道徳心を根底から腐敗させた。
③ 集団としての知的水準は高いかもしれないが、個々人の創造性という面では劣る。ムラ社会が根強いからだ。
④ あらゆる領域で、世襲制への動きがある。社会構成の固定化はまずい。

今読んでも、決しておかしい説とは思わない。
今回の大地震プラス原発災害を、なんとか、ニッポン回生への転機にせねばならない、とつくづく思う。

上の梅原説を敷衍すれば、我々日本人は次のようにすればいい。
① 子供を生めよ増やせよ!
② 耐乏生活にもどし、精神を鍛えよ!
③ 独創力を伸ばす教育を!
④ 世襲制を廃し、学歴社会を維持せよ!
少々極端に書いたが、これでいいか?

思いもかけず、静かな、思索時間、を与えられ、今日は満足。

論語(87)

2011-07-20 10:45:59 | 論語
女器也(公冶長第五の4)

汝(ナンジ)器(ウツワ)なり。

弟子の子貢が「ワタクシ、賜(シ)メはどんなものでしょうか?」(賜也如何)と孔子に質問したときの答え。

子貢は実務官僚としては極めて優秀だったのだそうだが、孔子の目からは、君子とは言えない、との印象だったらしい。

君子不器(為政第二の12)という言葉がある(2/23の記事参照)ように、孔子は君子は器であってなならない、と考えていた。ということは、弟子達は皆、君子になるべく、努力をしていたはずだ。

「君は随分と君子に近づいてきたね」なんて言葉をかけていただける、と思っていたら、「君は器だよ」と単刀直入に言われてしまった。

通常は、汗がタラー、だが、子貢は違った。「では、どんな器なのでしょうか?」(何器也)と質問した。

孔子の答えは、「瑚(コレン)だよ」

瑚=祭祀の際、供え物を載せるための最も重要な器

子貢のことを、君子とはいえないが君子を支える人の中で中心に位置する人、と、孔子は評価した、ということだろう。子貢はとりあえず、ほっとしただろう。

つい、孔子の人心掌握術のうまさを、感じてしまうのですが。

論語(86)

2011-07-19 09:37:04 | 論語
君子哉若人(公冶長第五の3)

君子なるかな若(カクノゴトキ)人

こういう人を君子というのですよ。

孔子が弟子の子賤について評した言葉。


実は、これに続く言葉がいい。

魯において(子賤の前に)君子が居なければ、こういう人が生まれることは決してないのだ(魯無君子者、斯焉取斯)。


’なでしこ’、やってくれましたよね~。

今日まで推進してきた、サッカー界の方針に間違いが無かったことを証明した、と思う。
あの大新聞と大バトルの末に立ち上げたJリーグの成功が今日をもたらした、と確信している。
女子も男子も、若手育成が軌道にのっているので、当分のあいだ、どんどん強くなる一方だ。
東京五輪時代のサッカー選手達の、今日までの御努力を称えたい。

政治や他の世界においても、どうぞ、若手育成に心を砕いてください。


解説員として(82)

2011-07-14 19:59:48 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

自転車をこぐのもしんどく感じるほどの、猛烈な暑さであった。

午前中の見学者は二名だったそうだが、午後は一名。熟年男性。

節電が理由で、水車を回さない現状を残念がってくださった。

民具調査やなんかの工事のための、打ち合わせや下調べが行われたため、それらのご担当の方々で、賑やかではあった。

その賑やかさを横目に、風通しのいい場所に陣取り、読書プラス居眠りの、心地よい半日を過ごした。

「しんぐるま」は、本当に、酷暑を忘れさせる別天地だ。




神野論文(3)

2011-07-13 19:19:22 | 水車解説関連
 「しんぐるま」の最後の当主であった、故峯岸清さんは、八代目だったそうだ(P18)。

そのうちどなたかが、菩提寺の位牌などを手がかりに、峯岸家の系図を調べることもあろうが、この報文から、三代前までの生没年を遡ることができる。

八代目 峯岸清 1910~2008
七代目 峯岸繁蔵 1879~1923(明治12年生まれ~清15歳の時没)
六代目 峯岸弥三郎 1865~1916(慶応生まれ~清7歳の時没)

上の数字から、思うことなどが次ぎ

・ 清さんに比し、繁蔵も弥三郎も若くしてなくなった。もっとも、そのころの平均寿命に近かったのかもしれぬ。
・ 慶応という元号が続いたのは、1865から1868までである。繁蔵は弥三郎が14歳(慶応元年)~11歳(慶応4年)の生まれたことになる。たぶん慶応元年であろうが、それでも、随分と若くして結婚したものだ、と思う。
・ 近藤勇は、1834生~1868没である。五代目もしくは四代目頃の話が発掘できれば、大沢辺における、天然理心流や宮川家の溌雲館などの隆盛振りの傍証が得られるでしょうに。 

論語(85)

2011-07-12 21:37:38 | 論語
邦有道不廃、邦無道免於刑戮(公冶長第五の2)

邦に道あれば廃されず、邦に道無くも刑戮(ケイリク)を免る。

孔子が南容という名の弟子について評した言葉。

国政がまっとうな時は、政治の枢要な地位を約束されていた。だからといって、国政が乱れた時(反対勢力によって牛耳られるような時代)であっても、まっとうに生活するので、獄に繋がれるようなことは無かった。

これに続く言葉は、以其兄之子妻之(其の兄の子を之に妻(メア)わす=孔子の姪を南容に嫁がせた)。

孔子様が、なんとも俗っぽく感じる文章です。
自分の親戚の子供の幸せにするために、弟子の中からいいやつをみつくろうわけですから。



論語(84)

2011-07-11 06:27:38 | 論語
雖在縲紲之中、非其罪也(公冶長第五の1)

縲紲(ルイセツ)の中に在りと雖(イエ)ども、其の罪に在らざるなり

縲紲=しばりつなぐこと、すなわち、獄に収監されること。


たとえ獄中に入っている人であっても、本当は、その人が罪を負うべきではない(こともある)。


弟子、公冶長が収監されたけれど、孔子は「あれは、彼の罪ではない」と言い、以前と変わりなく処遇した。

罪と罰は、極論すれば、それぞれの時代の権力者によって定義される。だから、獄中に入った人を、無実、と主張するためには、時の権力に対する抗議となるので、相当なエネルギーと覚悟を必要とする。

だから、こう言い切る孔子の、意志の強さを実感する言葉だ。

論語(83)

2011-07-07 11:09:49 | 論語
事君数斯辱矣(里仁第四の26)

君に事(ツカ)うるに数(シバシバ)すれば斯(ココ)に辱(ハズカシメ)られる。

これは、孔子の弟子、子游が残した言葉。

リーダーへの仕え方が、めったやたらに顔を出すだけ、なんてことだったら、すぐに、名を折られます。

後段は次、
同志の集まりのようなところで、必要以上にでしゃばると、みなさんから疎んじられる(朋友数斯疏矣)。

早い話、追従はよくないよ、と言っているわけでしょうが、世の中、ソウとばかりは言えますまい。
追従も世渡り、なんて言うではないですか。

この間の、某国復興相の暴言にしても、あれがマスコミ取材を受けない形で行われていれば、別の結末になっていたかもしれません。

世の中全体、追従かどうかの判断が難しい、微妙なバランスの中で、動いているのではないでしょうか。

論語(82)

2011-07-06 09:17:02 | 論語
徳不孤、必有鄰(里仁第四の25)

徳は孤ならず、必ず鄰(トナリ)あり。

徳=善美・正大・光明・純懿(ジュンイ=純粋で一途なこと)。つまり邪心が無いこと
鄰=周時代の行政単位で5家、つまり向こう三軒両隣

人間、徳を持っていれば、決して孤立することはなく、支えてくれる人が出てくる。


世の中で生活していく、ということは、一切の邪心を振り払うこと。これに尽きるのかもしれません。
某国政権の中枢にいる方々が、一度は、この言葉を心していただけたらなあ、なんて思います。

神野論文(2)

2011-07-05 19:09:29 | 水車解説関連
今日は隠田(オンデン)

神野論文には次のようなことが書いてある。

・ 峯岸家は、豊多摩郡千駄ヶ谷町隠田161番地に米屋を開いていた。
・ 大沢と千駄ヶ谷の間には馬車便があり、弥三郎の三男源之助がそれを担っていた。
・ 隠田には、北斎も描いた、水車があった。

Wikipediaによれば、
・ 隠田は、今の渋谷区神宮前。原宿駅から、表参道方面に向かい、坂を下りきったあたり。川(渋谷川)が北から南方向にながれていた。
・ 北斎の版画も見つけられる。
・ 神宮前小には、水車の模型があるそうだ。

いいたいことは次、
・ 渋谷区役所や旧隠田地区の人々に声をかけ、親交協力関係を強化してはいかがか?
・ 旧馬車便道を歩くイベントを開催する、とか、
・ 水車に関連した、歴史を学ぶ会を相互に開く、とか、
・ 「しんぐるま」を世に出すために、「隠田」を利用できないものでしょうか?